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三日目 利用される男達

(凛君、どこにいるの?)

 麻奈未は代田に教えられた料亭の住所へとタクシーに乗って向かっていた。凛太郎のラインはいくら送っても既読にならず、電話も来ない。

(何が起こってるの?)

 麻奈未は優菜が一大決心をして凛太郎に迫っているとは思わず、むしろ、大学時代からの因縁がある野間口絵梨子が二人に何かをしているのではないかと心配していた。

「え?」

 すると、中禅寺茉祐子から電話がかかって来た。

「すみません、先輩。充のバカが余計な事まで言ってしまって。今、どこですか?」

 茉祐子の声は差し迫った様子だった。麻奈未は呼吸を整えてから、

「今、赤坂に向かっている途中」

「では、行くのをやめてください。権藤の秘書の部下達が料亭の周囲を張っています。今行くと、まずいです」

 茉祐子から衝撃的な事を告げられ、麻奈未は目を見開いた。

「野間口税理士は、間違いなく権藤とつながりがあります。今までの彼女の行動を考えると、先輩を陥れようとしているのは間違いありません。高岡さんがそれに利用されようとしています。先輩、ご心配なのはわかりますが、今、料亭に近づいたら、公務員人生が終わってしまいます。どうか、思いとどまってください」

 茉祐子の声が鬼気迫るものになった。

「でも……」

 麻奈未はそんなものを投げ出してでも、凛太郎を助けたいと思っていた。

「それに、高岡さんと先輩の事を完全に掴んでしまわれたら、高岡さんにも危害が及ぶ可能性があります。堪えてください」

 茉祐子の説得が続く。麻奈未は揺れていた。

(凛君を危ない目には遭わせられない)

 ようやく冷静になれた麻奈未は、

「わかった。料亭に行くのはやめるわ」

「ありがとうございます。高岡さんの事は私達に任せてください」

 麻奈未は涙ぐんで、

「うん。お願いね」

 それだけ言うと、通話を終えた。そして運転手に、

「ごめんなさい。ここで降ります」

 料金を支払うと、タクシーを降りた。

「凛君……」

 麻奈未は赤坂の方角を見て呟いた。


「申し訳ありませんでした!」

 その赤坂の料亭近くの路地裏で、代田充は茉祐子に土下座していた。

「本当にバカなんだから! 伊呂波坂先輩に言ったりしたら、行こうとするの当たり前でしょ!」

 茉祐子は代田の頭を拳骨で軽く小突いた。

「はい……」

 代田はしょげ返っていた。

「罰として、一週間、H禁止だからね」

 茉祐子は代田に顔を近づけて告げた。

「ええ? そんなあ……」

 代田は項垂れた。茉祐子はもう一発頭を小突いて、

「もし、先輩が権藤の手下に見つかって、国税局を辞める事にでもなっていたら、H禁止どころか、ちょん切ってやるところだったわよ!」

 代田はその恐ろしい言葉に身をすくめ、

「すみませんでした……」

 涙ぐんで茉祐子を見上げた。

「とにかく、高岡さんを助けに行くわよ。権藤の手下達に見つからないようにね」

 茉祐子は代田の手を掴んで立ち上がらせた。

「はい」

 代田は涙を拭って応じた。


「凛太郎さん、素敵な時間でした」

 服を着終えた優菜は、まだ仰向けに寝ている凛太郎に言った。凛太郎は泣いていた。

(何か、興醒めね。どうして泣いているの?)

 優菜には凛太郎の感情がわからなかった。

「支払いは前にも言ったようにお気遣いなく。私が済ませますから、凛太郎さんも落ち着いたら帰ってください。お先に失礼します」

 優菜はチラッと凛太郎を見てから、部屋を出て行ってしまった。

「麻奈未さん、ごめんなさい……」

 凛太郎は麻奈未に不義理な事をしてしまったので、泣いていたのだ。

(凛太郎さんに恋焦がれていたの、何だったの? あんなに子供だったのがわかって、一気に醒めたわ。もう、何の未練もない)

 優菜は凛太郎に対する恋心が消滅したのを感じた。

(やっぱり、重度のマザコンだったのね。早めにわかってよかったかも知れない)

 優菜は明日綾子に辞表を渡して、高岡税理士事務所を辞めようと考えた。

「ううう……」

 嗚咽を上げながら、凛太郎は起き上がると、ズボンを履き直した。

(情けない。優菜さんがここまでするとは思わなかったけど、全然抵抗できなかった俺って、ダメな男だ……)

 結局、凛太郎は優菜と一線を超えてしまったのだ。麻奈未とはキスしかした事がないのに、恋人でもない優菜とそんな事になってしまった自分が許せなかった。

(麻奈未さんに全部伝えて、謝ろう。別れを切り出されたら、応じよう。全部俺が悪いんだから……)

 凛太郎はネクタイを直し、鞄を持つと、部屋を出た。優菜はとうに店を出たらしく、姿は見えなかった。

「ありがとうございました。お気をつけて」

 従業員に送り出されて、凛太郎は店の外に出た。

「高岡さん!」

 その時、不意に後ろから襟首を掴まれて、塀伝いに裏口へ歩かされた。

「あ、あの……」

 凛太郎は振り返ってその人物を見た。

(女性? 誰?)

 凛太郎は茉祐子と面識がないので、誰だかわからない。

「失礼しました。私、伊呂波坂麻奈未さんの後輩の、中禅寺茉祐子と言います」

「麻奈未さんの後輩?」

 凛太郎は震え上がった。もう全部知られているのではないかと思ったのだ。

「中で何があったのかは訊きませんし、知りません。でも、ある事情から貴方を守るために来ました。裏口に車を用意してありますので、ご安心ください」

 茉祐子は凛太郎が怯えているのに気づき、微笑んだ。

「そ、そうですか」

 凛太郎はそれでも顔を引きつらせたままで応じた。


「今晩は」

 料亭からの路地を歩いていた優菜は後ろから聞き覚えのある声に呼びかけられ、ビクッとした。

(一色さん?)

 彼女は振り返る事なく、大通りへ向かって走り出した。

「待ちなよ、優菜さん。逃げる事ないだろ?」

 一色は速かった。たちまち優菜を追い越すと、立ち塞がって来た。

「大声を出すわよ!」

 優菜は一歩退いて身構えた。すると一色は肩をすくめて、

「そこまで嫌われたのか、俺って。別に何もしてないでしょ?」

 すると優菜は、

「ずっと私を尾け回していたでしょ! 気づいていないとでも思っていたの!?」

 語気を強めた。優菜の声に一色は一瞬たじろいだが、

「それはさ、あの高岡が優菜さんにおかしな事をしないか心配だったから、ずっと見守っていただけですって。変な誤解をしないでほしいなあ」

 ニヤリとして応じた。

「余計なお世話です。貴方に心配される筋合いはありません」

 優菜は一色を押し退けて歩き出した。

「高岡には女がいるんだって。諦めなさいよ、優菜さん」

 一色が優菜の背に言った。優菜は立ち止まったが、振り返らずに、

「そんな事、承知しています。それに私は、そのひとより先に凛太郎さんと深い関係になりましたから」

 一色は優菜からそんな事を言われると思っていなかったので、固まってしまった。

「失礼します」

 優菜は颯爽と歩き去った。一色はそれを呆然として見送った。

「何してるのよ、一色。やり込められたわね」

 野間口絵梨子が物陰から現れた。

「先生……」

 一色は泣きそうな顔で絵梨子を見た。絵梨子はそんな一色を鼻で笑い、

「あの子は見た目と違って、怖い子よ。それは私も身をもって体験したから、よくわかる。舐めてかかると、痛い目に遭うって知ったでしょ?」

 一色を抱きしめた。

「先生!」

 とうとう一色は泣き出して絵梨子を抱きしめ返した。

「これで伊呂波坂麻奈未を潰すチャンスができた」

 絵梨子は一色の頭を撫でながら呟いた。


「そうか。あの柿乃木の娘なのか」

 権藤は家へ向かう車の中で秘書から報告を受けていた。

「はい。野間口からの連絡によると、柿乃木の娘は優菜と言い、伊呂波坂の男は高岡凛太郎と言うそうです。二人は料亭で深い仲になったようです」

 秘書は運転席との仕切りを上げながら告げた。

「査察の調査官の恋人が赤坂の料亭で浮気、か。いい週刊誌のネタになるな」

 権藤がフッと笑うと、

「いえ、それはまずいです。幹事長のご友人のお店の名に傷がつきます」

 秘書は頭を下げて言った。権藤はハッとして、

「そうか。料亭の名が出てしまうのはまずいな。あそこは重宝している場だからな」

「伊呂波坂の相手の名がわかったのです。いくらでもやりようはあります」

 秘書がニヤリとした。権藤は前を見て、

「わかった。任せたぞ」

「はい」

 秘書は会釈をすると、スマホを取り出した。


 凛太郎は代田の運転する車で自宅のそばまで送られた。

「ここまで来れば、大丈夫でしょう。気をつけてお帰りください」

 助手席に乗っている茉祐子が言った。

「あの、この事は麻奈未さんは……?」

 後部座席から降りた凛太郎は声を震わせて尋ねた。茉祐子は微笑んで、

「ご存じですが、何があったのかは伝えていません。私達も知るつもりはありません。ご安心ください。それでは」

 ウィンドーを閉じると、代田に合図した。凛太郎が何かを言おうとする間もなく、車は走り去った。

(どうしよう? 麻奈未さんに連絡するか?)

 全てを打ち明けて謝罪しようと思っていたはずなのに、怖くて連絡ができない。

(俺はダメな男だ……)

 また涙が溢れて来て、凛太郎は嗚咽をあげながら、自分の家へと歩いた。


「権藤は何をしているんだ?」

 剣崎は官邸から公邸へ向かう車の中で秘書官に尋ねた。

「査察の担当者の弱みを握ろうとしているようです」

 秘書官はスマホを切りながら言った。

「相変わらず、考える事がゲスだな。やはり、早めに引導を渡した方がいいようだ。奴がのさばるのは、党にとっても好ましくない」

 剣崎は眉間に皺を寄せた。

「如何致しましょう?」

 秘書官が訊いた。

「丸山書房の査察を助けてやれ。奴の急所を押さえるためにな」

 剣崎はフッと笑った。

「畏まりました」

 秘書官はまたスマホを操作した。


(凛君……)

 麻奈未は迷った挙句、自宅へ帰り着いた。

「お帰り、お姉。遅かったね」

 玄関で妹の聖生が言った。麻奈未は苦笑いをして、

「お父さんは?」

 家の奥を見た。聖生は肩をすくめて、

「もう寝たわ。お姉を待っていたみたいだけど、査察があったんでしょ? さすが、元査察のエースで、その辺りは敏感に読み取って、諦めたみたい」

「そう、なんだ」

 麻奈未は父にも相談できない事で遅くなったのだ。だから、申し訳なくなっていた。

「どうしたの、お姉? 何かあったの?」

 聖生が俯いた麻奈未の顔を覗き込んだ。

「何でもない」

 麻奈未は聖生の視線を避けるように二階への階段を駆け上がった。

「絶対何かあったじゃん」

 聖生はそれを見送って、溜息を吐いた。


「あ」

 麻奈未は自分の部屋に入ったところで、茉祐子からのラインに気づいた。

『高岡さんは無事に送り届けました』

 内容はそれだけだった。

「そっか」

 麻奈未はホッとしてベッドに腰を下ろし、鞄を投げ出した。

(凛君、優菜さんとどうして料亭なんかに行ったのかな?)

 凛太郎を信じているが、優菜がどんな人間なのかわからないので、不安だった。そして、茉祐子が何も伝えてくれなかったので、より不安になっている。事実を知れば、麻奈未は思考停止に陥ってしまうだろう。

(連絡してみようか?)

 麻奈未はラインを開いた。しかし、できなかった。

(どうしてこんなに怖いんだろう? 凛君はそんな人じゃないし、信じているはずなのに……)

 身近にいる悪い例の見本の姉小路の事があるせいで、凛太郎にもその可能性がと考えてしまうのだ。


「うん?」

 早めに床に着いていた隆之助は、着信音に気づいて目を覚ました。隣の綾子は気持ちよさそうに眠ったままだ。

「凛太郎?」

 隆之助は相手が息子だと知り、布団を抜け出すと、トイレに入って通話を開始した。

「どうした、こんな遅くに?」

 綾子が起きる心配はなかったが、声をひそめて訊いた。凛太郎は泣いているのがわかった。嗚咽が聞こえるのだ。

「大丈夫か? 何があったんだ?」

 隆之助が問いかけると、

「父さん、どうしよう? 俺、取り返しがつかない事をしてしまったんだ」

 凛太郎は涙声で言った。

「取り返しがつかない事? 事務所の金でも使い込んだのか?」

 隆之助はふざけたつもりはなかったが、それくらいしか思いつかなかった。

「違うよ。それなら、母さんに連絡するよ」

 凛太郎の声が怒気を含んでいるのがわかったので、

「すまんすまん、じゃあ、どうしたんだ?」

 隆之助は更に尋ねた。

「実は……」

 凛太郎は事の顛末を話した。隆之助は予想の遥か上をいく話を聞かされたので、一瞬言葉を失った。

「啓輔の娘に? 信じられないが、お前がそんな嘘を吐くはずがないよな」

 隆之助も優菜を知っているし、何度も会った事がある。あの子がそんな事を? そう思ってしまうのだ。

「俺だって、まだ信じられないよ。優菜さんがあんな事をするなんて……」

 凛太郎はまた泣き出した。

「とにかく、明日会って話そう。母さんにはどうする?」

 隆之助はトイレのドアを開けて、綾子の良巣を伺いながら訊いた。凛太郎はしゃくり上げながら、

「母さんには言わないで。もしかして、一緒なの?」

「いや、一緒じゃないよ。今夜は何も考えずに寝るんだぞ」

 隆之助は凛太郎が暴走しないか心配になって言った。

「そうするよ。ありがとう、父さん」

 凛太郎は通話を切った。

「ふう……」

 隆之助もスマホを切り、ソッと床に戻った。

「やだ、隆之助ったら」

 急に綾子が寝言を言ったので、隆之助はビクッとして彼女を見た。

「驚かさないでくれ」

 幸せそうな顔で寝ている綾子を見て、隆之助は呟くと、布団に入った。

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