たぎるブラッドバハムート!
放課後の3年2組の教室で一人、少女は泣いていた。
「ううっ……よくも……よくも、許さない……殺してやる。あの子と同じように」
(物騒なこと言ってるなぁ)
そこにやってきた少年。怖々声をかける。
「あーっと、あのさ。言い辛いんだけど、もう帰る時間なんだ」
「……………………………………………………………………だからなに、苗倉くん」
「鍵を閉められないから、教室から出てほしいんだけど。日直の仕事だからさ」
「…………」
無視かよ。
「だいたいなんで泣いてんの。――ん、どした、クラスの後ろを指差して」
クラス後ろの棚の上には飼育用のケージが置いてある。それで少年は察した。
「飼っていたクラスの動物が死んだってとこか……」
「苗倉くん……先生の言っていたことちゃんと聞きなさい。村上先生がクラスのみんなにお話ししていたでしょう。それに、死んだんじゃない……殺されたの」
「殺されたとは穏やかじゃないな……」
「だって昨日、お世話していたときは元気だったし、急に死ぬなんて考えられない」
「んなもんだと思うけど、動物なんて。まだ暑いし。残暑も厳しい」
「そんなことない。元気だった。すごい勢いで持ってきたエサ食べてたもん」
「先生が誰かが殺したとか言っていたのか」
「先生はそうは言っていなかったけれど、ふつう、そんなこと言えないでしょ?」
「まあそうか。それはともかく、もう帰ろう。誰も残ってないし」
「まだダメなの。生きもの係だから、ハムゴンのお墓作ってあげなきゃいけないの。……でも、いざ、死んでいるところ見たら……触れなくなっちゃって……」
「そういうことか……てか、ハムゴンつーのか、こいつ」
少年はケージを見る。
ケージの中では、ゴールデンハムスターがいた。エサ入れの中で精気のない薄眼を開けて、頬を膨らませたまま動かない。外傷はないが、死んでいるとハッキリわかった。
少年合唱をして、死体を持ち上げた。柔らかくて気持ち悪い。
「ご愁傷さん。ハムゴン」
「あ……、でも待って、苗倉くん」
「ん?」
「もしかしたら、ハムゴンを殺した人の手掛かりが、まだあるかもしれないと思って、すこし待って。ケージを調べてみるから」
「やっぱり、こいつ――ハムゴンは、殺されたと思ってるのか」
「うん。それ以外考えられない」
「わかった。じゃ、仕方ない。手伝う」
「え。手伝うって、お墓一緒に作ってくれるの?」
「それもだけど、それだけじゃない。――このハムスターを殺した犯人探し」
「犯人探しは墓を作りながら同時進行しよう。帰るのが遅くなる」
そんな提案で一通りケージを調べてから教室を施錠。死体はティッシュペーパーに包み込んで運び出した。職員室に3年2組の鍵を返却し、ハムゴンの死体について担任教師に相談し、校舎裏に埋葬することに決めた。用務員室に行き移植鏝を借りて、校舎の裏に移動する途中。
「状況を整理しよう」
そう提案したのは少年だ。
「この死体、一番初めに発見したのは、いつ、そして誰?」
「お昼休み。悲鳴が聞こえて、見たら直衛薫ちゃんがケージを漁っていたの。それでハムゴンが死んでいるって。薫ちゃんが言うには、お水のボトルの中身を取り換えようとしたらハムゴンが見つからなくて、よく見たらエサ箱の中で動かなくなっていたって……」
「なるほど……つーことは、そのナオエカオルってヤツも、生きもの係なのか」
「うん。そうだけど」
「んじゃ、ハムゴンが生きているのを最後に確認したのは、いつ」
「昨日帰るときにエサを食べさせて、お水も換えたの、そのときは元気だった」
「教室を出たのはあんたが最後か。だれか残っていたか」
「数人は教室に残っていたと思う。戸田くんが日直で、あと男子が二人。たぶん戸田くんのお友達。誰だったかはちょっと覚えてない……」
「なるほど。じゃ犯行は、昨日の放課後の最後にハムゴンを見たときから今日の朝まで、ということか」
「え。でも、今日の朝からお昼までの間は? もしかしたら午前中に誰か何かしたかもしれないし、それに疑いたくないけど見つけた薫ちゃんが、何かしたって可能性も――」
「それはないな」
「どうして……」
「まず、さっきケージを調べてみたけれどあやしいところは何もなかった。それにハムゴンには血や傷はなかった。つまり怪我や直接の暴力で死んだんじゃないんだ。それに――」
「それに?」
「さっきハムゴンを持ち上げたとき、柔らかかったんだ。それは死後硬直が解けていたってこと、死んでから半日以上は経過しているはずだから今日ハムゴンを殺すのは無理」
「苗倉くん……。なんでそんなことわかるの?」
「ん」渋々と苦々しい顔で言う。「ま、経験談」
「経験談?」
「それは置いておいて、この辺でいいんじゃないか」
人の気配のない校舎裏。埋葬するならこの辺りが良いだろう。
少年は死体の入った包みを置いて、移植鏝で地面を掘る。
「今までの話しだと犯人は、教室に残っていた戸田ってのと、その仲間二人、かな……」
「やっぱりそうかな」
「あと一つ言っておきたいんだけど……」
「なに、苗倉くん」
「……殺すなよ?」
「……………………………………」
「黙んなよっ! マジで怖いんだけど。やめてくれ。俺の通ってる学校で傷害事件とか」
「……だいじょうぶだよ。苗倉くん」にこっり。
「笑うなよっ! 逆に超怖いわ。俺の胆力がちょっとでも足りなかったらチビってるぞ」
「ちょっ……そういうデリカシーのない発言やめて。漏らすなんて……」
「顔を赤らめて恥ずかしがっているらしいけど、まだ俺の発言の方が優しいよ? そういうあんたは、もっと殺意をひっこめて」
「だって、許せないもん」
「だからって、絶対に殺すなよ。毒殺するなよ?」
「まあ、うん。そこまではしないけど。……明日、学校で問い詰めるつもり」
「……そうか」
少年は掘った穴に包みごと死体を置く。優しくそっと。その後、土を被せてゆく。
「だって、ハムゴンのこと大好きだったから」
「……」
「うちや生きもの係のみんなが、大事に育てて、かわいがってるの知っているはずなのに」
「……」
「昨日だって、うちがあげたチーズをおいしそうに頬張って、かわいくって。戸田くんたちは、それを見ていたはずなのに」
「……」
「なのに、ハムゴンを殺すなんて、いったいどんな神経しているのかな。信じられないよ」
「ああ、わかった……。もうわかったから、もういい」
少年は、少し迷ってから、やはり告げることにした。
適当な石を置いて作った墓に合掌して、その後少年は切り出した。
「……犯人は、あんただわ。鷲尾寧々香」
「え。」驚愕と心外。そんな感情が見て取れる。「なに言ってるの苗倉くん?」
「だからあんたがハムゴンを死なせた犯人。ちなみに名前はその背負っているランドセルに付いているネームプレートから知ったから」
「え、なに言っているの、クラスメイトでしょ?」
「んー。ああ、まあそうだな」
「でもなんで、うちが、あんまりだよ。なんでうちがハムゴンを! 殺すなんて……」
「はあ」面倒くさそうに溜息をつく。「いやいや、殺したなんて一言もいってないだろ」
「どういうこと! ハッキリ言ってよっ」
「なあ、鷲尾。ハムゴンの死因――何で死んだのか、わかってるか」
「……えっと、傷とかないし、毒、とかかな。やっぱり……」
「ああ、やっぱり、そこからだったのか」
「なにが言いたいのよっ」
「ああ、そうだよ。大体あってるよ。ハムゴンが死んだ原因は毒――いや、食べものだな」
「食べもの……」
「俺はハムゴンをケージから取り出すとき、口に詰まっているもので死んだ原因はほぼわかっていたんだ。傷もないみたいだし。――そのうち鷲尾も気づくんじゃないか、と思ってた」
「なに言ってるの?」
「チーズだ」
「え。チーズ……」
「ああ、なんかいろんなアニメの影響でネズミといえばチーズ好きって印象があるけど、本当はネズミにはよくない食材なんだ。血液の温度を過剰に上げちまったり、塩分多過になって体調崩したり、モノによっては口に詰まったりとか、な」
「え、でも、薫ちゃんが、ハムゴンにチーズを上げたらおいしそうに食べたって――」
「ああ、ペット専用のチーズてのもあるんだよ。その動物に合わせた調整をしたチーズな。たぶん、鷲尾は話を聞いて、知らずに人間用のチーズをあげたと勘違いしたんだろう」
「え」
「犯行時刻は『昨日の放課後から今日の朝まで』。んで犯行内容は『チーズを食わせた』こと」
「あ、え、……うそ」
「昨日、帰る前にハムゴンにチーズあげたの、あんただろ?」
「……ああ……ああ。うわ……ああぁ……ああ、うそ。ああ、うち、が――」
それから、少女は声を上げて泣きを始めた。
泣いている少女の隣で、少年はただ辛抱していた。
帰宅したいが、泣いている女子をそのままに帰ることはできない。が、慰める行為にも勇気が必要で、慰めるにしてもどうしたらいいのかわからない。どうしようもない状況だった。
「ぐずっ……」ようやく大雨も小康状態になってきたようだ。
「そう泣くなよ。後悔と反省はいくらでも必要だろうけど、落ち込んでいても仕方ねえだろ」
「…………ぐずん……」
「ま、動物を飼うときは正しい知識が必要ってことだ。命を預かってんだから中途半端はよくねえよ。明日、ちゃんと他の生きもの係のヤツにも謝って――」
「ううっ――」少年の言葉でゲリラ豪雨が発生しそうになる。
「まてまて! 泣くな泣くな。泣いても仕方ねえだろ。それに……俺だってなんの関係もないのに話しながら盛大にトラウマをエグられてんだからな……」
「……ぐず。どういうこと……」
「……俺も、兄貴の飼ってたハムスター死なせちまったことがあるんだよ」
「…………」
「今回とまったく同じように、な。ちなみにそいつの名前はバハムートてーんだけど……」
「ば、ばはむーと……」
「名前は兄貴のセンスだからな。兄貴が誕生日に親に頼んで買ってもらったんだ。ちなみに俺はテニスのラケットを貰ったから。んで、そのバハムートが俺にはまったく懐かねえくせに、兄貴のことは慕ってやがるんだよ。で、俺はそれが面白くねえ訳だ。なんで兄貴には懐いて俺には噛みつきやがるのか、てな」
「……」
「んで、俺はたぶんエサが原因だと思った。だから俺はバハムートにチーズをやったんだ。冷蔵庫に入っていたやつ。それで俺に懐いてくんじゃねえかな、て。それで次の日にバハムートは死んだ」
「……」
「それが原因なんだろうけれど、俺はそれを認めたくなくってハムスター飼育本やらネットやらを調べまくった。――ま、結果は裏付け作業みたいなもんだったけれどな。それで今回の件について、いくらか知識があったんだ」
「……」
「そんな感じで俺がバハムートを死なせちまった訳だ。なのに、だ。……兄貴のヤツは、寿命だとか、暑さのせいだとか、ぜんぜん俺のせいにしてこない訳だ。ムカつくことに」
「……ん。え」
「だから俺は罪滅ぼしとして、兄貴の日直の仕事を代わってやることにして――って、なんで俺は自分のトラウマや罪と罰を掘り下げるような真似をしてんだろ……」
「……そうなんだ。苗倉くんも……いや、でも、お兄さんと日直の交換って、それは無理なんじゃないかな……」
「交換じゃなくて代行なんだが……それに実際いま……――まあ、それは置いといてくれ。だから、お前の気持ちは、まあわからんでもない」
「あ」
「いま、やるせなくて悲しくて悔しくて歯がゆくてまごまごしてわなわなしてむしゃくしゃして忌々しい、そういうものが込み上げてきて、溢れ出して、心の中グシャグシャなのに、その想いをどこにも吐きだせない」
「……うん」
「……自分のこと大切にしろ」
「え。苗倉くん、どうして……」
「経験者だからな。そういう思考に行きつくんじゃねえか、と思った。犯人に罰を与えたいという思考はそれに行きつく。言っておく。――絶対やめろ。これからお前がそういう事をしたら、直前、つまり今こうして話している俺が疑われんだよ。ハムスター死なせた件で追い詰めたんじゃないか、とか。……あながち間違ってねえけど」
「……」
「それからホレ。これ貸してやっから」
少年はランドセルから取り出して、少女に渡す。
「これなに、マンガ?」
「ああ、兄貴のマンガ。そういう気分の沈んだときは、気分転換しろ。意外と面白いから騙されたと思って読んでみろよ。返すのはいつでもいいから」
「え、でもお兄さんのなんじゃ……」
「アイツのだからいいんだよ。――んじゃ、さっさと帰るぞ」
家に帰って読んだ漫画は本当に面白かった。
それが、少女の――鷲尾寧々香の初恋の話しである。
お読みいただきありがとうございます。
お疲れさまでした!
「彼」も「彼女」も出てきませんでしたね……。
前回の続きが気になっていた方、すみません!
次回は登場しますので! ご勘弁を。