4楽章。怪物を哀れむ歌。7
12月31日。23時49分。騒音が遮断された暗い部屋でレイラ·メネアドルはヘッドホンをはずしながら、一人でつぶやいた。
「電波ジャックって、意外と疲れるんですね」
残り40時間余りの状況で電波に侵入し、プエルタ王国全体に生中継されるチャンネルを拉致することは、思ったほど簡単ではなかった。
しかし、これもまた彼女が忠義をささげたマスターのお願い。
命令ではなく、お願い。
「……」
──レイラは二日前、自分のマスターが言った言葉を思い出す。
「死にたいやつに『明日を生きたい』──そう言わせるのに一番必要なものは何だと思う?」
質問の意図が分からなかった。
だからレイラはその質問に「分かりません」と答えた。すると彼はそっと微笑んで口を開いた。
「希望さ。俺も最近知ったんだが」
「……」
その微笑みは目の前のレイラではなく、ここにいない誰かに向かったものだということにレイラは気づいた。
自分のあごを手にもたせかけ、切ないものを眺めるように、彼はそう言った。
「──そして俺はその希望の味を知っている」
ミツキの歌と同じ曲を──彼が演奏するメロディーを電波ジャックを通じてプエルタ王国全体に生中継する。
その計画を初めて聞いたとき、レイラはとんでもないと思ったし、実際に彼の面前でそう言った。
しかし、そんなレイラとは違って、彼はどこかで確信を持ったようだ。
理解できない。
当時はそう思っていた。
《死にたく…ない!》
しかし、映像の中で「生きたい」と「死にたくない」と叫ぶミツキを見て、レイラは玄の狙いを知ることができた。
「成功しましたね。マスター」
さっきまでレイラが映像で見たミツキは、死を覚悟した顔だった。その顔はどことなく希望など抱いていなかった、そう、数日前までの玄に似ていた。
自分の死さえどうでもいいと思う目。
だが歌い出したミツキからは映像の向こうでも分かる生気を感じた。
それを見て、それこそ玄の真の狙いだということに気づいた。
玄がミツキを初めて見て感じたものと同じ…、同級の衝撃をミツキに与えること。
ミツキの死の意志をくじき、生きる希望を見せたかった彼の気持だったのだ。
「だから応援したいと思うんですよ。あんなに頑張るマスターは初めて見るから」
レイラは静かに映像の中にいる自分の主人を眺めた。
イメージチェンジのためレイラからもらった銀色のマントをはためく、まるでヒーローのような彼を見つめながらレイラは応援する。
「私が手伝えるのはここまでです。がんばってください、マスター」
☪
12月31日。23時50分。中央地域広場の公開処刑場。
「お、おい!あれを見ろ!」
その言葉とともに皆の視線は中央に注がれ、カメラもまたそこに向かった。
そして、そこに視線を向けた人々は、全員顔がこわばった。
それも其の筈──
「魔人殺しが…」
「ぶっこわれたんだと?!」
さっきの爆音で断頭台の刃を支える支えが壊れ、200kgなる巨大な黒い刃物が地面に墜落し、鈍重な轟音が広場を埋める。
痛ましくも支持台が粉々になってしまった魔人殺しの惨状がプエルタ王国の国民全員に伝わり──
「ば、爆弾だ!」
「逃げろ!」
「まきこむぞ!」
それはその場にいる者全員がパニックに陥るには十分だった。
「……」
そしてその光景はミツキにもとてもよく見えた。
初めはミツキの処刑を見物に来た人たち。
しかし、今は爆発によるパニックに一糸乱れぬ動きを見せ、悲鳴を上げている。
「…玄さん」
「何だい?」
「私はもう大丈夫なので、パニックに陥った人々を先に助けてください。私は死なないんだから」
「へえ」
「いたっ!」
ミツキのその言葉に、玄はすぐお姫様抱っこをしていたミツキを地面にたたきつけた。突然の彼の行動に尻餅をつき、涙ながらに声を上げるミツキ。
「い、行き成り何をするんですか!」
「それはこちらの台詞だ。自分は死なないからパニックに陥った人々を助けろと?ふざけるな」
玄はそのまま倒れたミツキと視線を合わせながら、おでこを人差し指で押さえながら言う。
彼らしくなく、よほど怒った表情を浮かべたまま、ミツキに刻み込むように言う。
「体は死ななくても、心は死ぬ。君はどうしてそれを知らないんだ。このバカが」
「バ、バカ?」
「そう、お願いもしない自己犠牲をするやつは十分バカだろう?」
「そ、それでも私は…」
「化け物だって?」
その言葉にミツキは沈黙を見せた。
これからは逃げず、怪物である自分を受け入れることにした。しかし、それと怪物である自分を堂々と考えるのは別のこと。
そんな幻想をこわしてやるかのように、玄はミツキに自分を指して言う。
「私もまた化け物だ」
「……」
「君は私を優しい人だと勘違いしているようだが、思ったよりたくさん殺してきた。…たくさん。数えるのが、へどが出るほどな」
そんな彼の言葉にミツキの顔は暗くなった。
だがここからが本題のように、彼はミツキの額を撫でながら、手を上に上げてそっとミツキの後ろの髪を撫でながら、ささやくように静かに言う。
「そんなどうしようもない、化け物である私を救ってくれたのが、君の歌さ」
「私の…歌?」
「そうだよ。だから、自分にもっと堂々になれ。私の目の前にいる君は自分が思っているほど化け物じゃない」
「……」
消して、また奪う存在。それが自分自身。それが白夜の魔女だと彼女は自分に言い続けた。
しかし、目の前にいる彼は優しく、ゆっくり、安心できるように言ってくれる。
伝えてくれる。
教えてくれる。
「今私がここに立っているのは君の歌があってくれたからだ。君の歌は私を救ってくれた。私を助けてくれた恩人を、私の希望をバカにすることは君ても許さないよ」
彼女もまた普通な人々と同じく残し、与える存在になれると──
彼女を希望と呼んでくれる人が目の前にいると──
彼女のためにはっきり怒ってやると──
「君は壊す者じゃない。私の人間としての心を戻してくれた、私の救援者だ。その事実だけは決して変わらない。君に救われた私が保証する」
それが彼女が生きている証だと言ってくれた。
「うん?お、おい。何で泣くんだ?私何か変なこと言っだ?それとも、さっき落としたのが痛かった?」
「え?あれ?」
また涙が出た。
こうしてはいけない。また、自分が人間だと錯覚してしまう。
醜を極めている。
死にたくないという生物の最も原初的な本能を盾にし、怪物である自分が人間ふりしている姿が!
『私のせいでディーンさんもディーンさんの家族も···…いや、それだけじゃない。たくさん死んだ。なのに死にたくないという、…そんな普通の女の子みたいな理由で私は生きてもいいんだろうか? いや、そんなことは決して許されない。だから──』
公園で玄と別れたあの日と同じく、ミツキは言う。
ちゃんと断わる。
この優しさに頼らないように、自分を言い聞かせて言う。
「それでも玄さんは化け物としての私を知りません。私は──」
「それでいいじゃないか?」
「え?」
──と、予想もしなかったその言葉に、ミツキは茫然とした表情で首をかしげた。
「言っただろう?君は狂国の断頭台の私を、私の人間としての心を取り戻してくれた、私の救援者だと。その事実は変わらないんだと」
「はい」
「それは君が自分を化け物だと言っても同じだ。君がどんなに自分に堂々となれなくても、私を救ってくれた事実は決して変わらない」
自分を悪く言うことは許さない。
そう言っているような瞳。
彼にそんな瞳をさせたのがミツキ本人であることを自覚した。
『頼って、…いいの?』
それは誰に向けた言葉だろうか。
いや、口にしていない時点で言うまでもない。
この手を握っても本当にいいんだろうか?
自分のせいで傷だらけになったりしないかな?
彼の大切な人たちも傷つけないだろうか?
「……」
あと一歩
しかし、その一歩が非常に遠く感じる。
脚が重く感じる。
『ダメ。やっぱり私は──』
「私が暴走した時、君は私を怖がらなかった」
──だから彼は引っぱっだ。
彼女が逃げる暇などくれなかった。
「寧ろ『私は私』だと当然のように言ってくれた。 私もそうだ。君は君だ」
「私は…私?」
「そう、私が知っているのは『ミツキ』としての君だけど、それも君なんだ。 存在しない別の人物じゃなく、君自身。歌うのが好きな女の子さ」
以前にミツキが玄に言ってくれたのと似たような言葉をささやいてくれる。
「確かに私は『ルナ姫』としての君を知らない。君が……いや、お前が『カダルーソ』としての俺を知らないように」
そのまま玄はミツキを抱きしめる。
ガラス細工品を扱うように慎重に──
同時に炎より熱く──
「今度は俺がお前の救援者になるから」
「玄…さん」
頼ってもいいの?
このふところの中で泣いてもいいの?
怪物の自分が、普通の女の子みたいに泣いてもいいの?
彼の胸の中にはそのすべてが感じられた。
「……」
不思議だ。彼と一緒にいると本当に不思議だ。
死にたかったり、生きたかったり、
離れたかったり、そばにいたかったり、
泣いたり、笑ったり。
「……」
負けた。別に勝負をしたわけではないが、もう彼を断る気にはならない。
彼に、彼の中に引っ張られた。
いや、彼との初めての出会いから、この結果は予定されていたかもしれない。
たとえ遠い未来に『残酷な現実』が待っているとしても。
それでも現在のこの選択だけは決して後悔しない──
「それでもなければ、さっき言った言葉は嘘か?」
「え?さっき言った…言葉?」
小さなため息をついて彼は「そしたら思い出させなければいけないな」という言葉とともに端末を取り出し、ボタンを押した。
すると──
《死にたく…ない!ずっと玄さんといたい!化け物と呼ばれても構わない!もう処刑されたくない。死にたくない! 生きたい!玄さんと笑って、…生きたいよ!》
「!!!!」
「さあ、ミツキさん。俺に言うべきことは- クワッ!!」
小悪魔のような微笑を浮かべる玄に、すぐに拳が飛んできた。
ミツキだった。
顔をイチゴのように真っ赤に染めたミツキが、自分の恥ずかしさを隠すために、彼に拳を振り回したのだ。
「痛い。痛いぞ。ミツキ」
「いつ!どうやって!どうして~!それを録音しているんですか?!!!!」
「まあ、ざっとこういう時のために。…かな?こうして録音しなければ言い逃れる恐ろしい世の中だからね~」
そんな玄の言葉に拳を突き出してぐったりするミツキ。
何か幻想が砕かれた少女のような反応で、もう少しいじめたいと思った。
「玄さんは意外と腹黒でした」
「そういうミツキは、意外に暴力的だね」
「そ、それは玄さんが…」
「俺が?」
「ううっ!知りません!」
そうやって頬を膨らませながら顔を背けるミツキ。
自分をいじめながら笑う玄を見て、この選択を初めて後悔したくなった。
一方、玄はそんなミツキの反応が新鮮でまた面白いのか笑いながらミツキを励ましてくれる。
そんな二人の前に-
「何だ?その様は」
「「!!」」
その声が聞こえた方に目を向けると、まず最初に目にとまったのは巨大な大剣。2.5mのカトラスだった。
それをさりげなく肩に担いでいる男が見える。
右目に眼帯をして、頭に大きな傷があるスキンヘッドの男。 彼の周辺で感じられる雰囲気は、まるでベテラン軍人を連想させる。
「まるで自分がヒーローにでもなったかのようなづらだな。カダルーソ」
「……やっぱりここにいたのか?バルデオ」
アルセナルの剣。デペンサ·バルデオ。
プエルタ王国最強の剣が彼らの前に立ちはだかった。




