幸せになってね♡
「私たち、婚約が決まったの」
語尾にハートマークを乱舞させた親友――お互いに相手を引き立て役にしてやろうと画策していた同格の伯爵令嬢――であるレティシアにそう言われ、エメリーヌは淑女らしく優しい笑みを作り「まあ、そうなの? おめでとう、レティシア。わたくし自分のことのように嬉しいわ!」などと祝福したが、内心ではこれでもかと荒れていた。
それもそのはず、レティシアの隣に立つ婚約者になった男は、エメリーヌも狙っていた好物件だったからだ。
すらりと身長が高く、中性的な美貌の持ち主で、若いにも関わらず『優秀であるから』という全うな理由をもって親から譲られた爵位は侯爵。歴史ある名家である上に、馬鹿馬鹿しい浪費さえしなければ一生安泰と言える肥沃な領地を持つ超優良物件だ。性格にしても嫌な噂は聞かず、美貌を持つわりに女遊びをしているわけでもなさそうだった。本当に同じ人間かと疑いたくなるほどには完璧な男だ。
彼は人好きのする顔に笑みを浮かべ、エメリーヌに「ありがとうございます」と礼を言った。それから言葉をいくつか交わしたのち、レティシアが「エメリーヌも幸せになってね」と笑いかけて二人は去って行った。エメリーヌはその背中を見送る。手の中にある扇子がぎりぎりと嫌な音を立てていた。
絡められた二人の腕。
満足げに細められた瞳。
意味深なアイコンタクト。
見覚えのないアクセサリー。
どれもこれも、思い出すだけで腹が立つ。エメリーヌはレティシアに負け犬だと見下されていた。全身で、態度で、見下されたのだ。
実際、エメリーヌは争奪戦に負けた。紛れもなく負け犬に相違ない。だが自分でそう思うのと、他人からそう見られるのではまったく違う。その態度に矜持高いエメリーヌが耐えられるものでもなかった。
きっとエメリーヌが負けた要因は、いくつもあるはずだ。出遅れたのもあるだろう。領地の場所や特産物、父親の地位なども加味されているだろう。
だが何よりも思い出すのは、先ほどの様子である。――侯爵の腕に押し付けられた、巨大と言って差しさわりのないあの胸である。腕に当たり、押し潰され、変形した、あの柔らかそうな脂肪の塊。肉付きのいいレティシアにあって華奢なエメリーヌにはないものだった。
――胸か。胸に物言わせたのかあの女ぁ!
エメリーヌは崩されかけたなけなしの矜持を総動員することで、どうにか叫ばずに堪えることができた。だがこのまま仲のいいところを見続ければ、会場内で叫び出すようなことに成りかねない。そうなればあの男ほどの好物件でないにしろ、マシな嫁の貰い手はなくなってしまうはずだ。
扇子を握り締めながら、エメリーヌは体調が悪くなったふりをして、そっと帰ることにした。一緒に来ていた兄のもとへ行き、体調の悪さを伝えると、兄は何故か顔をひきつらせて笑みを作った。
「わかった。今すぐ帰ろう。馬車を呼んでくるから、端の方へ寄っていなさい。すぐ戻ってくるから大人しくしているんだよ」
「はい、お兄様。お手数おかけします……」
慎ましくもか弱いふりをして視線を下げながら兄の視線の先を追うと、自身の手元に向かっていた。手元にあるのは扇子だった――エメリーヌの握力でヒビの入った、扇子である。
* * *
エメリーヌの実家である伯爵家は爵位のわりに名家と言って差し支えない部類で、金回りもそう悪くなく、本人も多少苛烈な性格をしているが貴族であるため猫被りは上手であるし、顔も美しい母に似て整っている。ただ、胸はない。妖精のように儚い印象を持たれるのは顔の造作のこともあったが、大部分は吹けば飛びそうな華奢な体のせいだった。
こればかりはどうすることもできないし、詰め物をしたところで脱げばバレてしまうのだから、その方面での努力はしていなかった。自分のままで好きになってもらうしかないということだ。だが悲しいかな男というものは貧乳よりも巨乳を好む生き物である。ほぼ家柄が同条件のとびきり美しい貧乳よりもそこそこ可愛い巨乳が選ばれたことがその証左だろう。
敗北の事実を思い出して苛立ちはするものの、エメリーヌは自身を恵まれた部類だとわかっていた。食事どころか宝飾品にも困ったこともなければ、家族にも愛されている。家柄もよく、胸はないが見目は優れている。あの侯爵に選ばれなかっただけで、婚約の申し込みは山のように来ているのだ。基本的にエメリーヌは選ぶ立場にある人間だった。
ただ、あの侯爵より好条件の男がいるか、と問われれば否定せざるを得ないはずだ。侯爵という爵位だけなら彼を凌ぐ男もいるだろうが若さや美貌は付随しないだろうし、見目を優先させればどこか弱小貴族の次男三男かもしれない。その点、レティシアは本当にいい男を捕まえたものだ。結婚してしまえば今までのようにレティシアとエメリーヌが並び立つことはなくなるのだろう。馬車に揺られながら――聞いたこともないレティシアの高笑いが、なんとなく聞こえたような気がした。
* * *
とはいえ、エメリーヌはどうしてもあの侯爵と結婚したかったわけではない。狙える中で一番の好物件だっただけで、好みかと言われれば全然好みではなかった。中性的な男は好きではないし、美しいなら尚更だ。エメリーヌの性格上、自分の隣に美しい男が立つのはあまり嬉しいことではない。自分が一層に美しく見える男の方がいいからだ。
ただ山があったら登りたくなってしまうどこぞのアルピニストのように、せっかくだから家にとってより良い相手やあのレティシアが狙っている相手だから挑戦しようと思っただけだ。エメリーヌの好みで選べるのならば、家柄も性格も問わなかっただろう。
エメリーヌが望むのは淑女らしからぬ趣味を許してくれることだけである。
身体を鍛えるのが好きだ。走るのが好きだ。ダンスだってもちろん好きだが、模擬戦闘はもっと好きだ。運動を終えて、お風呂に入って、身体だけではなく頭まですっきりするのが大好きだ。
あの優しそうな侯爵ならそれもさもありなんと思ったが、駄目なものは仕方ないのである。ぐちぐちと怒っているのはエメリーヌの性に合わなかった。さっさと次に行くことに決めて、気持ちを切り替えた。
馬車が家に着くなり、エメリーヌは執事に声をかけて父の執務室へと向かった。道すがら今はちょうど休憩中だと教えられたので、執務室の扉をノックすると、優しい声が返ってくる。
「どうぞ」
「入ります」
「……おや? 夜会はどうしたんだい」
扉を開けると、発した声で娘だと気づいた父がカップをソーサーに戻していた。心配そうな顔をしてエメリーヌを見る父に、にっこりと笑って見せる。
「例の侯爵、レティシアが勝ち取ってしまったのよ」
「ええ? エメリーヌほど美しく優れた令嬢はいないというのにか?」
エメリーヌの父は本物の親馬鹿であるため、自身と妻に似た娘が誰よりも優れていて、美しくて魅力的であると疑わない。その言葉が本音であるとわかっているため、エメリーヌも本心から笑顔を作れた。
「そうなの。ご縁がなかったのね」
「見る目が養われなかったんだろうね。エメリーヌの魅力を理解できないなんて哀れなことだ」
自身より若造とはいえ、明確に身分差のある侯爵に対し本気に憐れんでおり、本人に貶している意思は全くないのだが、本気な分だけ質が悪く、その分だけエメリーヌは嬉しかった。縁がなくて、胸がなくて、仕方ないことと割り切っていても選ばれなかったのは屈辱に相違なかったからだ。
「それで、他の縁談で、お父様がいいと思うものを進めていただこうと思ったの」
父が選んだ相手であれば、エメリーヌにとって一番利のある人物のはずだ。貴族らしく家の利益も無論加味するだろうが、それがエメリーヌの不幸を招く人物は選ばないと信頼できる。
綺麗に整えられた顎鬚を撫でながら、父はしばし考えていた。そうして少しだけ神妙な顔でエメリーヌを見た。
「ならば、エメリーヌ」
一度区切られた声は、エメリーヌの幸福をただ願っていた。
「王弟の妻はどうだろう」
* * *
王弟オーギュスト。
御年37歳。この年まで妻帯どころか婚約さえしていないのは、彼が前線に出続けたことに由来している。要するにいつ死ぬかわからない男の元に嫁がせる必要性はないと王家から思われていたようなのだ。
事情が変わったのは、長かった隣国との戦争が終わって、功労者として戻って来たからだ。
それが2年前。王弟は縁談をのらりくらりとかわし続けているようだった。
「オーギュおじさま、もしかしてずっとわたくしのことが好きだったの?」
「ぶっ」
「汚いわ、おじさま」
そんな王弟殿下から婚姻の申し込みがあったとなれば、そういうことではないのか、とエメリーヌは考え、オーギュストを招いた二人だけのお茶会の席で、迂遠な言い回しをせず直接的な言葉を用いて投げかけた。
呼びかけや気安い会話からもわかるように、オーギュストは幼い頃からエメリーヌもよく知る父の友人の一人だ。父よりも年は下だが、世代で言えば間違いなく親の世代で、オーギュストとエメリーヌは20歳も年が離れている。
紅茶を噴き出したオーギュストの口元にハンカチを持って行くと、「すまん」と言ってハンカチを受け取った。
「で、好きだったの?」
「あのなぁ、大人をからかうな」
「本心を聞きたいだけだわ。おじさまはわたくしを大切にしてくれそうだけど、これは本決まりではないのだし」
暗にオーギュストが好きだと言わない限り、お断りするのだとエメリーヌは言っていた。にっこり笑った顔は妖精や女神もかくやというほど美しく可憐だが、オーギュストにはいささか優しくないものだった。
意を決したようにオーギュストが口を開くと、エメリーヌは笑みを深めた。
「……お前のことが好きだ。だから、結婚してほしい」
「そうなのね。とっても嬉しいわ。婚約者としてよろしくお願いいたしますね、オーギュおじさま」
「……おう」
「でもそれはいつからのこと? 幼い頃からだとしたら少し気持ち悪いわ」
エメリーヌはなかなかに辛辣な物言いをしたが、オーギュストの愛の告白は素直に嬉しかった。家の利害なしに好いてくれている殿方に嫁げる令嬢がどれほどいることか。貴族であるためそんなことには期待していなかったが、嬉しい誤算である。
ただ幼き日を知るオーギュストがエメリーヌを好きだという事実は、彼が少女性愛者である可能性が拭い切れなかった。とはいえ、エメリーヌが肉感的に成長することはこの先ないと思うので、それならそれで縛り付けられていいかもしれない、とも思っている。
エメリーヌは中身まで見た目のように可憐な少女ではないし、自身の美しさを客観的に理解している。
――エメリーヌほど美しく可憐な少女然とした女性がこの先どれだけ現れるというのか。ならば変態的な嗜好の持ち主だとしても、オーギュストはエメリーヌにしか興味を持たない理想的な夫になることだろう。
だがオーギュストにとってその考えは認めがたいものだったらしい。エメリーヌの言葉を慌てて否定した。
「待て。さすがに恋愛感情になったのは最近のことだ」
「ということは、2年前に戦場から戻って来た時、わたくしが美しい女性に成長していたから好きになってくださったのね」
「……そうだよ。年甲斐もなく、15歳のお前に見惚れたんだよ」
「……うふふ、嬉しい」
幼い頃は友人の子どもとして可愛がってもらって、久しぶりに会って女として好きになってもらえるなんて、こんな奇跡があるだろうか。それに加え、エメリーヌが身体を鍛えていることもオーギュストは知っているし、続けてもいいことを婚約の条件に加えていると父からも聞いていた。
エメリーヌは完全に浮かれていた。自分の内面まで知っていて好きになってくれた方との婚姻。自分の淑女らしからぬ趣味を認めてくれる方との婚姻。自分の可憐さを際立たせてくれる方との婚姻。どれかしか得られぬところを、すべて掬いあげてくれたのだ。
「あまり可愛い顔で笑うな。困るだろ」
「遠慮なさらなくていいのに。こういうときは男性って口づけをしたくなるのでしょう?」
「そんなのどこで知ったんだ……?」
「安心して。出所は淑女だけのお茶会よ」
淑女とは言い難い小娘たちが噂を囀る場だったが、女性しかいないことには違いなかった。どちらにせよあの父がいるのだから、男性関係で心配されるようなことは全くない。
結局オーギュストはエメリーヌの誘いに乗ることはなかった。その気がないというよりも、まだ正式な婚約者として書類も交わしていないのだからと遠慮している様子だった。それをすこし残念に思っていると、今度はオーギュストが問いかけた。
「お前は俺のことを、どう思っている? 嫌なら断ってもいいんだからな」
婚約者として宜しくしてほしいと既にエメリーヌが告げているというのに、再度逃げ道を用意してくれるあたり、オーギュストは優しいのか情けないのかよくわからない。だがエメリーヌはそれを優しさと受け取ることにした。
「おじさまはね、横に立つとわたくしの可憐さが際立っていいと思うわ」
「いや、そういう話じゃないんだが」
実際オーギュストは王族らしい端正な顔だが男らしい顔立ちで、軍人なのでところどころに古傷が見て取れる。体つきも男らしいもので、エメリーヌが横に立つとその差は歴然とし、吹けば飛ぶような儚さが増すのは間違いなかった。
だがオーギュストの求めている答えとは違う。エメリーヌもわかっているため、今度は真剣に言葉を返した。
「男の人として好きかは、よくわからないわ。でもおじさまの顔も声も好きよ。お話すると楽しいし、わたくしに触れる手はとても優しいわ。だから一緒にいるうちに好きになると思うの。それではダメかしら?」
エメリーヌの答えに、オーギュストは照れたように口の中でもごもご言いながら、わかったと頷いて、紅茶を口に含んだ。
「それから、おじさまとわたくしの子どもなら可愛いと思うの」
その瞬間を狙った甲斐があったというもの。オーギュストは思い切り咽て、エメリーヌは我慢しきれずに大きな声で笑った。――おじさまって、とっても可愛い人だわ。
* * *
レティシアに負けた夜会の、その次の夜会で、エメリーヌは兄のエスコートではなく、オーギュストのエスコートで入場した。エメリーヌの父伯爵の交友関係を知っている者はさほど気にしている様子はなかったが、それを知らぬ者たちの驚きようと言ったらなんとも分かりやすいものだった。
とはいえ、挨拶をしに来て、二人が婚約したと聞いて驚いたのは、交友関係を知っている者たちの方だろう。幼い頃から知っており、いまだに少女然としかしていないエメリーヌを婚約者に据えているのだ。大抵の人間は、エメリーヌのように少女性愛者疑惑をかけた。
オーギュストを訝しみ、性犯罪者のような目をしてくる相手には、エメリーヌがとびきりの笑顔でこう答えた。
「わたくし、オーギュスト様が初恋なんですの」
ぎゅっと腕を組み、オーギュストを見上げる笑顔は恋する乙女そのもので、エメリーヌの父を知るものからすれば、彼がこの婚約を整えたのだろうと邪推して、二人を祝福をくれる。
オーギュストが余計なことを言おうとすれば、エメリーヌ自慢の握力を駆使して黙らせた。
「エメリーヌ、嘘をついて俺を庇うようなことはしなくていい。どんな目で見られても、俺がお前に求婚したことを隠す気はないんだ」
挨拶の人が途切れたとき、オーギュストは真剣な顔でそう言った。軍人として最前線ばかりいたオーギュストは年の割に純真で、噂の怖さや社交界の汚さを分かっていないようだった。
そこが可愛いのよね、とエメリーヌは言わずに笑った。
「わたくし、嘘はついてないのよ。これからオーギュおじさまを好きになっても初恋は初恋ですもの」
エメリーヌは恋をしたことはない。でもオーギュストと婚約者として過ごすうち、もしかしたら好きかもしれない、とは思うようになっていた。反応が可愛い。まっすぐな眼差しが心地よい。この人が自分だけのものだと思うと、笑みが溢れてしまうのだ。
「……エメリーヌ?」
「あら? ――レティシア! 久しぶりね、この前の夜会以来だわ」
エメリーヌの姿を見つけて声をかけたのは、レティシアとその婚約者である侯爵だった。普段なら隙のない笑みを浮かべているはずのレティシアは、エメリーヌとオーギュストの組み合わせに驚いているようだった。
「レティシア、侯爵様。こちら、オーギュスト王弟殿下です」
「ご紹介ありがとうございます。お久しぶりです、王弟殿下。こちら、私の婚約者で、バルテ伯爵家のご令嬢、レティシアです」
「お初にお目にかかります、王弟殿下。ご紹介に与かりましたバルテ伯爵家の長女、レティシアと申します」
「紹介ありがとう。オーギュストだ。宜しく頼む」
紹介される頃には普段の隙のないレティシアに戻っていた。王弟相手では崩れない笑みは鉄壁と言ってもいいくらい整っている。見慣れないレティシアだったために少し残念ではあったものの、エメリーヌはオーギュストとの関係を伝えることにした。
「わたくし、オーギュスト様と婚約することになりましたの」
「そうでしたか。おめでとうございます」
「おめでとうございます」
「ああ、ありがとう。レティシア嬢はエメリーヌと特に親しいと聞く。これからも仲良くしてやってほしい」
「こちらこそ、仲良くしていただければと思っております」
侯爵は何も思っていないのか、それとも外に出さないだけなのか、オーギュストのことを少女性愛者だと思って見ているようではなかった。これが普通の貴族だ。少なくとも王弟殿下に――しかも戦争で功績を残している相手に――そんな視線を向けたりはしない。
念のため、【初恋の人作戦】でもしておこうかとエメリーヌは口を開こうとして、レティシアからの物言いたげな視線に気が付いた。代わりに出たのは、別の言葉だ。
「オーギュスト様、侯爵様。少しレティシアと二人で話をしてきたいのですが、よろしいですか?」
「ああ、私は構わない。その間侯爵が話に付き合ってくれるだろうしな」
「殿下とお話させていただけるまたとない機会のようですから、私のこともお気になさらず。ぜひお二人で話し合ってきてください」
「ありがとうございます。レティシア、行きましょう」
「ええ、お二人ともありがとうございます」
レティシアと共に、近くにあるテラスへ向かった。一定の間隔をあけて、男女や婦人たちの姿が見て取れた。誰にも聞こえない位置を陣取って、二人は視線を合わせた。
途端、優し気なレティシアの笑みが怪訝なものに変わった。エメリーヌ以外のどこからも見えない角度に顔を持ってくるのはさすがの一言に尽きる。
「エメリーヌ。ちょっと、あの方、大丈夫なの? 小児性愛者じゃないわよね?」
「レティシア? それはわたくしに対して失礼じゃないの」
「失礼というのなら王弟殿下に対してでしょう。無理やり迫られたとかではないのね?」
「当たり前でしょう。わたくしのお父様がそんなことを許すと思う?」
「……思わないけど、王家の力なら、無理やりということもあるかもしれないわ」
オーギュストがエメリーヌの父と友人だということは、長い付き合いであるレティシアも知っている。現在の状況に対し、気が気でないのだろう。もしエメリーヌとレティシアの立場が反対なら、エメリーヌも同じようにレティシアに問い質していただろうと思うからこそ、笑って真実を話した。
「心配してくれてありがとう。本当に大丈夫よ。2年前に戦場から帰って来て、成長したわたくしの美しさにやられたんですって」
「は? 2年もエメリーヌを放置して何をやっていたの?」
「自分みたいな年上が、って遠慮していたそうよ」
「馬鹿なの? エメリーヌのような好物件が2年も残っていたのは奇跡よ?」
「そう、馬鹿なの。可愛いでしょう?」
レティシアは苦い顔で「男の趣味が悪いわ」と首を横に振った。エメリーヌはレティシアと趣味が被らなくてよかったと心底思った。彼女の巨乳はそれほどまでに脅威だ。エメリーヌに見惚れたのだから、オーギュストは貧乳派なのかもしれないが、あの柔らかさの前では誰も太刀打ちできないおそれがある。
「で、レティシアはどうなの? 侯爵とはうまくやれている?」
エメリーヌが反対に質問すると、レティシアは顔を歪めた。予想もしていなかった反応に、エメリーヌの目が鋭くなる。
「何をされたの。オーギュスト様に何か協力していただく?」
「いえ、そこまでの話じゃないの。でも聞いてほしいの。今度お茶会しましょう」
「……ここでは言えないような話なのね? 大丈夫なの?」
あれだけ幸せそうだったレティシアに一体どんな仕打ちをしたというのか。エメリーヌは鋭い目つきのまま、オーギュストに頼まずとも母に頼んで社交界に噂を広めてもらおうかと考えた。女の世界は怖い。それを思い知らせてやろうか。
レティシアがエメリーヌの耳元に口を寄せて、ぼそ、と呟いた。
「母親依存だったの」
「うわ……」
思わず淑女にあるまじき声が出てしまった。何とも難しい問題だ。姑との関係はどんな時代でも妻を悩ませてきた問題である。場合によっては離婚につながる案件ではあるものの、自身の母親をぞんざいに扱うよりは大切に扱うのが常識であり、尊いものとされている。これは言いにくい。離婚する気がないなら噂も広めづらい。
「だから聞いてほしいの」
愚痴を。言わずもがな、エメリーヌにはその言葉がはっきり聞こえた。
* * *
エメリーヌはその後、無事にオーギュストと結婚し、年上の夫をからかいながら過ごし、可愛い子どもたちも授かった。レティシアとは暇な時に二人きりのお茶会を開いては惚気たり愚痴を言い合い、家庭にも友人にも恵まれ末永く幸せに暮らしたが、時折思い出したかのようにレティシアに感謝を述べていた。
「わたくしが今幸せなのは、あの夜会であなたが幸せを祈ってくれたからだわ」
うふふ。
簡易人物紹介
エメリーヌ(17)
伯爵令嬢。名家で溺愛されて育った。トレーニングにハマったのはオーギュストがきっかけだが双方ともに忘れている。暴漢を一人でどうにか出来る程度の護身術が使える。超絶な美貌を持ち、その美貌に絶対の自信を持っているが、如何せんAカップあるかないか。
オーギュスト(37)
王弟殿下。戦場帰り。イケメンというよりは男前。周りから面食いロリコン扱いされているが、エメリーヌの顔が二目と見れないものになっても本人も自覚はないが全然平気だったりする。ロリコンというよりからかわれて嬉しい軽いM気質(エメリーヌ限定)。
レティシア(19)
伯爵令嬢。巨乳の上可愛いが、エメリーヌの横に立つと圧倒的美貌で可愛さが霞む。しっかりもの。女性的成長が早く、幼い頃周りに嫌がらせをされており、エメリーヌが鍛えた握力で助けに入ったことがきっかけで仲良くなった。お互いをディスりあえる仲。好敵手。姑との仲は良好。
侯爵(28)
名前はない。中性的なイケメン。性格も優しいが如何せんマザコン。離婚するほどではないが、よく話に母親が出てきたり、何かと母親に相談したり、地味にストレスがかかる。ちなみに母親からは(子どもじゃないんだし、妻のレティシアが嫌だと思うので)やめてほしいと言われている。
伯爵(42)、次期伯爵(20)
エメリーヌのパパとお兄ちゃん。二人ともイケメン。パパの方は娘も息子も溺愛してる。お兄ちゃんは妹の握力が怖い。