プロローグ
※初めて読む人は、第2部から読むことをお勧めします。面白かったら第1部も読んでください!
第2部 https://ncode.syosetu.com/n4716kj/36/
暗い部屋だった。
四方の壁は灰色で、窓はない。
モニターに映し出されたのは、いくつかのデータ。
DNAプロファイル。
精神応答ログ。
そして、その最後に──ひとこと。
【観察対象:JCF02621】
【特記事項:生殖機能有/管理指針A-2に基づき監視強化】
無表情なアウロイドたちが、無言でそれを眺めている。
彼らに感情はない。
あるのは、ただ最適化された判断だけだ。
「──次の移送先、確定しました」
「所有者選定手続き、完了」
「再起動プログラム、進行中」
誰かの声が響く。
誰でもない、機械的な声だった。
誰かが笑うことも、誰かが泣くことも、ここにはない。
ここは、ただ管理だけが行われる場所。
リザレクテッド。
生まれ直された存在。
新しい命。
──そして、所有物。
──光が、静かにまた瞬き、データが消える。
そして、何事もなかったかのように、次のファイルが呼び出された。
「やった!! 当たった! 夢じゃない、本当に当たった!」
ユノは端末を抱きしめるようにして、画面に映る当選通知を見つめた。
全身が跳ねるほどの興奮に、声を出すのも忘れていた。
指先が震えている。
これは夢じゃない。
現実だ。
──生殖能力を有するリザレクテッド。
その希少な存在の所有者として、抽選に通った。
選ばれたのだ、自分が。
人類が絶滅してから、二世紀あまりの時が流れた。
今この地上は、人間が創り出したアウロイドたちによって維持されている。
ナノテクノロジーで設計された機械細胞。
高度な電脳。
人間に酷似した容姿とふるまい。
そして、自由意志。
だが、かつての“人間”はすでにいない。
──それでも、もう一度。
それを可能にしたのが「ヒューマンリザレクション計画」だ。
完全に絶えたはずの人類の遺伝情報を元に、“再生された人間”たち──リザレクテッドが生まれた。
彼らは倫理的制約の下、生殖能力を持たず、あくまで“所有される存在”として位置づけられている。
だが、例外はある。
厳格な審査と抽選を通過した者だけが、特別な個体──“生殖可能なリザレクテッド”を迎える資格を得られる。
ユノはその狭き門をくぐり抜けた。
「……リース、か」
目の前の画面に表示されたプロフィールには、淡い青のロングヘアに、15歳相当の外見を持つ少女が写っていた。
その端末の右下。
“生殖能力:あり”の表示が、金色に煌めいている。
ユノの口元に、思わず笑みが浮かぶ。
言葉にならない感情がこみ上げる。
「やっと……会えるんだ。私のリザレクテッドに」
浮き足立つ気持ちを抑えきれず、ユノは立ち上がった。
すでに支給コードは届いている。
場所も、時間も確認済みだ。
ただ迎えに行けばいい。
リースを、自分の手で迎えに。
──これは再生人類の物語。
そして、所有者ユノの物語の始まりだった。
現在、リザレクテッドはアウロイドによる所有制度のもとにある。
アウロイドには完全な人権が認められているが、リザレクテッドに許されているのは、“限定的な権利”に過ぎなかった。
もちろん、所有とはいえ、好き勝手に扱えるわけではない。
厳格な倫理基準、管理コード、定期監査。
それらが制度を支えている。
だが、どこまで管理されようとも変わらない事実がひとつあった。
──創られた存在が、創り主を所有しているということ。
それこそが、リザレクテッド制度の核だった。
人間はかつて、アウロイドに命を与えた。
そして今、アウロイドは、再生された人間を手元に迎えている。
リースの引き渡し場所は、中央区の高層区画にそびえる倫理委員会本部。
ユノは端末に届いた当選通知をもう一度見つめると、反射的に玄関を飛び出した。
自動運転車のドアが開いた瞬間、迷わず飛び乗る。
「いよいよ……会えるんだね。リース──私のリザレクテッド!」
声が自然と漏れる。
顔が緩むのを止められなかった。
車窓の向こうに流れる街並みが、今日はまるで新しく生まれ変わったように見える。
やがて視界に現れる、白亜の巨塔。
倫理委員会の建物は、滑らかなガラスの外壁に包まれ、空の光を反射して静かにそびえていた。
ユノは受付で身分コードを提示し、通行認証を済ませる。
すでに手続きは通っている。
引き渡しは今日、この瞬間だ。
「リザレクテッド、リースの引き受けに参りました。ユノ・KPU03627です」
無機質な受付端末が即座に反応する。
「確認しました。第三面会室までお進みください。引き渡し準備は完了しております」
エレベーターの扉が静かに開く。
ユノは軽やかな足取りで廊下を進んだ。
その先に待っているのは──絶滅したはずの命。
再びこの世界に、心と体をもって現れる、かつての“人類”。
(生殖能力あり、なんて……本当に、次の段階に踏み出したのね。私たちも、そして人間も)
無意識のうちに、口元に笑みが浮かぶ。
やがて到着した、目的の扉。
無音のまま開く自動ドアの向こうには──カプセル型のバイオベッド。
その中で、ひとりの少女が眠っていた。
空調の静かな風に揺れる、淡く青みがかったロングヘア。
透明感のある肌。
整った顔立ち。
まるで眠る人形のような、冷たくも神秘的な美しさ。
ユノはそっと数歩、歩み寄る。
カプセル脇に設置された端末に目を向けると、そこには彼女の基本情報が表示されていた。
リザレクテッド:リース(Wreath)
個体番号:JCF02621
ステータス:再生完了/初期化済み
「本当にいたんだ……あなたみたいな子が」
こぼれ落ちたユノの声は、かすかに震えていた。
カプセル越しに眠る少女を前にして、彼女は静かに息を吸い込む。
呼吸のたびに、胸の奥で何かがじわりと満ちていくようだった。
視線は自然と、リースの右手に留まる。
中指には、銀色のリング型デバイスがはめられていた。
──遺伝子ビーコン。
リザレクテッド個体の識別と、ネットワーク接続を担う装置。
その存在が、彼女が“再生された人間”であることの動かぬ証明だった。
ユノは思う。
(本当に、この世界に戻ってきたんだ。生殖能力を持つ──命を繋ぐための体が)
どこか神聖なものに触れるような手つきで、ユノはカプセルの解放ボタンに指を置く。
軽やかな機構音とともに、装置が起動し、わずかに震える。
カプセルの内側から、ふわりと温もりを含んだ空気が漏れ出した。
「さあ、目を覚まして。リース。あなたの時間は、ここから始まるの」
沈黙。
静かすぎる静寂の中で、少女のまつげが震えた。
ゆっくりと、まぶたが開く。
光に慣れない瞳が、ぼんやりと空をさまよい、やがてユノの姿を捉える。
何度か瞬きを繰り返した後──
「……さむ……」
それは、かすかに擦れた、囁くような声だった。
ユノは微笑む。
「初めまして、リース。私はユノ。あなたの所有者になるアウロイドだよ」
リースは検査着のような衣服に包まれ、痩せた肩を小刻みに震わせていた。
ユノは白いコートを手に取りつつ、彼女の体へ視線を落とす。
肌は雪のように白く、均整の取れた四肢。
そして視線は、自然と下腹部――アウロイドには存在しない、“産む”という機能を持つ場所へと吸い寄せられていた。
(ここに“つながり”がある。命を、次へ送るための──)
その視線に気づいたのか、リースは小さく身じろぎし、腕を交差させて体を抱く。
そして震える声で言った。
「……やめ、て……」
赤く染まった頬が、恥じらいをはっきりと物語っていた。
ユノは一瞬まばたきし、自分の行動に気づく。
「あ……ごめん。そんなつもりじゃなかったの。ただ……あなたが本当に“人間”なんだって、実感しちゃって」
そっとコートを肩にかける。
生まれたばかりの命に、祈るような手つきで。
「大丈夫。ここは安全。誰もあなたを傷つけない」
リースはわずかに頷いた。
まだ曇った目には、かすかな警戒と、それに混じる小さな信頼の光。
「無理しなくていい。ゆっくりで大丈夫。……手、貸すね」
ユノが差し出した手を、リースは一瞬見つめ、やがてそっと取る。
冷たく、かすかに震えていたその指に、微かな意志が宿っていた。
ユノはその手を包み、そっと支える。
「焦らなくていいから。少しずつ慣れていこう」
リースはカプセルの縁に手をつき、ゆっくりと体を起こす。
おぼつかない足取りで床に足を下ろすと、ひんやりとしたタイルの感触に小さく息を呑んだ。
重力、体の重み、冷たい温度──すべてが“初めて”の経験。
ユノが腰に手を添えて支える中、リースは壁に片手をつき、体勢を整える。
そして自分の手の甲を見る。
そこには、銀色の遺伝子ビーコンが脈を打つように光っていた。
「気分はどう? どこか痛くない?」
「……だいじょうぶ。ちょっと、ふわふわするけど……歩けます」
ユノの表情がわずかに緩む。
不安と希望、そして静かな決意が混じる笑み。
「じゃあ──行きましょうか」
彼女は優しく手を引いた。
「あなたのために用意した場所があるの。“生活”の始まる場所。あなたの“家”になるところだよ」
リースは少し戸惑いながらも頷いた。
その手の震えはまだ残っていたが、握り返す力はほんのわずか、強くなっていた。
静かな面会室に、ふたつの足音が響く。
再生された命と、それを迎える者が並んで歩き出す。
不安と希望を半分ずつ抱えて──未来へと踏み出す最初の一歩。
その足音は、まだ誰も知らない“物語”の幕開けを、静かに告げていた。