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四日目 動く女達

 翌朝になった。隆之助は綾子に凛太郎から連絡があった事を話してしまった。

「どうして私を起こさなかったのよ! 凛の一大事じゃないの!」

 綾子は泣きながら隆之助に詰め寄っていた。

「起こしたけど、全然起きなかったんだよ」

 本当は起こすつもりは全くなかったのに、そんな事を言えば大変な事になるとわかっている隆之助は白々しく嘘を吐いた。

「君は昨夜は飲み過ぎたんだよ。これに懲りて、酒は控えた方がいいな」

 隆之助は笑いを噛み殺しながら告げた。

「うん……」

 自分が浮かれ過ぎていた事を理解している綾子は静かになった。

「とにかく、富岡市へ行くのは延期だ。凛太郎に会って、話をしないとね」

 隆之助は立ち上がると、部屋の隅に置いた鞄を持った。

「そうね。お説教しないと」

 綾子も立ち上がってハンドバッグを持った。

(本当はついて来て欲しくないんだけど、そんな事を言えば、また一悶着だろうからな)

 隆之助は綾子にわからないように溜息を吐いた。


(結局一睡もできなかった……)

 優菜にしてやられた凛太郎は一晩中悶々としていた。麻奈未に連絡しようと思うのだが、どうしてもそこから先に進めず、明け方近くになってスマホの充電が切れてしまったのだ。

「はあ……」

 スマホを充電して溜息とも呻きともつかない声を発すると、凛太郎はベッドから起き上がった。

(母さんと一緒じゃなくてよかった……)

 綾子が同居していたら、もっと大変だったと思った。だが、父である隆之助があっさり母に教えてしまったのを知らない。

「あ」

 凛太郎は父からラインが来ているのに気づいた。

(事務所で十時?)

 事務所には優菜が来るかも知れないと思ったのだが、事務所とは隆之助の事務所の事だとわかった。凛太郎はそれに返信すると、しわくちゃになったスーツを脱ぎ、シャワーを浴びると別のスーツに着替えて家を出た。その凛太郎を尾けている男が二人いた。権藤の秘書が使っている興信所の者だった。

「高岡凛太郎が家を出ました。尾行を開始します」

 男のうち、背の高い方がスマホで連絡をした。

「気づかれるなよ」

 相手は秘書のようだった。

「もちろんです」

 背の高い男は通話を終えると、相棒の太った男と目配せして、凛太郎を尾けた。凛太郎は近くのファミリーレストランに入り、朝食を摂った。男二人も素知らぬふりをして入り、凛太郎がよく見える席に着くと、コーヒーと紅茶を頼んだ。


「何の用ですか?」

 アパートを出て表通りに向かう途中で、優菜は一色が立っているのに気づいた。

「いやあ、偶然ですね。僕もこの近くに住んでいるんですよ」

 一色は嫌らしい笑みを浮かべて言った。

「ああ、そうですか」

 優菜は嘘を言うなと言わんばかりの顔で一色を睨みつけると、すれ違って歩き出した。

「つれないですねえ、優菜さん。僕をそんな邪険に扱うと、生きづらくなりますよ」

 優菜はそれでも立ち止まらずに歩き続けた。

「高岡をものにできたので、満足ですか? 結局自分の恋人にはできなかったのに?」

 一色のその言葉に遂に優菜は反応してしまい、振り返った。

「余計なお世話です! 貴方には関係ないでしょう?」

 優菜は一色をめつけると、また歩き出した。

「まあ、これで高岡と恋人は破局するでしょうね。そうすれば、貴方の元に来るかも知れませんねえ、高岡は」

 一色はニヤリとして言うと、反対方向に歩き出した。優菜はハッとして立ち止まった。

(凛太郎さんがまなみさんと破局?)

 その事に思い至っていなかったので、優菜の中にまた凛太郎への恋心が湧き上がって来た。


「ねえ、何があったか知っているんでしょ?」

 麻奈未は自販機コーナーで茉祐子に詰め寄っていた。

「知りません。それは本当です。私は凛太郎さんから何も聞いていませんし、料亭にも探りを入れてはいません。仕事以外でそんな事はできませんから」

 茉祐子は麻奈未の迫力に気圧されながらも、弁明した。

「そう。ごめん、疑ったりして」

 麻奈未は自分が感情的になっている事に気づき、頭を下げた。

「いえ、別に。それより、気がかりな事があります」

 茉祐子は声を低くした。

「え? 気がかりな事?」

 麻奈未は眉をひそめた。

「凛太郎さんが入った料亭、権藤の旧友が経営しているんです」

「ええ?」

 麻奈未は目を見開いた。茉祐子は麻奈未に近づいて、

「そこから凛太郎さんが同僚と何をしていたのか漏れる可能性があります」

 麻奈未は鼓動が高鳴るのを感じた。

(知りたくない……。でも……)

 麻奈未は胸を押さえて、

「権藤がそれを利用して圧力をかけて来るって事?」

「可能性があるってだけです。そうなるとは限りません」

 茉祐子は苦笑いをした。

「やっぱり、何があったのか、凛君、いえ、高岡凛太郎に訊いた方がいいのかしら?」

 麻奈未は茉祐子を見た。茉祐子は、

「それは私の口からは何とも……。先輩が決める事です」

 また苦笑いをした。

「分かった。ありがとう、中禅寺さん」

「どう致しまして」

 二人はそれぞれのフロアへ歩き出した。


 凛太郎はファミレスを出ると、地下鉄の駅へ行った。二人の尾行者は凛太郎を追って地下鉄に乗り込んだ。凛太郎は父の事務所の最寄駅で降り、事務所が入っているビルに向かった。尾行者は凛太郎が入ったビルに入ろうとして立ち止まった。そのビルはとぼけて入れるエントランスではなく、警備員が立ち、エレベーターに乗るには受付で許可証がいるのだ。二人は外にある看板を見てテナントで入っている企業を確認した。

「木場税理士事務所?」

 二人は凛太郎の職場と関連がありそうな名前を見つけた。

「多分ここだ」

 背の高い男がスマホを取り出した。そして、秘書に連絡すると、凛太郎が入ったと思われる税理士事務所の名を告げた。

「そこは高岡の父親の事務所だ。しばらく見張れ」

 秘書からそう言われ、二人はビルの前で凛太郎が出て来るのを待つ事にした。

「長くなりそうだな」

 どんな理由で凛太郎を尾行しているのかは知らないので、二人は顔を見合わせ、溜息を吐いた。


「か、母さん!」

 凛太郎は父の秘書の女性に所長室に通され、ソファに踏ん反り返っている綾子を見つけて叫んだ。そして、恨みがましい目で所長の席に座っている隆之助を見た。隆之助はバツが悪そうに俯いた。

「何をしているのよ、貴方は! あれ程優菜さんには気をつけなさいって言ったのに!」

 母親が涙ぐんで怒鳴ったので、凛太郎はグッと詰まった。

「それで、優菜さんはどうしたの? あんたに交際か結婚を迫ったの?」

 綾子は立ち上がって凛太郎に詰め寄った。凛太郎は近過ぎる母の顔から後退あとずさり、

「そんな事はしなかったよ。何事もなかったかのように出て行ったよ」

 その時の状況を思い出して、涙ぐんだ。

「どういう事? 優菜さんはあんたと付き合いたがっていたんでしょ?」

 綾子はまた息子に顔を近づけた。

「わからないよ。もう勘弁してよ。あの時の事を思い出すの、つらいんだ……」

 凛太郎は涙をポロポロ零して言うと、顔を背けた。

「凛……」

 綾子はもらい泣きをして凛太郎を抱きしめた。凛太郎は拒否する事なく、泣き続けた。

「どうしよう? 麻奈未さんに話さないとダメだと思うけど、別れを切り出されそうで、怖くて……」

 凛太郎がしゃくり上げながら言ったので、

「このまま黙っているという訳にはいかないだろう。麻奈未さんにきちんと話して、謝罪するんだ」

 黙って二人のやりとりを聞いていた隆之助が口を挟んだ。

「思いやりのない事、言わないでよ、隆之助! 凛は傷ついているのよ! そんな事、すぐにはできないわ!」

 綾子が隆之助を睨んだ。

「それに、凛は何も悪くない! 悪いのは優菜さんよ! 彼女を捕まえて、謝らせないと」

 綾子は大股で隆之助の前に歩み寄った。隆之助は綾子を手で制して、

「嫌な事を訊くが、凛太郎は麻奈未さんとはどこまで進んでいるんだ?」

「ちょっと!」

 デリカシーのない質問をした夫を綾子がたしなめようとしたが、

「麻奈未さんとはキスしかしてないよ。だから……」

 凛太郎はそれだけ言うと、またしゃくり上げた。

「まあ……」

 綾子は目を見開いて息子を見て、

「奥手だとは思っていたけど、付き合って半年経つのに、まるで中学生のお付き合いね」

 さっきまで息子を慰めていたのに、いきなり嘆き始めた。

「あ!」

 その時、綾子のスマホが鳴り出した。

「優菜さんからだわ!」

 綾子は慌ててスマホを取り出して、通話を開始した。

「はい、高岡です」

 何も知らないていで応答した綾子だったが、

「優菜です。今日でお仕事を辞めさせてください」

 優菜がいきなり切り出したので、

「どういう事、優菜さん? 凛太郎にした事、何とも思っていないの!?」

 つい怒り口調になってしまった。

「思っているから、辞めさせて欲しいのです。凛太郎さんには申し訳ない事をしたと思っています」

「わかりました。お話をしたいから、事務所に来てください」

 綾子は呼吸を整えながら言った。

「いえ、もう私物も片づけましたので、このままおいとましたいと思います。失礼します」

 優菜は一方的に通話を切ってしまった。

「優菜さん!」

 綾子は叫んだが、無駄だった。

「切られたのか?」

 隆之助が尋ねた。

「ええ。こんな子だと思わなかったから。やっぱり、啓輔の娘ね……」

 綾子はスマホをハンドバッグにしまった。

「それだけで奴と似ているとは思いたくないが、優菜ちゃんの知らない一面を見た思いだよ」

 隆之助は優菜の小さい頃も知っているので、寂しそうに言った。

「そうね……」

 綾子は溜息を吐いてから凛太郎を見て、

「さあ、行くわよ」

 肩を叩いた。

「え? 行くってどこへ?」

 凛太郎は涙を拭いながら綾子を見た。

「決まってるじゃない。麻奈未さんのところよ」

「ええ!?」

 隆之助と凛太郎がほぼ同時に叫んだ。

「おい、麻奈未さんは今査察の真っ最中で、会うなんて無理だぞ!」

 隆之助が言うと、

「そうだよ。今は無理だよ」

 凛太郎は会うのが怖いので、父親に乗っかる形で言った。

「ああ、そうか。じゃあ、凛、取り敢えず、ラインで謝罪しておきなさい。正式な謝罪は後日改めてという事で」

 綾子は息子を見上げた。

「ええ?」

 凛太郎は母親の突拍子もない提案に目を見張った。


 麻奈未は麻奈未で、スマホと睨めっこをしていた。

「どうしたの、伊呂波坂ちゃん?」

 向かいの席の姉小路が声をかけた。

「いえ、別に」

 麻奈未は作り笑顔で応じて、スマホをスーツのポケットに入れた。

「ちょっといいか」

 統括官の織部が言ったので、麻奈未達は一斉に織部の机の前の集合した。

「赤坂の料亭の伊香保という店で、権藤が裏献金を受け取っているという密告があった」

 麻奈未はその料亭の名前にギョッとした。

「すでにナサケはそれを掴んでおり、権藤の関係者が出入りしていないか、張り込みを続けている。我々も、すぐに動けるようにしておきたい」

 一同は静かに頷いて応じた。

「ナサケから一報があり次第、権藤の関係団体を査察する。以上だ」

 麻奈未が席に戻ろうとすると、

「伊呂波坂、ちょっといいか」

 織部に呼び止められて、別室に行った。

「中禅寺から聞いたのだが、君の恋人が伊香保に行ったそうだな」

 織部が単刀直入に訊いたので、麻奈未はハッとして返事ができなかった。

「一緒にいたのが、以前送検した元税理士の柿乃木啓輔の娘だという事も聞いている。何故、伊香保に行ったのか、訊いてくれないか?」

 織部の言葉に麻奈未はやっと我に返り、

「わかりました」

 一礼して席に戻った。その背中を心配そうに織部は見ていた。


「柿乃木優菜は高岡凛太郎と一線を超えた。国税局の査察部の人間の恋人が二股。なかなか面白いスキャンダルだと思わない?」

 一色からの報告を受けて、所長の席の回転椅子に座った野間口絵梨子はニヤリとした。

「はい。伊呂波坂麻奈未と高岡凛太郎を一緒に社会的に抹殺できますね」

 机の反対側に立っている一色もニヤリとした。

「どこに売り込みますか?」

 一色が絵梨子に近づいて訊いた。絵梨子は机の上に置いてある週刊誌を手に取り、

「丸山書房のブラックデーがいいわね」

 パラパラとめくった。

「姉小路の話だと、査察が入ったらしいので、国税局に恨みがあるでしょうから、いい意趣返しになるし」

 スッと一色に突き出した。

「わかりました」

 一色はそれを受け取った。そして、

「では早速行って来ます」

「お願いね」

 絵梨子は立ち上がると一色の口に吸い付くようにキスをした。一色もそれに応じて絵梨子の唇を貪った。

「失礼します」

 二人は口から涎の糸を引いて離れ、一色は所長室を出て行った。


(凛君に連絡しないと)

 織部からの指令で凛太郎と話さなければならなくなった麻奈未は、これまで経験した事がないくらい緊張し、鼓動がはっきりと感じられる状態になっていた。

(何してるの、麻奈未! これは業務命令よ!)

 麻奈未は迷いを振り切るように頭を振り、スマホを取り出して画面を見た。その時、ラインの受信音がした。

「え?」

 凛太郎からだった。

「凛君?」

 麻奈未は凛太郎からのラインを見るのが怖くて、タッチする指が震えた。内容が少しだけ見えているので、「優菜さん」の文字があるのがわかり、より怖くなった。

「ええ?」

 ようやく決断して開くと、そこには信じられない事が書かれていた。優菜と一線を超えてしまったとあったのだ。

「凛君、そんな……」

 涙で画面が見えなくなってしまった。

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