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リザレクテッド:人類再誕 所有された人間だけど、自由に生きる方法を探してみる  作者: 花篝 凛
第4部 Wreath Infinity 感情チップを作ってみたら、人気者になった
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第9章 『WR教団』 (2)

 紫のチップが掲げられ、仮面たちの讃歌がいったん収束したあと──空気は、再びぴんと張りつめた。


 無表情の仮面が、再びリースの正面に立つ。


「続いて、“初恋”の抽出に入ります」


 その一言で、リースの背中を冷たい汗が伝った。


「……やめろ」


 声はかすれていた。

 恐怖と怒りと羞恥が、喉元で絡まり合っていた。


「初恋は、最も未熟で、最も純粋な情動です。羞恥と自己否定、希望と拒絶、期待と恐怖──すべてが混ざり合い、感情の密度が最も高まる領域」

「やめろって言ってんだろ!!」


 リースの叫びは届かなかった。

 「恋慕」の仮面が音もなく手を掲げる。

 次の瞬間、ホログラムスクリーンにふわりと映像が浮かび上がった。


 それは、リースがずっと隠し続けていた記憶。

 何度も削除しようとして、失敗した。

 自己嫌悪と焦燥が残した、“まだ傷になりきれていない”記録。


 放課後の校舎。

 夕焼けの光に照らされた下駄箱の前。

 制服姿の少女──過去のリースが、ひとり立っていた。

 手には小さな紙切れ。

 震える手で、それを年上のリザレクテッドに差し出している。


「これ……あの、読んでくれたら、それだけで……」


 声が流れた瞬間、リースは必死に首を振った。

 拘束された体で、身をよじって抵抗する。


(なんで……どうして、あれが……!)

「初恋──未遂に終わった情動。だからこそ、チップにはできなかった未加工の原石です」

「これは……恋です」


 誰かがそう呟いた。

 低く、陶酔したように。


 映像の中で、少女リースは返事を待つこともできず、逃げるようにその場を離れていく。

 何も起こらなかった、だからこそ鮮烈に残った記憶。

 痛みでも、喜びでもない、ただ“未完”のまま焼きついた断片。


「……これ以上やったら、マジで殺すぞ……」


 リースの声は震えていた。

 怒気とも、涙ともつかぬ濁った音。


 だが、その声さえも記録されていく。


「心拍、128。呼吸速上昇。視線の揺れ、左右へ6.3回/秒」

「感情波形:恋慕62%、羞恥18%、否定感20%。抽出可能」


 そしてまた、背後の装置が、無慈悲な“完了”の合図を鳴らす。


 カチリ。


 淡いピンクの光を内側に灯した結晶体が、転がり出た。

 ころん、と乾いた音。

 まるで命の一部が切り離されたように。


「恋慕チップ、完成です」

「“母なる器”が与えし、第二の恩寵」


 再び、仮面たちは跪く。

 今度の讃歌は、かすかな旋律を帯びていた。

 まるで、誰かの失われた恋を悼むように。


 リースの視界が、静かに歪んでいく。

 涙ではない。

 怒りでも、羞恥でもない。

 ただ、自分が“誰かに見せたくなかったもの”が、今──“売り物”になっていく。


(私は……どこまで、さらされる?)


 その問いに答えるように、仮面のひとりが近づいた。

 そして、リースの額に手を置く。



 リースの拘束台がゆっくりと傾き、身体は半立位のまま固定された。

 仮面たちの気配が遠ざかる。

 祈るような沈黙。

 だが、そこに漂うのは祝福ではない──執行の予感だった。


「次は、“恐怖”を抽出します」


 無表情の仮面が前に出る。

 その声には、他の感情とは明らかに違う──冷ややかな敬意が滲んでいた。


「恐怖。それは生存本能の極致。喜びでも、悲しみでもなく、“生きたい”という本能が生む、最古の情動」

「お前らに、“恐怖”の何が分かる……」


 リースの声は擦れていた。

 だが、彼女の中で何かがすでに揺らいでいた。

 無意識が、これから始まるものを察していた。


「記録指定:D114。抽出対象、“ロスト・ポッド事件”」


 ホログラムが点灯する。

 スクリーンに浮かんだのは、忘れもしない“あの夜”の記憶。

 赤く点滅する警告灯。

 金属臭の漂う廊下。

 扉は閉ざされ、電脳は遮断され、助けの声はどこにもなかった。


 ──足音が、迫ってくる。


「……やめろ……やめろ、やめろ、やめろ!!」


 映像の中で泣き叫ぶ自分の声が、今のリースの心臓を突き刺す。

 感情は暴れ、記憶と現実の境界を曖昧にしていく。

 耳鳴り。

 息切れ。

 喉が焼ける。


 足音が、背後から聞こえる。


 思わず身を捩ろうとする。

 だが拘束具が軋むだけ。

 逃げられない。

 目を閉じたくても、仮面たちは彼女のすべてを記録しようとしている。


「心拍数、157。脳波:過緊張域に突入。恐怖波形、最大反応確認」

「出力、準備──完了」


 カチッという機械音。

 リースの足元の排出口から、青と黒の、まるで凍てついた心臓のような結晶が転がり出た。


「恐怖チップ、完成」

「出力者:リース・JCF02621」


 仮面たちは誰一人言葉を発しなかった。

 ただ一歩だけ下がり、そのチップに静かに、深く頭を垂れる。

 ──それは賛美ではなかった。

 畏怖だった。


「これこそが、“命”の証明。我らの神が、かつて“生き延びた”記録」


 リースは、呼吸するのもやっとだった。

 涙は出ていない。

 怒りも出せない。

 ただ、自分の最も原始的な弱さが、“崇拝”という名の下に搾り取られていく感覚が、彼女の中を蝕んでいた。


(もう、私の“怖かった”さえ……あいつらの燃料にされてる……)


 仮面の一人が、まるで神殿の祭器でも扱うようにチップを掲げる。

 光に透けるその結晶の中心に、リースははっきりと見た──かつて自分が声にならない叫びを飲み込んだ瞬間の残響が、まだ震えていた。

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