それは日常だった
山林を走る。忍者の如く身軽に足場の悪い道無き道を進んでいく。時折木に身を隠し周囲を見回し危険がなければまたかけていく。
それを続けていくと後方に殺気を感じる。すぐさま持っていた木刀でその太刀筋を遮る。弾き返し、返して斬りかかる。しかし上手くいなされお互い斬り合う。移動しながら斬り、木を受けに使いながら、そして大きく開けた場所に出た。
ようやくお互いの顔を見合わせて獲物を向かい合わせる。
「そなた! 名を聞こうではないか!」
「オレの名は! モリモトのヤッさん! 貴様は何者だ! オレの島でなにしてる!」
「逃げ延びた落ち武者だ! 名乗る名はない!」
メンチを切って斬りかかる。それをかわし背を斬り伏せる。
「ぐわー! やられたぁ……」
ゆっくりと地面に倒れていくそれは時代劇のタテのワンシーンそのものだった。
そうただの茶番。昨日、おじさんの家で見た時代劇を二人で再現しているだけだった。
「なんで俺がやられ役なんだよ」
倒れた彼にゆっくりと近づき手を伸ばした。彼はそれに気づき当たり前のように手を取ると一気に立ち上がった。そして服に着いた泥を払い落として再びオレの顔を見た。
「今度はオレがヤッさん役な!」
「おう! どのシーンやるか!?」
今思えば、楽しい日々だった。あんなことが起こるなんてこのころの俺たちは想像もしていなかったよな。
今、彼を見つめている。どうしてこうなったんだっけか。始まりは間違いなくあの時だ。
「フサギ祭もそろそろだな」
彼、田中井一郎が何の前触れもなしにそう切り出した。
12歳の夏。この年は特別な年だったらしくいつもより豪華な祭りになると大人たちは師走張りに祭りの準備を進めている、と豪語していた。
「なぁフタは楽しみ?」
山縣健次郎、自分の名前だ。お互い愛称で呼び合っているが周りの大人たちはそれを聞くといい顔をしない。友達なら当たり前のことだと思っているのだが。
「楽しみだね。やっぱり祭りは好きだしさ。今年はオレたちが主役なんだろ? イチは楽しみじゃないの?」
「んー、楽しみじゃないわけじゃないんだけど、最近オレたちを見る大人の顔が気持ち悪いんだよなぁ。なんかジトーってこっちを見てくるんだよ。いつもはそんなことなかったんだけど」
「まぁ、この村の大人たちはそんなもんでしょ。オレたちが主役だからねたんでたりしてな」
「妬み、、、そんな感じじゃないと思うんだけどなぁ」
イチはそう言って空を見上げた。オレも景色の変わる村を見下ろす。だんだんと祭りの景色に変わっていく。それが非日常で心が躍った。
この美濃村は戦前の鉱山として少しは栄えた村らしい。美濃山から取れた鉱石がどうやら戦争で重宝され、一時期はお金があったらしいが、戦後になって不要の産物となり鉱山は閉山、今ではそこで働いていた鉱山夫たちの末裔が村を作り、ひもじい思いをしながら何とか生活していた。
この村の特徴は何といっても坂の上にある神社だろう。神社にはフサギサマが祀られておりこの村を見下ろしお守りいただいている。
その下に生活圏があり田畑もちゃんと作られている。山道に作られているというのもあるが、そんなに広くなく、自給自足とはいかない、らしい。
そんな村での下校中。学校は割と上の方にあり大体の子は坂を下って帰る。祭りは案外個人宅で町から持ち込んだものを販売して楽しむようになっている。
フサギサマを敬う時だが、子供の自分たちはあの神社には寄り付かないし、大人たちにもあそこには近づかないようにと口酸っぱく言われている。神聖な場所で近づくことさえよくないと言われ、神社に入ったら祟られる、なんて言われたら怖くなっていけない。それに、肝試しのていで一旦見てみようとしたら裕二さんにこっぴどく怒られ、そのあと親にも怒られ、挙句の果てに村人たちにぐちぐち怒られたのでもうあんな時間はこりごりだと肝に銘じているから行きたくもないのだ。
「やぁ一郎と健次郎。今日も駄菓子食ってくか?」
視界の外からの言葉にゆっくりとその声の主に目を移す。帰り道にいつも通るから、いつも売りつけてくる駄菓子屋のウメばあさん。今日はソースせんべいを片手ににっちゃりした笑顔でこちらを見ている。ここで断ると後が怖いんだ。とふたりで目を合わせると、
「もちろんもらっていくよ」
とイチが切り出した。ふたりそろって店に入り帰るまでの無駄話をするのだ。
「ほら、そろそろ晩御飯の時間じゃな……ゴホゴホ」
2人で時計を見るよりも前にウメばあさんを見る。
「ウメばあさん大丈夫かよ。風邪でも引いたのか?」
とイチ。それを聞いて嬉しかったのかにちゃりと笑った。
「この歳になるとちょっとした事で咳が出るんだよ。まったく歳には勝てないねぇ」
多分嘘。ここ最近学校でも風邪が流行っている。みんな咳だけで熱も出ないから大したことないと言ってるけど、それにしては大流行してる。最近だと先生たちも咳をし始めたのだからそろそろ学校閉鎖になるだろうと元気なふたりで喜びあっていた。
「ウメばあさん、ちゃんと温かくして寝るんだよ」
「こんな真夏に冷える体があるかいってんだ! ほら一郎は父ちゃんが怖いんだろ」
そういえば時間と店にある時計を見た。
「やばっ! 走って帰らないと。フタ、また明日な!」
「おう! イチも風邪ひくなよ」
イチは一足先に帰路に着いた。自分も帰ろう。そう思い立ち上がる。
「ウメばあさん、ありがとう。オレも帰るよ」
「あぁ、また来なよ」
そう言って店を出た。じとーっとした視線を背中に感じながら。
帰り道、薄暗い下り道を転ばないように進んでいく。仕事終わりの大人たちが街頭に提灯をくくっている。段々と祭りの準備が進んでいく。それがとても楽しくてこの時期の帰り道は好きだった。
段々と夏を帯びていく気候もとても好きで、もうすぐ夏休みだと考えるだけで気分が踊る。何をして遊ぼう。
チャンバラ? 忍者ごっこ? 虫取り? 魚釣り?
この大自然の中の村だからこそやれることはあるのだ。大人たちは都会はいいぞとか言ってるけどまだ自分にはその魅力はわからなかった。ただ、人が忙しなく動いてるだけじゃないか。
ふと、自分に浴びせられる視線に気づいた。大人達が自分を見てる。提灯をつけてる人、すれ違う人、家の中の人まで自分を見ているような気がする。イチの話しを聞いたからか? そんな訳ないのに。
少し怖くなり身を小さくして足早に自宅へ急いだ。
「ただいま!」
勢いよく引き戸を開けるとぴしゃん戸が鳴いた。
「おぉ、お帰り」
目の前には普段は居ないはずの人間がいた。自分をじとーっと見るその視線に嫌悪感を覚える。
「ぎ、銀村長? こんばんわ。なんでこんな所に?」
村長と呼んだ初老の男性はその言葉に表情を柔らかくした。
「いやなぁ、主役の君たちの運びをご両親と確認してたんじゃよ。当日滞りなく催事ができるようにねぇ」
村長の後ろには自分の両親がいた。その顔は明らかに血の気が引いていた。
「長居する気はなかったんじゃが、話しが盛り上がってしまってねぇ。ご飯時にすまんなぁ。老いぼれはさっさと場を後にするよ」
そう言って立ち上がり咳払いをして家を出ていった。
それを見送ったオレは直ぐに両親に近寄る。
「大丈夫? 脅されてない?」
そう聞くと両親の顔が1度曇る。
「そ、そんなわけないだろ。内容が多くて覚えるのが大変なだけだ。いいからメシにするぞ。サトコ!」
「はいはい、もうできてますから。そんなにかっかなさんな。健二郎もさっさと手ぇ洗って準備しぃな」
そう言う母は咳をした。
靴を脱いで家に上がりつつ母を見た。
「やだねぇ。こんなに暑いのに風邪かしら」
「学校でも流行ってるんだ。大丈夫?」
「咳だけだから大丈夫よ。こんなん寝ればなるからね」
疑いの目を向けてもどうにもならないのはわかっていたので黙って手を洗い食事を済ませた。
ここ最近変な夢を見る。神様がオレの手を引いて何かから逃げる夢。何から逃げているのかよくわからない。どす黒い何かとしか表現できなかった。
「なんで神様だってわかんの?」
放課後になる少し前にイチにこの話をしたらそう問われた。
「なんで……かなぁ。とにかく凄い光ってるんだよ」
「光ってるねぇ」
毎回こんな話をする。確かに、手を引いているのがなんで神様なのかまでわからない。ただそういう夢なのだと思っていたから。
「でも、何かから逃げる夢を見るのは、ストレスとか不安が溜まってる証拠らしいぜ」
「そうなの?」
「あぁ、書庫に置いてある胡散臭い本に書いてあった」
「それ本当に信じていいの?」
「わかんね」
やれやれとため息をついてると先生の準備ができたようだった。
「さて、帰りの会を行う。最近咳が長引く風邪が流行ってる。そろそろフサギ祭も近いから各々体調管理を徹底するように」
学校には既に5人が風邪を拗らせて休んでいる。10人しか居ない過疎地の学校でだ。学校閉鎖にならないのは、どうやら祭りの準備で大人たちが忙しいからだそうだ。なんとも勝手な話である。
「さて、後は……」
先生がそう続けようとすると先生が咳を始めた。少し苦しそうなそんな咳。
「すまない。さっきも言ったがフサギ祭がもう間もなくだ。みんな、しっかりと楽しむように」
先生はオレに目をくばせた。主役のオレたちに向けた言葉のようだ。小さく頷いて先生の反応を待った。
その反応は思ったものではなかった。先生は何故か悲しそうな表情を浮かべたのだ。
「さて、終わりにしよう。日直!」
日直の号令と共に立ち上がり、お辞儀をし、お決まりの言葉を口にした。
足早に帰宅する子供たちを横目にイチはオレの元に来た。
「なぁなぁ、今日こそ行こうぜ」
その言葉に窓の外を見た。日は傾いているが夏のこの時間の空はまだまだ明るさを保っていた。しかしながら嫌なものは嫌だった。
「えぇー、マジで行くのかよ」
「今日なら大人たちも準備をそこら辺やってるって言ってたから、これなら安心だろ」
「えぇー……」
嫌なものは嫌だ。しかし、確かに今日行かなければ2度とあそこに行く機会はないと思った。
「なぁ、一生のお願いだから!」
手を合わせ頭を深く下げるイチを見て断る言葉も思いつかなかった。
「わかったよ。本当にこれっきりだからな」
「本当に! よっしゃぁ!」
飛び跳ねて喜ぶイチに、何となく自分も嬉しい気持ちになった。
向かう先は村の1番標高が高い場所。この村を守るフサギ様を祀る神社。
山沿いに建てられた神社へ向かうためには道はひとつ。100段は超えると言われている急勾配の階段。それを覆うように鬱蒼としている木々。それゆえ日中でもかなり暗い。
行きたくない理由はそれが2割。残りは、大人たちから言われる伝承のようなものだ。
「行くとフサギサマが怒って呪われる」
「悪霊が徘徊してるから近寄るんじゃない」
「あの階段を半分以上登って戻って来れなかった人がいるんだって」
小さい頃からそれをすり込まれてきたからあの場所には近づかないことがもはや慣習となっていた。
あの場所に行けば、絶対に良くないことが起こる。それが残りの8割。
「大人たちの嘘だろ」
イチはそんなこと言って神社へ向かう道を嬉々として登っていく。オレは登るにつれ恐怖心がどんどん強くなっていた。ここら辺で大人に見つかって怒られるくらいがちょうどよかった。
坂の下を見る。さっきまでいた学校が手に収まるくらいまで登ってきた。これだけ勾配が強い山なのに階段が少ない。昔の名残だと大人達は言ってたけど詳しい話は教えてくれなかった。
まだなのかと視線をあげると大人たちが忙しなく催事の飾り付けを行っていた。やっと着いたのだ。張り裂けそうな太腿を軽く叩きゆっくりと巨大な森へ向かっていく。
森。階段があるなんてわからなかった。少し近づけばそれは確かにある。まるで人の侵入を拒むように。
森の上には神社が浮き上がっておりあそこがフサギサマを祀っている場所だと判断できた。
今いる場所は少しだけ開けており、近くには宿舎がある。ここには神主さんが住んでいるらしいが、ひとりで住むにはあまりに大きな建物だった。
「おい、もう少し近づこうぜ」
イチが目を光らせて神社を見ていた。そんなにオカルト好きだとは初めて知った。
「え、これ以上はさすがに……」
「今年しかないんだって」
まぁそれもそうなんだけどと呟いて階段の前にある鳥居をくぐろうとグイグイ進んでいく。
「これはこれは、主役の田中井一郎くんと山縣健次郎くんだね」
その透き通る声にふたりで足を止めた。さっきまではいなかったはずだ。鳥居の横でホウキを持ってこちらを見ている奇妙な仮面の男が多分こっちを見ていた。
「ごめん、驚かせてしまったね。私は神主です。基本的には誰も神社に来ないから初対面だよね」
気さくな声かけと軽やかな身振り、白衣と紫の袴は汚れなどなくとても清潔感のある身なり、自分の周りにいる大人たちと比べてとても異様な雰囲気を醸し出していた。
「は、はじめまして!」
イチが戸惑いながらも勢いに任せて頭を下げた。オレもその勢いに乗って同様の挨拶をする。
「失礼ですが、お名前は?」
頭を上げてオレが言葉を出した。名前で呼ばなければ失礼だという大人たちの教育に従った。
「あぁ、私のことは神主でいいよ。名乗るほどでもないからね」
「そ、そういう訳には……」
食いついたが裏襟を摘まれた。
「おら! 一郎! 健次郎! ここには来んなっつってんだろうが! しかも神主さんに迷惑かけよってからに! 神主さんも忙しいんだよ!」
振り返って声の正体を見る。まぁこんな汚い怒鳴り声出す奴はひとりしかいないのだけど。
村長の長男、四方谷裕二。この村でも裕福な家の生まれだからかその出っ張ったお腹がとても特徴的だった。
「ちょっ! 裕二さんやめてよ! 苦しい」
イチの言葉にその手は離される。パンパンと手をはたき鼻息を勢いよく放つ。
「おら、またやられたくなきゃさっさと家に帰れ!」
「こらこら、裕二さん。子供にそんな圧力かけてしまってはよろしくないですよ」
「コイツらは昔っから言うこと聞かねぇんだ。このくらいしねぇとどこかで死体で上がっても寝覚めが悪いだろ」
「そういうことではありません。言葉遣いの話をしております。村長の長男がこれだと下界から蔑まれますよ」
「ぐっ、下界ではちゃんとしてるよ。コイツらだけだ」
「その素の発言が咄嗟の時に出ます。普段から素行含め……」
「あーわかったわかった。オレもまだ飾り付けが終わってねぇんだ。すまねぇがその話はまた今度で」
デカイ図体の男がその身を小さくして小鹿の如く走っていった。
「やれやれ、言葉遣いさえ直せば恰幅のいい方の印象が残りますのに」
神主さんが溜め息をついた。オレたちはそんな裕二さんを見て笑いあった。
「さて、裕二さんの言っていたことは最もです。フサギサマは神経質な神様です。無礼つかまつり呪われた方々は少なくありません。それが今回の主役だとして、とてもフサギサマに合わせる顔がありません。私の顔に免じてここから離れて頂けませんか?」
神主さんがゆっくりと頭を下げる。
「まぁ、ここまでにするつもりだったし、なぁフタ」
「そうだねイチ。神主さんに頭下げさせる不届き者は帰らないとね」
「それもそうだな。まぁでも仮面に隠れて合わせる顔があるのかもわからないけどね」
「これはこれは、それもそうですね」
神主さんは笑った。それでもその仮面を外すことはなかった。
「それでは、神主さん、さようなら」
「はい、さようなら」
オレたちは夕日を眺めながら、また長い下り坂を進んでいく。しかし、今度はとても足取りが軽かった。




