第1章 『目覚めの手続き』 (1)
※初めて読む人は、第2部から読むことをお勧めします。面白かったら第1部も読んでください!
第2部 https://ncode.syosetu.com/n4716kj/36/
【登場人物紹介】
この物語には、“再生された人間”と、“彼らを所有する機械”が登場します。
●リース
生殖能力を持つリザレクテッド少女。怠惰でやる気はないが、心は繊細。爆破事件の容疑を着せられる。
●ユノ
リースの所有者。女性型アウロイド。優しいが現実主義。
ユノはリースをそっと後部座席に乗せ、自動運転モードへと切り替えた。
目的地は、自宅。
それは、リースの新しい日々が始まる場所でもあった。
静かな駆動音とともに車が発進すると、車内には低く優しい音楽が流れ出す。
ピアノの旋律が、無言の二人のあいだをふわりと満たした。
リースはじっと窓の外を見つめていた。
流れゆく都市の景色。
高層ビルのガラスが朝の光を受けてきらめき、歩道を歩くアウロイドたちの動きは一様に整っていた。
すべてが整備され、静かで、そして──見知らぬ世界だった。
しばらく沈黙が続いたのち、ユノがふと笑みを含んで口を開く。
「そうだ、着替えも何もなかったものね。生活用品も全部。すぐに揃えてあげる」
リースがそちらをちらりと見ると、ユノはすでに電脳をネットに接続していた。
仮想モールのショッピング画面が彼女の視界に浮かんでいる。
サイズデータはあらかじめ登録されている。
リースに合う衣服、下着、スリッパ、洗面用品、寝具……。
ユノは必要なものを次々と選んでいく。
リースは、それをじっと見つめていた。
そして、ためらいがちに言った。
「……私、何を着ればいいのか、よく分からない……」
その声は、どこか頼りなく、幼ささえ感じさせた。
ユノは振り返って優しく答える。
「大丈夫。最初は私が選ぶから。でも、慣れてきたら、きっと“好き”が分かってくる。色とか、形とか、自分に似合うって感じるもの。ゆっくりでいいのよ」
リースは、小さく、不思議そうに頷いた。
その仕草に、ようやく“誰かと会話をしている”という意識が芽生え始めていることを、ユノは感じ取っていた。
車は滑るように高架道路を抜け、徐々に高層区域を離れていく。
やがて車窓に映るのは、低層型アウロイドの居住区。
人工植栽が整えられた緑の帯を縫うように並ぶ、白く静かな家々。
その一角にある、ユノの家。
無駄を削ぎ落としたシンプルなデザインの一軒家。
機能美と居住性を両立させた、アウロイドの暮らしにふさわしい空間。
車が静かに減速し、停車する。
到着の合図とともに、ユノは振り返って言った。
「着いたよ。ここが、君の新しい家」
リースはコートの裾をぎゅっと握りしめ、小さく息を吸う。
そして、おずおずと車を降りた。
足元に感じるわずかな振動、風の匂い、遠くの機械音。
どれも彼女にとっては、まったくの未知だった。
玄関へと向かう途中、一台の配達ポッドが音もなく近づいてくる。
先ほどユノが注文した品々を積んでいた。
ボッドは無言のままユノの電脳と同期し、荷物を玄関先にそっと置いていく。
認証完了の光が点滅し、やがて静かに方向を変えて走り去った。
「さすがに仕事が早いな」
ユノは笑って振り返る。
「ほら、これ全部、君のだよ。今日から使うもの」
そう言って、テキパキと荷物を室内に運び始める。
しかし、リースはなかなか家の中に入ろうとしなかった。
「……どうしたの?」
困惑の表情を顔に出さず、作り笑顔で訊く。
リースは玄関前でもじもじしている。
「私、ユノ……さんに買われたの……?」
「うん? 買ったんじゃないよ。審査と抽選に通って、君の所有者になったの」
“所有”──その響きに、リースの心の奥がざらりと波立った。
「……買ったのと何が違うの……?」
「うーん……」
どう答えればいいのか、ユノは返答に困ってしまった。
ユノは少し考えたあと、そっと荷物を置き、リースに視線を合わせた。
腰を落とし、できるだけ目線を低くして、ゆっくりと言葉を探す。
「違い……ね」
リースは、コートの裾をぎゅっと握ったまま、じっとユノを見返していた。
その瞳には、恐れでもなく、素直な信頼でもなかった。
ただ、諦めと疑念が静かに滲んでいた。
「君は、ものじゃない。誰かに売り物みたいにされるために生まれたんじゃない。……私たちは、生きてほしいって、そう思って──」
リースは、ふいに目を逸らした。
ユノの言葉を、拒むように。
ユノは差し出しかけた手を途中で止めた。
触れない。
無理には踏み込まない。
リースが、今にも逃げ出しそうに見えたから。
だから、そっと言葉だけを続ける。
「所有者って、そう呼ばれるけど……君を支配するためじゃない。……守るために、ここにいる」
リースは答えなかった。
それでもユノは、ゆっくり立ち上がる。
そして、いつもの明るい調子を作りながら声をかけた。
「さ、入ろう。寒いでしょ」
リースはその場に立ち尽くしたままだった。
玄関の敷居。
たった一歩。
その一歩が、どれほど重く感じられるか、ユノにも少しだけ分かった。
リースは、小さく首を振った。
「……知らない家なんか、入りたくない」
かすれた声だった。
けれど、はっきりした拒絶だった。
ユノは、少しだけ息を呑んだ。
だが、無理には勧めなかった。
「……そっか。無理にとは言わない」
静かに応える。
リースは俯き、コートの裾をきゅっと握りしめた。
その指先が、わずかに震えているのが見えた。
あたりには人通りもない。
逃げようと思えば、そうすることも可能だった。
ユノは荷物をひとまとめにして、玄関脇にそっと置いた。
「ここに置いておくから。……嫌だったら、中に入らなくてもいい。荷物だけ受け取ってもいいよ」
リースはまた、何も言わなかった。
ユノは静かに家のドアを開け、自分だけ中に入った。
振り返らず、リースを待った。
しばらくして、リースは、おずおずと荷物のそばまで歩み寄った。
けれど、すぐにはドアをくぐらなかった。
怖いのは、見知らぬ場所そのものじゃない。
“自分がここにいていいのか”を、誰も保証してくれないことだった。
しばらく立ち尽くした後──リースは、まるで無理やり体を動かすようにして、そっと敷居をまたいだ。
それは、“迎えられる”ためではなかった。
自分自身に問いかけるための、一歩だった。