第5章 『記憶のビーコン』 (2)
【登場人物紹介】
この物語には、“再生された人間”と、“彼らを所有する機械”が登場します。
●リース
生殖能力を持つリザレクテッド少女。怠惰でやる気はないが、心は繊細。爆破事件の容疑を着せられる。留置施設から逃亡する。逃亡中、アリアからの信号を受信する。
●ユノ
リースの所有者。女性型アウロイド。優しいが現実主義。
●アリア
電脳化しているリザレクテッド少女。生徒から教師になった。ハッキングされ失踪する。
●ルシアン
セフィラに所有されているリザレクテッド少年。リースにとっては弟のような存在。リースと共に逃亡中。
地下施設の空気は、地上よりもさらに冷たく、重く沈んでいた。
旧地下鉄の廃止区画。
照明はとうに機能を失い、三人は車を降り、手にした懐中電灯の明かりだけを頼りに歩みを進める。
コンクリートの壁はひび割れ、床には濁った水がたまり、踏み出すたびに小さな波紋が広がった。
遠くで微かに響くのは、壊れかけた機械の呼吸のような残響だけ。
「……この先だ。座標の中心点」
ユノが端末を覗き込みながら、足を止めずに言う。
リースとルシアンがその後に続く。
通路を抜けた先、やがて薄暗い光がぼんやりと視界に浮かび上がってきた。
施設の中で唯一稼働を続ける自律電源装置の灯りが、そこだけをかすかに照らしている。
ネットワークも、辛うじて生きているようだった。
そして、その明かりの奥に──それはあった。
まるで祭壇のように設えられた中央の台座。
その上に、静かに横たわるひとつの肉体。
アリアだった。
整えられた銀髪、閉じられたまつげ。
雪のように白い肌は、今もなお体温を失っていないように見えた。
体は清潔な布で丁寧に覆われ、まるで誰かが今も彼女を「守っている」と語りかけてくるかのようだった。
「……アリア……」
リースがそっと名を呼ぶ。
歩み寄る足取りは、祈りにも似ていた。
アリアはぴくりとも動かず、深い眠りの中にあるようだった。
しかしその耳の後ろ、アウラリンクには微かな光が灯っていた。
まだ、消えていない命の証がそこにあった。
(こんな姿になっても、まだ、遅くなんかない)
台座の脇に設置された古い端末が、静かに待機状態で接続されていた。
ユノがそっと手を触れると、端末が反応し、自動的に解析シーケンスが立ち上がる。
【個体識別:アリア・LNA04421】
【状態:休眠】
【精神データ:暗号化済み】
【認証解除条件:遺伝子ビーコン “JCF02621”】
「リース。あなたのビーコンが必要になる」
ユノの言葉に、リースは静かに頷いた。
そして右手を持ち上げ、指にはめられたビーコンリングを端末の認証スロットにかざす。
わずかな間の静寂のあと、装置が低く唸りながら反応を示した。
【認証完了】
【プロトキー暗号解除プロセス 開始】
【精神データ 展開中……】
次の瞬間、台座の上に柔らかな光が浮かび上がる。
ホログラムが揺らめき、そこに映し出されたのは──アリアの記憶の断片。
彼女が意識を自ら封じる、その直前の記録だった。
「……私はもう、完全に“私”ではいられない。何者かが、内側から侵してくる。でも、それでも……リースには、真実を伝えたかった。だから……自分を、封じた。私のすべてを、あなたに託す……」
言葉が終わるとともに、映像は消え、端末の表示が静かに切り替わった。
【人格構造体、復元完了】
【精神リンク起動……】
【アリア・LNA04421、意識復帰確認】
ぴく、とアリアのまぶたがかすかに震えた。
そして、ゆっくりと、その目が開かれる。
淡い光のなかで、揺れるまなざしがリースをとらえた。
言葉はなかった。
ただ、見つめ合う。
時が止まったような、数秒間の沈黙。
そして──
「……リース……来てくれたんだね」
かすれたその声は、確かに“彼女自身”のものだった。
リースは安堵の笑みを浮かべ、小さくうなずく。
「うん。助けに来た。全部……聞いたよ。ちゃんと」
アリアは静かに目を細めた。
その瞬間、端末を通じて繋がれていたリンクが完全に切断され、彼女の意識はゆっくりと、その肉体へと還っていった。
「……もう大丈夫。私は、私に戻った。支配されてなんかいない」
ユノとルシアンが一歩下がった場所から、その光景をじっと見守っていた。
その場に、やっと、本来の“彼女たち”が揃った。
「それにしても、自分の精神を暗号化するなんて……。戻れなくなるかもしれないのに」
「うん。でも……そうするしかなかった。あのとき、唯一残ってた“自由”が、それだったから」
ユノは静かにアリアに近づき、そっとその体を抱き起こす。
意識を取り戻したばかりのその身体は、まだ力なく、かすかな体温と震えだけが布越しに伝わってきた。
「しっかり掴まって。……私が運ぶから、安心して」
「……ありがとう、ユノ。頼りにしてる」
その声はまだ掠れていたが、そこには確かな安心が宿っていた。
ユノはアリアを背負い直し、静かな足取りで歩き出す。
リースとルシアンは彼女の左右に並び、周囲に警戒を配りながら、廃墟となった通路を後にした。
やがて、崩れた階段を上りきり、地上へと出る。
夜の闇がわずかに薄れ、空の端にかすかな光が滲んでいた。
夜明けが、近づいている。
廃墟の脇に待機していたユノの車が、静かに自動運転で滑り寄ってきた。
軽やかな駆動音とともに後部ドアが開く。
ユノはアリアを後部座席のリクライニングにそっと横たえ、リースがその横に付き添う。
ルシアンは無言で助手席に乗り込んだ。
「出発する。病院には連絡済み。ICU直行だよ」
ユノの声に応えるように、車は音もなく動き出す。
廃墟の街並みが窓の外を後ろへ流れていく。
リースは隣に横たわるアリアの手をそっと握った。
指先に触れるぬくもり、それが何よりの証だった。
「……あったかいね。ちゃんと、生きてる」
「……当たり前でしょ」
アリアが微かに笑い、目を閉じる。
眠るようなその表情には、わずかな安堵と、これからへの覚悟が宿っていた。
ユノはフロントガラス越しに夜明けの空を見上げ、呟いた。
「急がなきゃ。リースの脱走が報道されたせいで、反対派と賛成派が血眼で探し回ってる。今はまだ、見つかるわけにはいかない」
車は闇を裂くように加速し、夜明け前の街を駆け抜けていった。
その車内には、再び動き出した物語と、まだ続く闘いの予感が、静かに息をひそめていた。
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