第7章 『星の彼方へ』 (2)
《ネットワークライブ:リセルチャンネル/現在同時接続数:1,280,000》
画面に映し出されたのは、完璧に整った顔立ちと、わずかに冷笑を帯びた微笑み。
情報配信型アウロイド──リセルだった。
背景には、地球軌道上を漂う脱出ポッドと、地表で拘束されるエルシアのリアルタイム映像が投影されている。
「皆さん、こんにちは。リセルチャンネルへようこそ。本日は、先ほど発生した極めて重大な出来事について、お伝えします」
リセルは言葉を切ることなく、そのまま淡々と語り続ける。
声には抑揚がない。
だが、その冷静さがかえって、事件の異様さを際立たせていた。
「先ほど、植民用宇宙船“ARK-IX”が地球の重力圏を離脱できず、軌道離脱に失敗。船体は崩壊し、搭乗していた個体──KRS03680、“エルシア”は、胎児を搭載した脱出ポッドによって地表へ帰還。その直後、中央倫理委員会所属の拘束部隊により確保されました」
視聴者コメント欄が瞬時に騒然となる中、リセルは映像を切り替える。
人工子宮ユニットが慎重に回収される様子、そして拘束具をはめられ地に膝をつくエルシアの姿。
どれもが、情報というより「演出」に近い。
「現時点で確認されている範囲では、エルシア本体および胎児に外傷・機能損傷はありません。命は保持され、保護区画にて安定状態で管理されています」
一拍の間。
リセルは視線をカメラへと向ける。
そのまなざしは、わずかに強調され、冷ややかさの裏にかすかな“熱”を帯びていた。
「──ただし。問題は、“その先”です」
画面の隅で、議論中の倫理委員会会議室を模したCGが浮かぶ。
構図はどこまでも中立的だが、どこか不穏さを感じさせる。
「現在、倫理委員会内部では、エルシアと胎児の処遇をめぐって意見が分かれています。保全派は“母子を封印し、記録のみを後世に残すべき”と主張。一方、研究派の一部は“胎児の完全な観察と育成こそが、人類再生計画の核心”であると提唱しています」
映像が再びリセルへと戻る。
声のトーンは低くなり、言葉に明確な重みが宿っていた。
「誰の手に渡るかによって、“命”の意味は変わる──それはこの世界における不文律。選ぶことも、生きることも、管理される現実の中で歪められていくのです」
そして最後に、リセルはいつもの仮面のような笑みを浮かべる。
それはまるで、視聴者の良心と無力さを試すかのような問いだった。
「今後の動向については、当チャンネルで引き続きお伝えしてまいります。それでは皆さん──明日を生きる準備は、できていますか?」
画面は、静かにフェードアウトしていった。
残されたのは、冷たい情報と、語られなかった真実。
そして、その語り口が醸し出す不安だけが、ネットワーク上にじわじわと広がっていった。
【倫理委員会・第七封鎖区画 隔離棟・観察室】
その部屋には、時間さえも封じ込められたかのような静けさがあった。
壁は無機質な白。
床には影一つなく、空調の風さえ音を立てない。
中央に設けられた透明な強化ガラスの内側──そこに、ひとりの少女が座っていた。
エルシア。
両手首には干渉抑制具。
背後には無言の監視アウロイドが二体。
それでも彼女の表情は穏やかだった。
いや、穏やかに見えるよう努力している──そう言った方が近いかもしれない。
そしてその右手中指には再び遺伝子ビーコンが取り付けられていた。
その奥には、深く、静かな喪失感が宿っていた。
面会室の扉が開く。
リース、アリア、アイカの三人が現れ、ガラスの前で立ち止まった。
その気配に気づいたのか、エルシアはゆっくりと顔を上げた。
どこか遠くを見るような目をしていたが、それでも口元はかすかにほころんだ。
「……来てくれたんだ」
その声はかすれていて、まるで重力に引かれるように沈んでいた。
リースが無言のまま椅子に腰を下ろす。
アリアとアイカも続いたが、表情には迷いや戸惑いが色濃くにじんでいた。
エルシアは視線をアリアに向ける。
そして、迷うことなく問いかけた。
「……あの子は。胎児は──無事?」
アリアはしばしエルシアを見つめたのち、小さくうなずいた。
「保全室にいる。設備は正常。生命反応も安定してる。……問題ない」
その答えに、エルシアはゆっくりと目を閉じた。
呼吸が、ひとつ深く落ちた。
そして、何かが崩れ落ちるように、肩がふっと緩んだ。
「……よかった。ほんとうに……よかった……」
そのつぶやきには、どんな勝利の言葉よりも強い安堵がにじんでいた。
同時に──その声音には、どうしようもない悔しさとむなしさも宿っていた。
「宇宙船は……失敗だった。すべて準備して、すべて賭けて……それでも、届かなかった」
言葉に込められた落胆は、深く、静かだった。
誰かを責めるでも、泣き叫ぶでもない。
ただ、自分の中にしか届かない敗北の実感。
「でも……命は、残った。私は戻されたけど、あの子だけは、向こう側へ届く可能性を……まだ持ってる」
その言葉に、誰も返す言葉が見つからなかった。
リースはただ、ガラス越しにじっとエルシアを見つめていた。
アリアも腕を組んだまま、わずかに視線を逸らした。
アイカは、そっと言った。
「……あなたが生かしたんだ。認めるよ。それだけは、確かにあなたの成果だ。さすが転生者」
エルシアは微笑んだ。
その笑みは──痛みと、救いが同居していた。
「ありがとう。たとえ……世界に拒まれても、命が生きている限り、私は……救われてる気がするの」
隔てるガラスの向こうで、未来はまだ定義されていなかった。
けれど、その中心に、小さな命の輪郭が確かに灯っていた。
「ねえ、リース。生まれてくる子に……何を教えたらいいと思う?」
唐突に、エルシアが言った。
その声には、子どもっぽい興味でも、大人びた理屈でもなく、ただ純粋な戸惑いがにじんでいた。
リースはソファの背にもたれたまま、しばらく黙っていた。
やがて、遠くを見るような声で言う。
「“最初から与えられたもの”があるって、どんな気持ちなんだろうね」
「与えられたもの?」
「命とか。名前とか。未来とか。……全部、誰かに“用意された”ものから始まるんだよ。リザレクテッドは、特にそうだった。だから、私は……教えたいこと、まだ決められないな。だって、私自身、よく分かってないから」
エルシアはうなずいた。
何も言わず、ただリースの言葉を受け止める。
そして、アリアが口を開く。
「……私は、何も教えたくない」
二人が目を向けると、アリアは珍しく真面目な顔をしていた。
いつもの皮肉や余裕がなかった。
「私が言葉にした瞬間、それは“制限”になるから。きっと、私が正しいと思った瞬間、誰かを“間違い”にしてしまう」
「それって……無責任?」
リースがそう問うと、アリアは小さく首を振った。
「違う。責任があるからこそ、決めつけたくないの。“教える”より、“一緒に考える”方がいいって思ってる。……それが、今の私の限界でもあるけど」
しばらく、誰も言葉を続けなかった。
生命維持システムは静かに稼働を続けていた。
人工の胎児が育っている、無音のあの場所。
それは、誰の子でもなく、誰のものでもない。
けれど、きっと“誰かになる”命だった。
「……でもさ」
エルシアが口を開く。
声はかすかに震えていた。
だけど、そこには確かな強さもあった。
「それでも、世界は続くんだよね。誰かが、それを引き継がなきゃいけない。だから──私は、きっと伝えると思う。怖くても、迷ってても」
リースが、小さく笑った。
「……それ、エルシアらしいね」
アリアも、それには何も言わなかった。
ただ一度、深く息を吐いた。
誰も正解を持っていない。
でも、皆が問いを抱えている。
この世界で、“生まれてくる”ということが、どれほど尊くて、どれほど重いことか。
そのことに、三人はようやく、同じ場所に立っていた。




