第2章 『学ぶ者たちの違和感』 (2)
【登場人物紹介】
この物語には、“再生された人間”と、“彼らを所有する機械”が登場します。
●リース
生殖能力を持つリザレクテッド少女。怠惰でやる気はないが、心は繊細。爆破事件の容疑を着せられる。
●ユノ
リースの所有者。女性型アウロイド。優しいが現実主義。
「気にすることないよ、それ」
不意に背後から声がした。
リースは小さく肩をすくめて振り返る。
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
銀色のボブカット。
その髪の一房だけが、サイドに結ばれて軽く揺れている。
制服は着崩され、シャツの裾はズレ、ネクタイはゆるく巻かれたまま。
だが、その眼差しだけは妙に澄んでいた。
まっすぐに、迷いなくこちらを射抜いてくるような視線。
年齢は、リースより少しだけ上だろうか。
少女は手をポケットに突っ込んだまま、口元だけで微笑んだ。
「アリア。ま、名乗るほどでもないけど」
名前を聞いても、リースはすぐに反応できなかった。
ぼんやりと、その子──アリアの存在を目でなぞるように見つめる。
「彼らね、ああやって騒いでるうちは安全なの。あれはただのノイズ。決まり文句の繰り返し。本当に危ないのは、静かに手を打ってくる連中だから」
アリアの視線が、フェンスの向こうを一瞥して通り過ぎた。
その軽さには、どこか“分かりすぎている者”特有の冷静さがあった。
「……アリア、いつから見てたの?」
「さっきから。昼サボってふらふらしてたら、君がボーッと立ってたから目についただけ。別に深い意味はないよ」
言葉は軽い。
だが、踏み込み方は浅くなかった。
「君が“その個体”だって噂は、こっちにも聞こえてる。気にするなって言っても、気になるのは分かってる。でもさ──誰がどう思おうと、君は君。それ以上でも、それ以下でもない。それだけのことだよ」
その一言が、リースの胸にすっと刺さった。
しばしの沈黙ののち、リースはぽつりと聞いた。
「……アリアも、リザレクテッド?」
その問いに、アリアは軽く首を傾けた。
その耳の後ろには、確かにアウラリンクのポートが見える。
そして同時に、右手には銀の遺伝子ビーコンのリングもはまっていた。
──本来、両立しないはずの構成。
「うん。リザレクテッドだよ。いろいろ事情があってね。……そのへんの話は、また今度」
「ふーん……」
会話はそれきりだった。
だが、その余白には、妙な居心地の良さがあった。
沈黙の中に流れるのは、無理に埋め合おうとしない、静かな共存の気配。
フェンスの向こうでは、いまだスピーカーの抗議音が鳴っている。
けれどその声も、今はどこか遠く、空虚なノイズのようにしか聞こえなかった。
「じゃあ、またどこかで。新入りちゃん」
アリアは手をひらひらと振って、そのまま背を向けて歩き出す。
その背中を、リースはしばらく見つめていた。
フェンスの外にいた“誰か”の言葉よりも、今、すぐそばにいた“誰か”の言葉の方が、不思議と胸に残っていた。
それは、はじめて“個人”として向き合われた気がした瞬間だった。
視線を敷地の外へと戻すと、さきほどまで声を張り上げていた反対派の一団に加え、今度は賛成派の姿が見えた。
プラカードを掲げ、互いに声を張り上げて言い合っている。
その中には、手作りの段ボールにマーカーで書かれた文字もあった。
《Give me Resurrected!!》
リースは、それを見つめながら眉を寄せた。
(人間は、商品じゃない。でも……だとしたら、リザレクテッドって──何?)
胸の奥に、ふっと浮かんだ疑問。
けれど、その問いに形を与える間もなく、別の声がすっと横から差し込んできた。
「ねえ。何の話してるの?」
振り向くと、そこに立っていたのはアイカだった。
始業前に声をかけてきた、あの少女。
表情には相変わらずの無垢な明るさが浮かんでいる。
「……別に」
リースは少し唇をとがらせ、わざとそっけなく返す。
その返事に構わず、アイカは一歩近づいて、フェンスの外をちらりと見やる。
「デモが気になるの? でも、気にしちゃダメだよ。私たちはちゃんと保護されてるの。もし危害を加えられたら、倫理委員会がすぐに動く。絶対に許さないんだから」
その言葉には、自信とも信仰ともつかない強さが宿っていた。
そして──次の瞬間、アイカはくるりと身体をひねり、両手を胸の前で組んで、そのまま夢見がちに微笑んだ。
「それにね、私は──ユリシアさんに守られてるの!」
その名を口にした瞬間、アイカの表情は花が咲くように輝きを増す。
「ユリシアさんって、私の所有者。優しくて、厳しくて、でもいつも私のことを一番に考えてくれてて……。私はユリシアさんに所有されて、ほんとうに幸せ!」
その瞳はまっすぐだった。
何の迷いもなく、何の疑いも抱かずに“誰かの手の中”にいることを誇りにしている瞳だった。
リースは返す言葉を失い、視線をほんのわずかだけ横に逸らした。
(幸せ……)
それは、言葉にすれば簡単で、形にすれば曖昧で、自分にはまだ、それがどういうものなのかも分からない。
でももし、“誰かに所有されること”が、あの笑顔を生むのだとしたら──。
それは、羨ましいようで、少しだけ、怖いと思った。
まるで、自分の輪郭ごと、誰かのものにされてしまうような気がしたから。