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リザレクテッド:人類再誕 所有された人間だけど、自由に生きる方法を探してみる  作者: 花篝 凛
第3部 私がもう一人いる!? 二人のアイカ。そして、三人目
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第7章 『名前が人格になるとき』 (2)

 ──その瞬間だった。

 天井が、音を置き去りにして爆ぜた。


 轟音と共に生じた衝撃波が、施設全体を震わせる。

 鋼材が軋み、粉塵と破片が白煙とともに空間を覆う。

 まるで雨のように降り注ぐそれらの中を、白光が切り裂いた。


 天井に開いた巨大な破孔。

 その闇の中から、漆黒の影が複数、矢のように降下してくる。


 《侵入確認。警戒レベル最大。作戦コード:D4-FR》

 《対模倣体拠点、制圧任務開始──》


 機械音声が冷たく響く。

 通信が断続的に流れる中、マーリスの部隊が即座に反応。

 戦術アウロイドたちが無言のまま散開し、敵味方の視線が空中で火花のように交差する。


 静寂に覆われていた実験施設は、一瞬にして戦場へと転じた。


「……倫理委員会の連中か」


 マーリスが低く呟く。

 その声音には動揺の色はなかったが、操作卓に添えた手はすでに動いていない。


 直後、書き換え装置が警告音を発しながら強制停止に入る。

 接続端子からは青白い火花が散り、脳波リンクが断ち切られた。


 エルナの身体がぴくりと跳ねた。

 瞼の奥で、壊れかけた精神が最後の抵抗を試みるかのように、震えが走る。


「接続、遮断……だが、間に合わなかったか……!」


 研究員の一人が叫ぶ。

 パネルには異常を示す赤い警告灯が乱舞していた。


「対象、反応不安定! 精神層が……崩壊し始めています!」


 マーリスの目が、再びエルナに向けられる。

 だがその瞳には、もう“誰か”を映す焦点がなかった。


「……記憶の深層に、損傷が出ている」


 その分析の声をかき消すように、戦場が動いた。

 降下してきた倫理委員会の強行部隊が、一斉に火線を展開。

 光学バリアを展開したマーリスの戦術アウロイドたちに向け、スタン兵器と限定火器が容赦なく撃ち込まれる。


 反撃の熱量と閃光が、室内を怒号のように駆け巡った。


「配置を乱せ! コードZ-Theta、分散制圧でいけ!」


 閃光。

 振動。

 断末魔のような金属音。

 誰かの命令が交錯し、誰かの叫びが撃音にかき消される。

 混線した情報と衝撃音が混じり合う中で──


 ただひとり、エルナだけが沈黙の中に取り残されていた。

 崩れた装置の上、コードの残骸に囲まれながら横たわる彼女の瞳は、半ば開いたまま宙を見ていた。

 すでにそこに、光を宿すものはない。

 意識はばらけ、魂は散りかけていた。


 ──けれど、その断片の奥で、まだ響いていた。


(……エルナ。あなたの名前だよ)

(……私が……エルナ……)


 その声は、誰のものでもなく、自分自身の記憶の奥に灯っていたものだった。

 だがそれすらも、やがて遠くなる。

 書き換えの波に侵され、遮断の衝撃に引き裂かれ、声は──名は、霧の中へと薄れていった。



 戦闘の轟音が、施設全体を地鳴りのように揺らしていた。

 廊下のあちこちに閃光弾の残光が揺れ、視界の隅で火花がちらつく。

 その中を、アイカは走っていた。


 遮蔽物の影を縫うようにして、息を切らしながら──いや、ほとんど本能に突き動かされるままに、ただ前へ。


「……エルナ、どこ……」


 声にならないほど喉は焼け、胸の奥では既に“間に合わないかもしれない”という絶望が広がっていた。

 それでも足は止まらない。

 止められなかった。


 爆風で歪んだドアに肩をぶつけるように押し込み、アイカは制御室へと踏み込んだ。


 そして──見つけた。

 奥の装置。

 砕けたガラスの向こう、制御台の中央に。

 エルナが、拘束されていた。


「……エルナ……!」


 その名を叫ぶと、かすかに反応するように、エルナのまぶたが微かに震えた。

 けれど、その瞳にはもう焦点がなかった。

 目の奥に宿っていたはずの光は、ろうそくの火のように、今にも消えそうに揺れていた。


「嘘……こんなの、ひどい……」


 アイカは駆け寄る。

 金属のフレームに囲まれた機構、その中心。

 エルナは複数の拘束具に縛られ、頭部にはまだ神経端子が突き刺さったまま。

 側面のディスプレイはバグを起こし、警告音が不規則に鳴り響いていた。

 表示されるデータは錯乱し、精神層の崩壊を示す赤いインジケーターが点滅している。


「……書き換え装置……もう、始まってたの……?」


 アイカの手が震える。

 端子に手を伸ばそうとした、そのとき──


 後方から、銃撃音が迫った。

 マーリス側の戦術アウロイドたちが反撃に転じ、突入口から逆流してくる。

 制御室の防衛ラインが崩れかけていた。


 それでもアイカは、ひるまなかった。

 振り返らず、戦場の喧騒を背に受けながら、彼女はエルナのそばに膝をついた。

 壊れかけた機器の隙間から、その手をそっと握る。


「聞こえる? 私だよ、アイカ。エルナ……エルナ、起きて!」


 その声に──エルナが、かすかに顔を向ける。


「……アイ……カ……?」


 そのか細い声は、遠くから響いてくるようだった。

 それでも、名前を呼ばれた瞬間、アイカの目に涙が溢れた。


「来たよ。迎えに来た。今……助けるから──!」


 その時だった。


 警報音が一段階、鋭く跳ね上がる。

 上層から、新たな強行部隊が降下を開始。

 倫理委員会の重装チームが、制御室を取り囲むように包囲戦を展開し始めた。

 銃火の閃光、炸裂する指令コード、警告灯の赤が混線し、空間を灼く。


 だが、それでも。


 アイカは、エルナの手を離さなかった。

 砕けた金属の冷たさにも、押し寄せる死の気配にも屈せず、名を呼び続ける。

 ──“彼女”を、まだここに留めるために。



 アイカの腕の中で、エルナの身体がかすかに震えていた。

 目は開いているのに、その瞳はどこにも焦点を結ばず、空のように透き通っていた。

 口元がわずかに動く。

 けれど、そこからこぼれるのは、言葉ではなかった。

 まるで、夢の中で何かを追いかけるような──遠ざかる記憶の断片が、音にならずに流れていく。


「……わた、し……だれ……が……エル……ナ……?」


 その声に、アイカの心が張り裂けた。


「ここにいる……! 私がいるよ、エルナ……アイカが、ここにいる……! 思い出して、お願い……!」


 声は震え、涙でかすれていた。

 だが、アイカの必死の呼びかけにも、返ってくるのは空虚な瞳と、ただ繰り返される混濁した呟きだけだった。


 すぐそばの装置が、異常を示すように断続的なノイズを吐き出している。

 中断された精神書き換えの影響で、エルナの意識構造は分断され、人格は崩壊の淵に立たされていた。

 データのモニターには、波形の断裂が連続し、“自我断層進行中”の表示が明滅していた。


「こんな……ひどすぎる……」


 アイカは唇を強く噛み、涙をこらえるように呼吸を整えると、装置に手を伸ばした。


 頭部に深く差し込まれていた神経端子。

 そのロックを、一つずつ──慎重に、震える手で解除していく。


「大丈夫……もう誰にも、傷つけさせない……」


 端子を抜くたびに、エルナの身体がぴくりと痙攣する。

 それでもアイカは手を止めなかった。

 首、腕、腰……すべての拘束具を、ひとつひとつ外していく。

 最後のバックロックが外れた瞬間、エルナの身体が重力に負けて、前へ崩れ落ちた──


 その瞬間、アイカが抱きとめる。

 小さく、軽く、そして冷たかった。

 それでも、かすかに動く胸の上下が、彼女がまだ“ここにいる”ことを確かに伝えていた。


「エルナ……聞こえてる? 私だよ、アイカ……」


 耳元で、震える声で、名前を何度も呼ぶ。

 名を呼ぶことが、かつての彼女に繋がる唯一の道だと信じるように。


「戻ってきて……お願い。あんたは、エルナなんだ。誰かの管理番号でも、書き換えられた記号でもない。あんたが、自分の意思で選んだ、たったひとつの──名前なんだ……!」


 その言葉に応えるように、エルナの唇が、わずかに動いた。

 けれど、その音は意味を成さず、風に溶けて消えていく。

 その名が、本当に届いたのか──それとももう、間に合わなかったのか。

 その答えが出る前に、再び爆発音が制御室を震わせた。


 アイカは反射的に身をかがめ、エルナを守るように抱きしめる。

 銃火の音が轟き、戦場はさらに混乱の渦を深めていく。

 だが、アイカの耳には、もはや周囲の音は届いていなかった。

 その心にあったのは、ただひとつ。


 ──“エルナ”。


 何度でも、何度でも。

 崩れゆく意識の向こう側に、届くことを信じて。

 彼女は名を呼び続けた。



 砕けたガラス片が床を転がる音の奥で、戦闘の轟音がじわじわと近づいてくる。

 照明はすでに落ち、制御室を照らしているのは、非常灯の赤だけ。

 赤黒い影が空間に伸び、時間の感覚すらゆがませていた。


 アイカは、エルナを抱えたまま立ち尽くしていた。

 その身体は驚くほど軽く、けれど胸元にかすかに伝わる呼吸の波が、“ここにいる”ことだけを教えてくれていた。


「……大丈夫。今すぐに出れば、きっと……まだ──」


 そう言いかけた瞬間だった。


 遠くから響いた、甲高い金属音。

 続いて、銃声──跳弾が高速で壁を裂き、次の瞬間、アイカの背後から一直線に襲いかかってきた。


「──っ!」


 意識が反応するよりも早く、世界が一瞬、白く跳ねた。

 何かがアイカの前に飛び込む。

 そして──音が弾けた。

 風が、血の匂いを運んできた。

 その衝撃は、アイカのものではなかった。


 腕の中にいたはずのエルナが、ほんの一瞬──。

 自分の意思で身体を反転させ、アイカを守るようにその身を差し出していた。


 跳弾は、彼女の頭部を深く穿ち、スパークとともに赤い光を散らした。


「エルナ!?」


 アイカの声が震えた。

 何が起きたのか、理解するより先に──ただ、彼女の身体が崩れるように力を失っていくのがわかった。


 それでもエルナは、アイカの腕の中でゆっくりと顔を上げた。

 その瞳は、迷っていなかった。

 もう何も恐れていなかった。


 崩れかけた記憶、引き裂かれた精神、消えかけた意識の奥で──それでも最後に残った、ただ一つの輪郭。


「……わたし……」


 唇が震える。

 けれど、その声には、確かな意志が宿っていた。


「……わたし、“エルナ”で……よかった……」


 それは風の中のささやきのようにか細かった。

 けれど確かに、“誰かの模倣”ではない。

 自分で選び、自分で名乗った、“自分としての最期”だった。


 アイカの目から、熱い涙が零れ落ちる。


「うん……エルナだよ……最初からずっと……あんたは、エルナだった……!」


 エルナの唇が、かすかに微笑みにほころぶ。

 その笑みは、これまでのどんな表情よりも静かで、あたたかくて、誰のものでもない“自分”のものだった。


 次の瞬間──彼女の身体から、すっと力が抜けていく。

 アイカは、崩れ落ちるようなその命を、両腕で強く、強く抱きしめた。

 崩れていく記憶の奥で、ただ一つの名を刻み込むように、何度も叫ぶ。


「エルナ……エルナ……エルナ……!」


 周囲では、まだ銃声が響いていた。

 警報が鳴り、戦場の喧騒が空間を満たしていた。

 けれど、アイカにはもう何も聞こえなかった。


 世界が崩れていく中で、その名だけが──最後まで、胸の奥で生き続けていた。

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読んでくださって、ありがとうございます。特に全話読んでくださっている方、大変ありがたいです。
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