04 分からない人
もう一度が覚めると、相変わらず目隠しが巻かれた状態だった。
だがその向こうには薄く光が感じられる。
どうやらあの暗闇から助け出されたのは夢ではなかったらしい。
部屋の中はしんと静まり返っていた。
私は緩く巻かれた目隠しをずらす。
そこは見たこともない部屋の中だった。相変わらず辺りが眩しく感じられるが、部屋の中は薄暗く目が開けられない程ではない。
部屋の中は静かだった。だが耳を澄ますと遠くからざわざわと人の気配や、風が木を揺らす音が聞こえる。長い間聞くことのなかったそれらに、思わず夢中になってしまう。
ゆっくりと体を起こす。まるで自分が丸ごと液体になってしまったかのように体が重い。
それでもなんとか上半身を起こすと、部屋の様子がよく見えた。
カーテンから光が漏れている。きっとそちらの壁には窓があるのだろう。
調度品についての知識はないが、部屋は広く置かれた家具は職人の手によるものなのだろう。細かな装飾が施されていた。
見るものすべてが目新しく、夢中になっていたら部屋の扉が突然開かれた。
近づいてくる足音に気付かなかったのだ。
「まあ!」
入ってきたのは黒髪の美しい女性だった。
透き通った水色の目をしていて、水の入ったたらいを手にしていた。
「お目覚めになったのですね」
彼女はそう言いながらサイドテーブルにたらいを置くと、はやる気持ちをおさえられないというように踵を返した。
「旦那様を呼んでまいりますので少々お待ちください!」
言うが早いか、返事をする前に部屋を出て行ってしまった。
彼女の言う旦那様とは一体誰の事なのだろう。茫然としながらそのまま待っていると、間もなく部屋の外から荒々しい足音が聞こえてきた。
乱暴に扉が開けられ、飛び込んできたのは大柄な男性だった。
男性だが、青みがかった銀の髪を背中に流している。思わず見とれてしまう美しい顔をしているが、それよりも目を引くのは頭の上から伸びる二本の角だ。
私は思わず自分の頭を撫でた。
角のない自分がおかしいのかと思ったのだ。
男は寝台に近づくと、私の目線に合わせるように体を屈めた。
「見えるのか? 痛みはないのか?」
その顔は真剣そのもので、私を強く案じているのが伝わってきた。
信じられない気持ちだ。
彼の顔からは、今までに人間から感じた怒りや憎しみなんて欠片も感じられない。
おもわずぼうっとその顔を見入っていたら、目の前の男の眉が悲し気に顰められる。
「やはり痛いのか? 言葉は分かるはずだが、まさか耳が……」
耳が聞こえないと思われたことに気付き、慌てて首を左右に振る。
そしたら急に頭を動かしたせいで眩暈がした。
そのまま柔らかいベッドの上に崩れ落ちる。
「おい!」
ベッドは思いの他硬かった。
いや、違う。倒れる前に頭を伸びてきた男の手によって支えられていた。
「あ……あ……」
咄嗟にお礼を言おうとするが、言葉が出ない。
答えることができない理由を分かってほしくて、喉に手を当てる。
すると見下ろす男の眉間の皺は更に深いものになった。
「そうか、喉が……」
長い間使うことのなかった声帯は、すっかり声の出し方を忘れてしまったかのようだった。
彼は私の頭をゆっくり枕に着地させると、一歩下がって距離を取った。
「アイリーン。喉のことを念頭に置いて世話を頼む」
最初に見た女性はアイリーンと言うらしい。
「かしこまりました」
どうやら彼女が私の面倒を見てくれるようだ。
こんなに綺麗な人に、そんなことをさせるのは申し訳ない。
「あ……ぅ……」
世話なんてしなくても大丈夫。どうせ放っておいても死にはしないのだ。
だがそれすら言葉にできず、私はもどかしい思いをしていた。
男は優しく、大きな手で私の頭を撫でた。
「焦らなくても大丈夫。きっとよくなる。だから今は休むんだ」
どうしてこんなに良くしてくれるのだろう。
私は男を見上げながら不思議に思った。
あんなところに捕まえられていた自分は、きっとろくな人間じゃない。何も覚えていないけれど、あれだけ嫌われていたのだから余程悪いことをしたのだろう。
そんな人間を助けて、この人は大丈夫なのか。それとも私を騙すために優しくしているだけなのか。
簡単に疑問は消えない。
なんの利益もなく助けてもらえると思えるほど、おめでたい人生ではなかったのだから。
とはいえ今は彼の言う通り、休む以外にできることがない。
せめて意思の疎通ができるようになればいいのに。
用があるらしく、間もなく男は去っていった。
十分に寝たので眠気が感じられず、私はぼんやり天蓋を見上げていた。
アイリーンが私を覗き込んでくる。慈愛に満ちた眼差し。
「体をお拭きしますね。さっぱりしますよ」
そう言って、彼女は絞った布で私の体を拭いてくれた。
きっと眠っている間にもそうしてくれていたのだろう。彼女は慣れた様子だ。
だが意識がある状態でそうされるのは初めてだったので、私は恥ずかしかった。
彼女のように美しい人に、痩せこけた体を見られるのは情けなかった。