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十五日目 怒れる女、探る男、呆れる女

「どういう事? 何で、私に内緒でそういう事をするのよ!?」

 木場隆之助は、妻の綾子がいきなり所長室に乗り込んできて喚き立てたので、辟易していた。

「君に話せば、優菜ちゃんを問い詰めると思ったからだよ!」

 隆之助は綾子が来るのを知り、優菜を銀行に行かせていたので、優菜自身は難を逃れた形になった。

「そ、それは……」

 図星なので、綾子はグッと詰まった。隆之助は綾子をソファに座らせて、

「ちょっと落ち着いて。何をそんなに興奮しているんだ?」

 向かいのソファに座った。綾子は脚を組んで、

「私を除け者にするからよ」

 ぷいと顔を背けた。

「除け者?」

 隆之助は綾子の言っている意味がわからず、首を傾げた。綾子は隆之助を睨んで、

「凛と二人で企んだんでしょ? 私を爪弾きにして……」

 また顔を背けた。隆之助は綾子が何を言おうとしているのかわかったので、大きな溜息を吐いて、

「除け者にした訳じゃないよ。優菜さんが、君を怖がっているから、君と鉢合わせしないようにしただけだよ」

「怖がるって、そうしたのは誰よ!? 凛に酷い事をしておいて、のうのうと貴方の事務所に勤めるあの子は図太過ぎるわ!」

 綾子は語気を荒らげて、立ち上がった。

「凛太郎がその事はもう水に流すって言ったんだよ! 本人が許しているのに、母親の君がそんな態度では、会わせられないだろう!?」

 隆之助も大声で言い返した。綾子は隆之助が声を荒らげたので、ビクッとしてソファに座ってしまった。

「え?」

 綾子の目が潤んだ。隆之助は、

(言い過ぎたか?)

 すぐに後悔したが、

「ごめんなさい。私が悪かったわ……」

 綾子は溢れそうになった涙を指で拭うと、俯いてしまった。隆之助は苦笑いをして、綾子の隣に座ると、

「もう少し、人に優しくなろうよ、綾子。優菜ちゃんも、反省しているし、凛太郎に直接会って、謝罪したんだ。そして、何より、曖昧な態度を取った凛太郎も反省している」

「え? 凛は優菜さんと会ったの?」

 また綾子の目が吊り上がりかけた。隆之助は綾子の肩を抱いて、

「昨夜は、たまたま、凛太郎と晩飯を一緒に摂っていたんだよ。その時、優菜ちゃんの話になって、そこへ麻奈未さんからも連絡があったので、優菜ちゃんに連絡する事になったんだ」

「麻奈未さんから連絡があったの?」

 綾子は隆之助をジッと見た。隆之助はハッとして、

「違う違う。連絡があったのは、凛太郎にだよ。以前、麻奈未さんに連絡をした時、確かに私の番号が麻奈未さんに伝わったけど、麻奈未さんからはまだ一度も電話をもらった事はないよ」

 身振りを交えて釈明した。

「全然知らなかった……」

 綾子はまた俯いてしまった。

「今、優菜ちゃんには寄り添ってくれる人がいないんだよ。そこへ君のように強い調子で攻めかかったら、彼女の精神が破綻してしまうだろう?」

 隆之助は感情的になり易い綾子を心配して、敢えて伝えなかったのだ。それが、綾子と優菜のためでもあると考えたから。

「うん……」

 綾子は再度溢れてきた涙を拭った。隆之助は綾子を抱きしめて、

「君に何も伝えなかったのはすまなかったと思っている。でも、君を除け者にするつもりはなかったのはわかって欲しい」

「ええ」

 綾子は潤んだ目で隆之助を見た。そして、何故か目を閉じた。

(どういうつもりだ?)

 隆之助は綾子の行動に眉をひそめたが、

(ああ、そういう事か)

 綾子がキスを求めていると理解して、顔を近づけた。

「わ!」

 その時、ドアがノックされた。二人は慌てて離れた。隆之助は自分の席に戻り、綾子はテーブルの上にあるティッシュを取り、涙を拭ってハンドバッグに押し込んだ。

「どうぞ」

 隆之助は書類を見ているふりをして言った。

「失礼します」

 入って来たのは、凛太郎だった。

(また見られるところだった)

 先日、抱き合っているところを見られた隆之助は冷や汗を掻いた。

「あれ? 忙しかった?」

 凛太郎はニヤリとして尋ねた。綾子はムッとして凛太郎を見ると、

「何の用? 仕事はどうしたの?」

 立ち上がって詰め寄った。

「綾子」

 隆之助がたしなめるように言葉を発した。

「あ」

 綾子はハッとして口をつぐみ、ソファに戻った。凛太郎は綾子の向かいに座って、

「仕事は終わったよ。事務所に戻ったら、誰もいないから、ここかなと思って来たんだよ」

 隆之助は綾子を見て、

「やはり、君の事務所は閉じて、税理士法人にした方が良さそうだね?」

 溜息混じりに告げた。綾子はビクッとして、

「いやよ。仕事場でも貴方とずっと顔を突き合わせたくないから、『高岡綾子税理士事務所』を続けているのよ」

「その割には、よくここにいるよね」

 凛太郎が嫌味を言った。綾子はグッと詰まった。

「ずっと顔を突き合わせている事はないと思うよ。君がここにいてくれれば、私はもっと外で活動ができるから」

 隆之助が畳みかけるように言った。

「それ、浮気し放題になれるって事?」

 綾子の目が吊り上がる。

「私は浮気なんかした事はないよ」

 隆之助は溜息混じりに反論した。

「でも、優菜さんがいるから……」

 凛太郎が不安そうに言った。綾子はピクンとした。

「私は別に、優菜さんを懲らしめるつもりはないわ。誤解しないで」

 綾子は凛太郎を睨みつけた。隆之助は二人の間に立ち、

「わかったよ。事務所を一緒にするのは諦める。但し、君が頻繁に事務所を空にするのであれば、また考えるしかないよ」

「わかったわよ。帰ります」

 綾子はハンドバッグを掴むと、立ち上がった。

「凛、行くわよ」

 綾子はスタスタと歩くと、所長室を出て行ってしまった。

「父さん、また来るね」

 凛太郎は小声で隆之助に告げると、綾子を追いかけた。

「全く……。手がかかるな」

 隆之助は肩をすくめた。


「奇遇ですねえ、優菜さん」

 銀行から出て来たところで、優菜は一色雄大に呼び止められた。

「何ですか? またストーカーの真似ですか?」

 優菜は一色を睨みつけた。一色は肩をすくめて、

「冗談じゃない。貴女のような人を付け回したりする程、酔狂じゃないですよ。自惚うぬぼれないでください」

 優菜を嘲笑した。それがわかった優菜はムッとしたが、

「失礼します」

 きびすを返して立ち去ろうとした。

「まだ高岡にご執心のようですね。先日、あいつの彼女に警告されたにも関わらず、よくもまあ、ぶれないものだと感心していますよ」

 一色が挑発して来た。それでも優菜は一色を無視して歩き去った。

(耐性がついて来たのか? だが、諦めないぞ。あんたをボロボロにしてやるからな)

 一色は未だに優菜に強烈な恋愛感情を抱いているのだ。それも、通常のものではなく、歪んだものだった。

「せいぜい頑張ってください。陰ながら、応援していますよ」

 一色はニヤリとすると、優菜と逆方向へ歩き出した。


「あ」

 優菜は舗道を進んでいて、前から綾子と凛太郎が歩いて来るのに気づき、咄嗟に脇道へ曲がった。

(おじ様が急に銀行へ通帳の記帳に行って来てくれなんておっしゃったの、そういう事だったの)

 優菜は建物の陰に身を潜めて、綾子と凛太郎が通り過ぎるのを待った。二人は優菜に全く気づく様子もなく、歩いて行った。優菜は脇道から戻り、綾子達がいなくなったのを確かめてから、事務所へと駆けて行った。

「只今戻りました」

 優菜は事務所に入ると、隆之助を探した。彼は所長代理の立場にある隆之助の後輩の税理士と立ち話をしていたが、

「ああ、すまなかったね、急に。ご苦労様」

 会話を切り上げて、優菜に近づいて来た。所長の親友だった男の娘というのは、全職員が知っているので、隆之助が特別扱いをしているのをやっかむ者はいない。むしろ、母親を子供の頃に亡くし、父親は収監されているのを隆之助から聞いているので、皆優菜には同情的だった。優菜はそれが返ってつらかったのだが、何も言わなかった。

「ええと、柿乃木さん」

 隆之助が席に戻ろうとしている優菜を呼んだ。

「何でしょうか?」

 優菜は微笑んで振り向いた。

「いや、何でもない」

 隆之助は苦笑いすると、所長室へと歩いて行った。優菜はそれを見ていたが、やがて自分の席へと歩みを進めた。

「部長、通帳をお返しします」

 途中で、経理部長の席へ行き、ハンドバッグから通帳を取り出して渡した。

「ああ、ありがとう、柿乃木さん」

 経理部長は優菜が子供の頃、父親の啓輔と訪れた時からいるベテランの職員である。その間、彼女は結婚出産を経験している。最初に会った時と比べると、ふくよかになった印象がある。とはいえ、決して不健康な体型ではない。むしろ、最初に会った頃が痩せ過ぎだったと優菜は思っている。優菜は改めて自分の席へと歩き出した。その時、視界の端に隆之助が見えた。手招きしているのがわかった。

「すまない、ちょっといいかな?」

 明らかに自分を呼んでいるのがわかったので、優菜は隆之助の方へ向きを変えて歩き出した。そして、招かれるままに所長室へと入った。

「タイミング的に気になったのだが、妻と会わなかったかね?」

 隆之助は優菜にソファを勧めながら訊いた。優菜はソファに腰を下ろしながら、

「はい、途中で気づいたので、隠れてしまいました」

 隆之助は向かいに座りながら、

「それは申し訳なかったね。帰らせるタイミングを考えればよかったな」

「いえ、むしろ、隠れてしまった自分が情けないです」

 優菜は隆之助を見た。

「そんな事はないよ。さっきも、妻を嗜めたんだよ。人に優しくなりなさいってね」

 隆之助は苦笑いをした。

「そうですか」

 優菜はどんな顔をして聞けばいいのかわからない事を言われ、引きつってしまった。

「私、どちらかというと、凛太郎さんと顔を合わせるのがつらかったのだと思います」

 優菜は俯いて言った。

「なるほど。凛太郎はもう自分の中でけりをつけたみたいだから、優菜ちゃんもあまり気にしないで」

 隆之助は身を乗り出した。優菜は顔を上げて、

「はい、ありがとうございます」

 頭を下げた。

「悪かったね、引き止めて」

 隆之助は立ち上がった。

「いえ、お気遣いありがとうございました」

 優菜は立ち上がってもう一度頭を下げると、

「失礼します」

 所長室を出た。


(さっき、優菜さんが脇道に逸れるのを見たけど、母さんは気づいていないみたいで、ホッとした)

 凛太郎は優菜が歩いて来るのを見たのだ。だが、すぐに彼女が脇道に入ったので、綾子には言わなかった。綾子は隆之助の悪口に夢中だったからだ。

「凛、お腹、いてない?」

 不意に綾子が言った。

「別に空いてないけど」

 凛太郎は素気なく応じた。すると綾子はムッとして凛太郎を見上げ、

「私は空いてるの! 気を使いなさいよ、全く!」

 詰め寄って来た。

「わかったよ。何が食べたいの?」

 凛太郎はうんざりして尋ねた。綾子はニコッとして、

「そうねえ、凛の奢りなら、鰻重かな?」

「えええ!? 俺、無給で働いているんだから、そんな高いもの、無理だよ!」

 凛太郎は母から飛び退いた。

「冗談よ。息子に奢らせる程、私はタチが悪くないわよ。さあ、行くわよ」

 綾子は凛太郎と強引に腕を組むと、舗道を早足で進んだ。


「はあ、終わったあ」

 麻奈未は仙台への出張から帰り、自分の席に着くと、大きく伸びをした。統括官の織部は尼寺部長に報告に行っている。

「ようやく、ケリがついたね。これで剣崎の復活はなくなったな」

 向かいの席に着いた姉小路が言った。

「そうですね」

 麻奈未がにこやかに応じると、

「じゃあ、今夜、茉祐子ちゃんも誘って、飲み会でもする?」

 姉小路が悪ノリして来た。すると麻奈未は、

「ごめんなさい、今日は彼とデートなんです」

 にこやかに断わった。

「ああ、そうなんだ。じゃあ、茉祐子ちゃんと二人で……」

 姉小路はそれでも諦めていなかったが、

「中禅寺さんは、代田君と食事に行くみたいですよ」

「ああ、そうなんだ……」

 姉小路は流石に落胆した。麻奈未は呆れていた。

(姉小路さんたら、私も中禅寺さんも彼がいるの知っていて、誘って来るんだから、びっくりね)

 すると、姉小路のスマホが鳴り出した。

「え? ああっと」

 姉小路は慌ててフロアを飛び出して行った。

(誰からだろう?)

 麻奈未は少しだけ姉小路の電話の相手が気になった。

「あ」

 その時、凛太郎からラインが入った。

(凛君!)

 麻奈未は周囲を見回してから、ラインを見た。

『家族の顔合わせ、いつ頃できそうですか?』

 凛太郎からの確認だった。麻奈未は少し考えてから、

『今はすぐに返事できないから、夜会った時に』

 素早く返信して、スマホをスーツのポケットに入れた。そこへいそいそと姉小路が戻って来た。

(姉小路さん、何だかウキウキしている。誰からだったんだろう?)

 何故姉小路の電話の相手がそれ程気になったのか、麻奈未にはわからなかったが、それはある意味虫の知らせだった。

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