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二日目 凛太郎焦れて動く

 凛太郎はストレスが溜まり過ぎ、イライラしていた。それは向かいの席にいる柿乃木優菜にもわかる程だった。

(凛太郎さん、まなみさんに会えていないので、ご機嫌斜めね。更にチャンスかしら?)

 優菜は思い切って凛太郎を食事に誘ってみようと思った。綾子は優菜がチラチラ凛太郎を見ているのに気づいていた。

(優菜さん、また凛を狙い始めたのかしら?)

 凛太郎の恋人の伊呂波坂麻奈未を知っている綾子としては、優菜を凛太郎に近づけたくはないのだが、一方で三角関係になるのを面白がってもいた。

(凛にはそんな簡単に身を固めてほしくはない。まだまだ、母親の言う事を聞く可愛い息子でいて欲しいから)

 夫の木場隆之助とよりを戻して再婚した綾子だが、まだ子離れができていないのを隆之助は憂えている。しかし、それを指摘するとまた離婚騒ぎになりそうなので、何も言わないでいるのだ。

「行って来ます」

 凛太郎は午後の顧客訪問に出かけた。

「行っていらっしゃい」

 優菜はにこやかに送り出したが、綾子はムスッとしていた。

「凛太郎さんの彼女さんて、年上なんですよね?」

 不意に優菜が綾子を見て言った。綾子はピクンとして優菜を見た。

「ええ、そうね。それが何か?」

 顔が引きつるのを感じて、綾子は問い返した。優菜は微笑んで、

「凛太郎さんは年上が好きなんでしょうか?」

 綾子に正対した。綾子もしっかり優菜を見て、

「そうね。あの子、マザコンだから」

 その言葉に優菜はギョッとした。

(普通、母親がそれは言わないでしょ?)

 綾子は優菜が動揺したのを見て、

「何しろ、あの子ったら、中学に入学するまで、私と一緒にお風呂に入っていた程だから。気持ち悪いでしょ?」

 ふふんと鼻を鳴らした。

「そ、そうですか……」

 それくらいの事では凛太郎に対する好意は揺るがないと思った優菜であったが、

(やっぱりマザコンなのか……)

 ショックは大きかった。だが、

(これはもしかして高岡先生の仕掛け? 私に凛太郎さんを諦めさせるための?)

 優菜は綾子の罠に気づいた。


 まさか自分を巡って綾子と優菜がバトルを繰り広げたとは夢にも思っていない麻奈未は、統括官の織部に言われた事を思い出していた。

(剣崎総理が権藤に罠を仕掛けている。そして、二重スパイが権藤のそばにいる)

 政界の重鎮であった連間才明が引退して、与党内部で権力闘争が激化している。財務省に顔が利く権藤、財界に人脈が多い剣崎。甲乙つけ難い存在である。

(でも、与党の幹事長に過ぎない権藤と違って、剣崎は総理大臣。あらゆる方面に通じている。権藤が不利なのかしら?)

「先輩、お待たせしました」

 自動販売機コーナーで待っていた麻奈未に駆け寄ってきた中禅寺茉祐子が声をかけた。

「中禅寺さん、悪いわね」

 麻奈未は口に持っていきかけたコーヒーのカップを止めて茉祐子を見た。

「好きなの選んで」

 麻奈未は硬貨を投入して茉祐子を見た。

「ありがとうございます」

 茉祐子はミルクティーを選んで取り出すと、

「群馬県の富岡市にある和紙の工房に剣崎の秘書官が姿を見せています。その工房、何かありますよ」

「何かある?」

 麻奈未はコーヒーを一口飲んでから言った。

「はい。秘書官が何をしに来たのかは掴めませんでしたが、権藤の秘書も幾度となく姿を見せています。名刺を頼むだけなら、電話かメールで十分ですから、他に用事があったと思われます」

 茉祐子はそこまで言って紅茶を一口飲んだ。

「もしかして、そこが闇献金の受け渡し場所?」

 麻奈未は紙コップをゴミ箱に投げ入れた。茉祐子も紙コップをゴミ箱に入れて、

「その可能性がありますね。丸山書房本社をいくら調べても、何も見つからなかったのはそのせいかも知れないです。そして、和紙の切れ端が社長の机の引き出しにあったのは、それを暗示していると考えれば、全ての辻褄が合います」

 麻奈未は腕組みをして、

「剣崎側はそれを掴むために富岡市の和紙工房へ行った。そして、権藤を陥れるために和紙の切れ端を丸山書房の社長の机に入れた」

 そこで茉祐子を見て、

「でも、紙切れに気づかなければ、そこまで大掛かりな罠を仕掛けたとしても、何の意味もなさないわ」

 茉祐子は麻奈未を見て、

「そうなんです。先輩が紙切れに違和感を覚えたからこそ、罠が生きてきた。ぎりぎりの仕掛けなんです、一見すると」

「一見すると?」

 麻奈未は自販機の脇にある長椅子に腰を下ろした。茉祐子もその隣に座って、

「はい。でも、ミノリが丸山書房に入る前に、群馬県警が権藤の地元の事務所を探っていたって話しましたよね。剣崎側は、ずっと以前から権藤を罠にかけるために動いていたのではないでしょうか?」

「ああ!」

 麻奈未は思わず茉祐子を指差した。

「間違いなく、上の誰かが剣崎側の意向を受けているんですよ。だから、丸山書房の査察ができた」

 茉祐子の指摘に麻奈未は身震いしそうになった。

「私達、踊らされているの?」

 麻奈未は周囲を見回してから茉祐子を見た。茉祐子は小さく頷いた。


「どうだった?」

 幹事長室のソファに向かい合って座りながら、権藤は秘書に尋ねた。

「はい、総理の秘書官は特に何も訊かなかったようです。取り越し苦労でした」

 秘書は苦笑いをした。権藤は身を乗り出していたが、ソファに沈み込み、

「そうか。ならばよかった。だが、安心はできない。先方には注意するように伝えろ」

「はい」

 秘書は頭を下げて応じた。

「剣崎の配下がうろつくと、国税や警察に目をつけられる。それはまずいからな」

 権藤はテーブルのケースから葉巻を取り出した。

「それから、国税の方は何を調べているんだ?」

 権藤は葉巻をくゆらせて尋ねた。秘書は居住まいを正して、

「まだ報告が上がって来ていないようです」

「急がせろ。剣崎が何か仕掛けて来たらまずい」

 権藤は葉巻を持って煙を吐いた。秘書はその煙で目をしばたたかせて、

「わかりました。催促します」

「頼んだぞ」

 権藤は葉巻をくわえながら言った。


(多少迷惑に思われてもいい。麻奈未さんに会いに行ってみよう)

 その日の顧客訪問を終えた凛太郎は、事務所には戻らずに東京国税局へと向かった。

(母さんにはラインをしておくか)

 また内緒で行動したと激怒されると困るので、凛太郎は直帰する事をラインで綾子に送った。

「あ」

 綾子の返信がすぐに来た。

『麻奈未さんと会うの?』

 ニッコリマークが付いている。

(面白がってるな)

 凛太郎はうんざりしたが、

『会えるかどうかわからないけど、行ってみる』

 当たり障りのない返信をした。

『頑張れ、凛』

 返信が来た。今度は旗を振っている女の子の画像が付いていた。

(若ぶってるな、母さん。そういうのが、おばさんなんだけどね)

 凛太郎は苦笑いをした。

『ありがとう』

 それだけ返すと、キリがないのでスマホをスーツの内ポケットに戻した。

「よし」

 凛太郎は地下鉄の入り口の階段を駆け降りた。


「先生、どうされましたか?」

 妙ににこやかにスマホを操作している綾子を見て、優菜が話しかけた。綾子はスマホをスーツのポケットにしまいながら、

「ああ、凛太郎からの直帰連絡よ。優菜さんも定時になったら、あがってね」

 微笑んで優菜を見た。

「はい、ありがとうございます」

 優菜も微笑み返した。

(凛太郎さんのマザコンもそうなんだけど、先生も相当な息コンね)

 優菜は「相思相愛」の母子を嫌悪するより羨ましいと思った。

(母と父は物心ついた頃にはすでに冷え切っていて、私はどちらとも仲良しな関係になれなかった。だから、喧嘩はするけどどこかで深いつながりがある高岡先生と凛太郎さんの関係に憧れてしまう)

 優菜は綾子と凛太郎のやりとりが微笑ましいのだ。

「どうしたの、優菜さん?」

 綾子がニコニコしている優菜に気づき、声をかけてきた。

「ああ、何でもないです」

 優菜は慌ててパソコンの入力に集中した。

「そう?」

 綾子は納得しかねる顔をしていたが、机の上の書類に目を落とした。


「そうか。面白いようにこちらの思惑通りに動くな、奴は」

 執務室の回転椅子に座り、剣崎は悦に入っていた。

「はい。次は如何なさいますか?」

 机の反対側に立っている秘書官はニヤリとして訊いた。剣崎は椅子を半回転させて窓の外を見ると、

「しばらく様子を見るか。奴が丸山書房に裏献金をさせているのは間違いないのだから、ボロを出すのを待ってみよう。それから、財務事務次官には、権藤が催促して来ても、うまくかわすように伝えてくれ」

 また椅子を半回転させて、秘書官を見た。

「畏まりました」

 秘書官は頭を下げて応じた。

「権藤には再起不能になってもらう。もちろん、降参してきたら、一兵卒として雇ってもいいがな」

 剣崎は右の口角を吊り上げた。

「いくら財務省の先輩後輩でも、事務次官の任免は財務大臣の権限であり、その財務大臣の任免は総理大臣の権限だからな」

「はい」

 秘書官はまた頭を下げて応じた。


「はい、査察部伊呂波坂です」

 席に戻った麻奈未は、内線が鳴ったので受話器を取った。

「伊呂波坂さんにお客様です」

 受付の子が告げた。

「どちら様?」

 麻奈未は何も約束がないので尋ねた。

「高岡様です」

 意外な名前にギョッとしてしまった。

(凛君?)

 まさか、綾子が来るはずがないと思い、凛太郎だと直感した。

「伊呂波坂は出張中で、二、三日戻らないと伝えて」

 本人が出ているのにそんな事を言われたので、受付の子は戸惑っていた。

「え? あのどういう事でしょうか?」

 麻奈未は溜息を吐いて、

「とにかく、そう伝えて。お願いします」

「わかりました」

 受付の子には後でコーヒーでも持って行こうと麻奈未は思い、受話器を置いた。


「ええと、伊呂波坂は出張中だそうです。二、三日、戻らないそうです」

 受付の子は顔を引きつらせて告げた。

「え?」

 麻奈未と会えると思っていた凛太郎は唖然としてしまった。

「申し訳ありません。できれば、事前にご連絡いただけるとよろしいかと」

 受付の子は凛太郎があまりにもガッカリしているので、気の毒になってそう言い添えた。

「はい。すみませんでした」

 凛太郎は項垂れたままで正面玄関を出て行った。

(お気の毒ね)

 受付の子は凛太郎の背中を見て思った。

「あれ、今のは確か……」

 そこへ麻奈未の一期先輩で、同じ査察部のミノリに所属している姉小路潤が来た。

「ねえ、今の人、誰に会いに来たの?」

 姉小路は顔を近づけて受付の子に訊いた。受付の子は後退りして、

「伊呂波坂さんです」

「そうなの? 伊呂波坂ちゃん、いないの?」

 姉小路はさっき麻奈未と顔を合わせたばかりなので、不思議に思って尋ねた。

「いえ、その……」

 受付の子はバツが悪そうに首をすくめた。

「ああ、居留守使ったんだ、伊呂波坂ちゃん。へえ、そうなんだ」

 麻奈未と凛太郎が付き合っているのを知らない姉小路は、凛太郎の事を麻奈未のストーカーだと思っていた。

「ありがと」

 姉小路は受付の子にウィンクして、エレベーターホールへ歩いて行った。受付の子は、隣の子と顔を見合わせてから、溜息を吐いた。


(はあ……。凛君、ごめん!)

 麻奈未は心の中で手を合わせて凛太郎に詫びた。

(今、凛君の声を聞いたり、姿を見たりしたら、挫けてしまいそうだから……。ごめん)

 麻奈未はもう一度凛太郎に手を合わせた。

「伊呂波坂ちゃん」

 そこへいきなり姉小路が声をかけた。

「キャッ!」

 麻奈未はびっくりして悲鳴をあげた。

「ああ、ごめん、伊呂波坂ちゃん。ストーカー被害に遭ってるの?」

 姉小路は向かいの席に座りながら言った。

「はい?」

 姉小路が全部事情を知っているとは思っていない麻奈未はキョトンとした。

「さっき、ちょうど受付の前を通りかかったら、伊呂波坂ちゃんに会いに来た男を見かけてさ。確か、妹ちゃんと腕を組んでいた奴だよ」

 姉小路の話を聞き、麻奈未はハッとした。

(知られた?)

 一番知られたくない人に凛太郎との事を気づかれたと思い、麻奈未は焦った。

「もし、困っているのなら、力になるよ。俺、そういう方面の知り合い、いるからさ」

 姉小路がどんどん暴走していくので、麻奈未は更に焦った。そして、

「いえ、違うんです。ストーカー被害には遭っていません」

 慌てて言い繕おうとした。

「そうなの? じゃあ、何で居留守使ったの?」

 姉小路は麻奈未と凛太郎の事には気づいていない。しかし、麻奈未はそうは思えなかった。

(どうしよう?)

 麻奈未は立ち上がると、

「姉小路さん、ちょっと!」

 廊下へ呼び出した。

「何、何?」

 姉小路は嬉しそうに尾いて行った。

「この事は誰にも言わないでください。お願いします。それに彼はストーカーではありません」

 麻奈未はそれだけ言うと、席に戻って行った。

「どういう事?」

 姉小路は首を傾げて自分の席に戻った。

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