終楽章。夜会が終わった後。
「ミツキ。ミツキ。おい~起きろ」
「ほっ!寝てません!ちゃんと起きています!」
耳元で聞こえてきた優しい声に、ミツキは慌てて目を覚ました。
優しい声の持ち主は玄。
恩人の前で眠るなんて少し恥ずかしい。
それよりもう氣球の中ではない。むしろ見慣れた──
「玄さん。ここはまさか…?」
ちょっと驚いた口調を浮かべるミツキ。
驚くわけだ。
現在彼らがいる所は誰もいない公園。
以前のことである程度散らかっているが、ここは玄とミツキが初めて出会った場所だ。
「新しく初めるなら、やっぱりこの公園だと思ったからな」
「新しく、初める?」
「あの時、バルデオが割り込んで終わらせながった言葉。今するね」
いかにも真剣な表情で玄はミツキに手を伸ばしながら月明かりの下で話す。
あの日、この公園で玄はミツキに「自分を殺して」と頼まれた。
その時は答えられなかったが今は、あの日の答えをついに口にする。
約束を交わすように──
人間の心を持った怪物。
怪物の心を持った男。
2人ともかなり歪んでいる。
だけど──
「ミツキ。お前は俺を救ってくれた俺の救援者だ。だから俺もお前を救ってくれるお前だけの救援者になりたい。まだ頼れないかもしれない。また泣かすかもしれない。悲し思いをさせるかもしれない」
それでも!だとしても!
「こんなオレだが…、お前のそばにいても…、いいかな?」
「……」
沈黙するミツキと緊張した表情で目を閉じる玄。
冬の夜の公園から彼らの息の音だけが聞こえてくる。
緊張した彼の心臓の音が聞こえてくる。
「はい!喜んで」
答えならもうとっくに出ていた。
ていうか、もう言った。
あの処刑場で玄が救ってくれたあの時、あそこにいたみんなに響くように叫んでいた。
「玄さんと一緒ならいくらでも」
その言葉とともに、ミツキは静かに玄の手を握る。
目の前のこの人とずっと一緒にいたい。
その気持ちを隠さず、
「ずっと、ずっといますね。約束です」
──公園を照らす月明りは美しい。
☪
誰もいない公園。
いや、怪物だけがいるこの公園から彼らの話し声だけが聞こえてくる。
「玄さん」
「何だい?」
「いえ、何も。ただ呼んでみただけです」
「そう?」
「はい!」
公園のベンチに座った玄は自分の懐に入ってきたミツキの頭を撫でながら考える。
『初めて俺は自分が化け物でよかったと思ってしまった』
自分が怪物だからこそ、目の前にいる怪物と呼ばれる女の子と、こうやって肩を並べることができるようになった。
この子の髪の毛を撫でてあげるために、自分は怪物になったのではないだろうか?──という錯覚に陥れた。
『剣に狂っているバルデオにとやかく言う立場じゃなかっだな。俺も』
玄は静かに夜空を見上げる。
いつもより大きく感じられる月明りがこの公園を埋める。この月明りの狂気にいよいよ狂ってしまったのかと思ったが、この子と一緒ならそれも悪くないと思うようになる。
玄の胸に自分の顔をうずめて、顔を揉むミツキを見てそんな彼女が愛しいと思える。黙りっぱなしの玄を静かに見上げるミツキ。それに対応するように、彼は静かに微笑む。
「あ、そういえば玄さん。あの時」
その静けさを破るように、ミツキは問う。
「急にオルゴール音がして私もびっくりです。玄さんはオルゴールも作れるんですか?職人とか!」
「ん?ああ、あれか?」
玄もまた思い浮かんだかのように肯定を見せる。
ミツキにしてみればこの公園で歌ったのがすべてなのにその歌のメロディーを盛り込んだオルゴールの音が処刑場に響き渡るので驚くのは当然だ。
その疑問を解いてくれるように、彼は懐から何かを取り出した。
「残念ながらそれはオルゴールではない。この『Kalimba』だ。たったの2~3日でオルゴールを簡単に作れるわけないだろう?」
一見すると木の板に細長い鉄の棒を幾つも並べたような形の物。
それが彼の言った「カリムバ」という楽器のようだ。
両手で木の板を持ち、親指で平たい鉄の棒を少し下にはじくと、清廉な旋律が公園に響き渡る。
「不思議です。木の板に鉄の棒を並べただけなのに。こんなきれいな音が…」
目を輝かせるミツキとそんな彼女を見てちょっとドヤがおを見せる玄。
「まあ、楽器の起源はたいていこんな感じだ」
「玄さんかっこいいです!まるでオルゴール演奏者みたいです!」
「何それ?自動楽器のオルゴールに演奏者がいるわけないだろう?どちらかと言うと作曲家じゃない?」
「曲は私の曲を使っているのでそれはだめです」
「はい、はい~まあ、これはプロよりは趣味の領域だけど」
それでもミツキの言う「オルゴール演奏者」という表現が嫌でもなかったのか、ちょっと口が上がる玄だった。
「あ、そういえばこれを忘れていたな」
そう言って、彼はミツキの視線を自分の手に向けさせた。
手品のように両手を合わせながらすぐに手を広げると、その手の中に全部入るはずのないぬいぐるみが現れた。
手品のようだと拍手をしようとしたミツキだったが、すぐにそのぬいぐるみをジロジロ見つめ、すぐに顔がこわばる。
「そ、それは!」
「ぬいぐるみ。あの時、ここに置いていっただろう?」
ミツキとこの公園で別れたとき、彼女が置き忘れた犬のぬいぐるみだった。
普段のボロボロだった姿とは少し違ってきれいに修繕しながらも、以前とあまり変わらない細かいディテールも残しているため、拒否感をほとんど感じなかった。
「ありがとう。玄さん。本当に…」
そのぬいぐるみを本当に大事だというように、抱きかかえながら子供のように顔をうずめる彼女の姿を見て、玄も満足げな表情を浮かべた。
「これ、実はおじいさまからいただいたなものなんです」
『おじいさま。か』
率直に言って彼女の祖父。不死大帝の存在は玄にとっては非常に複雑である。
不死大帝がミツキをこのプエルタ王国に送ったからこそ、こうして会うことができた。その部分に限ってはありがたいが、ミツキを8年間寂しくさせたことは許せない。
だからが?
「ふぅん。俺より大切?」
「あ、そ、それは!」
強いてそれを露わにすることはなく、玄はミツキをからかった。
すぐに顔を赤らめて当惑する彼女の顔を見ていると、自分がこんなにいたずらする人だったのか?と思うようになる。
「冗談だよ」
そんな微妙な感情を隠すかのように、ミツキの額を人差し指でそっと押し出す玄。
彼のそんな行動原理に気づかなかったらしく、ミツキはそのぬいぐるみを抱きしめながらその上にあごを上げ、首を少し曲げて玄を眺める。
「とにかくありがとうございます。8…いや、9年前に誕生日プレゼントでもらったんですよ」
「誕生日か。そういえば誕生日何日だっけ? 聞けなかったな」
「今日です」
「え?」
「今日。1月1日」
「まじが?」
「はい。何か自分の口で誕生日について何度も言ったら……恥ずかしいです」
「………………」
何か自分の口から言って照れくさいのか、体をよじるミツキと違って、玄の顔色は暗くなるばかりだった。
「ごめん。誕生日プレゼント。用意できなかった」
「……あ。い、いいえ!玄さんにはもう、どうお返ししたらいいかわからないほど、いっぱいいただきました。あ、そう!こ、この服も前に誕生日プレゼントの代わりだと言ってくれたでしょう?」
「それでも当日にもらうプレゼントはまた違うだろ?そうだ!今からでも何か欲しいものない?」
何か切羽詰った顔をして、緊張する玄に比べてミツキはやや困った表情を浮かべる。
『これ以上はもらえません。──と言ったら玄さんはきっと落ちこむでしょう。それはちょっといやです。それでも私は何のお返しも……』
玄が呉れるものと同級のものを自分は呉れることはできなかった。
プレゼントではない。彼からもらったのは新しい人生そのものだ。
自分の世界を変えてくれた人。
怪物の座に居てまで自分を助けてくれた恩人。
初めて、思う存分頼っていいと言ってくれた人。
受け入れてくれると言ってくれた人。
『一体これをどうやって返せばいいでしょうか?』
そう彼のことを考えていると、逆に自分の顔が真っ赤に染まった。
処刑場で彼が救ってくれたことだけでもこんなに胸がどきどきし、頭が熱くなる気持ちを呉れるのに、これと同等のものをどうやって呉れることができるだろうか。
これ以上彼に何かを求めることは、ミツキに良心の呵責を感じさせる。
そもそも現在着ているこの服さえ彼が「歌のお礼」と言って呉れたので。
『……まって?歌?』
一瞬、数多な考えが交差するミツキの頭の中で、それがすれ違った。
「玄さん!玄さん!」
「な、何だい?」
いきなり彼の腕をつかんで振るミツキ。
ミツキは頭の中の言葉がまとまらないまま、玄にその小さな唇を開く。
「オルゴール!オルゴールです!」
「オルゴール?ああ。カリムバのことか?これがどうした?これが欲しいのか?」
「いいえ」
ミツキは首を横に振り、しばらく息を吐きながら頭の中で言葉を整理する。
そして言う。
「そのカリンバを演奏してください。もちろん、曲は…」
「なるほど。言うまでもない」
彼も全部分かったらしくうなずく。
ミツキは彼からもらった犬のぬいぐるみを観客の代わりというように、公園のベンチに座らせたまま、3歩前に歩いていく。
玄もカリムバの演奏の構えに入った。
そやって夜空の空気を吸うミツキ。
「行こう!ミツキ!」
「はい!玄さん!」
♪~ ♬~
そうやって誰もいない公園で開かれる彼らだけの公演。
人間の心を持った怪物が歌い、
怪物の心を持った男が奏でる。
観客はぬいぐるみだけで十分だ。
さあ、響け。叫べ。
世界の果てに届くまで歌え。
世界の中心に響くまで奏でろ。
怪物の歌を!
怪物の演奏を!
彼らはお互いのための怪物たち。
お互いだけを見つめ合い、お互いだけのために生きていく怪物たち。
ついに彼らのプロローグが開かれた。
「玄さん」
彼らの前にはきっと、必然と言っていいほどの困難とつらい逆境が待っているだろう。
それでも今はそんなことを忘れて、ただこの瞬間を大切し、歌って、奏でる。
「好きです。大好きです」
さあ、笑え。狂人ども。
お互いがお互いの救援者として。
この月光の下の公園こそ、まさに君たちが救った、君たちだけの世界だ。
「ああ、俺もさ」
──愛し愛される彼らの旋律がこの夜会の終りを知らせる。
虚空月篇。完。
日昇り月篇でつづく。
まだ終わってません!




