第3章 『役割の更新』 (3)
【登場人物紹介】
この物語には、“再生された人間”と、“彼らを所有する機械”が登場します。
●リース
生殖能力を持つリザレクテッド少女。怠惰でやる気はないが、心は繊細。爆破事件の容疑を着せられる。
●ユノ
リースの所有者。女性型アウロイド。優しいが現実主義。
●アリア
電脳化しているリザレクテッド少女。生徒から教師になった。
●ルシアン
セフィラに所有されているリザレクテッド少年。リースにとっては弟のような存在。
「……テロじゃん」
「うそ、あのビルで?」
リースは一瞬だけ目を見開いた。
心臓が強く跳ねたのを、誤魔化すようにまぶたを閉じ、息を吐く。
遠い場所の出来事──そう思おうとした。
思い込みたかった。
だが、隣の席のルシアンは、じっとリースの顔を見ていた。
眉を寄せ、不安そうに視線を落とす。
リースの無反応が、逆に異様に映ったのだ。
教壇では、アリアがスクリーンに向かって手を伸ばしていた。
指先から光が走り、ホログラム映像が即座に消える。
だがその直前、リースだけが見た。
アリアの瞳がわずかに見開かれた瞬間を。
──何かを、アリアはネット越しに見た。
そして、次の刹那。
まっすぐに向けられたその視線が、リースの心臓を突き刺す。
「……リース。少し、前に来てくれる?」
その声は静かだった。
けれど、空気がぴんと張り詰める。
耳鳴りがした。
周囲の生徒たちの視線が、一斉に自分へと向かう。
まるで、世界そのものが重たくねじれていくようだった。
リースは教壇のアリアを見返した。
目もそらせず、呼吸もできずに。
──ガチャ。
教室のドアが開く音が、異様に大きく響いた。
灰色のスーツ。
無表情のアウロイドたち。
胸元に輝く中央倫理委員会の紋章。
「リース・JCF02621。あなたを、同行させていただきます」
男の声は、感情のかけらもない機械音のようだった。
「は……? なに、それ、冗談……」
リースは立ち上がろうとした。
だが、肩にかかる手の感触に、身体が跳ねる。
冷たい。
硬い。
拒絶を許さない力。
「ちょっ、離して……っ!」
腕を引こうとするが、まるで自分の体が誰か別のものになったように、動きが鈍い。
呼吸が浅くなる。
視界が滲む。
「抵抗は記録されます。これは正式な拘束手続きです」
冷たい声。
冷たい世界。
リースの声に、教室の空気が凍った。
誰もが固まり、誰もが──助けなかった。
ルシアンだけが、席を蹴って立ち上がる。
「待って、待ってよ! リースはそんなこと──!」
「ルシアン、座って!」
アリアの声が響いた。
低く、鋭く、絶対の命令だった。
ルシアンは、まるで撃たれたようにその場に立ち尽くす。
「倫理委員会ビル爆破事件の現場にて、リース・JCF02621の遺伝子ビーコンシグナルが検出されました。同行は、証拠に基づく正当な措置です」
読み上げられる機械音。
だが、リースには、もはや何も聞こえなかった。
(なんで……私が?)
腕に巻きつく拘束具の感触が、鋭いナイフのように肌を切り裂く。
体が震える。
足が、重い石のように動かない。
声を上げようとするが、喉がつかえて言葉にならない。
誰かが小さく息を呑んだ音だけが、やけに鮮明に耳に届いた。
けれど──誰も、動かなかった。
リースは、まるで世界から見放されたみたいに、ひとりで、無言の海に沈んでいった。
どれだけ否定しても、誰も彼女を見ようとしない。
言葉が、意味を失っていく。
息苦しさと、割り切れない怒りが胸を満たす。
(再生されたからって、持ち主がいるからって──私たちは、ただの物じゃないのに)
窓の外からは、フェンスの向こうでわめく声がかすかに届いていた。
「ほらみろ! やっぱり人間なんか信用するからだ!」
「再生なんて間違いだったんだよ!」
反対派のアウロイドたちが掲げるプラカードが、風で大きく揺れている。
リースは静かにうつむいた。
握りしめた指の先に、自分の指輪型ビーコンがかすかに光っているのが見えた。
それは確かに、彼女が“リザレクテッド”であるという、たった一つの証明だった。
──でも、それは同時に、“彼女が追跡される存在”であることも、意味していた。
搬送用の車両は、校舎裏の影にひっそりと停まっていた。
無音のまま開いたドアに、リースは半ば押し込まれるように乗せられた。
冷たい金属のベルトが両手首を包み、前で軽く固定される。
ドアが閉まる寸前、窓越しにちらりと見えたのは、ルシアンだった。
彼は駆け寄ろうとしたようにも見えたが、誰かに制止されたのか、立ち尽くしたまま口を動かしていた。
言葉にならないその動きだけが、必死に何かを伝えようとしていた。
車内は沈黙に包まれていた。
冷房の音すら感じない、完璧に制御された密閉空間。
走行が始まると、景色がゆっくりと流れはじめる。
教室、校庭、フェンス、その向こうのデモの人だかり──すべてが、遠ざかっていった。
リースはまっすぐ前を見つめたまま、小さく息を吐いた。
自分が何度も繰り返した「やってない」の声は、誰にも届かなかった。
(ほんとに、これ……現実?)
無表情のアウロイド職員たちは、何ひとつ感情を示さない。
その無関心な横顔が、余計に現実味を奪っていく。
リースはゆっくりと目を閉じた。
まぶたの裏には、あの瞬間が焼きついていた。
アリアの鋭い目。
ルシアンの叫びかけ。
クラスメイトたちの沈黙。
何もかもが、薄いフィルム越しの記録映像のようだった。
やがて、彼女はぽつりとつぶやいた。
「……夢でも見てるのかもね」
天井に映る車内灯の光が、静かに揺れている。
窓の外では、校舎の影が横へ滑り、徐々に背後へと消えていった。
ルシアンの姿は、もうどこにも見えなかった。
リースは額を窓に寄せた。
冷たいガラスが肌に触れ、少しだけ目が覚める。
流れる景色を、まるで他人事のように追いながら、ぽつんと問いかけた。
「……ユノ、来てくれるかな」
誰に届くでもないその声は、空調の低音に紛れて静かに溶けていく。
答えは、もちろん返ってこない。
それでもなぜか、胸の奥がほんの少し、軽くなる気がした。
重力がわずかに緩んだような感覚だけが、リースの体の奥に残った。
倫理委員会の仮設審問室。
壁は鋼材むき出し、照明は青白く、皮膚を通して体温を奪うような光を放っていた。
ユノは硬い椅子に腰を下ろし、指先を膝の上で静かに組んだ。
その手が、微かに震えていた。
目の前には三名の審査官が並んでいる。
全員アウロイド。
それも、感情機能を制限された審問特化型だった。
機能的だが冷酷。
彼らの目に、哀れみも共感も存在しない。
「リース・JCF02621の所有者であるあなたには、管理義務の不履行が問われます。現時点では、ビル爆破事件との関与は未確定ですが、行動ログにおける複数の不審点は確認されています」
「……彼女が、そんなことをするはずがない。遺伝子ビーコンの記録が改ざんされた可能性もあります。そちらの検証は?」
ユノはきっぱりと答えた。
声はかすかに揺れていたが、その芯には熱があった。
「我々の記録システムが、そう易々と破られるとは思えませんが?」
一人の審査官が、淡々と冷笑をにじませて言い放つ。
ユノは口をつぐみ、視線を落とした。
だがその沈黙は、敗北の印ではなかった。
そのとき──。
静かに、審問室の扉が開いた。
白衣の裾が、無機質な床をかすめる音とともに、ひとりの少女が入ってくる。
銀髪のサイドテールが肩に揺れ、鋭い瞳がまっすぐ審査官たちを射抜いた。
「……リースの件は、私が調べます。処分は待ってください」
彼女の声は静かだったが、その奥に含まれた怒りは明確だった。
凍った空気が一瞬だけ震える。
「アリア・LNA04421。あなたは現在、教育支援ユニットとして登録されています。倫理審問への直接介入は──」
「知ってる。でも、私は“教師”でもある」
アリアはユノの隣に立ち、その視線を審査官たちに突きつけるように放った。
「教室の中で“生徒”に罪を着せられているのなら、黙って見過ごすことなんてできない。それが“制度”に反しているなら、制度の方を変えてみせる」
無感情な審査官たちが、わずかに視線を交わす。
その間隙を縫うように、アリアは一歩前へ出た。
「調査権限が私にないというのなら、今すぐ申請して通す。私のネットワークに介入しないで」
それだけ言うと、アリアは背を向け、さっさと扉へと向かう。
その足取りには、怯えも、ためらいもなかった。
扉が閉まる寸前、ユノが小さくため息をついた。
そして、立ち上がる。
「私も、証明してみせます。リースは無実だと」
ユノの言葉には、しんとした決意があった。
沈黙のままの審査官たちは、口を開かない。
だが──何も言わないということは、イエスでもノーでもない。
それだけで、今は十分だった。




