第24話「提案」
西暦256年4月7日。
雪子さんとエマが旅立ってから、約三ヶ月が経った。
僕は相変わらず、自分の部屋で引きこもったままだ。
今日も、木製の小さなベッドの上で、天井を見上げながら寝そべっている。
雪子さんは、いつかここに戻ってくる。
ここに来たとき、僕と「決闘」をする。
そしてワイワイして、飲んで、食べて——。
「うっ……!!」
そこまで想像したところで、あのときのたった一言が、頭の奥から無理やり引きずり出される。
「グライ君なんか…………いなくなっちゃえばいいのに!!!」
同い年の友達、「エマ」の存在。
忘れたいのに、忘れられない一言。
思い出した瞬間、胃の奥がねじれた。
込み上げる吐き気。
僕はベッドから転がり落ちるようにして身を起こし、床に置いてあったバケツを引き寄せ、そこにすべてを吐き出した。
酸っぱい匂いと、喉のひりひりする痛み。
力が抜けた体を引きずるようにして、再びベッドに倒れ込む。
天井の木目が、涙でにじんで二重にも三重にも見えた。
「エマ……僕はただ、君を『褒めた』だけなんだ……。
君を『侮辱』したり、『笑ったり』したわけじゃない!!」
心の中で、何度も訴える。
声にならない声が、胸の内側で反響して、勝手に涙が溢れてくる。
でも——そんなことを心の中で叫んだところで、意味はない。
何故なら——「エマの心には届いていないから」。
前世で言うなら、「彼女が激怒したあと、メールで謝った」みたいなものだ。
言葉の送り先だけがあって、受け取る人の心は、その場にいない。
しかし今、そんなことすらできない。
何故なら——僕は自殺して、異世界転生して、ここで生活しているから。
前の世界と今の世界は、もう二度と繋がらない。
僕はもう……何もしたくない。
女性が怖い。怖い。怖い。
ミサも、アーシャも、エマも、雪子さんも。
この世界で生きているすべての「女性」が、怖い。
怖いものからは、目をそらしていたい。
だから僕は、ベッドから動かない。
枕に顔を押し付け、息苦しさで誤魔化すように、ただじっとしていた。
※ ※ ※ ※ ※
視点は変わって、ピサロ視点。
俺は今、ミサと話し合っている。
何故かって?
それは——「グライに冒険をさせたいから」だ。
もちろん、ひとりではない。
昔、同じパーティーにいた奴と一緒に、冒険させるつもりだ。
だが、そのことは、グライにもミサにも、これまで話してこなかった。
グライに関しては、「あの時のエマの一言」のせいで、ずっと部屋に引きこもっている。
あの日の夜中——エマが家にやってきて、震えながら謝罪した。
そのことをグライに伝えたが、あいつは聞く耳を持たなかった。
閉め切った扉の向こうで、何ひとつ受け取ろうとしなかった。
ミサに関しては、「約束を破る」ことになるからだ。
それだけが理由だった。
だから今、こうしてミサと向き合っている。
「『グライちゃんを冒険させる』?」
ミサは椅子に座ったまま、テーブルの上に両手をつく。
「しかも……昔、あなたと同じパーティーにいた人と『一緒に冒険する』……?
……ピサロ……冗談よね……?」
「俺は本気だ」
俺は迷わず言う。
「グライを『あんな人間』にはさせたくないからな」
あんな人間——過去の俺自身かもしれないし、もう戻れない誰かかもしれない。
どちらにせよ、今のまま引きこもらせておくわけにはいかない。
ミサは、テーブルを強く叩いて立ち上がり、俺のほうへ歩み寄った。
「ふざけないでピサロ!!! あの時の『約束』、忘れたの!!?
『パーティーを解散して普通に暮らす』約束を……忘れたの!!?」
ミサの声は怒りで震えていた。
でも俺は、表情を崩さずに続ける。
「忘れてなんかいない」
俺ははっきり言う。
「『パーティーを解散していない』という事実は認める。
だが、俺がまた冒険するわけじゃない。冒険するのは——グライと、アイツらだ、ミサ」
あと数ミリのところで、ミサの手が止まった。
俺の頬を打ちそうなその手は、空中で止まり、小刻みに震えている。
「……ピサロにビンタなんか……できないよ」
ミサは、力なく手を下ろした。
けれど、その目だけは真剣だった。
「でも、ピサロがそんなに言うならいいけど……
もし『グライちゃんが死んじゃったら』……私は……『自ら包丁で首を刺して死ぬわ』。
わかったわね、ピサロ?」
その言葉の重さに、俺は静かに頷いた。
軽々しく「大丈夫だ」とは言えない。
でも、ミサの覚悟を受け止めることから逃げたら、父親として終わりだ。
※ ※ ※ ※ ※
視点は変わって、グライ視点。
僕は何も考えずに、寝そべりながら天井を眺めている。
木の板のつなぎ目を目で追っているだけの時間。
何も頭に入ってこない時間。
女性が怖い。怖い。怖い。
ミサも、アーシャも、エマも、雪子さんも。
この世界で生きているすべての女性が、怖い。
笑顔も、優しさも、励ましも——全部がいつか手のひらを返して、僕だけを刺しにくるんじゃないかと思ってしまう。
そんなことを考えていた時だった。
「ドン、ドン」と、外からドアを叩く音が聞こえた。
それと同時に、ピサロの声が扉越しに響いた。
「グライ、聞こえるか? 伝えたいことがある!!」
僕は心の中で叫ぶ。
(何だよ、ピサロ……僕をどうする気だよ?
もしかして何かあったのかな?
それとも、何かする気なのかな?)
警戒と不安と、ほんの少しの期待がないまぜになって、胸のあたりがざわざわする。
また、ピサロの声。
「今から言うことは真剣だ。
『行きたい』か『行きたくないか』だけでいいから言ってくれ。
……『昔、俺と同じパーティーにいた奴』が、もうすぐ家にやって来る。
それでだ……『そいつらと一緒に冒険』したいか?」
その声は、ふざけていない。
今までの、どこか余裕のあるピサロではない。
「真剣なピサロ」だった。
喉がひゅっと狭くなった気がした。
三ヶ月もの間、まともに声を出していない。
自分の声がどんな音だったかすら、忘れかけていた。
それでも——僕は久々に、口を開いた。
「行きたい」
その二文字が、部屋の空気を震わせた気がした。
言った瞬間、何かが決壊した。
約三ヶ月間、剣技と魔法の稽古を一切しなかった。
約三ヶ月間、一度も部屋から出なかった。
約三ヶ月間、外の景色を見なかった。
約三ヶ月間、ピサロとミサの顔を一度も見なかった。
前世より酷い「後悔」は、確かにここにある。
だけど、その後悔を抱えたまま死んでいくのは——もう御免だ。
そのためには、この約三ヶ月間の「止まった時間」を、自分で「返済」しなければならない。
僕はベッドからゆっくりと身を起こす。
脚が、自分のものではないみたいにぎくしゃくする。
それでも立ち上がり、部屋のドアに手をかけた。
金具の冷たさが、今の自分の体温を教えてくれる。
扉を開ける。
久しぶりに、自分の部屋以外の光景が目に飛び込んできた。
廊下の木目。壁の微かな汚れ。階段のきしみ。
全部、知っているものなのに、初めて見るように感じる。
一段ずつ、階段を降りる。
膝がわずかに震えるのを、手すりを掴んでごまかしながら、一階へ。
そこにいると思っていたピサロとミサは、いなかった。
ほんの少しの寂しさと、外から聞こえる人の話し声。
僕は玄関の前まで行き、深呼吸をひとつしてから、扉を開けた。
冷たい外気が、一気に流れ込んでくる。
そこにいたのは、予想通りの二人——ピサロとミサ。
……そして。
見たことのない「人たち」が、ピサロと会話していた。
服装も、姿勢も、話し方も、村の中で見てきた大人たちとは、どこか違う。
だけど、僕はまだ、その違いを言葉にできない。
ピサロが、こちらを向いた。
「来たか、グライ」
その声は、いつもの父親の声だった。
でも、その目の奥には、さっき扉越しに聞いた「真剣さ」がまだ残っている。
「紹介しよう……『昔、同じパーティーにいた奴と、その新人たち』だ」
新しい空気が、そこにあった。
閉じこもっていた部屋の空気とは違う、混ざりあった空気。
「冒険」という言葉の匂いが、確かにした。
To be continued




