とある一般男性の不思議な出会い
ずいぶんと眺めの良い所に出たもんだ。山道を歩いていると、横道を見つけた。整備されていない雑草の茂った道だ。道と言えるかも怪しいそれはまるで私を誘うかのように口を開けていた。好奇心の赴くままにその道へと足を踏み入れる。周りを警戒しつつ、来た道がわかるようにと草を念入りに踏みながら歩き続け、たどり着いた場所こそこの開けた場所だった。
日は遠くの山に沈みかけ、夕闇が迫る中でも、街が一望できる。だんだん増えていく街灯はまるで星のようだ。
景色に見とれていると、別の足音が聞こえた。がさりと草を踏む音はだんだん大きくなっていき、やがてその姿があらわになる。
「ありゃ?先客なんて珍しいねぇ!」
高めの声がどこか楽しそうな調子で響いた。
少女だ。白くて月のようなふんわりした袖の黒服に、これまたふんわりした黒の2段スカートが印象的な黒服の少女だ。
「ん〜?お兄さん、よくここまで来たねぇ。運が良かったのかな?」
少女の大きな瞳が私を見つめる。赤く輝くその瞳は人のものとは思えず、どこか不気味だ。だが目を合わせると不気味に思えた赤い瞳には濁りが無く純粋で宝石のように綺麗だった。
やがて少女は微笑み、くすりと笑うと「まぁいっか」と呟き、くるりと回った。
回りながら私から離れ、何も言わずに手を広げて踊り始める。踊りに合わせて彼女のふんわりした衣装が揺れ動く。その姿はまるで黒い揚羽蝶のようだ。
やがてうっとりとした表情で彼女は両手を前方で重ね、上にあげる。それから祈るように胸に手を当て、目を閉じた。
神々しさすら感じるその姿を私は見つめる。女の子にはあまり似つかわしくない黒中心の衣服は、彼女にはピッタリでよく似合っていると感じた。
「...そんなにじーっと見つめられたら、照れちゃうよぉ」
踊り終わった少女が立ち上がり、衣服のホコリを叩きながらそんなことを呟いた。踊りを見た感想を素直に伝える。
「...ありがとー。初めてそんなふうに言われたなぁ。素直に嬉しいね」
照れくさそうに頬をポリポリと掻いて笑う。
「ねね!ここから見える景色はもう見た?あたしお気に入りの場所の1つ!見晴らしが良くて、お空も見えて...そりゃもうあっという間に時間が経つよ!ふふっ!」
何が楽しいのか無邪気に笑う少女の隣に並ぶ。日は沈み、残り火が夕闇の空を紫に染める。本物の星もだんだん見えてきていた。
ふと少女の横顔を見る。幼さの残る丸みのある顔立ちに笑顔も相まってあどけない印象だ。
こちらの視線に気づいたか少女がこちらを見る。にこりと微笑んだ。
「なぁに?あたしの顔に何か付いてる??」
穏やかな光を放つ赤い目が私を見つめる。少女に見とれていたとは言えず返答に困っていると、突然風が吹いた。
「きゃ...わぁ!?」
思いのほか強かった風は少女のふわふわ衣服を乱暴にはためかせた。少女の白く細い脚があらわになり、さらに上まで見えそうになったところで少女がスカートを押さえ、それを未然に防ぐ。
「...えへ、たまに強い風が吹くのが難点なんだよねぇ。それよりぃ...見た?」
顔を赤らめて恥ずかしそうに服の上から股を押さえて脚もよじらせる。いや見えてない、もう少しで見えそうだったけど大丈夫だったと伝えた。
「......お兄さん、正直なのはいいけどぉ、そこまで言わなくてもいいんじゃないかなぁ?」
私の返答を聞いた彼女がジト目で私を見てくる。コロコロと表情の変わる子だなと思っていると、今度はニヤリと妖しく嗤った。
「それともぉ...見たい?」
そう言いながらスカートをつまんでたくし上げた。とっさにその手を押さえて止める。小さいうちからそんなことしなくていいと伝えた。
「小さいうちだって?あははははは!まさかとは思ってたけど、ホントにあたしのこと知らないんだねぇ!」
爆笑。腹を抱えて可笑しそうに笑う。涙すら流しながら。そこまで可笑しいか。
「あははっ!ごめんごめん、小さい子扱いなんて新鮮でさ。でもお兄さん、いいよぉ。そういう紳士的なの、あたし好きだよ。ありがとねぇ♪」
少女はそう言うとくるりと回りながらステップを踏んで距離を取った。ふわりと着地して改めて私と向き合う。
「さてさて...名残惜しいけどそろそろお別れの時間だよ。普通の人間さんは、いつまでもこんなとこにいちゃいけないからねぇ」
お帰りはこちらだよと道を示してくれる。私が来た道だ。問題なく帰ることができるだろう。
もう一度、少女の姿を見る。煌めく赤い瞳は別れを惜しむかのように揺らいでいる。身に纏うふわふわな衣装もそよ風に揺れていた。
「どうしたの?」
意を決して、気持ちを伝える。一緒に行こう。君のような可愛くて綺麗な瞳の女の子を、こんなとこに1人にしてはいけない。私と一緒に、街に降りよう。
少女は驚いてか赤い目を見開かせた。しかしすぐに目を伏せて悲しそうに笑みをこぼす。
「ごめんねぇ、お兄さん。気持ちは嬉しいけど、それは出来ないんだぁ。あたしとお兄さん達は一緒にはいられない。根本的に違うから。これ以上あたしと一緒にいると一般人のあなたは闇に魅入られちゃう。そんなことさせたくないから、だから、無理、なんだぁ」
泣きそうな顔をしていた。寂しい気持ちがあらわになっている。そんな子を私は放っておけないのだ。闇に魅入られることがどういうことかよく分からないけれど、君と一緒にいたい!強く伝えた。
少女は困ったような表情を見せてから顔を伏せた。しょうがないなぁという呟きが聞こえ、直後に顔を上げる。もう一度開かれた瞳には感情が無くなっておりーー
「ーーー【眠れ】」
少女の赤い目が一際強く輝くと、私の視界に闇が広がり、やがて何も見えなくなった。
私が少女の姿を見たのは、それが最初で最後だった。
気がつけば私は宿屋の食堂で眠りこけており、女主人にたたき起こされた。夢だったのだと思っていたが、あくる日気になって探索をするとその場所が本当に見つかり、実際に起きたことであると確信した。しかし何度も通いつめるも、少女に出会うことは無かった。
魔物に襲われることがあった。赤い目を持った黒い怪物が私目掛けて爪を振りかざしたのを見て、もうダメだと目を閉じるがいつになっても来るべき衝撃や痛みが来ない。目を開けると怪物の姿はなく、代わりに手紙があった。
『しょうがないお兄さん。あなたはあなたのまま、良い人生を送ってね。次はないよ』
その出来事があってからはその場所に行けなくなった。その道に入ろうとすると視線を感じるようになった。入れば最後、もう戻って来れないと思わせるような赤い視線を感じるようになったのだ。
その後は存外すぐに未練が無くなった。強かった想いは霧散し、あれは本当に夢だったのだと思えるほどに落ち着いてしまった。
魔人の話を知ったのはそんな時だ。ふんわりした黒い服装、赤い瞳、幼い女の子の姿をしている。山道で見かけたら要注意、なるべく関わらないようにすべきという情報だった。
間違いなくあの少女だったが、それは違うことを私は知っている。
無邪気に笑う少女を時々思い出しながら、私は生きていくのだ。