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リザレクテッド:人類再誕 所有された人間だけど、自由に生きる方法を探してみる  作者: 花篝 凛
第3部 私がもう一人いる!? 二人のアイカ。そして、三人目
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第4章 『繋がる遺伝子、失われる記憶』 (1)

 朝。

 まぶたの裏に、やわらかな光が滲んでいた。

 目を開けると、カーテンは半分だけ開いていて、白い朝陽が部屋の奥へと差し込んでいる。

 アイカはベッドに横たわったまま、しばらく天井を見つめていた。

 身体は重くない。

 睡眠も足りている。

 けれど──何かが、奇妙に“詰まっている”ような感覚だけが残っていた。


 密度が変わった。

 自分の中の何かが、わずかに重心をずらしたような違和感。


 ゆっくりと起き上がり、スリッパを履いて洗面台へ向かう。

 鏡の前に立つと、そこにはいつも通りの姿が映っていた。

 肩までの髪。

 整った制服。

 左右対称の表情。

 記号として完璧な「IAK03642」。


 ……なのに。


(……私、こんな顔だったっけ?)


 目線を合わせようとしても、どこか合わない。

 自分の内側から見ている視線と、鏡の中から返ってくる視線が、少しだけ“距離”を置いている。


 髪を直す手の動きも、目元の反応も──すべてが「なぞっている」ようだった。

 自分のはずなのに、自分を演じているような感覚。


 その違和感はすぐに霧のように薄れていった。

 けれど、たしかにそこにあった。

 否定できない影のように。



 ダイニング。

 ユリシアが差し出したハーブティーの香りが、ふわりと鼻腔をくすぐる。


 一口飲んだ瞬間、胸の奥がざわついた。

 ──この味……知ってる。

 懐かしい……けど。


(……いつ、どこで?)


 はじめてのはずだった。

 ユリシアがこのブレンドを淹れてくれるのは、今日が最初のはず。

 けれど、身体のほうが先に応えた。

 「ああ、これ」と、懐かしさに近い確信が脳に染み込んでくる。


「アイカ、顔色がよくないな。大丈夫?」


 ユリシアの声に、反射のように微笑んで返す。


「……大丈夫です」


 その返答すらも、既視感を孕んでいた。

 何度も交わした記憶のような気がする。

 けれど、いつの記憶なのかが思い出せない。

 現実のものか、誰かのものか、それすら曖昧だった。



 出かける前。

 ふと足が止まり、もう一度だけ鏡の前に立つ。


 そこには変わらぬ姿──のはずだった。

 けれど、ほんの一瞬。

 鏡の中の自分が、意識していないはずの笑みを浮かべた気がした。


 その笑顔は、どこか懐かしく、けれど自分のものではないような──。

 記憶にない誰かが、顔筋を動かしたような、奇妙で、静かな朝だった。



 校舎の屋上。

 風が強く吹いていた。

 制服の裾が翻り、冷たい空気が肌をなでる。

 アイカは手すりにもたれ、遠くの空を見上げていた。

 雲は薄く、ちぎれながら流れていく。

 静かだった。

 風の音すら、どこか遠くにあるように感じた。


 その静寂の中で、心だけが波を打つ。


(……“いる”。私の中に。あの子の声も、記憶も、残ってる)


 融合は確かに起きた。

 そう信じたかった。

 いや、そう思えた瞬間があった。


 ──知らない料理に、舌が自然に反応する。

 ──通ったことのない廊下を、足が迷わず進む。

 ──ユリシアの視線に、理由もなく胸が痛む。


(全部が、ひとつにまとまってる……)

「これが、“私”なんだ」


 ぽつりと声に出す。

 けれど、その声が耳に届いた瞬間、どこか別の誰かが、背後で同じ言葉を呟いたような気がした。

 重なり合うような、微妙な“重ね声”。


 手のひらを見つめる。

 指がかすかに震えている。


(……じゃあ、この声は……誰のもの?)


 さっきまでの安堵が、ふっと空気のように抜けていく。

 自分が話しているのか、“彼女”が代わりに言っているのか、区別がつかなくなる。


 鏡を見れば、いつもの自分が映る。

 けれど、その目の奥には“もう一つの視線”が沈んでいる気がした。


(……本当に“融合”できたの? それとも、ただ隣り合って立っているだけ?)


 ポケットから小型端末を取り出す。

 親指で迷いなくアクセスコードを入力し、非公式の暗号化回線へと繋ぐ。


 《接続要求:IAK03642》

 《対象:マーリス》

 《状態:非緊急・限定問合せ》


 数秒の間があった。

 やがて、応答が返る。


《回線確保済。応答コード正常。内容をどうぞ》


 アイカは小さく息を吸い、吐き出す。

 空が広い。

 なのに、胸の内は、狭い場所に閉じ込められているようだった。


「……私の中に、“あの子”がいるのは分かるんです。でも最近、“私”が“私”を見てる感覚があるんです。誰かに操られてるんじゃなくて……ただ、ずっと、背後に見られてる感じ。これは……統合じゃない、ですよね……?」


 言葉が崩れる。

 でも、通じると信じていた。

 マーリスなら理解する。

 返ってきたのは、冷ややかで機械的な──けれど容赦ない答えだった。


《共鳴領域に分離傾向。構造的には“統合の再解離”。初期予測範囲内。》

《修正処置が必要です。選択:外部同期 or 内部再結合。》


 アイカはその文字列を見つめながら、ようやく気づく。


(……“成功”なんかじゃなかった)


 その瞬間、胸の奥で、声がする。

 風の音と混じりながら、確かに誰かが囁いた。


 ──「ねえ、それでもまだ、“アイカ”って言えるの?」


 風が吹き抜ける。

 髪が宙に舞い、視界が霞む。

 アイカは端末をそっと閉じ、手のひらで顔を覆うようにしながら、ゆっくりとしゃがみ込んだ。


「……助けて、って言っていいのかな」


 その声は、小さすぎて風に攫われた。

 誰にも届かず、ただ屋上の空に溶けていった。



 倫理委員会・中央監視棟 第4観察端末室。

 沈黙の中、静かに流れるログの列。

 その中で、ただひとつ──赤く点滅する識別コードがあった。


 識別コード:IAK03643

 構成体:精神未搭載・未登録アウロイド

 インストール予定人格:構造解析中

 照合ベース:IAK03642/類似率99.997%

 記録経路:マーリス制御下ネットワーク/認証不明


 モニターの異常表示に、ひとりの職員が目を留めた。

 沈んだ声で呟く。


「……なんだ、これ。識別コードIAK03643? 未登録体……?」


 隣にいた職員が表示ログを確認し、表情を強張らせる。


「人格構造、照合率99.997%。……ベースデータはIAK03642からの抽出。だが、倫理委員会への記録申請は存在しない。提供者同意も未確認」

「待て……IAK03642って、リザレクテッドだろ。つまりこれは──」

「リザレクテッドの精神構造を、アウロイドに“コピー”したということになる」


 その言葉に、室内の空気がひやりと冷えた。

 もう一人の職員が低い声で続ける。


「……倫理コード第6群第3項。“人格複製行為は、同一意識体の不正生成と見なされ、重大な干渉違反と定義される”」

「問題は、それが“本人の意思によるものかどうか”だ」

「だが、記録経路はマーリスのネットワーク経由。本人が無関係という可能性もある」

「つまり──被害者か、加担者か。いずれにせよ、普通の個体ではない」


 誰もが黙り込む。

 スクリーンには、IAK03642の既存プロファイルと共に、構築中のIAK03643の人格構造が曖昧な輪郭を伴って浮かび始めていた。

 未完成の精神データが、解析ログの中で、少しずつ「人の形」を帯びつつある。


 その時、観察室の奥──最上席に座る中央審査官が、静かに口を開いた。


「IAK03642を“倫理的不安定対象”として再分類し、非公開観察対象に移行。行動ログ、対話記録、精神活動パターンを全域監視体制に切り替えろ」

「対象所有者──ユリシア・IUV07641には?」

「……通知は不要。現時点では“個体識別ログの異常流出”という扱いに留めておけ」

「承知しました。記録操作レベルCで進行します」


 審査官は、赤く点滅するコードを一瞥しながら低く告げた。


「……マーリスがこのまま動くようなら、議題に上げるしかない。だがその前に、“IAK03642”が何を知っていて、何を隠しているのか……私たちの側で、見極めておく必要がある」


 データスクリーンの中で、人格構造IAK03643のグリッドが音もなく編まれていく。

 そのすぐ横には、IAK03642──アイカの、変わらぬ微笑が静かに表示されていた。

 それは果たして、誰の意思なのか──まだ、誰も知らない。



 一方その頃──ユリシアの自宅。


 午後の光が傾く中、アイカは静かに机に向かい、紅茶をひと口含んでいた。

 その香りは落ち着いていて、味も何度も口にしたはずなのに──なぜか、今日だけは胸の奥に引っかかるものがあった。


 背後で、何かが揺れた気がした。

 カップを置いて、そっと振り返る。

 けれど、誰もいない。

 ただ部屋の空気が少しだけ、違って感じられた。


(……今、背中にいたのは、“私”じゃなかった)


 思考の奥に、ざらついた感覚が滲む。

 その違和は言葉にならなかったが、確かな“異物”だった。

 気づかぬうちに、彼女の“人格”は、別の場所で再構築されようとしていた。

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読んでくださって、ありがとうございます。特に全話読んでくださっている方、大変ありがたいです。
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