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九日目から十日目 久しぶりの再会 

「凛君!」

 麻奈未はカフェの奥の席に愛する人の姿を見つけ、大きく手を振った。

「麻奈未さん!」

 凛太郎は店内の視線が自分達に集まるのを感じて、顔が熱くなった。

「待った?」

 麻奈未はそんな周囲の目を全く気にする事なく、にこやかに近づいて来た。

「いえ、さっき来たところですから」

 約束の時間より一時間以上早く着いていたのに、凛太郎は嘘を吐いた。近くにいた従業員が笑いを噛み殺している。

「ごめんね、いつも会えなくて。本当にすまないと思ってる」

 麻奈未は手を合わせて謝罪した。凛太郎は目を見開いて、

「とんでもない。麻奈未さんが悪い訳じゃないですから、謝らないでください」

 麻奈未の手を握りしめた。

「凛君……」

 麻奈未は凛太郎の手の温もりを感じて、目を潤ませた。

「あ、すみません!」

 凛太郎は自分が大胆な事をしているのに気づき、慌てて手を引っ込めた。

「どうしてそんな事を言うの? 私達、付き合っているのよね? 何で手を放すの?」

 麻奈未はほっぺたを膨らませた。

(麻奈未さん、可愛い!)

 その仕草に凛太郎はキュンとしてしまった。

「あ、いや、その……」

 凛太郎は麻奈未の言葉に言い訳ができない。すると麻奈未は自嘲気味に笑い、

「これがいけないのよね。だから、優菜さんに隙をつかれちゃったのよね」

 優菜の名前が出たので、凛太郎はビクッとした。

「年上の私がガードを堅くしたら、凛君は困るよね?」

 麻奈未は凛太郎の手を取った。

「凛君は、その、したいの?」

 麻奈未は俯いて尋ねた。

「え?」

 凛太郎は麻奈未が何を言いたいのかわからず、キョトンとした。

「麻奈未さん?」

 凛太郎は麻奈未が真っ赤になっているのを見て、その意味するところを察し、

「いや、あの、ええと……」

 返事に窮してしまった。

(中禅寺さん、本当に凛君はそんな事を考えているの?)

 麻奈未は茉祐子に男の頭の中の事をアドバイスされていたのだ。

『男は、頭の半分以上、そういう事ばかり考えています。姉小路さんも、代田君も、恐らく高岡凛太郎さんも。だから逆に、その事を問い詰めれば、必ず本音を漏らすはずです』

 こちらから振ってしまった以上、とぼける訳にはいかない。

(どうすればいいのよ、中禅寺さん!?)

 麻奈未は進退窮まったと思った。

「優菜さんとの事があったからですよね?」

 凛太郎は顔を下に向けて言った。

「いえ、そうじゃないの。私達、付き合い始めて一年近く経つのに、あまり会えないせいもあって、何て言うか、キスもあまりしていないし、それ以上は全然じゃない?」

 麻奈未の声がどんどん小さくなっていく。

「お互い、未経験て事もないのだから、もっと進んだ方がいいのかなって思ったの……」

 麻奈未はますます顔を赤らめた。

(麻奈未さんに何を言わせているんだよ!? しっかりしろ、凛太郎!)

 凛太郎は自分に活を入れて、麻奈未を見た。

「考え過ぎです、麻奈未さん。他がどうであろうと、俺はそんなんじゃありません!」

 凛太郎が大声で言ったので、また周囲の注目を集めてしまった。

(麻奈未さんは経験があるんだ……)

 そっちの方が引っかかってしまう凛太郎である。


「麻奈未はどうしたんだ?」

 夜になったのに、長女が帰宅しないので、父親である太蔵は若干苛ついていた。

「お父さん、いい加減、お姉を解放しないと、この前も言ったように、出て行かれちゃうわよ」

 次女の聖生は半目で太蔵を見た。

「私は別に麻奈未を束縛してはいないぞ」

 太蔵は咳払いをして新聞に目を戻した。

「お父さん、お姉が遅くなると、いつもイライラしてるでしょ? 鈍感なお姉にもわかるわよ。まさかと思うけど、無意識なの?」

 聖生は新聞をぐいと押し下げて太蔵を見た。

「寝る」

 バツが悪くなったのか、太蔵は新聞をたたんでテーブルに置くと、自分の部屋へ歩いて行った。

「子供みたい……」

 聖生は肩をすくめた。

(お姉に嫉妬しちゃうなあ。私がどれ程遅く帰っても、全然気にかけていないんだから)

 聖生は溜息を吐くと、リヴィングルームの明かりを消して、二階へ上がった。


「はあ……」

 すでに何回目なのかわからないくらいになっている代田充は、溜息とも吐息ともつかない声を出して、ベッドに仰向けになった。ここは中禅寺茉祐子の部屋の寝室である。

「もう降参です、茉祐子さん。もう寝ましょうよ」

 代田は隣に寝ている茉祐子に懇願した。

「あら、そうなの? 明日は久しぶりの全休なんだから、もう少し楽しまない?」

 茉祐子は代田の事などお構いなしに彼の大事なところをまさぐった。

「あひ!」

 代田は悲鳴をあげた。

「まだいけそうみたいだけど、こっちは」

 茉祐子はニヤリとした。

「いや、その、もう無理っす」

 代田は涙ぐんでいる。

「何だ、つまんない」

 茉祐子は剥れて代田に背を向けた。

「茉祐子さん、タフ過ぎますよ。俺、このままだと死にます」

 代田は機嫌を損ねた茉祐子に弁明した。

「わかった。じゃあ、一時間だけ休もうか」

 茉祐子の新たな提案に代田は眩暈めまいがしそうだった。


「こんな時間に連絡をくれるなんて、驚きましたわ」

 事務所の所長室の自席の回転椅子に脚を組んで座っている野間口絵梨子が言った相手は、柿乃木優菜であった。

「夜分遅くに失礼かとは思ったのですが、早い方がいいとも思いまして」

 絵梨子を射るような目で見て、優菜は言った。

「まあ、いずれにしても、明るいうちは貴女との話はできないと思いますから、構いません。それで、お返事は?」

 絵梨子は脚を組み替えた。優菜は一歩近づいて、

「お世話になろうと思います」

 絵梨子はフッと笑い、

「あら、そうですの。それは嬉しいですわ。貴女程の逸材がウチに来てくだされば、事務所の拡大もうまくいくでしょう」

 立ち上がって優菜にソファを勧めると、向かい合って座った。

「私は、この事務所をもっと大きくしたいと思っています。顧客の数も今の倍に増やして、顧問料の増収を図るつもりです」

 絵梨子は身を乗り出して優菜を見た。

「はい」

 優菜は絵梨子をじっと見つめたままで応じた。

「優菜さんにはその計画のリーダーになっていただこうと思っています。貴女は以前いらした柿乃木税理士事務所でも、総務のチームリーダー的な役割を果たしていた事は、柿乃木啓輔氏から聞いています」

 優菜は父親の啓輔の名を出されて、一瞬だけピクンとした。絵梨子は啓輔と不倫関係だったのだ。それなのに平然と娘に対して父親の名を出す絵梨子に呆れたのだ。しかし、今はそれをとやかく言う時ではないと判断して、ぐっと呑み込んだ。

「貴女が私に含むところがあるのは承知しています。しかし、賢明な貴女であれば、そのような事を超越した行動をとってくれると信じています」

 絵梨子は優菜の心のうちを読み取って仕掛けているのを隠そうともしなかった。

「ありがとうございます。私もそのつもりで参りました。よろしくお願いします」

 優菜は頭を下げた。絵梨子はニヤリとして、

「いつから来られますか?」

 また脚を組み替えた。優菜は顔を上げて、

「明日からでも大丈夫です」

 絵梨子はさも驚いたふうを装って、

「あら、それは願ってもありません。是非、そうしてください」

 右手を差し出した。

「はい。ありがとうございます」

 優菜は右手で絵梨子の右手を握った。

「服装はできるだけシックなものにしてください。ウチの顧客は一流企業がほとんどですので、TPOにうるさいのです」

 絵梨子は優菜の服装を一瞥して告げた。

「わかりました」

 二人はほぼ同時に立ち上がった。

「では、また明日」

 絵梨子が言うと、

「また明日、お願いします」

 優菜は一礼をすると、所長室を出て行った。

(本心はどういうつもりなのかわからないけど、まあ、いいわ)

 絵梨子は優菜の後ろ姿を見ながら、フッと笑った。

「また、酔狂な事をしましたね、先生」

 パーティションの陰から一色雄大が姿を現した。絵梨子はソファに腰を下ろして、

「柿乃木優菜は使えるわ。あの子は、まだ高岡凛太郎を諦めてはいないから」

「なるほど」

 一色は絵梨子の隣に腰を下ろした。

「残念でしょ?」

 絵梨子が半目で一色を見ると、

「そんな事はありませんよ。もはや優菜さんに対する恋愛感情はありませんから。あるとすれば、復讐心ですね」

 一色は絵梨子を抱き寄せた。

「復讐心?」

 絵梨子も一色を抱きしめた。

「ええ。この私をコケにした事は許せませんからね」

 一色は絵梨子の唇を貪った。

「執念深いわね」

 絵梨子も一色の唇を貪り返し、ソファに押し倒した。二人のむつみ合いはしばらく続いた。


「起きてたの、聖生?」

 夜が明け切らない頃に帰宅した麻奈未は、リヴィングルームのソファで焼酎の烏龍茶割りを飲んでいる聖生に気づいた。

「お帰り、お姉。お父さんがご機嫌斜めだから、ちゃんと謝っといてよ」

 とろんとした目で姉を見て、聖生はニヤッとした。

「あんた、一晩中、飲んでたの?」

 麻奈未は鞄を聖生が座っているソファと反対側のソファに置くと、キッチンに入り、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して、一口飲んだ。

「今日は久しぶりに一日お休みだから。お姉もでしょ?」

 聖生は麻奈未にミネラルウォーター催促した。

「いくら休みでも、そんなに飲んだら二日酔いになるんじゃないの?」

 麻奈未はペットボトルを聖生に放った。聖生はそれを受け取って、

「ならないから大丈夫。お姉と違って、私はザルと呼ばれた女ですから」

「あ、そう」

 麻奈未は悪酔いするとタチが悪くなるのを自覚しているので、凛太郎と夜の街を歩き回っても、なるべく酒は飲まないようにしていたのだ。それを聖生に指摘されたようで、気分が悪くなった。

「こんな時間まで帰って来なかったという事は、とうとう結ばれたの、凛太郎さんと?」

 聖生がますます嫌な顔をして麻奈未を見た。麻奈未はムッとして、

「変な事言わないでよね。凛君はそんな俗物じゃないわよ」

 聖生は麻奈未の言葉に目を丸くして、

「あらまあ、まだ清い交際を続けてるんだ」

「悪い?」

 麻奈未は顔を赤らめて口を尖らせた。聖生はケラケラ笑って、

「悪くはないけどさあ。凛太郎さん、がっかりして帰ったんじゃないの?」

「そんな事はありません! 凛君、私を心配して、家の前まで送ってくれたんだから」

 麻奈未は身を乗り出して反論した。

「え? 家の前まで来たのに、帰らせたの?」

 聖生はまた目を丸くした。麻奈未はミネラルウォーターをぐいと飲んで、

「あんたに襲われると困るから、帰ってもらったのよ!」

 聖生はその言葉にカチンと来て、

「何よそれ? 私は猛獣じゃないわよ!」

 麻奈未に食ってかかった。

「麻奈未、こんな時間まで何をしていたんだ? いくら大人だとしても、限度があるぞ」

 遂に早起きの太蔵が部屋から出て来てしまった。

「あ、お父さん、ただいま」

 麻奈未は苦笑いをして立ち上がり、父を見た。

「聖生もいい加減にしなさい。飲み過ぎだぞ」

 太蔵は麻奈未が小言を言われたのを笑っていた聖生を叱った。

「はあい」

 聖生は肩をすくめた。太蔵は自分の部屋に戻りながら、

「麻奈未、風呂に入りなさい。酒臭いぞ。それから、私の部屋に来なさい」

 麻奈未は自分のスーツの匂いを嗅いで、

「はい……」

 確かにアルコールの臭いがしたので、しょんぼりしてしまった。

「お姉、頑張ってね」

 聖生はヘラヘラして言った。

「うるさい!」

 麻奈未は階段を駆け上がると、部屋着に着替え、替えの下着を持って浴室に入った。

「凛太郎さんて、Mなのかな? お姉にお預けされて、喜んでいるの?」

 麻奈未と凛太郎の関係が理解不能な聖生であった。


「はっ!」

 凛太郎は麻奈未と一緒に風呂に入っている夢を見ていて、麻奈未に触れようとしたところで目を覚ました。

「夢か……」

 ホッとして、がっかりした。

(俺、欲求不満なのかな? 優菜さんにあんな事をされてから、毎晩麻奈未さんと風呂に入ったり、ホテルのベッドで一緒に寝たりする夢を見ている気がする)

 夜の街を二人で歩き、バーを何軒か梯子したが、麻奈未はあまり酒を飲まなかった。

(警戒されていたんだろうか?)

 凛太郎は少しだけショックを受けていたが、悪酔いを恐れた麻奈未が飲むのを我慢していたのであって、そういう理由からではない。

(どっちにしても、急いじゃダメだ。麻奈未さんはきっとまだ俺を完全に許してくれていないんだろうから。それは仕方がない)

 優菜との事で、麻奈未との関係性が後退したのを自覚している凛太郎は、大きな溜息を吐いた。

(積み重ねていくしかない。信頼を回復するには、時間がかかる)

 凛太郎はスマホの時計を見た。まだ六時だった。

(麻奈未さんを送って、ここに帰って寝たのは五時頃だったから、一時間しか経っていないのか)

 凛太郎はゴソゴソと動き、布団を掛け直した。

(今日は休みだから、もう少し寝よう。というか、とにかく眠い……)

 凛太郎はすぐに夢の世界に突入した。

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