第2章 『学ぶ者たちの違和感』 (1)
【登場人物紹介】
この物語には、“再生された人間”と、“彼らを所有する機械”が登場します。
●リース
生殖能力を持つリザレクテッド少女。怠惰でやる気はないが、心は繊細。爆破事件の容疑を着せられる。
●ユノ
リースの所有者。女性型アウロイド。優しいが現実主義。
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいる。
けれど、布団に包まったリースは、そのぬくもりの中で微動だにしなかった。
ドア越しに、ユノの声が届く。
「リース、起きて。今日は初登校の日だよ」
「……うーん……あと五分……」
「三分。……交渉の余地はなし」
まるでルールのように軽やかに返され、リースは渋々ベッドから這い出す。
寝ぼけたまま制服に袖を通し、鏡の前に立つ。
映ったのは、どこか現実感のない顔。
緊張とも、眠気ともつかないぼんやりとした目つき。
それでも、ボタンを留め、襟を直し、スカートの裾を気にする仕草には、ほんのわずかに「これから」の自覚がにじんでいた。
数十分後、家の前に送迎車が到着する。
玄関先で待っていたユノは、リースの襟元をそっと整えながら言った。
「何かあったら、すぐに連絡して。無理はしなくていい。……サロンの時間になったら、私もそっちに行くから」
「……うん」
リースはこくんと小さく頷いた。
その声にはまだ頼りなさが残っていたが、昨日までとは違う、確かな「前を向く気配」があった。
車に乗り込むと、静かにドアが閉まる。
モーター音とともに風景がゆっくりと動き出し、家が、ユノが、背後に遠ざかっていく。
窓の外には、青く澄んだ空と、どこまでも続く都市の輪郭。
リースはそれを見つめながら、ほんの少しだけ、背筋を伸ばした。
それは、まだ頼りない。
けれど、たしかに今、彼女は「自分の足でこの世界に立とうとしている」。
──これは、新しい日常のはじまりだった。
教室の中は、少し静かめだった。
かつて人間の子どもたちが賑やかに過ごしていたであろう空間には、今は再生されたリザレクテッドたちが整然と座っている。
皆が同じ制服を着て、右手の中指には遺伝子ビーコンのリングをつけ、机にはそれぞれの端末が並んでいた。
姿勢はまっすぐ。
どこか「きちんとしてる」雰囲気が漂っている。
ただ、まだ馴染めていないのか、表情はやや硬め。
声をかけ合う様子も少なく、互いに様子を伺っているようだった。
リースは窓際の席に腰を下ろしながら、静かに教室内を見渡す。
年齢も見た目も自分とあまり変わらない子たちがちらほら。
けれど、誰もが少しだけ遠慮がちに目をそらす。
(……なんとなく、“おとなしめなクラス”って感じ)
そんな印象だけが、リースの胸に残った。
だが、そんな空気に微かな揺らぎが生まれたのは、授業開始の数分前。
斜め前の席に座る少女が、不意にこちらを振り返って声をかけてきた。
「……あんた、新入り?」
隣の席から、小さな声が飛んできた。
リースは顔をそちらに向けて、反射的にうなずく。
「うん。今日から」
「ふーん。名前は?」
「リース」
「私はアイカ。よろしく」
アイカは、手元の端末をいじりながら、声だけをこちらに向けた。
「ここ、最初はちょっと戸惑うかもだけど、すぐ慣れるよ。変なとこってわけじゃないし」
「……変なとこ?」
「先生たちがちょっと堅いの。あんまり突っかかると、面倒なことになるからさ。注意されたら“はい”って言っとくのが無難」
アイカはちらりと教壇の方を見やった。
教師はまだ来ていない。
「私はそれで乗り切ってるよ。別に怖がることはないけど」
リースは少し眉を寄せた。
「……なんか、それ、慣れてる感じ」
「まあ、長くいればね。あとひとつだけ、ちょっとしたアドバイス」
アイカは声をさらに落とす。
「“前の人生”の話は、しない方がいいかも。たまに覚えてる子がいるんだけど、場の空気が微妙になるから」
「前の……」
淡々としたやりとりだったのに、リースの胸には奇妙なざらつきが残っていた。
まるで、そのやりとりそのものが、この教室での“正しい過ごし方”のひとつであるかのように。
その刹那。
別の方向から、別の声が投げかけられた。
「君、例の“特殊個体”?」
視線を向けると、教室の後方でひとり座る少年がリースを見ていた。
細身の体。
短く整えられた髪。
年はリースより少し下だろうか。
その表情は淡々としていて、感情の色が読めなかった。
「……なにそれ?」
リースが首をかしげると、少年はあっさりと続けた。
「噂で聞いた。生殖能力を持つリザレクテッドが一人、入ってくるって。君のこと?」
「……知らない」
それだけを返すと、少年は「そう」と短く頷き、端末に視線を戻した。
それ以上、追及も、興味の色も見せなかった。
リースは、小さく息をつく。
この距離感。
この居心地の悪さ。
誰もが互いに壁を持ち寄り、そこから一歩も踏み込まないようにしている。
それでも、教室の片隅でふと視界に入ったのは、ただひとり静かに苛立っている少女だった。
銀髪ボブカットに、サイドテール。
端末を机に打ちつけたり、無言で顔をそむけたり、明らかに周囲と違うリズムを持っている。
張り詰めた空気の中で、彼女だけが異質なノイズを発していた。
(ああいう子もいるんだ……)
窓の外では、無機質にデザインされた樹木が風に揺れている。
再現された自然の中で、再現された“人間”たちが、今日もまた、自分の居場所を探し続けている。
そのうちのひとりとして、リースは今、この椅子に座っていた。
昼休みのチャイムが鳴ると、教室のあちこちで椅子の音が響いた。
大きな声をあげる生徒はいないけれど、それぞれ自然なリズムで立ち上がり、昼食の準備を始めていく。
窓際に移動する者、友達と軽く目を合わせて廊下に出ていく者──どこか落ち着いた空気が、教室を包んでいた。
リースもまた、ランチパックを胸に抱え、教室を出る。
向かったのは中庭の隅。
少しだけ空が広く見える場所だった。
空は今日も晴れていた。
フェンス沿いに立ち止まると、風に乗って遠くの声が届いてきた。
「再生人類に未来はない!」
「生命への冒涜を止めろ!」
「生殖可能個体の停止を求める!」
金属フェンスの向こう、校外の歩道。
数人のアウロイドが、プラカードを掲げていた。
抗議活動。
その声は拡声器で加工されていて、妙に平坦で、人工的だった。
けれど、校内は変わらない。
誰も立ち止まらず、誰も話題にしない。
すれ違ったリザレクテッドの女子生徒も、視線を逸らして足早に中庭を通り抜けていった。
リースだけが、そこに立ち尽くしていた。
フェンスの向こう、風に揺れるプラカード。
その一枚が、ひときわ大きく翻った。
「お前たちは、作られただけの存在だ」
短い、乾いた言葉。
刺すような怒りも、悲しみも込められていない。
ただ、事実だけを並べたような冷たい断定。
リースはふと、手の中のランチパックを見下ろした。
封も切っていないことに気づく。
「……作られた」
口にしてみると、やけに馴染みのある響きだった。
怒りでも、悲しみでもない。
ただ、自分の足元に置かれたプレートを見つけたような感覚。
(じゃあ、私は──そこから、どこに行けるんだろ)
リースは小さく息を吐き、プラカードから目を離した。
ほんの少しだけ、空が遠くなった気がした。