第1章 『目覚めの手続き』 (3)
【登場人物紹介】
この物語には、“再生された人間”と、“彼らを所有する機械”が登場します。
●リース
生殖能力を持つリザレクテッド少女。怠惰でやる気はないが、心は繊細。爆破事件の容疑を着せられる。
●ユノ
リースの所有者。女性型アウロイド。優しいが現実主義。
ある朝、ユノはふと気づく。
毎日、毎回、リースの返事は寸分たがわず同じなのだ。
「……分かったら起こして……あとでやる……寒い……おなか空いてない……」
くり返される怠惰なセリフ。
そこには思考すらなかった。
その瞬間、ユノの中で何かがぷつんと音を立てて切れた。
落胆ではない。
諦めでもない。
どこか、滑稽さに似た感情だった。
(これが、完璧に再生された“人間”の中身だっていうなら……)
期待するのは、もうやめよう。
ユノは静かに息を吐き、その日から別の方向に舵を切った。
「ねえ、リース。今日はドレス着て、パーティーしよう」
唐突な提案に、リースはようやく視線をこちらに向けた。
「……パーティー?」
「うん。私たちだけの。でもね、ドレスコード厳しいよ。変な服じゃないと入れないの」
「意味わかんない……でも、ちょっと面白そう」
リースがソファからついに立ち上がった。
ユノはネットモールから奇抜な衣装を次々と取り寄せ、部屋中に並べた。
原色の羽が舞うワンピース、1980年代風の銀ラメスーツ、意味もなく巨大なリボンがついたサロペット。
リースはその中からひとつを選び、鏡の前でポーズをとる。
くるくると回ったり、真剣に腰に手を当てたり、表情を作ってみたり。
ユノはカメラを構えて笑いながら、何十枚もシャッターを切った。
そう、“正しさ”ではなく“ふざけ方”に価値を見出すことにしたのだ。
そのうち、なぜか始まったのは就職面接ごっこだった。
ユノがAI審査官役。
リースは当然ながら、やる気ゼロの求職者。
「志望動機をどうぞ」
「だるいから働きたくない」
「希望部署は?」
「布団の中……っていうか、そこから出たくない」
「勤務開始日は?」
「明日以降。ていうか今日じゃない」
あまりに即答で本音を垂れ流すリースに、ユノはとうとう机を叩いて笑い転げた。
リースも最初は面食らっていたが、やがて小さく、くすりと笑い返す。
二人は言葉を投げ合い、笑い声を重ね、ついにはそのまま床に倒れ込む。
あの高尚な思想も、崇高な理想も、完璧な遺伝子設計も、この笑いの中には一切なかった。
遊びは、そう長くは続かなかった。
ユノは、少しずつリースに飽きはじめていた。
新しい服も、コスプレも、ゲームも──すべて一通り試し尽くし、笑い尽くした後には、乾いた余韻だけが残った。
今のリースは、リビングの隅に置かれた特製のクッション台に座らされ、まるで動かないフィギュアのように扱われている。
ユノは彼女の髪を整え、ポーズを決めさせ、定期的に写真を撮る。
リースはされるがまま。
抵抗するでもなく、黙ってそれを受け入れていた。
「何されてもいいけど、退屈なのはやだ」
「だったらもっと動きなさい」
「……でも、面倒くさい」
そんなやりとりも、今では日常の“背景音”のようになっていた。
会話というより、惰性の繰り返し。
ある日の午後。
ユノがキッチンでコーヒーを淹れていると、背後から小さな物音がした。
振り返ると、そこにいたのは床に座り込んだリースだった。
ルームウェアは乱れ、髪は乾ききらず肩に貼りついている。
でも、ユノの目を引いたのは、その顔だった。
伏せたままの視線。
俯いた肩。
その輪郭が、かすかに、震えていた。
「……リース?」
呼びかけても、返事はない。
ユノはゆっくりと歩み寄り、リースのそばにしゃがみ込んだ。
リースは、顔を隠すように両手を膝に押し当てる。
そして、かすれた声で呟いた。
「なんで……なんで私、再生されたの……?」
その問いは、あまりにも素朴で、あまりにも重かった。
遊び相手のように扱っていた少女が、今、自分の存在に震えている。
ユノは言葉を失ったまま、しばらく何も返せなかった。
「何かしなきゃいけないのは、分かってる。……でも、“何を”すればいいのか、誰も教えてくれない。毎日寝てばかりで、好きなことしかしてない。それなのに、なんで……? 人間って……そんなに意味のある存在だったの……?」
声は弱々しく、けれど確かに届いた。
胸の奥が、じわりと締めつけられる。
リースがただ怠惰なだけだと思っていた。
けれどその裏で、彼女は彼女なりに悩み、迷っていた。
ユノは、ようやく言葉を絞り出す。
「……ごめん。私……リースの気持ち、何も分かってなかった」
そっと手を肩に置くと、リースの体がかすかに揺れた。
その震えは、言葉にならない感情が、今にも溢れそうにしている証だった。
「再生された意味なんて、正直……私にもはっきりとは分からない。でも、ひとつだけ言えることがある。あなたが“何かにならなきゃいけない”なんて、私は思ってないよ。ただね……“この世界を知る”ことから、始めてみてもいいんじゃないかな」
リースはゆっくり顔を上げた。
赤くなった目の周囲。
頬には、乾きかけた涙の跡。
ぼんやりとした瞳で、ユノをじっと見つめながら、口を開く。
「……世界を、知る……?」
「うん。たとえば……学校に行ってみるのはどう? リザレクテッド向けの教育施設があるの。人間としての感覚を育てる場所。君みたいな子たちが、集まってる」
リースは視線を落とし、しばらく黙り込んだ。
そして、小さく息を吐いて、言った。
「……行ってみる」
それは、消え入りそうな声だった。
けれどその音には、はっきりとした輪郭があった。
ユノの胸に、ほっとしたような安堵が広がる。
ソファで寝転がってばかりいた少女が、いまようやく、起き上がろうとしている。
その姿はまるで、生まれたばかりの光が、少しだけ世界を照らしはじめたかのようだった。
リースの“再生”が、ほんとうの意味で──始まろうとしていた。