十九日目 家族交流会の行方
「何だか、悪いわね。凛と麻奈未さんのデートに割り込んだみたいで」
円卓を囲んで、綾子、隆之助、凛太郎、麻奈未の順で席に着いている。綾子は上機嫌だ。隆之助が、状況をうまく誤魔化して、凛太郎と麻奈未のデートに遭遇した事にした。綾子に気取られるかと思ったが、凛太郎に引け目のある綾子は、勘が鈍っているのか、全く疑う素振りはなかった。むしろ、嬉しそうだったので、隆之助と凛太郎は逆に怖くなっていた。
「お気になさらず。こうしてお会いできて、嬉しいです」
事情を説明されている麻奈未はにこやかに言った。
(確かに高岡先生、ご機嫌を損ねると大変そうだから、凛君の立場を考慮して、合わせるしかないか)
麻奈未は綾子が姑になるのを想像して、顔が引きつりそうだった。
(でも、この状態だと、聖生の事を相談できないな。別の機会にするしかないかも)
聖生は凛太郎に会う目的が達成できないのがもどかしかったが、隆之助は想定内だったが、綾子にまで聖生の事を話す事はできないので、我慢するしかないと思った。
「そう言えば、麻奈未さんには妹さんがいらっしゃるのよね? 聖生さんだったかしら?」
綾子がまるで麻奈未の心の中を見透かしたかのように話題にしたので、麻奈未は更に顔が引きつりそうになった。
「はい、そうです。妹が何か?」
麻奈未はチラッと凛太郎を見てから綾子を見た。
「確か、南渋谷税務署にお勤めだとか。お父様も国税局の査察部勤務でしたし、税務一家ですのね」
綾子は意味ありげに凛太郎を見てフッと笑った。
(え? 何、今の?)
凛太郎には綾子の視線の理由がわからない。
「それで、家族の顔合わせなんですけど、聖生さんもご同席いただけるのかしら?」
綾子は微笑んで麻奈未を見た。
「家族の顔合わせなんだから、妹さんもご出席されるさ。ねえ、麻奈未さん?」
何を今更という顔で、隆之助が割り込んだ。
(え? お二人共、聖生の同席を望んでらっしゃるの? 意外だ……)
麻奈未は聖生の性格を二人に教えてあげたかったが、聖生だけ仲間外れのように同席させないと、それはそれで遺恨を残す結果となるのは明白なので、聖生の参加は拒めない。
「もちろんです。ねえ、凛太郎さん」
麻奈未は作り笑顔で凛太郎に話を振った。
(麻奈未さん、ちょっと勘弁してください!)
凛太郎はできれば聖生抜きで食事会をしたいと思っていたのだが、麻奈未の泥酔事件があったため、それは無理だと理解した。だが、今ここでその判断を委ねられるのは困ると思った。
「只、どうした事か、父が食事会に参加するのを渋っていまして……」
麻奈未は凛太郎が助けを求める目で見て来たので、父の太蔵を利用する事にした。
「あら、そうなんですの? どうしてかしら?」
綾子は首を傾げた。麻奈未はどうしようか迷ったが、
「母が原因なんです」
結局母親の美奈子の事を話した。
「そうなんですか。麻奈未さんのお母さん、ご陽気な方なので、是非お会いしたいと思っていましたのよ」
綾子は微笑んで告げた。もし、美奈子が凛太郎とデートをしたがっていたと知れば、綾子はそんな事を言わなかっただろう。
「母が陽気過ぎるので、父はそれが嫌みたいなんです。今、父を説得中です」
麻奈未は不吉な予感がしたので、濁した。
(お母さんと高岡先生、対面させるととんでもない化学反応起こしそうで怖い)
美奈子が交流会の席で凛太郎に迫ったりしたら、多分血を見ると思ってしまった。
「あら、そうでしたの。では、まだすぐという訳にはいかないのかしら?」
綾子は隆之助がジッと睨んでいるので、できるだけ穏やかに話そうと努めていた。
(凛の入浴を覗いたなんて麻奈未さんにバラされたら、私、流石に生きていけない)
隆之助ならやりかねないと思ったので、麻奈未を問い質したいのを我慢した。
『そんな事をする母親とお付き合いできないので、凛太郎さんとはお別れします』
麻奈未が有無を言わさぬ表情でそう言うのを想像して、綾子は震えそうだった。
(母さん、父さんに脅かされたのかな? いつになくおとなしい)
凛太郎も、父が自分の事で母を脅したとは思っていない。
(離婚するとか言われたのかな?)
凛太郎は父と母を交互に見て全く的外れな推理をしていた。
「そうですね。申し訳ないです」
麻奈未は頭を下げて謝罪した。
「そんな、頭を上げてください。私達は土日祝日でしたら、いつでも空いていますから、麻奈未さんのご家族のご都合に合わせます」
隆之助が何か言おうとした綾子を遮って言った。
「ありがとうございます」
麻奈未が隆之助を見て微笑んだので、綾子は面白くなかったが、
(未来のお嫁さんに嫉妬なんて、見苦しいわね)
隆之助に合わせて微笑み返した。
「できるだけ早く、父を説き伏せますので」
麻奈未は綾子が一瞬だけ自分を睨んだのに気づき、綾子に顔を向けて微笑んだ。
(お父様に微笑んだのが良くなかったのかしら?)
まさかとは思ったが、最善策を講じる事にしたのだ。
「それじゃあ、私達はこれで失礼します」
隆之助は綾子を促しながら立ち上がった。
「え? まだいいじゃない……」
そう言いかけた綾子だったが、隆之助が無音で「ふろ」と言ったので、ギョッとして立ち上がり、
「じゃあ、後は二人で」
おほほと似合わない笑い方をして立ち上がり、隆之助について行った。
「すみません、慌ただしい両親で」
凛太郎が麻奈未に手を合わせて言った。麻奈未は苦笑いをして、
「取り敢えず、お母様が何も気づかなくてホッとしたわ」
「っていうか、母は父にコントロールされてる風でしたよ」
凛太郎がニヤッとした。麻奈未は目を見開いて、
「え? そうなの?」
凛太郎は両親がレジでどちらが払うか一揉めしているのを見ながら、
「母は父に何か弱みを握られていますね。だから、いつになくおとなしかったんですよ」
「まあ……」
麻奈未は口に手を当てて驚いた。凛太郎は両親が店を出るのを確認してから、
「ところで、相談てなんですか?」
麻奈未を見て訊いた。
「そうそう、それが本題だったわね」
麻奈未は居住まいを正して凛太郎を見た。凛太郎は麻奈未が正対したので、鼓動が高鳴った。
(もしかして、聖生さんとの事を問い質されるのでは?)
背中に汗がジトッと滲むのを感じた。
「聖生の事なんだけど」
麻奈未が言ったので、凛太郎はギクッとしてしまった。
「どうしたの?」
凛太郎のリアクションに違和感を覚えた麻奈未は首を傾げた。
「あ、いや、その、麻奈未さん、聖生さんは悪くないんです。俺が何でもしますって言ったので、それで……」
凛太郎はパニックになり、早口で捲し立てた。
「それはもうわかったわ。その事じゃないの。むしろ、私がピンチなの」
麻奈未は凛太郎の手を取って落ち着かせた。
「え? 麻奈未さんがピンチ?」
凛太郎はポカンとしてしまった。麻奈未は溜息を吐いてから、事情を説明した。
「私が謝るしかないのかなって思って……」
麻奈未はまた溜息を吐いた。凛太郎が苦笑いをして、
「そうですね」
すぐに言ったので、
「やっぱり?」
麻奈未は目を潤ませた。凛太郎はそれを見てもらい泣きしそうになったが、
「麻奈未さん、やり過ぎですよ。もう少し、仲良くしましょうよ」
聖生との和解を促した。すると麻奈未は、
「凛君、ちょっと思い違いしているみたいだから言うけど、私と聖生は別に仲が悪い訳じゃないわよ」
「え? そうなんですか?」
凛太郎があまりにも驚いたので、麻奈未は顔を引きつらせた。
(傍目にはそう見えるのか)
それでも何とか気を取り直して、
「今まで、凛君の事で、聖生にあれこれ悩まされたんだけど、今回は私が悪いなって思ったの。別に聖生の事、嫌いじゃないのよ」
「好きでもないですか?」
凛太郎はまだ疑っていた。
「あのね!」
麻奈未は流石にムッとしてしまった。
「ああ、すみません! 続き、お願いします」
チャチャを入れるつもりはなかったのだが、つい言ってしまった凛太郎は慌てて謝った。
「謝るのは別にいいのよ。でも、聖生って、謝ったりしたら、すぐにつけ上がるから、ちょっと躊躇っちゃうのよね」
麻奈未は溜息混じりに言った。
「確かに」
凛太郎は聖生に振り回された事があるので、大きく頷いた。
「でしょう?」
麻奈未は凛太郎が同意したので、嬉しそうだ。
「だったら、これ、聖生さんには口止めされていたんですけど、麻奈未さんに切り札として教えちゃいます」
凛太郎は声を低くした。
「え? 何何?」
麻奈未は凛太郎に椅子を近づけて尋ねた。凛太郎も顔を近づけて、
「聖生さん、ストーカー男への当てつけで、キスをせがんで来たんですよ」
「えええ!?」
麻奈未は凛太郎の右耳が近くにあるのを忘れて大声を出した。
「麻奈未さん、勘弁してください……」
凛太郎は右耳を手で押さえて涙目で言った。
「ご、ごめん。聖生ったら、そんな事をしたの?」
麻奈未は目を吊り上げて凛太郎を見た。凛太郎は顔を引きつらせて後退りかけて、
「もちろん、断わりましたよ。そしたら、聖生さん、今度はいきなり抱きついて来たんです」
麻奈未は一瞬言葉を失っていた。
「麻奈未さん?」
凛太郎が反応がなくなった麻奈未に声をかけた。
(話したの、まずかったかな?)
麻奈未のショックがあまりにも大きく見えたので、凛太郎は後悔した。
「わかった。聖生には天川君の事はきっちり謝罪する。でも凛君へのその暴挙、許せない。それはそれで問い詰める」
麻奈未がマルサの顔になったので、凛太郎は泣きそうになり、
(聖生さん、ごめん、やっぱり麻奈未さんに教えるべきじゃなかったみたい……)
心の中で聖生に謝った。
(家族交流会、遠のきそうだな)
凛太郎は綾子が不機嫌になるのを恐れた。
「野間口先生の顧客は、粗方は先生が枕営業で手懐けた税理士会の幹部達に引き継がれたみたいよ。私もその中の先生のところへ転職が決まったわ」
ラブホテルのベッドに裸で寝そべった各務原美津江が言った。隣には同じく裸の一色雄大が寝ていた。一色は早めに引き上げようと思ったのだが、美津江の脅しに屈して、長居していた。
「貴方が引き継げる顧客なんて、赤字に転落した倒産目前の法人と面倒臭い家族関係で先生が切ろうとしていた個人事業主くらいしか残っていないわよ」
美津江は半身を起こして一色を見た。一色は天井を見つめたままで、
「スタートはそんなもんでしょう。だが、貴女が何とかしてくれるでしょう? 期待してますよ」
美津江を見ると、唇を貪った。
「貴方の度量次第ね」
美津江も一色の唇を貪り返した。
「こんな時間まで家を空けて、大丈夫なんですか?」
早く帰りたい一色は遠回しに言った。美津江はフッと笑って、
「大丈夫よ。今日は友人と飲み会だと言ってあるし、子供達は両親に頼んであるし」
逃がさないわよという顔で一色を見下ろした。
「まだ大丈夫そうね」
美津江が一色を舐めるように上から下へと見た。
「え?」
まさかそんな事を言われると思わなかった一色は美津江の動きにギョッとした。
(本当なのかしら?)
柿乃木優菜は風呂上がりに髪をドライヤーで乾かしながら、隆之助に言われた事を思い返していた。
(凛太郎さんは、まなみさんの妹さんに恋人のふりをして、ストーカーを追い払って欲しいと頼まれた。俄には信じられない)
優菜は聖生の事を知らないので、隆之助と凛太郎が口裏を合わせて嘘を吐いているのではないかと疑っていた。
(木場のおじ様は、妹さんに連絡を取って会ってもらう事もできると言っていた。私がそこまでしないと思って、それも嘘なのかも知れない)
優菜は思案した。何とか、隆之助と凛太郎を介さずに、麻奈未と話ができないかと。もしかすると、麻奈未は何も知らないかも知れないので、教えてあげようと思ったのだ。
(でも、まなみさんが私と会ってくれるはずがない)
優菜は、凛太郎への仕打ちを麻奈未が許してくれていないので、自分と会う事はないと考えた。
(だったら、まなみさんの妹さんを探せばいい)
優菜は、以前父親の税理士事務所の顧客に税務署の調査が入り、その時に来た法人課税部門の調査官が「伊呂波坂」という名字だったのを思い出した。
(伊呂波坂なんて、珍しい名字だから、親戚か何かに違いない。どこの税務署だったか、調べてみよう)
優菜は、翌日、事務所の古株だった人に連絡してみる事にした。優菜も、まさかその調査官が聖生だとは思っていなかった。
(私ったら、まだ凛太郎さんに未練あるのね。バカみたい……)
優菜は自分の凛太郎への思いを断ち切れない優柔不断さに呆れていた。
「いずれにしても、明日わかる事よ」
優菜は自分に言い聞かせるように呟くと、ドライヤーを止めて片付け、ベッドに入って明かりを消した。




