第26話「南へ」
僕はギーガさんたちとともに、歩き始めた。
異世界に転生してから、初めての「冒険」。
つまり——僕の人生にとっての、本当の「開幕」でもある。
さっきまで、ずっと部屋に引きこもっていたのに。
ベッドに寝そべって、天井の木目ばかり見つめていた僕が、今では胸を高鳴らせながら、家から、村から、そして“いつもの景色”から離れていく足音を刻んでいる。
確かに、ワクワクしている。
でも同時に、心の奥底で一つの疑問が、冷たい石みたいに居座っていた。
——これは、本当に「現実」なんだろうか?
「冒険」をするということは、「死」を覚悟するということでもある。
魔物。盗賊。病気。事故。
この世界には、命を落とす理由がいくらでも転がっている。
まだ五歳の子どもが、命をかける——前世の感覚で言えば、それは完全に「ヤバいこと」だ。
それでも、僕は足を止めない。
……この世界の「頂」を目指す、と決めたから。
背丈よりも高い草はもうなく、道はひらけている。
村を囲っていた柵が、背後でどんどん小さくなっていく。
家々の屋根が、重なり合った影ごと遠ざかっていく。
そんな中、不意に右肩を「トントン」と叩かれた。
右側へ顔を向けると、いつの間にかギーガさんが僕のすぐ隣に歩いていた。
獣族の狼系らしい耳が風に揺れ、尻尾がリズムよく左右に振れている。
「そういうたらグライ。行き先、言うてへんかったな」
ギーガさんは、白い牙を少し見せながら笑った。
「わしらが行く先、教えとくわ……
グアニスタンとエルニスタンの間通って、ニカニスタンの都市『マナグア』通って、ヴィルヘルム帝国の都市『ヴィルヘルム』、インダロン国の都市『イプシロン』、ソロモン民主国の都市『ソロモン』の始まりや。
……楽しみになったんちゃう? グライ」
その地名の列を聞いた瞬間、胸が一気に熱くなった。
(全部——全部、『全世界の歴史と地理』に載ってた国と都市だ……!)
分厚い表紙。すり減るまで何度も開いたページ。
文字と地図と挿絵でしか知らなかった場所の名前が、今、こうして「これから行く場所」として口にされている。
本の中で見た地図が、頭の中に浮かぶ。
グアニスタンとエルニスタンの国境線。
そこを抜けた先にあるニカニスタンの都市、マナグア。
さらにその先には、ヴィルヘルム帝国。インダロン国。ソロモン民主国——。
正直、めちゃくちゃ行きたい。
どの都市にも、一度は足を踏み入れてみたい。
ご当地グルメみたいなものが、きっとある。
「欲しかった何か」が、店先でさりげなく売られているかもしれない。
前世での旅行なんて、小学生の時の家族旅行が最後だった。
中学生になってからは、いじめと勉強と絶望で手一杯で、「どこかへ行きたい」と思うことすら許されなかった。
「はい!! わかりました、ギーガさん!!」
僕は、ワクワクを隠しきれない声で返事をした。
その直後——右肩にさっきよりも強い「トントン」が飛んできた。
「ワクワクしてるやんか〜!! ハハハハハハ!!
強くて面白いグライや〜!!」
「ハハハ……ありがとうございます」
笑いながら返事をしつつ、内心では(ちょっと痛い……)と思っていたのは、秘密だ。
でも、こういうのは「痩せ我慢」も大事だろう。
「よし!! ほな、隣の町『ガバン』に行って、『駅馬車』に乗って『マナグア』目指すで!!」
「えっ!? 『駅馬車』に乗るんですか!!?」
「そらそうよ!! 歩きやったら半年くらいかかるで!!」
半年。
想像しただけで、足の裏がじんじんしてくる。
「……僕のために『駅馬車』まで用意させてくれるんですか!!?
……ありがとうございます!!」
「当たり前やんけ!!
だって『ピサロの息子』には当然のことをせなあかんと——
アイツにボコボコにされへんこともないからな。ハハハハハハ!!!」
当然のことをしなくてもピサロにボコボコにされることは、さすがにない……と思いたいが、ギーガさんの言い方には冗談半分、本気半分の気配があった。
ともあれ、「駅馬車」について、少し整理しておきたい。
駅馬車とは、前世で言うなら「電車」に近い存在だ。
いわゆる「◯◯線」は、この世界にも存在している。
ただし短距離ではなく、主に遠距離用。
長い道のりを一気に移動するための手段として、駅馬車が使われているらしい。
僕たちが乗る予定の駅馬車は——
ビトウィーン線 マナグア行き
「ビトウィーン」は前世でいうと「間」という意味。
この世界でも、同じ意味だった。
国と国、都市と都市、その「間」をつなぐ線ということだろう。
もちろん、お金は払う必要がある。
この世界では、硬貨が唯一の通貨だ。
前世での紙幣のようなものは存在しない。
硬貨の種類は、価値が低い順に——
銅貨
銀貨
金貨
白金貨
「少ない」と思うかもしれないが、実はそれぞれの貨に「小・中・大」が存在している。
簡単に説明すると、こんな感じだ。
例:小・中・大
銅貨 … 100B、1000B、5000B
銀貨 … 10000S、50000S、100000S
金貨 … 500000G、1000000G、5000000G
白金貨 … 10000000P、50000000P、100000000P
※白金貨は簡単には入手できない。
読み方は——
B = ブロンズ、S = シルバー、G = ゴールド、P = プラチナ。
前世の「日本円」と同じで、100円 = 100Bだ。
つまり、100Bでだいたい「100円相当」の価値と考えればわかりやすい。
そんな感じで、僕らは約三ヶ月をかけて「マナグア」に向かう——予定だ。
「マナグア行き」の駅馬車の料金は、一人につき150000S。
六人分の500000G400000Sは、ギーガさんが全部負担してくれるらしい。
(……額のデカさ、ちょっとエグくない?)
心の中でだけツッコみながらも、「ありがとう」の気持ちをしっかり飲み込んでおいた。
お金を払い、僕たちは駅馬車に乗り込んだ。
駅馬車は、木製の車体に頑丈な車輪がついていて、内部にはベンチ式の座席が左右に並んでいる。最大で十五人は乗れるらしいが、今回は僕ら以外に乗客はいなかった。
移動速度は、歩くよりずっと速い。
それでも、最短でも二ヶ月半はかかる道のりだ。
揺れが一定のリズムになってきた頃、隣に座っていたギーガさんが、僕の左肩に腕を回してぐいっと引き寄せてきた。
「ほな、駅馬車に乗ったし、自己紹介始めよか!!」
「えっ!? 僕、さっき自己紹介しましたけど!?」
「そうやけど、メンバーの自己紹介、まだしてへんで? ワイもやけど……」
「あっ!! そ、そうですね……自己紹介……お願いします」
そういえば、自分のことしか自己紹介していなかった。
これから七年間を共にするメンバーのことを知らないまま出発するなんて、さすがにまずい。
「ほな、自己紹介やろか」
ギーガさんが、胸を軽くどん、と叩きながら言った。
「ワイはギーガ。獣族の狼系で、『ハイスピード』の現リーダー。
剣一筋で戦っておるわ。グライ、よろしゅうに」
最初はギーガさん。
獣族の狼系で、ピサロと同じく、戦いは剣一筋。
「ハイスピードの現リーダー」——ということは、パーティー名が『ハイスピード』ということになる。
(……カッコいい名前だなぁ……)
心の中でちょっと憧れを抱いていると、次の声が続いた。
「私はメガロン。ドワーフで、最近パーティーに入ってきた新人です。
斧技で戦います。グライ君、これからもよろしく」
次はメガロンさん。
ドワーフで、斧技を使って戦う。最近パーティーに加わった新人の男性。
身長は、僕より十〜十五センチくらい低いだろうか。
簡単に言うなら、「前世の小学二年生くらいの身長」に見える。
『全世界の歴史と地理』には、こう書かれていた。
「種族ごとに平均寿命、身長、特徴は異なる」
さらに全種族の詳細も挙げられていたから、ドワーフの平均身長が人間より低いことも、僕は既に知っていた。
「わ、私は……ヨナ。亜人の犬系で……メガロンさんと同じく新人……です(。>﹏<。)。
魔術の回復系である自然属性一筋で生きています。階級は……超級魔法です……。
ぐ、グライちゃん……よろしくね(。>﹏<。)」
次はヨナさん。
亜人の犬系で、メガロンさんと同じ新人メンバー。
耳と尻尾が、緊張と恥ずかしさで小刻みに揺れている。
とても恥ずかしがり屋で、顔と耳が真っ赤になっているのがひと目で分かる。
でも——階級は超級魔法。
魔術の回復系である自然属性一筋で生きてきた、超級魔法使いの女性。
(回復専門で超級魔法……とんでもない人が新人で入ってきてるな……)
「私はアネモネ。人間で、ギーガさんとは昔からパーティーでお世話になっています。
子供のように小柄な女性ですが……魔術の闇属性を使い戦います。階級は国級魔法です。
甘く見たら、闇属性の魔法で消し去りますからね? グライちゃん」
「少しは落ち着きましょうアネモネさん。私だって身長のこと気にしてるので」
次はアネモネさん。
僕と同じ「人間」で、ギーガさんとは昔からパーティーを共にしてきたらしい。
子供のように小柄な女性だが——怒らせたら怖そうな笑みを浮かべている。
魔術の闇属性を使い戦い、その階級は国級魔法。
軽く脅しを入れてくるあたり、きっと「甘く見られること」に慣れすぎているのだろう。
「私はラミア。魔族でサキュバス。
アネモネさんと同様、昔からギーガさんにお世話になっているわ。
私は指術を使って戦うの。糸で相手を捕まえるのが得意よ。
生まれつき羽根が生えていて、飛行能力を使って情報屋として活躍しているわ。
よろしくね〜グライちゃん」
最後はラミアさん。
魔族で、サキュバス。
アネモネさんと同じく、昔からギーガさんにお世話になっている古参メンバー。
彼女が使う「指術」は、世界でも珍しい術技のひとつだと、本で読んだことがある。
糸を操り、相手を絡め取るのが得意。
さらに、生まれつき羽根が生えていて、飛行能力を活かして「情報屋」としても活躍している。
……そして何よりも、目を引いてしまうのは——
(……巨乳……)
とてもエロい体型で、露出度の高い服装。
目のやり場に困る、とはこのことだろう。
(ヤバい。こんなこと考えちゃダメだ。ダメなんだけど……)
女性不信だったのに——それが一気に揺らいでいくような感覚があった。
いや、女性不信は女性不信で残っているのだけど、別の意味で落ち着かない。
「そない感じや」
ギーガさんが、全員の自己紹介がひととおり終わったタイミングで言った。
「そういうことで、これからもよろしゅうな、グライ」
獣耳をぴんと立て、白い牙を見せながら差し出されたその言葉に、僕は自然と笑顔になっていた。
「はい!! これからも、よろしくお願いします!!」
ここから始まる、「頂」への道。
必ず——この手で、掴み取ってみせる。
To be continued




