05 安全な巣
安全な巣を作らねばならない。
――つがいが心安らかでいられるように。
保護した少女の頼りない様を見るたびに、パイロンはそうした衝動に苛まれていた。
今パイロンが暮らしているのは、外交官としての赴任先であるフィルイール王国の王都にある屋敷だった。
きちんと金で贖い手に入れた屋敷で、人の姿で暮らす分には不自由ない広さがある。
問題なのは、パイロンが面倒くさがって護衛の類を一切雇っていなかった点だ。
おおよそのことは手持ちの式神で型がつくのだが、つがいのことともなるとそうもいかない。
パイロンは母国から連れてきた手勢の少なさに歯噛みした。訪問先に警戒されないよう少数でやってきたのだが、まさかその訪問先でつがいに出会うとは思いもしなかったのだ。
そもそも竜族とは、ここよりはるか東方の天空に住まう人ではない一族だ。
かつては天と地を支配する神にも等しい存在であったが、時が経つうちにその数を減らし、今では滅びを待つ種族とも言われている。
しかし一方で竜族一人一人の持つ力は強大で、未だに周辺諸国は竜族を頼ることが少なくない。
パイロンがこのフィルイール王国にやってきたのも、国王のたっての希望によるものだ。
曰く、国の一部に不穏な動きがあり、一部に竜族を悪魔と称する異教が広まり始めていると。
国内に暮す異教徒たちが竜族に害をなせば、自らにも害が及びかねない。そう危惧した国王は、そうそうにこの事態を竜族に知らせ、自らの身の潔白を証明しようとしたというわけだ。
竜族としても、今更人間と事を構える気などない。
ゆえに竜族を統べる天帝によって事態の収束を命じられた白龍族は、次期族長と目されるパイロンを現地へと向かわせた。
パイロンは地道な下調べの末に、フィルイール王国の端の端にそれらしき異教徒の集落を見つけ出した。
そして国王の許可を得て、その地を平定した。
その地で異教徒によって拘束されていたのが、パイロンのつがいたる少女だ。
パイロンは初め、その存在に全く気付いていなかった。
実りの少ない痩せた土地に、へばりつくように暮らす異教徒たち。利用方法がないと打ち捨てられた大地で、よくも少なくはない信徒を食わせられるものだと感心していたくらいだ。
ところがふたを開けてみれば、どうだ。
奴らは竜族の血を引く娘を地母神に捧げ、その実りによって自分たちを食わせていたのだ。娘は死ぬことも許されず、光の差さない石牢に閉じ込められていた。
そうして助け出されたのがあの娘である。どのような経緯で天空に住まう竜族が人間の、それもあのように忌まわしい一族の手に囚われたのか、来歴は一切不明だ。
だが彼女が竜族であることは間違いない。
抗いがたいパイロンの本能がそう告げている。
そもそも、竜族がその数を減らしているのもこの本能によるものだ。
一族の、それも天によって定められたつがいとの間にしか子供を作ることができない。
しかし直接会うまでつがいを感じ取ることはできず、つがいに出会うことなく死んでいく者も多くいる。自然子供が生まれることも少なく、竜族はその数を減らしているのだ。
パイロンも、自分がまさかこんな異国の地で己のつがいに出会うとは、思ってもみなかった。
きっと他の同族のようにつがいとは出会うことなく死んでいくのだろうと、ぼんやりそう考えていたからだ。
「パイロン様」
傍にいた青年に声をかけられ、パイロンは我に返る。
黒髪に眼鏡をかけた、鋭利な印象の青年だ。
「どうした?」
「馬車の用意が整いました」
その言葉に、時計が屋敷を出る時間を示していると知る。
今日は今後のことを話し合うため、フィルイール国王との会談が予定されていた。
「ああ……」
心ここにあらずな返事を返すパイロンに、青年はため息をつく。
「つがい様のことが気にかかるのは分かりますが、お勤めは果たしてくださいませんと」
遠慮のない物言いに図星を刺され、パイロンは気まずそうに頬を掻いた。
「あのなあ」
このやりとりだけで、二人が気の置けない主従関係であると知れる。
本来なら、主を揶揄するような物言いなど許されるはずがない。
青年は口元に小さく笑みを浮かべると、きりりとその表情を引き締めた。
「ご安心を。このジュンジエンが命に替えましても、つがい様をお守りいたします」
パイロンはつかの間息をのむと、彼もまた表情を引き締めた。
「苦労を掛けてすまないな。頼んだ」
そう言って、パイロンは後ろ髪をひかれる思いで屋敷を出たのだった。