4楽章。怪物を哀れむ歌。2
ドアを開けると、レイラは彼の部屋に足を入れた。
いつものように黒いスーツを着ている姿は男装を連想させる。
だが、日ごろの堂々さはなく、しょんぼりうつむいたまま、彼と目を合わせない。
「マスター。私はマスターに謝らなければなりません」
「……」
何を?
──と尋ねようとした途端に、レイラはうつむいたまま、続けて言う。
「ルナ姫が処刑される危機に直面したのは私のせいです。私が調査をしたからこんなことが…」
「おまえは自分の役目を忠実に果たした。それだけだ」
彼はそう形式的らしく、言った。
声が重い。
今の彼には何も聞こえないようだった。
「私の役割とは… 何ですか?」
「……」
レイラのその言葉に彼は沈黙を見せる。
一方、レイラは堂々と、胸を張って話す。
「私の役割はこの国やアルセナルのためのものではありません。マスターのために私がいます。マスターが微笑み、幸せになることを願ってレポソを作りました。しかし、私の独断的な行動でマスターは苦しんでいます」
レイラは顔を上げ,彼の眼を見つめる.
正直に、拒絶されそうで怖い。
けれどそんなことで目の前の彼が少しでも元気になれたら!
「もう一度お聞きします。私の役割は何ですか?」
「……」
レイラのその言葉に沈黙する玄。
彼女を拾った時には自己意志などまったく感じられなかった。
ただ命以外には、何も助けられなかった女の子。
心が死んでいる女の子。
そう思ったし、一生そうだろうと決め付けた。
「お前は、…俺の管理者だ。レイラ」
「はい、マイマスター」
レイラは、彼の手を握ったまま言う。
「覚えていますか? 初めて会ったとき、マスターは私に教えてくれました。人間は怒り方を忘れると簡単に壊れてしまう。──と」
「そうだっだな」
「マスター」
レイラは控えめに、同時の彼の核心を突くように話す。
「マスターは…怒らないんですか? それとも壊れたんですか?」
大切な人を奪われたのに怒らないのは全部諦めたからか?
それとも怒れないほど壊れたのか?
「話して、打ち明けて、一緒に考えましょう。これからどうするか」
そう言いながらレイラはにこっと笑ってみせた。
いや、笑った。というには微妙だが、普段笑わない彼女だったので、その少しの微笑みがより明るく感じた。
「なあ、レイラ」
無感情だろうと思っていた彼女がほんの少し感情を見せた。
だからか? レイラのその行動で彼はやっと口を開いた。
「俺は…どう行動すればいいだろう?」
答えを求める声。
レイラは導く者ではない。
答えはわからない。
いや、誰がそれを知っているだろう?
わかるとすれば目の前の彼だけだ。
問題はそれをどう自覚させるかだ。
「あの子は、ミツキは自分を殺してくださいと言った。その言葉に俺は体が動かなかった。ミツキと一緒なら俺も変わると思っていた。友を、ソラを殺した俺が!変わることができると…それでもやはり無理だ。俺はただ殺すこと以外には脳がない化け物だ」
「マスターはソラさんの願いを実行しただけです。そのソラさんもきっと救われたはずです」
「違う! そこには望みも救いもない。死には…何もない!」
こんな彼の姿はレイラは初めて見る。
まるで子供が怖がるような表情。
いや、いつも誰にも見せず、背負って、後ろでは泣いていただろう。
誰も知らないように一人で…
「いつも聞こえてくる。俺が殺した、俺の誤った判断で死んだ人々の声が!そして一番濃いソラの声が! だから俺は自分を許せず、許されてはいけない」
どれほど孤独だったか、レイラは想像もつかない。
レイラに一度も見せなかった表情を浮かべる玄を見ながらレイラは胸が痛んだ。
だからこそ──
「な、何するんだ?」
とつぜん戸惑う玄。
慌てるのも当然。
彼の顔にレイラが酒をぶっかけたからだ。
レイラは一文字一つ一つ彼に伝わるように静かに話す。
「まず、頭を冷やしてください」
「はぁ?」
相変らず茫然としている玄とは違い、レイラはタオルで彼の髪の毛を拭きながらいう。
「さっきマスターは言いました。死には何もない…と。そのとおりです。それゆえそこには絶望も、マスターを恨む人々の心も存在しません。全部無に帰るだけ …違いますか?」
「でも、聞こえてくる。ソラと俺が殺してきた彼らの…」
「それはマスターの罪悪感が形象化したもの。実在する彼らではありません。マスターも自覚しているんでしょう?」
ぱりっとした目を帯びたまま、彼を見つめるレイラ。
まるで、「そんなことで逃げるな!」と言っているようだった。
「まさか、お前に教わるとはな」
「マスターの意見は尊重します。意見ではなく、泣き言にはしっかりしろとはっきり言いますが」
「かなわないな。妹の成長にお兄さんは悲しいぞ?」
恥ずかしさを隠すように、玄がそう言うとレイラは彼の頭を撫でながら言う。
「年齢ではマスターより、私のほうが年上ですが」
「ほう、俺の姉になりたいっていう意味か?」
「それも悪くはないでしょう」
そのようにお互いに冗談を言い合う玄とレイラ。
互いにたてまえがなくなった感じだ。
すると、レイラは手にした資料を広げて話す。
「……来る前に調べましたが、ルナ姫は逃げられるのにおとなしく逮捕された。 …これに違いないんですか?」
「ああ、ペプがミツキに殺された掃除者を言及しだから…」
あの時のことを思い出したのか、舌打ちする玄とは違ってレイラは「そこです」と言って人差し指を持った。
「ルナ姫は自分の命より他人を優先させる。──ということ。ペプ公爵もそれに気づき、強いてそのような方法を取ったのでしょう」
罪悪感に押されて生きる人だと知って──
そう言ってレイラは続けて言う。
「彼女は、…ルナ姫は歪んでいます。死にたいと叫ぶ、死にたいとやきもきする人です。マスターと同じく」
「俺と?」
その言葉に玄は疑問を抱いた。
ミツキと玄は違うと言おうとしたがレイラはそれを言わせず、自分が思ったことをいう。
「はい。不器用で、自分を顧みず、感謝する人なんていないのに、ひとりで無理して、やり過ぎるほど頑張る所が。だから見ている人はいつも心配しますよ」
「…馬鹿だな。あいつ」
「はい、すごくバカです」
それは同時に同族である玄にも当てはまる言葉。
レイラも目を閉じてうなずく。
「ハハハハ!!」
やがて、玄はひさびさに大笑いした。
こんなに笑ったのはミツキに会ったときのぞけばなかったのに。
自分を全部打ち明けると、かえって気が楽になった。
一人で背負うより誰かに打ち明けた方がいいと今になって気づいた。
「レイラ。お願いがあるんだけど。俺を…助けてくれるか?」
そっと手を差し出す玄。
顔は自信に満ちているが、その手はぶるぶる震えている。
自分は人形。それでも自分が人間だった証は-
「はい、マイマスター」
目の前にある彼の幸せだ。




