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七日目、八日目、九日目 新展開

 翌朝の事である。

「いいんですか? 圧力に屈するなんて、報道の自由を侵されているんですよ?」

 写真週刊誌「ズームアップ」の記者が編集長に食い下がっていた。せっかくのスクープを発売直前になってボツにすると言い出したからだ。

「俺達の出版しているのは、そこまで大層なものじゃねえだろ。人様の弱みにつけ込んで、面白おかしく記事にしているだけで、報道の自由なんか関係ない存在なんだよ」

 編集長は記者の顔を押し戻して、自分の席の回転椅子に座った。

「それはそうなんですけど、それにしたって、悔しいじゃないですか。現職の総理大臣の大スキャンダルなんですよ? それをみすみすドブにしてるような事をするなんて……」

 記者はそれでもなお詰め寄った。すると編集長は、

「話は最後まで聞けよ。今回はボツにする。だが、次回も掲載しないとは言ってないのさ。方便だよ」

 ニヤリとして記者を見上げた。

「は?」

 記者は言っている意味がわからなくて、ポカンとした。

「今はまだ総理大臣の椅子に座っていられるだろうが、来週までそこにいるかどうかなんて、わからねえだろ? 総理大臣でなくなった奴の圧力なんて屁でもねえ。化けの皮を剥がれた惨めなジジイの末路を思い切り笑ってやるのさ」

 編集長はスッと立ち上がると、記者の顔前に右手の人差し指を突き出して言った。

「それが、ニュースソースの人からの掲載条件だ。国税局に花を持たせろってな」

 編集長は机の引き出しの中にある伊呂波坂美奈子の名刺をチラッと見た。

「国税局、ですか?」

 記者は首を傾げて呟いた。


「査察が入っただと!?」

 写真週刊誌の記事をボツにさせた剣崎は首相官邸の執務室で、秘書官からの更なる情報に気色ばんだ。

「仙台の事務所からの確かな情報です」

 秘書官は剣崎の剣幕に恐れをなして後退あとずさり、

「査察は仙台事務所だけではなく、東京の事務所、ご自宅、全ての関連する団体の事務所に及んでいるそうです。ああ、あと、ご贔屓ひいきにしている仙台市内のクラブのママのマンションにも……」

 剣崎の顔色が蒼くなったのを秘書官は見た。クラブのママのマンションは極秘中の極秘だったのに、そこまで査察の手が伸びたので、何もかも終わったと悟ったのだ。

「そ、そんなバカな……」

 剣崎は回転椅子からずり落ちた。秘書官は、

(次の職場を探さないとならないな)

 ごく冷静に状況を分析していた。

「財務大臣と事務次官は何をしていた? どうして査察が動く前に私のところへ情報が来なかったのだ!?」

 剣崎はそれでも収まらなかった。

「財務大臣はお飾りです。事務次官が報告を上げなければ、何もわかりません」

 秘書官は更に後退して告げた。

「ふざけるな! 何のために財務大臣にしてやったと思っているのだ!? 事務次官に電話をして、査察を中止させろ!」

 剣崎は立ち上がって秘書官の襟首を捻じ上げた。

「無理です! 在京キー局がこぞって生中継しているんですよ! いきなり査察が帰ったりしたら、もっと勘繰られますよ!」

 秘書官は流石に我慢できずに反論して、腕を振り払った。

「貴様、私に口答えするのか!?」

 剣崎は怒り心頭に発して、秘書官を突き飛ばした。

「貴方はもう終わりです。引き際は潔くしてください、総理」

 秘書官は涙ぐんでいた。少なくとも、総理大臣になったばかりの頃は、尊敬できる人だと思っていたからだ。しかし、人間は権力を持つとどんどんおぞましくなっていく。それがはっきりわかったので、情けなくて涙が出て来たのだ。

「うるさい! 私はこんな事では終わらんぞ! 必ず再起するぞ!」

 剣崎は秘書官を押して執務室から追い出した。

「二度と私の前に姿を現すな! 出て行け!」

 剣崎は秘書官を突き飛ばすと、ドアを力任せに閉じた。


 更にその翌日、フリージャーナリストの伊呂波坂美奈子が掴んだ剣崎龍次郎の過去の闇が突破口となり、現職の総理大臣の一大スキャンダルが明らかになった。最初は知らぬ存ぜぬを決め込んでいた剣崎であったが、クラブのママのマンションから次々に証拠が出て来たため、雲隠れをした。しかし、剣崎を見限った元秘書官の証言で、静岡県の片田舎にある隠れ家を東京地検特捜部に急襲され、逮捕された。東京と仙台の国税局が闇献金を暴き、脱税で告発し、特捜部はその闇献金で幾人もの女性に性行為を強要していた事を追及した。剣崎はそれから丸一日、完全黙秘を貫き、史上最強と言われた弁護団に弁護を依頼した。

「最近の政治家は往生際が悪過ぎる。浅ましい限りだ」

 隠居してすっかり毒気が抜けてしまった連間才明が、隠居部屋のテレビを観ながら呟いたが、

「剣崎さんも、あんたにだけは言われたくないと思いますよ」

 それを聞き逃さなかった妻の壱子に鋭い突っ込みを入れられた。

「あんたの負の遺産である権藤さんと剣崎さんがいなくなって、政界も随分と浄化されそうで、良かった」

 更にきつい一言を言うと、壱子は隠居部屋から出て行った。

「権藤はともかく、剣崎は私の遺産などではない」

 壱子に聞こえないように才明は言った。


(剣崎め、無様だな。まだ未練があるのか)

 権藤は地元群馬の今はすでに誰もいなくなった事務所の一室で、テレビを観ていた。すると、スーツのポケットのスマホが鳴り出した。権藤は鬱陶しそうにスマホを取り出し、相手を確認した。後任の幹事長からだった。

「何の用かね? 私は引退したんだが?」

 後任の幹事長は、剣崎が執行部の緊急会議で党の代表を解任された事を伝え、議員辞職を思い留まるように言った。

「何を言っているんだ? すでに辞表は衆議院議長が受理している。代表がいなくなったのであれば、今残っている連中で選び直せばいいだろう?」

 権藤はけんもほろろだったが、幹事長は食い下がった。今、党をまとめ切れるには貴方しかいないと。

「何を寝ぼけた事を言っている! 現職議員で乗り切れないのであれば、そんな党は解散してしまえ! 切るぞ」

 権藤は幹事長を怒鳴りつけると、スマホの通話を切り、電源を落とした。

「やっと落ち着くな」

 権藤はスーツのポケットにスマホをねじ込んだ。


「ありがとうございました」

 東京国税局査察部の部長である尼寺は、財務省五階にある国税庁を訪れていた。

「君に礼を言われるとは思わなかったよ。私は私で動いただけだからね」

 尼寺と相向かいでソファに座っている国税庁長官の九条司くじょうつかさは苦笑いをした。チャコールグレーの三揃いのスーツを着た小柄な小太りの男である。髪はオールバックで、若干白髪混じり。政治家には与しない官僚として、部下の尊敬を集めている。

「しかし、長官が事務次官を説得してくださったからこそ、現職の総理大臣への査察ができたのです」

 尼寺が言うと、九条は頭を掻いて、

「それだけではないのだよ。事務次官は永田町にもご興味があるようでね」

「ああ……」

 尼寺はその言葉で全てを察した。要するに事務次官の一之瀬は剣崎と権藤がいなくなって空席になった与党の幹部になりたいのだ。決して正義感からではないという事である。

「事務次官がまた官邸と太いパイプを作ってくれれば、いろいろとやりやすくなる事もある。そして何より、剣崎前総理の復帰は、財務省としても阻止したいからね」

 九条の顔が険しくなった。他言は無用と言いたそうだと尼寺は理解した。

「官邸からの圧力は一切ない。思う存分、剣崎前総理を追及してくれたまえ」

 九条は立ち上がって言った。

「わかりました」

 尼寺は次期事務次官を狙っている九条を見上げた。


 更にその翌日の午前中の事である。

「本当に申し訳ありませんでした」

 柿乃木優菜は、高岡税理士事務所のソファで綾子と向かい合って座り、頭を深々と下げていた。

「もう顔を上げて、優菜さん。水に流す事はできないけど、過ぎた事だから」

 綾子はいつまでも顔を上げない優菜にうんざりしていた。

(この子のこういうところ、やっぱり父親けいすけにそっくりだわ)

 綾子は心の中でゾッとしているのをおくびにも出さず、

「これから先、絶対に凛太郎には会わないと約束してくれれば、法的な手段は取らないから」

 にこやかに告げた。本当は民事訴訟を起こして慰謝料を取りたいところだが、それでは凛太郎が晒し者になってしまうので、諦めたのだ。

「はい、ありがとうございます、先生」

 優菜は目を潤ませて綾子を見た。

(この涙、本当のものかしら? 怪しいわ)

 綾子は微笑んでみせながらも、優菜の本心を疑っていた。

「では、これで失礼致します」

 優菜は俯いたままで一礼すると、事務所を出て行った。綾子は優菜が表の舗道を歩き去るのを窓から確認して、スマホを取り出すと、凛太郎に連絡した。

「帰ったわよ、優菜さん」

 綾子は半目で告げた。

「そうなんだ。で、どうなったの?」

 凛太郎の声は怯えているような小さいものだった。

「こちらの言い分を呑んでくれたわ。もう二度と凛には会わないって事で話がついた」

 綾子は溜息混じりに言った。

「そう、なんだ」

 凛太郎の反応が寂しそうだったので、

「ちょっと、あんた、まさかとは思うけど、優菜さんと会えなくなるのが嫌なの?」

 綾子は眉間に皺を寄せて詰問した。

「ち、違うよ。優菜さんとはそんなふうになりたくなかったけど、こうするしかないとは思っているよ」

 凛太郎がオロオロしているのが見えるようで、綾子は我が子が情けなくなった。

「優菜さんと会ったりしたら、麻奈未さんとお別れになるもんね」

 綾子は凛太郎が一番聞きたくない事を言ってみた。

「やめてよ、母さん。麻奈未さんに別れを切り出されたら、俺、生きていられないよ」

 凛太郎の声が涙声になったので、綾子はギクッとした。

(やり過ぎた?)

 どこまでも息コンな母親である。

「そうならないように、気を引き締めなさいよ。あんたももういい大人なんだから」

 綾子も涙ぐんでしまった。

「うん、ありがとう、母さん。俺、頑張るよ」

 凛太郎が言った。

(それは麻奈未さんに言うべき台詞よ)

 そう思いながら、自分に言ってくれた息子を抱きしめてあげたい綾子だった。


「謝罪はうまくいった?」

 歩道を歩いていた優菜の前に現れたのは、野間口絵梨子だった。

「何の用ですか?」

 優菜の顔が途端に険しくなった。絵梨子はふふんと笑って、

「就職先がなくてお困りのようだったから、声をかけたのだけど。どう、ウチに来ない? 給料はよその税理士事務所よりずっといいわよ」

 優菜はしばらくじっと絵梨子を見ていたが、

「急ぎますので」

 横をすり抜けていった。

「連絡、待っていますね、柿乃木優菜さん」

 絵梨子は振り返って、優菜の背中に言った。優菜はそれでも立ち止まらず、振り向かず、歩いて行った。絵梨子は優菜を見送っていたが、

「どうですか、優菜さん?」

 建物の陰から現れた一色雄大に言われて、

「どうかしら? でも、あの子、もうつてがないから、そのうちに来るんじゃないの?」

 チラッと一色を見てから、もう一度優菜の方を見た。


「やっと終わったあ」

 姉小路がグターっとして自分の席に着いた。

「お疲れ様でした」

 麻奈未はその向かいの自分の席に座った。

「テレビもラジオも新聞もネットも、全部剣崎の事で持ち切りだね。あれ程猫をかぶっていた総理大臣もいなかったからね」

 姉小路は机から顔を上げて麻奈未を見た。

「権藤前幹事長を追い落とすのに夢中になって、自分の味方につけたはずの人が離れてしまうのを想定していなかったのが、あの人の転落の第一歩だったですね」

 麻奈未が言うと、姉小路は身を乗り出して、

「やっぱり、一之瀬事務次官が土壇場で寝返ったのって、権藤への詫びだったのかな? 財務省の先輩の」

 麻奈未は姉小路から顔を離して、

「さあ、どうでしょう。事務次官も、権藤と同じ目に遭う気がしたのではないですか?」

 苦笑いをした。本当は母の美奈子が一之瀬を脅したからだとは言えない。

「なるほど。噂じゃあ、一之瀬事務次官は永田町に興味があるみたいだからね」

 姉小路は麻奈未が自分に嫌悪を抱いているのに気づき、顔を引きつらせて椅子に戻った。

「そうなんですか。それなら、自分のいく手を遮る人にいなくなってもらいたいですよね」

 麻奈未は姉小路が引き下がってくれたので、ホッとしていた。

「あ」

 その時、スーツのポケットのスマホが振動した。

「失礼します」

 麻奈未は立ち上がって実施部門のフロアを出た。

「あれ、伊呂波坂ちゃん?」

 追いかけようとした姉小路だったが、ドアの向こうに中禅寺茉祐子の姿が見えたので、思い留まった。

「先輩、どうしたんですか?」

 茉祐子は姉小路をひと睨みしてから麻奈未を見た。

「ちょっとごめん」

 麻奈未は右手で茉祐子に詫びを入れて、廊下を歩きながらスマホを取り出した。凛太郎からのラインだった。

(凛君!)

 叫びたいくらい嬉しかった麻奈未であるが、流石に局内の廊下でそんな事はできない。

(今夜なら会えるから、飲みましょう)

 麻奈未は凛太郎からの食事の誘いにそう返信した。

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