第十話 草は病気にならない
翌朝。
管理府からの返事は、まだ来ていなかった。
当然だった。
昨日の夕方に出した書状が、朝になって返ってきたら、それはそれで少し怖い。
ルーエルは十三人目の患者を診てから、治療所の机へ戻った。
熱は昨夜より少し下がっている。
手の痺れは残っていた。
強い治癒は入れていない。
水分を取らせ、医師が状態を診る。治癒は必要な分だけ、身体の働きを補助する程度に留めている。
今のところ、それで悪化はしていなかった。
「先生」
ハロルドが紙を持ってきた。
「昨日頼まれてたやつです」
「何だっけ」
「山へ入った人の一覧」
「ああ」
受け取る。
ハロルドは少し嫌そうな顔をした。
「頼んだ本人が忘れないでくださいよ」
「忘れてはいないよ」
「今、何だっけって言いましたよね」
「思い出すまでが早かったでしょう」
「そういう問題ですか?」
たぶん違う。
一覧を見る。
今年、薬草採りや狩り、祭りなどで北の山へ入ったことが確認できた者。
五十七人。
そのうち発症者は十三人。
多くはない。
だが、少なくもない。
「入っただけでは駄目か」
ルーエルが呟いた。
「駄目?」
「原因が山にあるとしても、山へ入れば必ず発症するわけじゃない」
「昨日言ってた体質ですか」
「それもあるかもしれない」
「魔力を身体に溜めやすいとか?」
「まだ分からないよ」
「先生、その言葉好きですね」
「便利だからね」
ハロルドは呆れたように笑った。
*
昼前、オルガが籠を抱えてやってきた。
「持ってきたよ」
机の上へ、どさりと置く。
薬草だった。
「ありがとうございます」
「何に使うんだい」
「比べたいんです」
「何と?」
「去年のもの、残ってます?」
オルガが眉を寄せた。
「乾燥したのでよければ」
「それで」
「先に言いな」
「すみません」
オルガはぶつぶつ言いながら店へ戻っていった。
ハロルドが籠を覗く。
「何するんです?」
「まだ決めてない」
「決めてないのに持ってこさせたんですか」
「今年だけ異常に育ってるなら、去年と何か違うかもしれないでしょう」
「成分なら薬師の仕事じゃ?」
「そうだね」
「じゃあ先生は?」
「僕にも分かるところがあるかもしれない」
曖昧な答えだった。
自分でもそう思う。
けれど、十三人目に触れたときの感覚が気になっていた。
本人のものではない何か。
あれが本当に外から入った魔力なら。
植物はどうなのだろう。
*
オルガが戻ってきた。
去年採ったルセ草。
今年採ったルセ草。
二つが机に並ぶ。
見た目からして違った。
今年のもののほうが茎が太い。
乾燥させた後でも分かる。
「薬効は?」
ルーエルが聞いた。
「今年のほうが強いね」
「どのくらい?」
「同じ量なら、一割か二割」
「そんなに?」
「だから最初は喜んだんだよ」
オルガは今年の草を一本取った。
「よく育つ。よく効く。たくさん採れる」
「いいことばかりですね」
「そうだったはずなんだけどね」
オルガはルーエルを見る。
「先生が嫌な顔するまでは」
「僕のせい?」
「今のところはね」
理不尽だった。
ルーエルは今年のルセ草へ触れた。
何も起こらない。
当たり前だ。
治癒術は本来、人間や動物に使うものだ。
「植物に治癒って使えます?」
ハロルドが聞いた。
「やったことない」
「俺もないです」
「草は患者じゃないからね」
オルガが言う。
もっともだった。
ルーエルは今年の草を手に持ったまま考えた。
治したいわけではない。
知りたいのは、この草が何を持っているかだ。
「ハロルド」
「はい」
「患者に触れたとき、何を感じた?」
「何って……」
「治癒を流したとき」
ハロルドは少し考えた。
「引っかかる感じ?」
「僕は混ざってる感じがした」
「先生と俺で違うんですか」
「言葉が違うだけかもしれない」
「それを草で探す?」
「できるか分からないけど」
ルーエルは目を閉じた。
ほんの少しだけ魔力を流す。
治そうとしない。
押さない。
ただ触れる。
何もない。
もう少し。
「先生」
「うん」
「顔色悪いですよ」
「そう?」
「やめたほうが」
ルーエルは手を離した。
「分からない」
「でしょうね」
「でも、何もない感じでもない」
「どっちです?」
「だから魔術師を呼んだんだよ」
「まだ来てませんよ」
「そうなんだよね」
オルガが二人を見比べている。
「中央の治癒師って、みんなこんななのかい」
ハロルドが答えた。
「たぶん、この人だけです」
「ひどいな」
*
今度は去年の草へ触れた。
同じように、ごく弱く魔力を流す。
すぐに手を離した。
今年の草。
去年の草。
もう一度。
「……違う」
ルーエルが言った。
ハロルドの表情が変わった。
「分かるんですか」
「分からない」
「今、違うって」
「違うことだけ分かる」
「何が?」
「それが分からない」
オルガが額を押さえた。
「話が進まないねえ」
「進んではいます」
「どこが」
「去年と今年は同じじゃない」
「見れば分かるよ」
「見た目じゃなくて」
ルーエルは今年の草を見る。
患者の身体で感じたものと、完全に同じではない。
もっと薄い。
静かだ。
生きた人間の身体の中では、魔力は絶えず流れている。
草には、人間と同じような流れはない。
比べ方そのものが間違っているのかもしれない。
それでも。
何かがある。
「別の薬草は?」
ルーエルが聞いた。
オルガが目を細めた。
「先生」
「はい」
「うちの店を全部持ってくる気かい」
「今年、北斜面で採れたものだけでいいです」
「十分多いよ」
「すみません」
「謝ればいいと思ってるね」
少しは思っていた。
*
結局、六種類並んだ。
今年、北斜面で採れたもの。
三種類。
別の場所で採れたもの。
三種類。
ルーエルは一つずつ触った。
ハロルドにも触らせた。
三つ目で、
「……これ」
ハロルドが言った。
「分かる?」
「さっきと同じです」
北斜面。
四つ目。
何もない。
南側。
五つ目。
何もない。
川沿い。
六つ目。
「ある」
北斜面。
三人で黙った。
オルガが先に口を開いた。
「種類じゃないってことかい」
「たぶん」
ルーエルは答えた。
「少なくとも、今調べたものは北で採れたものにだけ何かある」
オルガは今年のルセ草を一本摘まみ上げた。
「それが人に悪さしてる?」
「分かりません」
「どれだけ入ってる?」
「それも」
「人間に入ったらどうなる?」
「分からない」
オルガは薬草を眺めた。
「なら、まだ毒だなんだと名前をつける段階じゃないね」
「そうですね」
「薬だって使い方を間違えりゃ人を害する。水だって飲ませ続ければ身体を壊す。何をどれだけ、どうやって取り込んだかで話は変わる」
ハロルドが薬草を見る。
「じゃあ、何を調べるんです?」
「まず、去年と今年で何が違うか」
ルーエルが答えた。
「人にとって危険なのかを決めるのは、そのあとでいい」
「……そうですね」
ハロルドが横を向いて笑った。
「笑わないで」
「すみません」
ルーエルは並べられた薬草を見た。
「少なくとも、一種類の薬草だけに起きてることじゃない」
「そこは私にも分かる」
オルガが一本を摘まんだ。
「病気だとしても、ずいぶん景気のいい病気だね。こんなに育つなら薬師は喜んで畑に撒くよ」
「草って病気になるんですか」
ハロルドが聞いた。
「なるよ」
オルガは即答した。
ルーエルが顔を上げる。
「なるんだ」
「なるさ。人間とは違うけどね」
「知らなかった」
「治癒師だからね。知らなくていいよ」
「じゃあ、これは?」
「だから、それを調べてるんだろ」
「そうでした」
オルガが呆れたように笑った。
*
午後になって、ミレナが来た。
結果を聞き、薬草を眺める。
「患者と同じもの?」
「そこが分からないんです」
「治癒師二人とも感じる?」
「はい」
ハロルドが頷いた。
「俺は先生ほどはっきり分かりませんけど」
「去年のものには?」
「感じません」
「南側のもの」
「感じません」
「北だけ」
「今のところ」
ミレナは腕を組んだ。
「なら、人間の病気だけを追うより、山も調べたほうがいいかもしれないわね」
「僕もそう思います」
「坑道?」
「怪しいけど、まだ分かりません」
「入るの?」
「僕は入りませんよ」
三人がルーエルを見た。
「何です?」
「いや」
ミレナが言った。
「あなたなら行くって言うかと思った」
「崩れるかもしれない穴に治癒師が入って、何が分かるんです?」
「まともね」
「ずっとまともですよ」
ハロルドが何も言わなかった。
「何か言って」
「何も言ってません」
*
管理府から返事が来たのは、その少し後だった。
魔術師を一名派遣する。
到着は明日の午後。
旧坑道の記録は領都に保管されている。
調査中。
薬草の流通先については、問屋へ照会する。
そこまで読んで、ルーエルは息を吐いた。
「よかった」
「何がです?」
「僕が領都まで行かなくて済んだ」
ハロルドが笑った。
「行くつもりだったんですか」
「返事がなかったら」
「先生」
「何」
「それ、仕事増やす人の考え方ですよ」
「でも返事来たから増えてないよ」
「そういうことにしときます」
*
夕方。
ルーエルは十三人の患者をもう一度診た。
一人ずつ。
魔力の流れを確認する。
強い者。
弱い者。
ほとんど回復している者。
まだ熱の高い者。
程度には差がある。
けれど、全員に薄い何かを感じる。
治癒を流すと、それは少し動く。
押し流されるようにも感じる。
けれど、完全には消えない。
ルーエルは手を離した。
「どう?」
ミレナが聞く。
「やっぱりある」
「薬草と?」
「似てる」
「同じ?」
「そこまでは」
「明日ね」
「うん」
魔術師が来れば、もう少し分かる。
たぶん。
*
その日の診療を終えたころ、オルガが治療所の入口に立っていた。
帰ったと思っていた。
「どうしました?」
「先生」
「はい」
「今年の薬草」
オルガは少し迷ってから言った。
「売るの、止めたほうがいいかい」
ルーエルはすぐには答えなかった。
まだ危険だとは分かっていない。
薬として使って害が出たという報告もない。
止めれば、困る人が出る。
採って生活している人。
買い取った商人。
薬を必要としている患者。
だからといって、安全だと確認できたわけでもない。
「今日一日だけ、待ってもらえます?」
「明日まで?」
「魔術師が来ます」
「それで分かる?」
「分かることが増えると思います」
オルガは頷いた。
「じゃあ明日まで止めるよ」
「いいんですか」
「先生が止めろとは言えない顔してるからね」
ルーエルは少し驚いた。
「そんな顔してました?」
「してたよ」
オルガは帰っていった。
*
その夜。
ルーエルは今日の記録を書いた。
北斜面で採取された複数種の薬草に、通常とは異なる魔力反応らしきもの。
その下。
患者十三名にも類似した反応。
さらに、
同一かは不明。
そこで一度、ペンを止める。
もう一行。
薬草そのものが原因とは限らない。
むしろ。
患者も薬草も、同じものに触れたのではないか。
人間は熱を出した。
草はよく育った。
同じものに触れたのだとしたら、ずいぶん違う。
ルーエルは少し考えた。
そして書いた。
薬草も患者側なのでは?
書いてから、首を傾げる。
草は病気にならない。
いや。
なるらしい。
そこは今日知った。
「……患者は違うな」
線を引く。
代わりに書いた。
薬草も曝露した側なのでは?
今度は残した。
ペンを置く。
明日、専門家が来る。
そこから先は専門家に任せればいい。
少なくとも、魔力については。
ルーエルは記録を閉じた。
今日の仕事は終わり。
寝よう。
立ち上がったところで、扉が叩かれた。
ルーエルは扉を見た。
少しだけ嫌な予感がした。
「はい」
開ける。
立っていたのは、ハロルドだった。
「先生」
「患者?」
「いえ」
少し安心する。
「管理府から追加の伝令です」
「何?」
一枚の紙を渡された。
読む。
北部産薬草を扱った領都の薬師から、問い合わせ。
今年のルセ草について。
薬効が強い。
通常量で調合すると効きすぎることがある。
今のところ重大な健康被害は確認されていない。
ただし、
昨年と同じ量では調合できない。
ルーエルは最後まで読んだ。
「先生」
ハロルドが聞く。
「仕事、増えました?」
ルーエルは紙を見たまま答えた。
「……これは僕が増やしたんじゃないよ」
「はい」
「本当に」
「分かってます」
「ならいいけど」
もう一度、紙を見る。
薬草は、ただ大量に採れているだけではなかった。
薬としての働きまで変わっている。
ルーエルは閉じたばかりの記録を、もう一度開いた。




