番外編 アリア、教師をクビになる (2)
一時間目──歴史の授業。
静かな教室に、教師の落ち着いた声が響いていた。
壁際の大型モニターには、旧時代の人類社会を解説するビジュアル資料が映し出されている。
「……そして、文明崩壊ののち、アウロイドの技術進化が加速し、現在の管理社会が確立されました」
教師がホログラムペンを動かしながら、淡々と解説を続ける。
「これは“連続的技術進化モデル”と呼ばれ、一般には“安定成長型”として──」
──その瞬間。
「……異議あり」
パタン、と椅子の音。
空気が一瞬で張り詰める。
生徒たちの視線が一斉に向いた先──立ち上がったのは、銀髪サイドテール、制服姿のアリアだった。
真っ直ぐに前を見据える姿は、まるで壇上に立つ講師そのもの。
「アリアさん……なにかご意見でも?」
「補足します」
教師が言葉を選ぶより早く、アリアはスッと前へ歩き出す。
そして当然のようにホログラムペンを奪い、空いていたボードを開いて、すらすらと記述を始めた。
《補足:連続的技術進化モデルは“安定”ではなく、“選択的淘汰”を内包。初期データ群の削除ログにより証明可能。》
「……アリアさん、それをそのまま教えてしまうと教科書との整合性が──」
「知識とは、整合の中にはなく、矛盾の中にこそ宿るものです」
「カッコつけたけど、授業妨害してる自覚はあるの!?」
リースがバンッと机を叩く。
「座って! というか、今まさに先生が説明してたでしょ!? 話、途中だったでしょ!?」
「聞くに耐えなかった。論点が浅かったから」
「それを“授業潰し”って言うんだよ……」
ルシアンが呆れ気味にぽつり。
「潰れてたから、建て直してるの。私は、教師だから」
アリアは微笑すら浮かべている。
レインが珍しく表情を曇らせた。
「……授業って……戦場だったんだっけ……?」
アイカは両手で頭を抱えながら、半笑いで震えていた。
「これ……前にもあった……前より手に負えなくなってるだけで……!」
前線が完全に崩壊する中、教師はしばし沈黙し──そして諦めたようにモニターを閉じた。
「……アリアさん、本日は“共学型・自由参加講義枠”として、特例で許可します……」
アリアはうれしそうにうなずいた。
「つまり、非公式講義の開講を認めたと」
「いや、まだ認めたとは──」
「では次のテーマに参ります。“自己複製型ネットワークの倫理的廃止について”」
再びホログラムが点灯し、教室の前方が即席の“第二教壇”と化す。
アリアの周囲には、いつの間にかノート片手に集まり始めた数名の生徒たち。
「ねえ、これ普通に面白くない?」
「まじで授業っぽいんだけど……」
リースは額に手を当てて呻いた。
「ダメだ……授業が……アリアに侵食されてく……!」
そして、横でルシアンがぽつりと呟く。
「……あれ? 今日って……始業式だったっけ?」
午後。
国語の時間。
やわらかな日差しが教室に差し込む中、教師の朗読が静かに響いていた。
「──“人は時に、言葉に救われ、時に言葉に傷つく”。さて、この詩における“言葉”とは、何を指しているのでしょうか?」
リースは腕を組み、ふむ……と唸りながら筆記を始めた。
隣のレインが、声をひそめて尋ねる。
「リース。この“言葉”って、どう解釈する?」
「んー……自己と他者を繋ぐ境界線? もしくは、他者との距離を測る感情のリトマス試験紙……?」
「おお、それっぽい……」
和やかに交わされる知的対話。
その横で──明らかに異空間を漂っている生徒が一人。
アリア。
彼女の机の上では国語の教科書が閉じられたまま。
代わりに開かれているノートには、謎めいたタイトルが踊っていた。
《倫理委員会 永久メモ》
しかも達筆。
まるで中世詩人の遺稿のように整然と、ページ一面が埋め尽くされている。
《第一章 背後から刺された教育者》
《第二章 “悪い子は解剖標本”と告げただけで──》
《第三章 その日、倫理委員会は笑っていた》
《第四章 記録に残っていない涙》
レインが目を丸くしてリースの袖を引いた。
「……ねえ。あれ、見て。アリアのノート、なんか……もう“文学”じゃなくて“怨念”」
リースも覗き見て、絶句。
「うわ、やべぇ……“黒歴史が今、ライブ配信中”……!」
さらに目を凝らすと、新たな章が今まさに追記されていた。
《第五章 机に座らされても、私は立っている》
「ポエム化進行中!? 自己陶酔の最終形態だこれ!!」
アリアは一心不乱にペンを走らせ続けていた。
その目はどこか遠くを見つめ、完全に“降りて”いた。
「言葉……言葉って、どうしてこんなにも……無力なのに、暴力的なの……?」
「出たぁぁーーー!! 中二インスピレーション発火中!!」
リースが机に顔を伏せて叫ぶ。
「これ、絶対あとで“中二黒ノート”ってラベル貼られるやつでしょ!!」
「……でも、ちょっと分かる気もする」
アイカがぽつりと呟いた。
「言葉に取り憑かれた感じ……なんだか“作家になる前の私”みたいで……」
「ちょ、やめて!? その肯定、火に油すぎるから!!」
リースの制止もむなしく、そのとき教師がふとアリアに声をかけた。
「アリアさん。“言葉に傷つく”とは、あなたにとってどんな経験ですか?」
アリアはペンを止め、静かに顔を上げた。
そして──
「──“教育者資格、停止します”」
教室が凍りつく。
しん……と静まり返る空気の中、アリアは続けた。
「その言葉は、私にとって“核弾頭”だった。でも同時に──こうして“書くこと”と出会わせてくれたのも、その言葉だったのです」
「うまくまとめるなぁぁぁああ!!」
リースが突っ伏し、絶叫。
机が震える。
──結局その日、アリアの“中二黒ノート”は担任によって回収され、なぜか翌週の校内文芸誌に「特別寄稿」として全文掲載されることになる。
その掲載タイトルは、《教育者亡命詩篇》だった。
数日後、学内掲示板に異様な存在感を放つ一枚のポスターが貼り出された。
《生徒会長選挙のお知らせ》
いつものように候補者受付が始まり、生徒たちの間では「今年は誰が出るのか」と軽い話題で盛り上がっていた──が。
その中に、誰も予想しなかった名前があった。
アリア・LNA04421
「……嘘でしょ……」
リースが昼休み、掲示板の前で凍りついた。
「なにこのポスター……手書きで“返り咲きます”って書いてある!? 背景真っ黒で、燃える炎の写真……!?」
「こわっ……下に“※資格剥奪は一時的措置です”って注意書き……」
ルシアンがポスターから一歩後ずさる。
「これ……選挙ポスターっていうより、“怨霊の告発状”じゃない……?」
アイカはそっと額を押さえた。
「……出る気、満々なんだ……」
レインは一言だけ、淡々とつぶやいた。




