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一日目 会えない二人と政界の権力者達

「東京国税局査察部です。今から査察を開始します」

 マルサの女である伊呂波坂いろはざか麻奈未まなみは身分証と捜索差押令状を掲示して言った。

(予定より日数がかかっている。凛君、怒ってるだろうなあ)

 麻奈未は苦労して交際を復活させた恋人の高岡凛太郎との約束を破ってしまった事を気にかけていた。

(とにかく、一刻も早く決まりをつけて、今日こそ早く帰らないと)

 麻奈未は同行した査察官達と共に査察に入った企業のフロアを歩き回り、たくさんのダンボール箱に次々と書類やPCを詰め込んだ。


「今日、丸山書房が国税に査察に入られたそうです」

 与党の本部の最上階にある幹事長室には、私設秘書に報告を受けている長身で筋肉質の、ネイビーブルーのダブルのスーツを着ている整髪料で黒髪をオールバックにセットした男がいた。その部屋のあるじ権藤ごんどう謙太郎けんたろうである。

「そうか。私の関わった形跡はないだろうな?」

 権藤は回転椅子を軋ませると、秘書の顔を見上げて尋ねた。

「もちろんです。先生の事は丸山書房からは一切出て来ないようにしております」

 秘書は深々と頭を下げて告げた。権藤は幹事長の机の上にある葉巻を取り、

「長い間待ち望んだ連間むらじまの爺さんの引退が実現して、ようやく目の上のたんこぶがなくなったばかりだ。そう簡単に転ぶ訳にはいかん」

 同じくテーブルの上にあった置き型のライターで火を点けた。

「早めに丸山書房の人間とのつながりを切れ。携帯は大丈夫だろうな?」

 権藤は葉巻をくゆらせて言った。

「はい。どれ程調べても、我々につながるものはありません。ご心配には及びません」

 秘書は顔を上げて応じた。権藤は椅子を回転させて後ろにある窓の外を見た。

「あれ程強気だった連間の爺さんが、何故土壇場で弱気を見せて、各省庁にかけていた圧力を止めたのか、謎だ。その辺も調べさせろ。言うまでもないが、剣崎には知られるなよ」

「畏まりました。では、私はこれで」

 秘書は頭を下げてから、退室した。

(剣崎にどう退場してもらうか、案を練らんとな)

 権藤は勢いよく煙を吐き出すと、にやりとした。


「これ、何でしょうか?」

 麻奈未は丸山書房社長の机の引き出しの中にあった紙切れを手に取り、後から合流した統括官の織部利一郎に尋ねた。

「む?」

 織部は麻奈未から紙切れを受け取ると、材質を確かめるように指で擦った。

「和紙だな。切り裂いた形跡がある。厚みと大きさから考えて、名刺の切れ端かも知れない」

 織部は麻奈未に紙切れを返しながら言った。麻奈未はそれを受け取り、

「和紙、ですか。社長の名刺はごく一般的な紙の名刺でした。誰の名刺でしょうか?」

 織部は麻奈未を見て、

「名刺に和紙を使っているとなると、使用する人間は限られてくる。和紙の出どころを探れば、持ち主に辿り着けるだろう」

「社長の机の引き出しに破かれた名刺の一部が入っているというのは、何とも奇妙ですよね。普通、もらった名刺を破くとすれば、その破片を机の中に入れる事は考えにくいです」

 麻奈未は紙切れをファスナー付きのポリ袋に入れて、段ボール箱に入れた。

「政治家には、名刺を和紙で作る者がいる。丸山書房が与党の議員に裏献金をしている可能性があるから、そちら方面も想定してみよう。そして、何故破られた名刺の一部が机の引き出しに入っていたのかも、持ち主がわかれば、判明すると思われる」

 織部は鳴り出したスマホを手に取りながら告げた。

「わかりました」

 麻奈未は段ボール箱に封をしながら応じた。


「食いつきそうか?」

 首相官邸で閣議を終えた閣僚達が三々五々廊下に出て来ていた。その中にいる胡麻塩頭の角刈りで、チャコールグレイのダブルのスーツを着ている小柄で小太りの男が隣を歩いている秘書官に言った。

「はい。早速、秘書が動いています。こちらに気づかれないようにしているつもりでしょうが、情報は筒抜けです」

 秘書官はニヤリとした。そして、

「北朝鮮のミサイルの記者会見は、官房長官がします」

 小太りの男はネクタイを直して、

「そうか。まあ、いつもの事だ。奴で構わんだろう」

 小太りの男は素気なく告げると、廊下を足速に歩き出した。

「連間の爺さんの後釜を気取っているようだが、十年早い事を思い知らせてやるさ」

 小太りの男はフッと笑うと、手にしていた資料の束を秘書官に渡した。

「剣崎総理、北朝鮮がまたミサイルを日本海に向けて発射しましたが?」

 小太りの男が官邸のロビーに降りると、早速官邸付きの記者達が質問を投じて来た。

「断じて許せる行為ではありません。強く抗議をし、国連決議違反である事を……」

 小太りの男、すなわち現職の総理大臣である剣崎龍次郎は厳しい表情で記者達に応じた。剣崎は視線の先に権藤の姿を見つけて、一瞬だが顔を強張こわばらせた。

(何だ? 何故奴がここにいる?)

 権藤は自分の金蔓スポンサーである丸山書房が査察に入られ、呑気に官邸参りをしている場合ではないと思っていた剣崎は、権藤の存在が気にかかった。

「総理、後ですね……」

 記者が次々に質問を繰り出すが、剣崎はそれを手で制する仕草をして、秘書官にガードされながら、ロビーを通り抜けた。

「む?」

 また気になったので、チラッと権藤がいた方を見たが、すでに彼は姿を消していた。

(何しに来たのだ?)

 剣崎は権藤の行動が思わせぶりに思えたので、苛立った。


(剣崎の奴、明らかに俺を見て驚いていた。何か企んでいるのは確実だな)

 権藤は剣崎より先にロビーを抜けて、党本部へと車で移動していた。

「何をしたか、だが……」

 権藤もまた、剣崎の動きを警戒していた。

(奴は俺と丸山書房の繋がりを感づいている可能性がある。どうしたものか)

 権藤は右手を顎に当てた。

「先生、何かありましたか?」

 運転席の秘書がルームミラー越しに尋ねた。権藤はチラッと秘書を見て、

「国税の動きを探らせろ。丸山書房を何で送検するつもりなのか」

「畏まりました」

 秘書はミラー越しに権藤に頷いた。


「事務次官、如何なさいましたか?」

 東京国税局査察部の部長である尼寺は部長室に入るなり鳴った電話に出て、財務省の事務方トップである事務次官からの連絡を受けていた。通常、事務次官が直接尼寺に電話をかけて来る事はない。まずは局のトップである局長にする。しかも、事務次官がする事はなく、秘書がして来る。

(政治家が動いているのか? だとすれば、元財務官僚の権藤あたりか)

 尼寺はいろいろと思いを巡らせながら、事務次官の答えを待った。

「丸山書房に査察に入ったそうだね。どのような件で入ったのかね?」

 事務次官が査察の内容を訊いて来る事などない事だ。尼寺の疑惑はますます深まった。

「脱税です。いつもの事ですよ」

 尼寺は話をはぐらかそうとしたが、

「そんな上辺の話はいい。裏があるのだろう?」

 事務次官の口調が強くなった。尼寺はどうしたものかと考えてから、

「まだ報告が上がって来ておりません。詳しい内容は私にもわかりかねます」

 更にはぐらさそうとした。しかし、

「だったら、すぐに部下に報告をさせろ。そして可及的速やかに私に連絡をよこせ。いいな」

 それだけ言うと、大きな音をさせて通話を切ってしまった。

(わかりやすい方だ。背後に政治家がいるのが丸わかりだ)

 尼寺は苦笑いをして、受話器を戻した。そしてスマホをスーツの内ポケットから取り出すと、織部にかけた。

「はい、織部です」

 織部はワンコールで出た。

「尼寺だ。今、事務次官から連絡があった。すぐに報告を上げるようにとね」

 尼寺は苦笑いを続けたままで告げた。

「そうですか。権藤が動いたのですね?」

「そういう事だろう。事務次官が私に直電など、それ以外に考えられない」

 尼寺はスマホを持ち直して応じた。

「確か、権藤は事務次官の二期先輩でしたね」

 織部も含み笑いをしているようだ。

「権藤は丸山書房をスポンサーにしているのは明白だ。その線も徹底的に調べて、報告書を作るんだ」

「わかりました」

 尼寺はフッと笑って、

「圧力は全部私が引き受ける。気兼ねなくやってくれ」

「ありがとうございます」

 尼寺は通話を終えると、スマホを内ポケットに戻した。


「部長からだ。早速権藤が動いたらしい」

 織部はスマホを内ポケットにしまいながら、黒塗りのセダンの後部座席に並んで座っている麻奈未を見た。

「墓穴を掘っていませんか?」

 麻奈未は権藤の素早さに感心しながらも、それが逆に権藤が関わりがある事を示唆していると思った。

「権藤は元財務官僚だ。自分の後輩である事務次官を意のままにできると考えているのだろう。それに、財務大臣も権藤派だ。国税局など、眼中にないのかも知れん」

 織部は前を向いた。

「舐められたものですね」

 麻奈未も前を向いた。

「もちろん、権藤の意のままになどいかない。取り敢えず、局に戻ったら、ナサケにあの紙切れを渡して、探ってもらおう」

 織部はチラッと麻奈未を見た。

「はい」

 麻奈未は大きく頷いた。

(凛君、ごめん。また早く帰れないかも知れない)

 麻奈未は心の中で凛太郎に謝った。


 その凛太郎は、麻奈未からラインが来ないのでしょんぼりしていた。

「凛、ぼんやりしてないで、早く午後のお客様に行きなさい!」

 母親であり、税理士事務所の所長でもある高岡綾子が凛太郎の背中をどんと叩いた。

「いて!」

 その痛みで凛太郎は現実に引き戻された。顔を上げると、綾子が鬼の形相でこちらを見下ろしており、向かいの席では、同僚の柿乃木優菜が心配そうな目を向けている。

「は、はい!」

 凛太郎は慌てて鞄を抱えると、

「行って来ます!」

 ドアを開いて走って行った。

「ドアくらい閉めて行きなさい!」

 綾子が大股でドアに近づき、閉めた。

「何かあったのですか?」

 優菜が尋ねた。綾子は肩をすくめて、

「麻奈未さんから連絡がないので、落ち込んでいるだけ。心配要らないわ」

 優菜を見て作り笑いをした。優菜は微笑んで、

「そうですか」

 少しだけ嬉しくなっていた。

(最近、凛太郎さん、全然彼女さんと会えていないみたい。チャンスかも)

 優菜は以前父親の柿乃木啓輔の税理士事務所で一緒に働いていた時から、凛太郎に片想いしている。一時、諦めかけたのだが、麻奈未と交際を再開したはずの凛太郎が、全く麻奈未と会えていないのを知り、また思いを蘇らせたのだ。綾子は優菜の気持ちの変化に気づいているが、凛太郎がそこまで女性に対して貪欲ではないのを知っているので、然程心配はしていない。

(むしろ、優菜さんが心配ね。もっといい男、いると思うけど。凛のどこがいいのかしら?)

 我が息子ながら、冴えない風貌と優柔不断な性格なので、決して優菜には薦めたくない。

(凛は誰に似たんだろう? 私も隆之助も、恋愛には積極的だったのに)

 離婚までしたのに、今では新婚当時のような仲の良さに戻った綾子と夫の隆之助から見ると、凛太郎は不肖の息子に思えた。

(もしかして、優菜さんて、ダメ男が好きなの?)

 綾子は自分の席に戻りながら、横目で優菜を見た。優菜はパソコンに向かっているので、綾子の視線に気づいていない。


 麻奈未は東京国税局に戻ると、査察部の情報部門の所謂いわゆるナサケのフロアへ行った。

「あ、伊呂波坂先輩、お疲れ様です」

 麻奈未に最初に気づいたのは、席が一番廊下側の代田充だいたみつるであった。

「ああ、代田君、お疲れ様。中禅寺さん、いる?」

 麻奈未はフロアを見渡しながら尋ねた。代田は申し訳なさそうに麻奈未に近づくと、

「茉祐子さんは出張中です。俺ではダメですか?」

 麻奈未は代田を見て、

「そんな事ないよ。じゃあ、これ、お願い」

 持っていたポリ袋を渡した。代田はその中身を見て、

「何ですか、これ?」

 麻奈未はニヤリとして、

「それよりいいの、茉祐子さんなんて呼んで。バレちゃうよ?」

 ところが代田は、

「俺達、伊呂波坂先輩と違って、隠していませんから、ご心配なく」

 麻奈未がムッとしたのに気づき、

「で、何ですか、これ?」

 話を逸らした。麻奈未は溜息を吐いて、

「和紙よ。丸山書房の社長の机の中にあったの。織部統括官の話だと、名刺の切れ端みたい。でも、社長の名刺はごく普通の紙のものだったから、誰かの名刺の一部みたいなの。その持ち主を知りたいから、出どころを調べて欲しいの」

 代田は大きく頷き、

「わかりました。大学の同期に科捜研に勤務している奴がいますから、調べてもらいます」

「いいの、そんな事を頼んで?」

 麻奈未は目を見開いた。すると代田は、

「大丈夫です。そいつには貸しがありますから」

 胸を張ってみせた。麻奈未は苦笑いをして、

「そう。じゃあ、お願いね」

「なる早ですか?」

 代田はフロアを出て行きかけた麻奈未に訊いた。麻奈未は振り返って、

「もちろん」

 微笑んで応じた。

 

「ああ……」

 午後の訪問先を出た時、凛太郎はまたスマホを確認したが、麻奈未からの連絡はなかった。

(麻奈未さん、まだ忙しいのかな? 今日も無理なのかな?)

 ラインを送ろうとして、思い留まった。

(束縛男だと思われたくない。もう少し、待ってみよう)

 凛太郎はスマホをスーツの内ポケットに入れると、舗道を歩き出した。

「奇遇ですね、高岡先輩。お仕事帰りですか?」

 そこへいきなり、柿乃木税理士事務所で同僚だった一色雄大が現れた。整髪料で髪をきっちりと七三に分けているのは以前と同じだ。

「久しぶりだね。まだ、優菜さんを追い回しているのかい?」

 凛太郎は一色を睨みつけた。一色はヘラヘラと笑って、

「何の事ですか? 僕は今、野間口先生のところにいるんですよ。優菜さんなんて、お子ちゃま過ぎて眼中にありませんね」

「柿乃木先生が刑務所に入ったから、優菜さんにも興味がなくなったのか?」

 凛太郎は一色に詰め寄った。

「さあ。では、急ぎますので」

 一色は一瞬たじろいだが、すぐに真顔になり、凛太郎とは逆方向へ歩いて行った。

(あいつ、野間口税理士に気があるのか?)

 凛太郎は妖艶な雰囲気の野間口絵梨子を思い出した。

(確か、麻奈未さんの大学時代の先輩で、麻奈未さんに敵意を持っているんだよな。一色も俺に敵意があるし)

 凛太郎は一色が歩き去るのを見届けてから、きびすを返して歩いた。

「おっ!」

 凛太郎はラインが入った音を聞き、すぐに内ポケットからスマホを取り出し、舗道の端に寄って内容を確認した。

「ええ?」

 それは麻奈未からだったが、

『しばらく忙しくなりそうです。ごめんなさい』

 それだけの連絡だった。

(麻奈未さん……)

 凛太郎は項垂れてしまった。

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