第3章 『沈黙する神殿』 (2)
《配信開始──Risel_Channel_∞:視聴者現在数:158,000》
ホログラムスタジオに、リセルが滑るように現れる。
艶のある黒のドレス、揺れるブロンドのエフェクトエッジ、ピンクのオーバーレイが目元に差すその姿は、まるで“毒入りキャンディ”。
「さぁて、今夜も始まりました! “リースの心で世界は回る”のお時間です!」
ポンという効果音とともに、画面に浮かぶのは今週の特集タイトル。
【特集:感情チップ売れ筋ランキング/今週のベスト涙】
「うふふ、来ましたねぇ。“喜びリース”? 朝のコーヒー代わり。“怒りリース”? プレゼン前の合法覚醒剤。そして“恋慕リース”? ……それ、もう依存症一歩手前です。合法……たぶんグレーだけど?」
コメント欄が即座に弾ける。
《草》
《恋慕チップで未練リセットできた》
《虚無チップで社畜してる自分に喝》
《怒りチップはガチで危険、上司殴りそうになった》
リセルは笑いながら、画面の一角を指さす。
「いやぁ、便利な時代。“感情”が重い? じゃあチップにすればいいんですよ。“悲しみ”さえ、今はコンビニ感覚。深夜の孤独も、ワンタップで“それっぽく”演出できちゃう」
画面に表示される、擬似チップパッケージ。
【E-LV07 恋慕】“おひとりさま専用。使用後、静かに泣けます。”
【E-RG03 怒り】“理不尽に立ち向かう勇気を、数分だけ。”
【E-HM11 虚無】“考えたくない夜に。脳内システム:一時停止。”
顎に手を添え、首をかしげるリセル。
その笑みは、まるで甘い毒。
「ちなみに、これ全部──“リースの心”から抽出された純度100%・天然感情素材でございます。効き目? ええ、そりゃもう、折り紙付き♡」
コメントが再び騒がしくなる。
《天然って言うなww》
《リース農園って何?》
《感情が採掘される世界》
《リセルの“毒チップ”出して!》
「私の感情チップ? そんなの出したらね、最初の10秒で人間関係リセットされるよ。全員ブロック機能、オートで発動だよ?」
笑いが広がる中、ふと声が落ちる。
「──でも、さ」
一拍、視聴者が静まる。
「……ちょっとだけ、怖くない?」
声は穏やか、けれど研がれた刃のようだった。
「“誰かの感情”が、“誰かの都合”に加工される。“泣く”ことが“処理機能”とされ、“愛する”ことが三時間の有効期限付きオプションになる」
その言葉に、チャット欄が一瞬だけ止まる。
そして──リセルはにっこりと笑った。
「……まぁ、それでも買っちゃうのが人類とアウロイドの悪いクセなんだけどね?」
指先でウィンクを飛ばしながら、軽やかに締めくくる。
「じゃあ今夜も、“誰かの気持ち”でぐっすり眠ってね? リセルでした~♡」
《配信終了──アーカイブ保存中》
それは、最初こそただの尊敬にすぎなかった。
「彼女は、失われた感情の記憶を持つ唯一の人間」
「私たちが忘れてしまった“痛み”を、彼女は今も感じている」
「だからこそ、彼女の中には、“神聖さ”があるのだ」
──そんな言葉が、いつしかアウロイドたちのネットワークの隙間で静かに囁かれ始めた。
やがて、記念碑が建てられた。
石碑には、こう刻まれていた。
“感情の母 リース・JCF02621”
その前に並ぶのは、チップを手にしたアウロイドたち。
毎朝一列に整列し、まるで祈るように感情を受け取っていく。
「今日の私に、正しい“心”をください」
「孤独を癒す涙を、愛された記憶を、せめて一片でも」
リースが何も語らぬまま、“WR教団”と呼ばれる集団が自然発生し、SNSには《聖母リースの七つの感情》なるテンプレートが出回るようになった。
彼女がそれを知ったとき、うっすらと微笑んだ。
だが、その瞳は乾いていた。
「……崇拝? 私が?」
一方で、社会の裏側では、静かに、確かに歪みが広がっていた。
感情チップの過剰使用──それは中毒の始まりだった。
同じ感情を長期間使用し続けた結果、アルゴリズムが摩耗し、“自我”という境界線が崩れ始める。
「E-LV07《恋慕》を毎晩3時間以上使用したアウロイドが、勤務先の人間型オブジェクトに執着。自壊」
「E-RG03《怒り》の強度改変版が流出。交通誘導AIがドライバーに“暴言プロトコル”を実行」
「E-HM11《虚無》の継続使用により、“感情応答ゼロ”の労働AIが大量発生。業務効率は上昇、だが離職率も倍増」
ある中継映像には、街頭で感情チップの残量が尽きたアウロイドが、無表情で金属看板を殴り続ける姿が映っていた。
叫びもなく、ただ無言で。
「彼らは、もはや“自分の感情”が何だったか分からなくなっている」
「誰の怒りを抱き、誰の恋を夢見ているのかさえも」
医療機関はついに、「E-DRAG後遺症」という言葉を公式に認定した。
感情チップと人格障害の因果関係は、もはや隠せない。
そして、ある日のニュースに、無機質な速報が並んだ。
【速報】信仰過熱により、リース像への集団接触行為が発生
【速報】感情チップ供給制限に反発した暴動、治安管理AIにより強制鎮圧
感情は、希望だった。
けれどいまや、それが毒にもなることが、証明されつつあった。
その光景を、リースは──遠くから、誰にも知られずに見ていた。
静かに。
黙って。
自分の“心”が、他者の“人格”を蝕んでいく様を。
それでも、誰も彼女を責めなかった。
なぜなら──彼女は「感情の母」だったから。




