sonata その4。
※残忍なシーンあり
「ここは…どこ?」
ミツキが気がついたときいたのは真っ白な空間。周囲を見回しても壁も天井もない、そんな空虚な空間だ。
初めて訪れた場所だが、何かすごく懐かしい気分になった場所だった。
「──どこを見てるの?」
「!!」
そんな穏やかな声にミツキが振り向くと、そこには自分と同じ顔をしている白髪の少女が椅子に座っていた。
座ったまま、右足のかかとは椅子に乗せながら、右膝を抱えるように両腕で包み込み、興味なさそうに目を細めてミツキを見つめる。
「白夜の魔女…」
「名前は別にあるが…まあ、今はそれでいいわ」
退屈そうに言う彼女と違って、ミツキは目の前に彼女によって現在ここに立っていることを自覚した。
「また私の体を奪うつもりですか?」
「…………あ!まさか公園の事?」
以前の公園でのことを思い出すようにそう言うとミツキはすぐに警戒したが、やがて白夜の魔女はそういう警戒はいらないように否定を見せる。
「心配しないで。今はまだ奪うつもりはないから」
「今は?まだ?」
「まぁ、まぁ、そんな細かしいことはいいから。──で、どうだった?彼におとぎ話のお姫様のように救われた気分は?」
「それは皮肉。……ですか?」
控え目にミツキがそう聞くと、白夜の魔女は理解できない表情で首をかしげるだけだった。予想したことと違う答えが出て少し驚いたような表情。間もなく、彼女はミツキの目を見ながらたずねる。
「ん?なんで?どうしてあなたに皮肉を言う必要があるの?」
『……この人。本気で聞いているんでしょうか?』
「うん。本気だよ」
「!」
自分の考えを簡単に読み解くこの魔女の前では考えること自体が無意味であることを自覚したミツキは素直に問うことにした。
「私の体を奪うつもりでなければ、なぜ現れたのですか?」
「だから、さっき言ったでしょう?あなたが彼に救われて今どんな気分なのか知りたい」
「……ほんとにそれだけですか」
「もぉ~!そう言ってるんじゃないのよ!ぷっ、ぷ!」
そうして白夜の魔女は頬を膨らませたまま、ミツキに顔を背けた。
できるだけ赤くなった顔を隠すように、慎重に問う。
「か、彼は…げ、元気だった?」
「……」
なんか……初めて見せた魔女のイメージと非常に違うので、ミツキはどう反応したらいいのか見当がつかなかった。
目の前の魔女は自分の人生をこわした元凶だ。
祖父様に捨てられてプエルタ王国まで来たのも、
自分の周りの人たちが傷つくことも、
自分の体を使って人を殺したのも、
彼女が自分を嫌うようになった根源。
「どうして!」
だからか。
ミツキはらしくなく腹を立てた。
顔を赤らめて、それについて言い出すのが一つ一つ控え目なその姿がまるで、…まるで恋に落ちた少女のような表情を浮かべるあの魔女の姿に──
「そんな!そんな人間みたいな表情をしてるんですか?」
──何かが切れた。
「私はあなたが嫌いです。あなたがいたから私が!私の周りは!!」
「──それで?」
「……」
まるで冷たい氷のような一言。
白夜の魔女のその一言にミツキは次に言うべきことをなかなか口に出せなかった。
──今度は俺がお前の救援者になるから
突然彼が自分を救ってくれた時の言葉を思い出した。
そう、自分が目の前で彼女に言うべきことは憎しみや怒り。そんな呪いを込めた言葉ではない。
そんなことを吐き出すのではなく──
「あなたがもう一人の私なら!化け物としての私の一面なら!」
自分が救い、そして自分を救ってくれた彼なら──
そう思い、ここにいない彼が言ったような言葉を口にして、ミツキは白夜の魔女に指を突きつけるように叫んだ。
「私があなたを更生させます!」
「………………は?」
憎しみを浴びせると思ったミツキの口から予想外の言葉が出て、彼女は頭の上に疑問符を浮かべた。
しばらく物思いにふけったように頭を下げる白夜の魔女だったが、すぐに口を開く。
またも冷静な一言か。
それとも無視なのか。
いや、どっちでもない。
「キャハハハハハハハ!!なにそれ」
笑いだ。
この空間全体に彼女の笑い声が響く。椅子が後ろ向きになるように笑う彼女のそんな反応に、ミツキはちらっと顔を赤らめた。
だが後悔はない。
反面、白夜の魔女は涙を拭いて笑いを堪えながら口を開く。
「まったく。あなたは傑作よ。さっきまで呪いの言葉をぶっかけそうだったのに、急に更生みたいなことを言い出すから。プッ!まだウケる」
「玄さんと約束しました。自分を嫌うのはもうやめると。それがこんな化け物である自分でもね。……ていうか笑うのはもうやめてください!」
「無理~」
最後に少し恥ずかしそうに顔を赤らめるミツキに反して、どのくらい落ち着いたのか、白夜の魔女は自分のこめかみに人差し指と中指を立てて話す。
「まぁ、返事として悪くなかったよ。よく分かった。彼があなたをそこまで変化させたことを。お互いに影響を与え、変わることを…」
心からその結果に満足した人の表情を浮かべる白夜の魔女。
その言葉とともに真っ白な空間が揺れ始める。
「く、空間が…?」
「もう時間か?ではさよなら」
その言葉を最後に、ミツキに向かって静かに手を振る白夜の魔女。
なぜだろうか?
自分の人生がめちゃくちゃになった元凶なのに。嫌がらないと誓ったこととは別に、そんな彼女の手はあまりにも寂しそうに見えた。
だからか?
「そのひねくれた性格!必ず更生させて見せますから!」
そう大言壮語した。
それを最後に、ミツキは真っ白な空間から消えた。この空間の外。現実に。
「……」
ミツキが去ったところを眺め、この何もない真っ白な空間で白夜の魔女は静かにつぶやく。
さっきミツキが去っていった言葉に答えるように、
「うん。期待しなず待つわ」
そう言って椅子に座り込んで虚空を眺めて、少し虚脱な笑いを浮かべる。
「──それが出来ればね」
世界に絶望したような表情をして、白夜の魔女はそう誰にも届かない独り言を詠む。
☪
氣球が処刑場からある程度離れたことを感じた玄は仮面を脱いだ。
「もう追手はほとんど落としたな。レイラがよくやってくれている意味か?ペプもちゃんと盟約を守ってくれたようだし…」
ペプが本気で玄を捕まえようとしたならば、いまだにこのように彼らが気球に乗っていること自体が説明できない。
ということはそういう意味だろう。
周りは森だけなので暗いが、月明りが道案内になってくれる。レイラと合流することにしたポイントまでまだ時間的余裕があるため、玄はしばらく休息に入ろうと思う。
「ミツキ。もう……寝てるか」
玄は自分の胸の中でぐっすり眠っているミツキの顔を眺める。逃走中のこんな状況で眠るなんて、よほど疲れていたようだ。
まあ、刑務所にいた時から処刑のせいで、こんなに安心して眠ることもできなかっただろう。
そう考えると玄はミツキが目を覚まさないようにそっと寝かせてくれる。
「うっ!」
その瞬間、何か心臓を締め付けられるような痛みが襲ってくる。
鎖で心臓を縛るような異質感。
ペプ‧アルセナルとの盟約が発動され始めたのだ。
まるで血管が詰まるように苦しい。体の中の血管をつたっていく黒血たちが徐々に鈍くなる感覚。その感覚に玄はじわじわと目が閉じる。
──気がつくと、真っ黒な空間だった。
「ここは…?」
「私を…殺して…」
「君は?」
玄は目の前で亡霊と向き合う。
自分の初殺しであり、そのトラウマの化身。
空。
8年前にカダルソになったとき、彼が殺した親友。
これまでの彼なら、その存在自体を恐れて対話をしようという考えすらしなかっただろう。
「久しぶり。ソラ」
「……」
しかし、亡霊は彼女だけではない。
「お前さえいなければ!」「許さない!」「殺せ!」「この化け物!」「くたばれ」「この殺戮機械が!」「死ぬのは嫌だ!」「殺す!殺す!殺すウウウウウッ──!!」
「……………………ああ。君たちもいたのか?まぁ、当然か?」
これまで彼が殺した人、彼が切り取った人、殺害した凶獣たち。
何千、いや何万もの亡霊たちが全部、彼一人を噛みちぎろうとする。
「よし、来い。未練なく全部相手してやる」
そう言って、彼は両手を広げたまま、それを静かに受け止める。
真っ黒な空間で鮮血がなびく。
足をかみちぎって、腹をほじくりながら内臓を噛み、奥歯で肋骨を砕く。下半身は開始と同時にほとんど吹っ飛んだ。そこにも亡霊たちが駆けつけて肉片をむしり取る。
「……」
感覚は感じない。
いや、最初から感じられなかった。
覚悟をしたからか。それとも未練がないからか。
ただ目の前に亡霊たちに無抵抗で身を任せるだけ。
今までまともに相手にしようとしなかった亡霊たち。黒血が封印されていく今になって自分が殺した彼らと対話しようとした玄に対する怒りが一気に爆発したようだ。
『これくらいは今までと比べると……』
そう考え、彼は黒血が完全に封じられる時間の間、亡霊たちの刑罰を受けることにした。
しかし──
「やめろ!!」
その叫びとともに亡霊が散った。
この真っ黒な空間が割れそうな衝撃が響く。
驚いた表情を浮かべた玄はその声が聞こえてきた方向に顔を向けた。
「ソラ…?」
ソラの亡霊がそう叫んだのだ。
すでに亡霊たちによってめちゃくちゃになった彼の両足を背負って、
素手で亡霊たちを全部打ちのめして、
そんなくせに顔はまるで今すぐでも泣きそうな少女のような表情をして、
「ああ…、その……」
そんなソラの姿を見ると、こうした状況は予想できなかったらしく、玄は目を避けてうつむいた。
「この ! 愚か者 !!」
「ゴホン!」
ソラの亡霊がドロップキックを使った!
こうかはばつぐんだ!
「い、行き成り何するんだ!」
「うるさい!うるさい!うるさい!いつも『わたしたち』に話もかけない奴が!今になって『わたしたち』をいちいち相手にしようとするバカを見てむかついたのよ!」
そう言いながらソラの亡霊が子供のように足で地面を何度も蹴る。
実際に彼女が死んだ時の年齢は12歳だったから、外見も行動も完全に子供だ。
間もなく、ソラの亡霊は「自分でくっつけ!」と彼の足を投げつけた。
現実ではないので、つくと同時に傷も癒され、破れた服も元通りに戻り始めた。
現実感がなくて不思議だが現在自分の目の前で一番不思議なものを眺める玄。
「こいつ、こんなに感情的だったか?いつも殺してとばかり呟く亡霊だったのに。これじゃ、まるで本物のソラみたい」
「あんた、分かってるの?」
「うん?何が?」
「だから、『わたしたち』はあんたが殺した人たちじゃない。単なる情報。黒血によって死んだ者たちに対する魂の記憶だ。これらの亡霊も全部あんたが彼らの最後を見て勝手に形象化した亡霊。……いや、幻想に過ぎない!それを分かってるの? それともバカなの?!」
「ごめん。いや、ごめんなさい」
亡霊にこっぴどく叱られる玄。
そんな彼の姿を見て、彼女は大きくため息をつく。
「──それで?」
「え?」
「だからどうしてこんなことをしたの?黒血が封印されるからこれを機に『わたしたち』の邪魔なく自殺できるので、精神的に自殺しようと思ったの?」
「君は俺を何だと思っ…」
「週1回、自殺を試みる自殺マニア。隠したところで無意味だよ」
「……すみません」
玄は素直になることにした。
「でも、まぁ、今はそんなバカみたい事はしないそうだね。心配して損した」
「……うん?まさか心配した?」
「バカ!」
その叫びとともに彼の顔面に亡霊がぶつかった。
こいつ。ぬいぐるみを投げる感覚で仲間の亡霊を投げたのだ。
「でも、この顔を見ても、そんなことが言えるのを見ると、もうトラウマはほとんど払いのけたんじゃないの?あんた」
「……君はソラ本人じゃないって言ったよな?」
「そうだよ。それより、そのくらいはあんたも自覚していただろう?あえて確認するわけ?」
「だって君のその行動は全部、俺が知っているソラそのものだから」
「…………」
玄のその言葉とともにソラの亡霊は彼から距離を開け、顔をしかめた。
「離れて。キモイ」
「俺が知っているソラはそんなこと言わない!」
幻想がこわれたように叫ぶ彼を見て彼女はため息をつき「思い出が美化されただけでしょう」と現実を自覚させた。
たちまち、心配そうに、同時に控えめな口調でソラの亡霊は問いかける。
「あんたは『英雄』じゃない。『殺戮の怪物』よりも質の悪い化け物になるかもしれない。それ、自覚してるの?」
「……分かってる。俺の行動はただミツキを助けたいという俺の利己心、そこから来た意地だ」
そう。分かっている。
自分は正義ではないということくらい。
そして正義ではなかったからこそ助けたでことも。
ミツキを助けたのは正義や、正しさではなく、自分の利己心と意地だということを。
「まったく。こうやって行動に移すなら初殺しの前にやるべきよ」
「……」
「あぁ、もう~からかってすぐ泣きそうな顔はやめて。もう大人でしょう?」
「ごめん」
「謝るな。キモ!わたしはソラ本人じゃないって言ったよね?そしてそんな言葉は本人が聞いてもむかつくだけよ」
頬を膨らませ、顔をそむけたソラの亡霊。
まるで本物のソラのように言ってくれて懐かしい気持ちになる。
頭を少し下げて表情を隠したままつぶやくように、彼女はささやいてくれる。
「殺して、そうおねがいするから殺してあげたんでしょう?」
「……」
沈黙を帯びるが静かに頷く玄。
親友の姿をした12歳の幼女にこれほどまでに慰められるなんて、なさけないと思う。
間もなく、ソラの亡霊は笑いながら両手を腰にあげてそっとうなずきながら話す。
「うん。分かってればいいんだから!ずっと間違ってきたあんたさ。しかし、今日付で正しいことをしようと、前に進むんでしょ?今までの過ちを認めて、背負って、そして自分が正しいと信じる道を進みなさい」
「ああ。ありがとう」
「……あえてもう言う必要はないよね?」
それは慰めてくれる必要か。それとも叱る必要か。
いや、たぶん両方だろう。
そのため玄はうなずく。
「うん。ミツキも『自分の化け物』を受け入れた。それでは俺も俺の『化け物としての一面』を受け入れなければならん。それももう俺の一部だから」
「よろしい。もう行きな。そして黒血が封印されるついでに、もうこんな所に来るなよ」
「……」
彼女が8年前。自分が殺した少女。ソラではないことは自覚している。ただ玄が覚えるソラのイメージ。魂の記憶にすぎない。
したがって、この次の言葉は明らかに自己満足だ。
それでも──
「またな、親友」
「来るなよ。バカ~二度と来るな。しっし! ここもあの世も満席だよ」
その会話の最後に鎖の音が真っ黒な空間を埋め尽くす。
鈍重と荒々しい錠かかる音が響き渡る。
盟約による黒血の封印が始まった。もう玄は自分のため黒血の力を使うことができなくなった。自分の身を守るためにも禁止される。
それはつまり、亡霊である、いや幻想であるだけの彼女とももう会えないということを意味する。
「残念だったな。部屋の主。部屋が壊れたね?」
『──いや、やつは必ず来る。まだその時ではなかったということよ』
その空間全体にそのような『黒い声』が響き渡った。
それは何かを待っている語気。
『──もう少し待てば600年。 それくらいは待ってやろう』
いや、楽しむ声だった。




