第四節 第三十話 灰色
「そういう訳でして、コナさんの鴛鴦文をミズさんへ渡すこと自体に異存はないのですが、ユミさんからミズさんへは渡してほしくないのですよね。形式だけでもコナさんの秘め事を聞き出してくれた鳩から、ミズさんへ渡すように手配させて頂けないでしょうか?」
「うんまあ……、それは仕方ないよね」
ユミは諦めの表情を浮かべる。
「あまりユミさんの聞き分けが良いと不安にもなるんですが、大人になった証拠ということにしておきましょう」
「私褒められてるのかな?」
友人を断ち切ることを褒められたようで、少し気分を害してしまう。
「ねえクイさん。トキ教官から渡りで私のやらかしたことを聞いたってことだけど、どこまで聞いたの?」
クイには現在、特別に与えられた職務がある。将来的にキリと会うため、考慮せねばならない事情も把握しているかもしれない。
不毛な探り合いをするよりも、ユミ自身も腹を割って対話を試みるべきだろう。
「そうですね……、テコさんとともにモバラへ行き、お姉さんと会った。その後の帰路でテコさんが怪我して歩けなくなったところ、トキさん達に助けを求めた。その結果、ユミさんの孵卵での出来事やキリさんに会いたいという願望について話をすることになった。そしてトキさん達もユミさんを応援しようと七班の縛めという決まり事を作った。……こんなところでしょうか」
「もうほとんど全部だね……」
それなら既に把握しているということをもっと早く伝えて欲しかったと思う。
そしてユミも、もっと早くクイに相談するべきだったのだろうと後悔する。人を頼れるようになれというのがトキの教えの最も大きな部分だった。
「クイさんは私がキリに会うことを応援してくれる?」
期待半分、不安半分にそのようなことを問うてみる。
「ええ、それに関しては応援しますよ。言ったでしょう、私の夢は自由な世界を作ることなのです。胸を張ってハリとヤミさんとともに暮らすことが叶うような。ユミさんはその先駆けになれるのではないかと期待しているのです」
クイの言葉を真に受けて良いのだろうか。ユミのもりすに腹黒い心の底まで読む力は備わっていない。
とは言え、先ほどクイのことは「利用する」と発言した。逆にクイがユミのことを利用しようと考えていてもそれはある程度受け入れざるを得ない。
もちろん許容できない件については断固拒否をするつもりではある。
歪ではあるが、これも持ちつ持たれつの関係なのだ。
「クイさんは女から女へ鴛鴦文を渡せるような仕組みを作り上げたってことだよね」
「ええ、端的に言えばそうですね」
「じゃあ、たとえばさぁ……」
ユミは少しだけ躊躇う。クイへ提案するにはあまりにも身も蓋も無いことだと感じたからだ。
「鴛鴦文を鳩が書けるようにはならないの?」
鼻で笑われるかとも思ったが、クイは真剣な眼差しを返してくる。
「そうですね……。結論から言えば難しいでしょうね」
しかし答えは期待するようなものではなかった。その一方で、当然の答えだとも感じた。
「鳩の務めを遂行していれば見えてくることだとは思いますが、鳩が鴛鴦文を書くことはあまり意味のないことなのです」
「うん、それは分かる」
「鳩は大きく分けて2通り。トミサの鳩か、それ以外の村の鳩か。各村を渡り歩く機会があると言う点においてはトミサの鳩の方が自由度は高いと言えるでしょう。そして人々との出会いの幅も広い」
ユミは黙って頷く。自身のもつもりすは、ウラヤの鳩であるユミにとって過剰な性能を有していると言って良い。それ故に不自由さも感じていたのだ。
「とは言えトミサでない鳩においても、あまり出会いの幅の狭さについて不満を持つ者はいないようです。鴛鴦文による出会いも味わい深い物があるのでしょうが、現実的には対面した相手の方がその人となりは良く見えるものです。トミサには人が多い。塀の内側という範囲でも歩き回れば、1人ぐらい気が合う者とも出会えるのでしょう」
「きっとそれが普通の感覚なんだよね。私が……、キリと出会ったことが特殊すぎたんだ」
ユミの声がか細くなる。自身の異質さを受け入れている様も、大人になった証なのだろう。
「クイさんの話に反論はないよ。でもね、それって鴛鴦文を書きたいって鳩が居ないと言うだけで、禁止する理由にはならないよね?」
「確かにそうですね」
「クイさんは少数派である指向を持つ人の声を聞き、それを実現させた。そして私はキリと再会するために鴛鴦文という手段を使えないかと考えている。鴛鴦文を書きたい鳩なんて私だけかもしれないけど、たった1つでもこうして要望があるんだよ」
「……それは貴重な意見と言わざるを得ませんね」
クイはさも感心という顔をして見せた。
「しかし、少なくともユミさんの状況でそれを認める訳にはいきません。覚えていますか? ……当然覚えているんでしょうけど。鴛鴦文を鳩が書けない。開いてはいけない理由を」
「……鳩は飽くまでも鴛鴦文の運営の立場にあり、不正に利用できない様に」
「ええ、その通りです。ユミさんの望むことは不正に該当してしまうでしょう」
ユミは頬を膨らませる。自身でもクイの言わんとすることが分かっていた。
「ユミさんがキリさんを指定していることに問題があるのです。鴛鴦文を交わす相手は飽くまでも第三者によって選ばれなければ公平とは言えない。」
「だったら、キリの文をソラに届けようって言うのも問題あるんじゃないの?」
間髪入れずに言い返した。
「相変わらず痛い所を突いてきますね。ですがユミさん。私ができるせめてもの親切なのです。灰色領域というものを享受して頂けませんか?」
「はいいろ……りょういき?」
「ええ、黒とも白とも判別し難い事例は存在するのです。私が鴛鴦文を女から女へ届けられるようにしたとは言いましたが、元から鳩の縛めによってそれが禁じられている訳では無いのです」
「言われてみれば……、そうだね」
雛の講義の時点で鳩の縛めの全項に眼を通している。それは膨大な量ではあるが、完璧に覚えていなくても問題の生じる事例は少ない。縛めの大概は人としての常識に基づく内容だからだ。
故にユミも、鴛鴦文は男から女へ、女から男へと渡すものだと考えてしまっていた。しかし、もりすに刻まれた記憶を思い返せば、同性間でのやり取りを禁じると明文化されている訳でもないと気づく。
「私がやったことは鳩の縛めの範囲で、人の偏見を少し払拭しただけに過ぎないのです。鳩の縛めを改正するだけの力は今の私にはありません」
「むー……」
5年前のユミであれば、クイの無能さをなじったかもしれないが今の彼は協力者だ。ユミから発せられた唸り声はクイへの同情に近い物がある。
「分かった。5年前に提案してくれた通り、キリからの鴛鴦文をソラへ渡す心づもりをしておく。でも、せめて教えて。この5年間考えても分からなかった部分があるの。トキ教官から教わった内容だけでは読み解けなかった」
「何でしょう、ユミさん。実際この職務に就き、考える時間が増えました。人並み以上にお話しすることが出来るかもしれません」
クイは明らかに上機嫌になる。人を導きたいと言う彼の気質は相変わらずだった。ましてやトキよりも自身を頼ってくれようとするその態度には心躍るものがあった。
「鳩の縛めの大きな目的として、鳩をはじめ人々の安全を守るためにあるって。それに関してはテコを怪我させてしまったこともあって痛感した。森での行動に制限を設けるのには意義があるなって」
クイは大きく頷く。
「渡りでの出来事は本来許されざることだったのですが、結果としてユミさんを成長させたようですね。さすがです。転んでもただで起きるようなあなたでは無いのでしょう」
皮肉めいた言葉だが嫌味は感じられない。ユミは冷静に言葉を紡いでいく。
「でもね、それと同時に私の力がないとテコを助けるために皆を呼んでくることも出来なかったなって。クイさんは誰かを助けられる可能性を持つ私の力を人に明かすなって言ってるんだよ」
「それに関しては理由は分かっているのでしょう? 鳩の縛めにより村から村を渡り歩くことは禁じられています。あなたの力はその縛めを踏み潰してしまう懸念がある。ならばそんなあなたを、野放しには出来ないと考える者がいてもおかしくはないでしょう」
「だから!」
クイの言葉を断ち切る。
「なんでそんな縛めがあるのかが知りたいの! 私はキリに会うために縛めを破ろうとしてる。でも無制限に破ろうって言うんじゃないの。前提として七班の縛めだけは絶対に守るつもり。それにしたってほとんどトキ教官の思い付きの様な物。やっぱり不用意にキリに会いに行ったら皆に迷惑かけちゃう」
ユミは一息つく。対するクイは圧倒されているようだ。
「もちろん、キリに会う時は七班以外の鳩にはばれない様にする。でもそれって危険な考えなんだってトキ教官も言ってた。縛めというものは、それを破った先にある弊害を起こさないためにあるものなんだよね。だから鳩の縛めの本質を知らないとダメなんじゃないかって。その目的を知って、目的に反しない範囲での脱法行為であれば、この世界の人達が被る迷惑も最低限に抑えられるんじゃないかって。そこを気にすることが出来なければ立派な鳩だとも言えないと思う」
クイはほうと息をついた。
「……さすがユミさんですね。よく考えられている。思わず感心してしまいました」
言葉と共に拍手で称えてくる。しかしユミは構わず続ける。
「クイさん言ってたよね? 鳩の縛めは鳩の偉い人がこの地を支配するためのものじゃないかって。偉い人って何? 偉い人のための縛めなの? それが本質なんだったら、私はキリへ会いに行くことをもう躊躇わない!」
言葉を重ねるごとにユミの呼吸が荒くなっていく。見かねたクイが口を開いた。
「少し落ち着いてください。声が大きいです」
「……ごめん。あまり人に聞かれていい話じゃないよね」
素直に反省の色を見せた。
「いいでしょう。キリさんには会いたくても身勝手な行動は避けようとするその意志、私は評価しますよ」
「皆への迷惑のこともあるけど、お母さんがいるから。不用意なことしたらお母さんがカトリに送られちゃう……」
「ええ、その通りなのです。トミサにお母様を連れて来ることこそユミさんが鳩になった目的だった訳ですが、人質を与えてしまったという見方もできるのですよ」
クイは酷だとは思いながらも、ユミが既に辿り着いている真実を突きつける。
「鳩の偉い人。その言葉を私が使った頃、ユミさんは14歳でしたか。少し幼稚な言い方だったかもしれませんね。具体的にはトミサの鳩の長とその側近、鳩の縛めに関する司法官、学舎の長、孵卵の統括など。それに加え、鴛鴦文の集約である私も含まれるのでしょうか」
クイから列挙された鳩の偉い人達、ユミも一通り会ったことがある。
鳩の長や司法官は厳格な人ではあったが、それは村の者を守りたいという確固たる意志に由来するはずだ。
学舎の長は物腰柔らかな人物だった。トキも尊敬の念を抱いているように感じた。
また先ほど会話した孵卵の統括も、不愛想ではあるがユミのことを気遣ってくれた。
「皆、あまり悪い人達だとは思えないね。見えてないだけかもしれないけど」
「ええ、私の疑心を以てもしても、何か後ろ暗さを見出すことが出来ませんでした。人を支配することによって私腹を肥やそうというような」
自虐と諦めを含んだ口調である。
「私にしたってそうです。未だにハリはトミサから隠された存在です。私がこの立場になったからと言って望みを叶えられる訳では無いのです」
「じゃあ何? あの時言っていたことはクイさんの勘違いだったの?」
なかなか核心に迫らないクイへ、ユミは苛立ちを覚えてくる。
「そうですね……。『鳩の縛めは鳩をはじめその他の人々を守るためのもの』雛の講義でも学ぶ文言ですが、これを建前だと疑っていたことについては勘違いだったのでしょう。一方、鳩の偉い人がこの世界を支配するためのものではないか、という疑念はあながち勘違いでもなかったと思っています」
「何それ?」
ユミは眉をひそめる。
「まとめると、支配により皆が平等に不自由な生活を強いられた結果、人々の安全が守られているということです」
ユミの眉間の皺がさらに深くなった。
「5年前にも例を上げましたよね? ケンさんがナガレに囚われていることで、ユミさんが彼の魔の手から逃れられるのだと。ユミさんにも納得いただいたはずです。そこに鳩の縛めを紐解く鍵があるのではないかと思っています」
ケンの名前はユミに緊張を走らせる。
「ケンさんは度々口にしていたと思います。手加減が出来なくなると。私は彼の拳が目の前に迫るという体験をしました。あれは手加減されたもののはずだったのに十分恐ろしかったです。となると本気の彼は誰の手にも負えない。野放しにして良い物ではないのでしょう」
「うん。それには大いに同意する」
言葉とともに大きく頷いた。
「ねえ、それがケンの代償なのかな。暴力の衝動が抑えられなくなるような」
「ええ、私もそうなのではないかと考えています」
雛の講義の最終日、トキから語られた代償という概念。ユミは不可解に思っていた点がある。
「ねえ、代償についてなんだけど。サイはそれで苦労してたし、ギンのは……代償なのかな? なんで教科書には載ってないの?」
「ふふ、良い所に気づかれましたね。私も不可解に思っていました。何故教科書に記載がないのか。つまり……、語るのも憚られる事実があるのではないか、私はそう考えています」
「憚られるって……。そういうことこそちゃんと学ばないといけないと思うんだけど」
「ええその通りです。トキさんの指導の賜物ですね」
「……なんか素直に嬉しい」
「雛の班員は生涯の仲間ですからね。ユミさんにとってトキさんも例外ではないのでしょう」
クイも自然と笑みが漏れた。
「えー、それはさておきまして。憚られることについてですが、例えば塗りつぶしたい過去があるのでは……、とかそんなことを考えたことがあります」
「塗りつぶしたい過去?」
「ええ、これは飛躍した考えかもしれません。ですがケンさんと同じ力を持った者がもう数名居れば、村1つ滅ぼすこともできるのではないでしょうか」
「うえー……」
ユミは露骨に嫌そうな顔を作り、口元を押さえた。
「そうでしょう。考えたくもないことでしょう? だから過去の事実を塗りつぶしてしまった。それの原因となる代償とともに」
「うーん。真偽はともかくとしてクイさんの言いたいことは分かる気がする」
その返答に満足そうに頷き、クイは補足する。
「鳩の縛めに従えば、トミサを介さずして他の村を渡り歩くことは出来ません。そうすることで鳩の居場所を把握することが容易になるのです。これは鳩自身の安全のためとも言えますが、危険な思考を持つ者同士の共謀を防止することにも繋がりますね。この説の正しさを立証するものはありませんが、平和な現状があるのは事実です」
「……そこまで考えれば、確かに私の力は表に出してはいけないものなのかもしれないね」
荒唐無稽な説だとも感じる一方で、完全に否定も出来なくなっていた。キリとの再会に向け、慎重にことを進めなくてはならないのだ。
2人の間にしばらく沈黙が流れていたが、やがてクイは書棚へ振り返り「ラシノ」の名札で示された領域から一通の封筒を抜き取る。
「え……?」
ユミから期待の表情が浮かびあがる。
「ユミさんの心構え、しかと受け止めました。私の判断でしかないですが、キリさんの鴛鴦文を読むだけなら問題は無いと思います」
「あ、あ……、ありがとう……」
今度は素直に封筒を渡す。
ユミはそれを受け取りしばらく眺めていたが、やがて腰に着けていたがま口へと入れた。
対するクイはその挙動を不審な眼で眺めていた。
「……」
「どうしたのクイさん?」
「いえ、てっきりユミさんのことなので、その場で開けてしまうのではないかと不安だったのです」
「もう! 私そんなことしないよ!」
ユミはさも心外だと言いたげな口調で抗議する。
「なら良いのですが……」
安堵のため息をつく。
それに呼応するようにユミも息を吐くと、やることは終わったとばかりにクイに背を向ける。
そのまますたすたと歩き、部屋から出て行こうとするが、思い出したように振り返る。
「ねえ、今後ナガレに行ける人が居なくなったら、ケン達が決死の覚悟でトミサにやってきたりしないのかな? すごく嫌なんだけど」
「なるほど、当然の疑問ではありますね。ですが恐らくは大丈夫かと。アサさんがナガレの烏達を抑えているようです。ケンさんと共に」
「えぇ?」
あまりに意外な答えに、素っ頓狂な声を上げてしまう。
「この職務に就くことで知り得た数少ない事実です。ミズさんとサラさん。アサさんの家族ですが、彼女達のトミサでの暮らしを保障される代わりに、ナガレでの務めを全うしているのだそうです」
「……アサはともかくとして、ケンは? なんでアサに従うんだろう?」
ユミには今一つ納得がいかない。
「そこまでは分かりません。……ただ気になるとすれば、6年前にヤマ先生へ文を送ろうとしたことでしょうか。彼にも何か大切なものがあるのかもしれません」
「大切なもの?」
「ええ、恐らくは。ナガレに送られる者の多くは失う物の無いような者達です。故に、何をすることも恐れない。一方のアサさんとケンさんは大切なものがあるから自制心を持っている」
「なるほど、私にとってのお母さんか」
ケンにとっても人質になり得るものがあるのだろうか。
「ケンがあそこにいる理由は大体わかる。キリのことが関わってるはず。でも、アサがナガレに送られる理由……。なんだろう?」
「もしかしたら私の様に自由な世界を望んだ結果、隠された事実に辿り着いてしまったのかもしれませんねぇ」
半ば冗談のようなクイの口調だが、自身もその道を歩もうとしているのだと思うとユミはぞっとした。




