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天涙、ここに枯れ果てて 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

「去る者、日々にうとし」とは、本当によくいったものだねえ。

 三ヶ月前に祖母を亡くした時は、年甲斐もなく、わあわあ泣いた。家を空けている両親よりも、接していた時間が長かったからね。心の中に、ぽっかりと穴が空いてしまったかのようだったよ。

 それが今ではすっかり落ち着いてしまっている。思い出したら確かに辛いけど、あの時のように涙腺が耐えられない、ということはないな。これも人に備わっている、防衛機構なんだろうか。


 創作だとさ、何年、何十年も喪に服しちゃう勢いのトラウマ背負っている人、時々、見受けられるけど、僕は共感しきれない。

「お前の人生経験が足りないせいだ」といわれりゃそれまで。けれどもさ、少なくても祖母が亡くなったのは、僕のこれまでの生涯で指折りの衝撃だ。今はこうしてぴんぴんしているのを、「薄情だ」みたいな意味合いで、けなされるのは心外だよ。

 情が深い人の描写。それは自分に対して、深い情を向けてほしいという作者の願いが現れたものなんだろう。実際に、深く思い続けるのは難しいことだから。

 誰かを、何かを思うという辛さ。それを伝えてくれた話、聞いたことがあるんだ。

 どうだろう、耳に入れておかないかい?


 今からだいぶ昔のこと。ある地域では、その年、雨降り続きだった昨年とは対照的に、雨がほとんど降らなかったという。

 年が明けて冬を過ぎ、春が通り抜けて梅雨を迎えても、約半年の間で雨天と呼べたのは、10日に足らなかった。水たまりも満足にできない、小雨の日を除けば、更に半分になったとか。

 人々は近くの川や泉の水を汲み、どうにか日々をしのいでいたものの、例年以上の日照りと人々の依存ゆえか、彼らの水位は去年と比べて、半分以下に落ち込んでいたらしい。


 畑仕事に使うどころか、日々の飲み水にさえあえぐ毎日。村人たちは、その村に住まう、祭事を執り行っていた神職や修験者たちに、幾度となく対策を取ってくれるよう願い出た。雨ごいを始めとする、儀式の実施だ。

 しかし彼らは、難しく首を横に振るばかりで、なかなか承諾してくれなかったという。


「去年の大雨は涙。天で何か、悲しきことがあったに違いない。なれば、今年は枯れ果てる。泣こうにも泣けぬ時なれば。

 ひたすら耐えよ。やがて涙が満ちるまで」


 ことあるごとにそう語られ、人々は表向きは引き下がるものの、内心では不満の火をくすぶらせ出していた。


 ――こちらが何度必死に願い出ても、二言目には天、天、天と。一向に動く様子を見せぬ。きっと奴らは、秘かに水を蓄えて、のんきに暮らしているのだろう。許すまじ、許すまじ。


 確認を取っていなくとも、村人たちにとっては疑惑と、そこから湧く憤りこそが、神職たちが犯した罪の証。弱った両足を奮い立たせる、支えでもあったんだ。


 一方の神職、修験者たちも、村人たちの動きは把握している。

 彼らもまた、蓄えなどまったくなかった。一日中、木の根っこをしゃぶって飢えをしのぐという有様だったんだ。

 だが実情をさらしたところで、今の村人たちはまず信じないだろう。

 ほどなく彼らは、自らが都合よく作り上げた熱に浮かされるまま、自分たち神職を責め、打ち殺して、隠し持っていると信じて止まない水を追い求めるだろう。

 そして水は見つからず、犯した罪をごまかすために、神職たちが直前になって水を全部処分したと、汚名を着せて、偽りの安らぎを得るだろう。

 やがて先細る水と食料を巡り、彼らは自分たちを打ち殺した時と同じ力を仲間に向けて、醜い自分の心を省みることなく殺し合い、死んでいくだろう。

 その時、彼らを導くべく神職はなく、村人たちの御霊みたまは漏れることなく、地獄へと落ちてしまうだろう。そしてそれはことごとく、神の御心に背くこと……。

 一晩をかけた相談ののち、彼らの総領に当たる者が、皆を集めて告げた。


「我ら、未来の天意、人意のために。今この時の天意に背かん」


 その言葉だけで、一同は何を成すのかを理解した。神職は雨ごいの支度を始め、修験者たちは山伏の装束の用意を始める。

 雨の少なさを逆手にとって作った、貴重な干しいい。そのほとんどを持った修験者たちは、朝方に村を出発して、西へ西へと向かったのだそうだ。

 

 当時、すでに富士山を始め、いくつかの霊峰が認知されており、彼らが向かったのも、その中のひとつだった。高さはそれほどではなかったが、ごつごつとした岩肌と、切り立った崖を上り下りする複雑な細道は、およそ巡礼には向いていないだろう。

 このたび、ここへ参った山伏装束の修験者たちは、12名。道行く中で1人、また1人と、ある地点で山肌をぺたぺたと手で触り、年長者がそばの割れ目をのぞき込んだ後で待機を命じられ、数が減っていく。

 山の八分目に到達する時には、一番の年長と、一番の若輩である修験者のみとなっていた。


「これは、めったに使ってはならぬ手だ。十中八九、確実に雨をもたらすことができようが、天の機嫌を損なう。

 少なくとも、五年に一度。できるならば、それを超えて長く眠らせておけ。どうしても天がおさまらぬならば……」

 

 年長者が素手で腹をかき切り、取り出したものを、中空の台座に置くがごとき仕草をして見せる。若者は顔を引きつらせたが、足が震えるのは何とかこらえた。この場所で下手に動くと、命が危ない。

 今、歩いている道は、ようやく人ひとりが歩けるほどの細い幅。自分も年長者の影に隠れるような形で、どうにかくっついている。気を抜けば、千尋せんじんの谷へと真っ逆さまだ。

 壁のように立つ山の肌。そこからトゲのように飛び出す諸々の岩を手掛かりに、歩を進めていく二人。

 風が強く吹くたびに、それらを強く握りしめて立ち止まり、弱まればまた、そろそろと進む。それを繰り返し、頂近くに差し掛かった時には、ほとんど這うかのような低い姿勢だったという。

 

 およそ十畳程度の空間しかない山頂。その中心には、これまでの道中で見たような岩のとげが、一本だけ縦に生えている。低い姿勢のまま、年長者はとげ岩に近づくと、肩をくっつけてそれを押す。若者も、隣に並んで手伝った。

 音を立てながら、岩がずれていく。その下からは一抱えもある大きさの、丸い穴がのぞいたんだ。

 そのふちからわずか下には、黄色がかった生地が敷かれている。顔を近づけてみると何十、何百と集まった糸の一本一本が、束を成しているのが分かった。

「やるぞ」と年長者が告げ、若者は場所を空ける。代わりにそこへおさまった年長者は、ふところからある道具を取り出し、刃先の鞘をはらう。

 大工道具のカンナ。板材の表面を整えるために使われるこの道具は、まだ現代に伝わる台の形をしたものではなく、棒の先へ笹の葉を思わせる刃をつけた、小さな槍とでもいうべき様相。

 年長者は刃先を、生地の中心へとあてがう。一度、脇にいる若者に目を向け、「よく見ておけ」と言外に告げると、カンナを「しゃっ」と音が立てて、縦一文字に走らせた。


 曇り空のずっと上の方で、何かがうなる声がした。

 それは盛大に叩いた釣鐘と、数えきれないほどの鈴を合わせて転がしたような、耳の奥深く深くまで、揺れ動かされる響きを持っていたんだ。


「これを聞いたら、他の者も続く」


 年長者の言葉通り、空からの音が途切れそうになると、銅鑼が叩かれ直されたように、またぐわんぐわんと、鳴り始める。きっと待機を命じられた者たちも、あのすき間に刃を差し込み、同じようなことをしているに違いない。

 二度、三度と響く、空の合奏。それが十一度目を数え、残った響きさえもゆっくりと空気へ溶け込んでいった、その瞬間。


 空から雨粒が降り出した。それはじょじょに大きさと勢いを増し、岩も地面も彼らも、差別することなく叩き始める。

 すでに地面は水浸し。この足元の悪さでの下山は、愚か極まりない。

 二人はあらかじめ装束とは別に背負ってきた、厚手の布を雨具代わりに被り、寒々とした空気の中で肌を寄せ合ったが、年長者の顔は頭上に立ち込める雨雲たちよりも暗い。


「空を泣かせるというのは、慣れないものだ。いや、慣れてはならんのだ」


 年長者は雨の勢いが止むまで、しきりにそうつぶやいていたという。


 下山し、村へと戻った修験者たちは、村人たちがあおるように雨を浴び、浮かれ騒いでいる姿を目にする。しかし、それに加わることなく、彼らは神職がいるであろう神社の境内へ向かう。

 そこには三つの棺が並んでいた。いずれも雨が降ってくるまでの間の雨ごい役として、皆の前で踊り続けた結果、力尽き果てた者たちだという。修験者たちはその場で黙祷を捧げる。

 彼らが招いた雨は、一週間ほど連日で続いた。その勢いは、今度は川たちを氾濫させるに十分で、またも人々の暮らしは脅かされる恐れに見舞われた。


「やはり、根に持たれたか……かくなる上は、わしが責を取る」


 年長者は、神職と修験者一同が集う堂のただなかで、静かに作法通りの切腹を行った。その遺体が、前の三つの棺ともども、かの霊峰の方角へと葬られると、空にはようやく晴れ間がのぞいたという。


 この秘儀と教えは、それからも二十数代ほどを経たが、最後の代では人々の嘆願に押し切られる形で、五年に一度の禁を破ってしまったらしい。

 わずか二年の間隔しか置かずに行った二回目の儀は、雨の代わりに風を呼んだ。修験者たちは、山の一番低きに陣取ったものをのぞき、いずれも谷底に躯をさらすことになった。

 村もまた、一向に雨は訪れず、かつて神職たちが憂いたこととほぼ同じ事態を迎えてしまう。

 ただ、それらすべてが成される前に、大きな地震が起きて、彼らのほとんどが土の中に埋もれてしまったのは、醜態を目にすることを嫌った、天のはからいかとうわさされたそうな。


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