第25話「開幕」
そこにいたのはピサロとミサ。
——そして、その少し前に立っている、見たことのない「人たち」。
家の前の道端。
まだ春になりきらない冷たい風が吹いていて、土の匂いと、遠くの畑で燃やした枯れ草の匂いが混ざり合っていた。
いつもなら、ここに立っているのは村の人たちくらいだ。
だけど今、父と母のそばにいるのは、明らかに「村の大人」とは違う空気をまとった人たちだった。
間違いなく、レストリア村の中で見てきた大人たちではない。
服装も、立ち方も、視線の動き方も、何かが違う。
外の世界の匂いをまとっているように思えた。
すると、その中の一人——フードのようなものを深く被った人物が、すっとこちらに歩み寄ってきた。
僕の目の前でしゃがみ込み、ためらいもなく僕の頭に手を伸ばす。
「ピサロの息子、めっちゃかわええやん。
やっぱり『妻』の遺伝子でそうなったんちゃうん?」
低めの声。だけど、どこか弾むような、楽しそうな音。
その人は男性だった。
けれど、僕はすぐに「何か喋り方に違和感がある」と感じた。
違和感がある……違和感がある……違和感……。
——「関西弁」だ!!!
前世で、「関西」という地域があった。
日本地図で表すなら、「西日本の中央に位置する地域」。
そこでは、「関西弁」という方言を話す人たちが大勢いる。
難しいわけでも、解読不可能なわけでもないけど——普通に聞いているだけで、「独特の面白さ」や「テンポの違い」が耳に残る言葉。
(……なんでここで、関西弁……?)
空には二つの太陽。
雪子さんは「日本」出身。
今のこの男性は、間違いなく「関西弁」。
ここが「地球」なのか?
それとも「異世界」なのか?
頭の中で、二つの前提がぶつかり合って、ガタガタと音を立てた。
あまりにも理解不能だ。
けれど、目の前の「今」は、ちゃんと動いている。
「もう〜!! ギーガさんったら!! 私を褒めてるじゃない!!」
隣で、ミサが嬉しそうに声を上げた。
どうやら、このフードの男性は「ギーガさん」というらしい。
「ハハハハハハ!! そらそうよ!!
だって『ピサロの妻』だからなさかい」
ギーガさんは、ケラケラと笑いながらさらにミサを持ち上げる。
ミサはその肩をポンポン叩きながら、喜びを全身で爆発させていた。
その横では、ピサロが微笑んだまま一歩前に出て、ギーガさんの前で同じようにしゃがみ込み、肩をぐっと組む。
「ギーガ。ミサを褒めてくれてありがとな。
二十年以上経っても、お前は相変わらず変わっていないな。
でも……俺はそれが『良い』」
「ハハハハハハ!!! おおきに!!
ピサロはんも変わってないな!!
まだやってるんか?」
「嫌、もう『あれ』は諦めちゃったぜ」
二人の笑い声が、春先の空気を揺らす。
目の前に広がる光景だけで、二人が「昔からの相棒」だと分かった。
距離の詰め方。言葉の軽さと重さ。昔話をする前から、既に共有している歴史——そういうもの全部が、会話の間ににじみ出ている。
僕は、改めてギーガさんに向き直り、深呼吸してから自己紹介をした。
「ぼ、僕は、グライ・ファンジアスですっ……!
いまの階級は、『上級剣技』と『上級魔法』です……!
よろしくお願いしますっ!!」
緊張で、思ったより声が上ずった。
舌がうまく回らず、言葉が少しもつれる。
だけど、ギーガさんはそんなことを気にする様子もなく、また僕の頭をわしわしと撫でた。
「グライか。これからも、よろしゅうな。
せやけど、ほんまに『上級剣技』と『上級魔法』なんか!?
まだ五歳やろ!?……やっぱり『天才家』やな!! ハハハハハハ!!!」
笑いながら言うものの、その目はちゃんと僕を「人」として見てくれているようだった。
からかい半分、でも侮りゼロ。そんな不思議な眼差し。
そして、ギーガさんはゆっくりと被っていたフードに手をかけた。
指先で布をつまみ、後ろへ払うように外す。
——外した瞬間。僕は、息を呑んだ。
耳は頭の上。
後ろには尻尾。
体中には短く柔らかそうな毛。
鼻は、村で見たことのある狼に似た形。
いや、「似た形」じゃない。
「狼」だ。
完全に、「狼」だ。
ギーガさんは、「亜人」。
『全世界の歴史と地理』に書いてあった、「人と獣の中間」を意味する種族。
ギーガさんの場合は、「獣族」の中でも「狼系」。
異世界系アニメなら、登場人物の中に一人はいるタイプの存在。
理屈としては知っていた。
でも実物を目の前にすると、さすがに迫力が違う。
ここで変な空気にならないように——僕は、あえて「幼児らしい」リアクションを取ることにした。
「わぁ〜すごい〜!! 狼さんだ〜!! カッコいい〜!!」
本音では、もっと冷静に「獣人系亜人との初対面だ」とか分析したい。
でも、僕はまだ五歳。
十歳くらいにならないと、大人のリアクションだけで乗り切るのは難しい。
今は、素直さも武器にしておくべきだ。
「おお〜。とてもかわええな〜!!
強いし、かわええ〜!! 何でもありな子やな〜!!」
ギーガさんが、ますますテンションを上げて僕を褒めちぎる。
明らかに、ピサロやミサよりも立て続けに褒められている気がするが、さすがに「一番褒めてくれる人」と決めつけるには早すぎる。
まだ対面してから十分も経っていないのに、「勲章」を渡してしまうのは、僕の中で何かのバランスがおかしくなりそうだ。
そんなことを考えていると、ギーガさんとピサロが同時に立ち上がった。
身長差がはっきりと分かる位置から、ピサロが僕の顔を上から覗き込むように見てくる。
「それでだ、グライ」
ピサロの声が、少し低くなる。
「お前はこれから、ギーガたちと冒険する。
期間は七年ぐらい。失敗してもいい。ギーガたちが面倒を見たり、助けてくれたり、可愛がってくれるから。
そこは問題ないから、考えなくていいぞ」
七年。
今の僕の人生の、ほぼ二倍。
その長さを、一瞬で正確に想像することはできなかった。
でも、ピサロの「そこは考えなくていい」という一言に、少しだけ肩の力が抜けた。
けれど——。
「でもな……グライ」
ピサロは、再びしゃがみ込んだ。
僕と目線を合わせ、両肩に大きな手を置く。
その手のひらは、剣を握ってきた男の固さと、父親としての温かさを同時に持っていた。
「『失敗してもいい』と言ったが……それは、『まだできないこと』の話だ。
『今できること』は、しっかりとやってほしい。
ギーガたちがいるとしても、お前が何もしなかったら意味がない。
……一人だけ生き残ったらどうする? 守れなかったらどうする?
こうならないように、『今できること』だけを考えろ。これは『真剣』だ。わかったか?」
「一人だけ生き残る」という言葉が、胸の奥に重く落ちた。
前世で、教室の真ん中でひとりぼっちだった記憶が一瞬よぎる。
あの時は「生き残った」わけじゃない。ただ「取り残されただけ」だった。
でも、今度は違う。
僕が動かなければ、僕しか残らないかもしれない。
その可能性から目をそらすな——という意味だ。
ピサロの真剣な表情に、僕の中でも緊張感が再びせり上がってきた。
だけど、その緊張を押しつぶすのではなく、支えにするように、僕は顔を上げる。
「はい!! 父さん!!」
自分でも驚くくらい、はっきりとした声が出た。
喉の奥が少し痛くなるほど強く声を出したことが、むしろ気持ちよかった。
その後のことは、怒涛のように進んだ。
ミサが冒険用の服装を僕に持ってきてくれた。
動きやすい布の服と、少し大きめのブーツ。
しっかりとした肩紐のついた小さめの荷袋。
中には保存食や水袋、最低限の着替えが詰め込まれていた。
そして——「杖」と「剣」。
ミサの話によると、「杖」と「剣」は、村にいる杖術屋と鍛冶屋に前から頼んで作ってもらったらしい。
杖の名前は、「スノーボール・アース」。
名前の通り、先端は白くて丸い。
その中には、地球のような見た目をした丸い何かが閉じ込められている。
白い球体の表面には、青や緑や茶色の模様が混ざり合っていて、まるで小さな星がそこに浮かんでいるみたいだった。
(スノーボール・アース……前世の地球の大昔に発生した『全地球凍結』のことなんだけどな……)
そんな単語を、この世界で聞くとは思っていなかった。
でも今は、そのツッコミを飲み込む。
これからの旅路を共にする「相棒」になるのだから。
そして「剣」は——鉄で作られた、ごく普通の剣だった。
特別な装飾も、凝った意匠もない。
名前も、ない。
(名前もないのかい……)
心の中でだけ、小さく文句を言う。
でもすぐに、「嫌々、そんなことを言ってはいけない」と自分で自分を諭した。
杖術屋と鍛冶屋の人たちが、時間と手間をかけて作ってくれたものだ。
文句を言う資格なんて、僕にはない。
むしろ、ここから先——この剣に名前を与えるのは、僕の役目なのかもしれない。
準備が整った僕は、玄関先でピサロとミサ、そしていつの間にか駆けつけてくれていたアーシャと向き合った。
「父さん、母さん、アーシャさん。六年間、僕を育ててくれてありがとう。
七年間、頑張ってきます。そして、大きくなって、強くなります!!
……僕がいなくても……応援してください!!」
言いながら、自分で自分の言葉に驚いていた。
さっきまでベッドから出ることもできなかった僕が、今はこうして「行く側」の人間の言葉を喋っている。
三人は、それぞれの言葉で返してくれた。
「頑張ってこいよ、グライ!! 大きくなって強くなれよ!!!」——ピサロ。
「大きくなってきてね〜♡ グライちゃん〜♡!!」——ミサ。
「帰ってきたら、たくさん話しようね〜♡!!」——アーシャ。
僕は微笑んだ。
今まで引きこもりだった僕が、こんなに気持ちを切り替えるのが早いのは、自分でもよく分からない。
でも……これでいい。
もし、この「提案」がなかったら——僕はずっとあの部屋に閉じこもって、エマの言葉を繰り返し思い出しては、壊れていっただろう。
だったら今、歩き出した方がいい。
怖くても、不安でも、分からなくても。
立ち止まったまま何も変えられない自分より、転びながら前に進む自分の方が、きっとマシだ。
僕は「スノーボール・アース」の杖と、名前のまだない剣をしっかりと握り直した。
そして、「ギーガさん」たちとともに、一歩を踏み出した。
異世界に入って初めての「冒険」。
それは、僕の人生の「第二幕」の始まり。
つまり、「開幕」という意味だ。
To be continued




