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キを隠すにはキを使う

「ねえねえ寧々香(ねねか)。だからソレ、苗倉(なえくら)くんに相談してみたらいいんじゃないかな」

「みっちゃん。別に言わなくていいよ。……あんまり広めるのは……うちはそこまで事を大きくしたくないし……」

「でもでも気になるでしょ? 私もソレ、めちゃくちゃ気になるし。きっと苗倉くんも興味を持って聞いてくれるはずだって」

「うちは、別に、そんなに気にならないし。言わなくていいよ。苗倉君にも迷惑かも」

「すこしでも気になることは追求しなきゃ。探究心なき人生は味気ないモノ。なにか気になることがあるのなら調べないと。――そう。苗倉くんの力を借りてでも」

 そこで読書をしていた彼は、ついに声をかけてしまった。

鷲尾(わしお)さんと、そして皆元(みなもと)さん。みんな帰った放課後の教室で、僕の席の付近にて大きめの声で僕の名を出して話しているのは、僕になにか用件があるからなんだろうけれど、そういう駆け引きもそろそろ10分に突入するから、もういい加減に聞くよ」

 ため息をついてから。


「――なにか僕に用なの?」


「ほらほら寧々香。苗倉くんも話しかけてくれた。あのことをを話すチャンス!」

「いや、皆元さん。意図的に声をかけさせようと、あからさまに画策していたよね?」

「なーんのことかしらぁ? ふひぅーふしゅー」

「口笛を吹いてごまかそうとしているみたいだけど、出来ていないから。てか、ガチで吹けなかったのか」

「苗倉くん舐めないで。本気を出したら吹けるよ。それはもうストラディバリウスくらいのを」

「口笛でバイオリンができるとは思えないけどなぁ……」

「それより苗倉くん。――事件なんだよ!」

「みっちゃん。事件っていうほどのことじゃないから」

「と、鷲尾さんはそういっているけれど。どうなの皆元さん?」

「いいえ。私が事件といったら事件なの。私が事件といったら事件なのよ。決定」

「皆元さんのジャイアニズムがすごい件について……」

「うちが話したら、みっちゃん盛り上がっちゃって……ごめんね苗倉君。本を読んでいたのに」

「まあべつにいいよ。読んでいたラノベの区切りも良かったし。鷲尾さんが謝ることじゃない」

「だからとにかく、事件なんだって! まず落ち着いて聞いて」

「落ち着きがないのは皆元さんだけなんだけど。――で、なに、また『なにか』が落ちていたの?」

「ちがう。そんな簡単な事件じゃないの!」

「この前は難事件って言っていなかった?」

 うんざり顔の彼には取り合わず、彼女は声高らかに、とても楽しそうに言った。

「今度のは規模が違うの。なんと、人体消失事件。――神隠しよ!」



 彼の机の対面に、彼女たちは椅子を用意して腰を据えた。

恩地(おんじ)先生いるでしょ。あのヒトが消えたの」

「え。恩地先生って社会科の恩地義武(よしたけ)先生?」

「そう」

「サッカー部の顧問で、マラソンが趣味で、あだ名が『ミスターバーニング』の?」

「その通り」

「でも五時限目、つい1時間ほど前だけど、その時にはいたよね。先生の授業を受けたけれど、歴史。てか同じクラスだし一緒に聞いたよね?」

「当たり前でしょ。本当にいなくなったら大事件になっちゃうじゃない」

「……まさかの切り返しの件について……事件って言ったのは皆元さんのなんだけど」

「言葉の綾よ」

「うちは、はじめから事件なんかじゃないって言っているんだけど……」

「このように鷲尾さんは証言しているけれど、事件なの? 皆元さん」

「ええ、もちろん事件よ。恩地先生が消えたの! 神隠し!」

「なにその自信。そして話が進んでいない。――まず何があったの?」

 まるで怪談をするような雰囲気で、彼女が不気味に笑った。

「事件は昨日の放課後、寧々香が下校中にコンビニに立ち寄った時のこと。傘を降り立たんで傘置きに投入。その後コンビニの中に入ろうとしたところで、恩地先生が足早に店内へと入っていったの」

「ここまで聞いた限り、鷲尾さんが遭遇した出来事のようだけど、なぜ鷲尾さんではなく皆元さんが状況説明をしているんだ?」

「うちは事件じゃないって言っているのに……広めることでもないと思うし……。苗倉君、みっちゃんの説明だけど、話し半分で聞いてね。たぶん、うちの見間違いなの。絶対」

「え。もう見間違いって確定なの?」

「しゃらっぷ! 話は静かに聞きなさい苗倉くん」

 ごほん。と彼女が仕切り直しの咳払い。

「――で、コンビニに入った恩地先生は、そのまま奥のお手洗いに向かったの。直行。ちなみにそのコンビニのお手洗いは男女共用の一室のみ。しかし、その数分後、その個室から出てきたのは、リュックを背負った茶髪でスーツの男だった。先生が入った個室から別人が出てきたの。恩地先生は――消えてしまったのだぁ!」

「なるほど、見間違いか……」

「結論が早すぎるっ! 苗倉くん少しは考えて」

「でも、鷲尾さん自身が見間違いだって言っているし」

「いいえ。個室に入っていったのは恩地先生だったし、個室から出てきたのは恩地先生ではなかったの。寧々香が見たのは本当。――私が断言するわ!」

「いや、皆元さんが断言しても……。皆元さんはその場にいなかったんだよね?」

「うん。いなかったわ。寧々香だけ」

「いや、だから、自信満々に『うん』と肯定されても……信憑性がまったく無いんだけど」

「私は寧々香を信じているから。――で、そういう事件なの。いったい恩地先生はどこに消えてしまったのか。無事だといいんだけど」

「いや恩地先生、存在しているから。生存してるから。今は職員室。もしくはサッカー部の指導でグラウンドにいる」

「苗倉君。あんまり気にしないでね……。うちが言った通り、見間違いに違いないから」

「間違いが違うから正しい、か。……間違いが違っても間違いかもしれないと僕は思うけれど。――うーん。見間違いというよりも見逃しなんじゃないかな?」

「あっ、苗倉くんの言いたいことわかった。フフフ」

「皆元さんなぜ笑う?――とりま、鷲尾さんは、恩地先生が個室から出るところ、その後すぐに別人が個室に入るところ、それぞれ見逃したんじゃなかな?」

「残念! 苗倉くん。それは違うわ!」

「え。なんで? たぶん女子が思っているより男子は早いんだよ。すぐに終わる」

「……………………………………苗倉くんも……はやいの? …………すぐに終わっちゃうの?」

「皆元さん、なぜ上目遣いで恥ずかしげに聞いてくるの? 妙な誤解を生みそうだからやめて。鷲尾さんなんか顔が真っ赤になっちゃってるじゃないか」

「でもでも苗倉くんがフってきた話題でしょ。セクハラは苗倉くんのほうです」

「えっ」

「うん、苗倉君。そういう下品な話は……」

「ええっ。鷲尾さんも?」

「苗倉くん、私はまじめに話しているんだけど?」

「ごめんなさい。先の発言を無かったことにしてください。失言でした」

 反論はあったが敵わないと思ったので、謝った。

「うん」「そうだね」

 許された。

「それで、話を戻すけれど、なんで鷲尾さんの見逃しじゃないの?」

「あのねあのね。寧々香はコンビニの雑誌コーナーにずっといたの。でも、恩地先生が個室に入って、別人が出てくるまで、人の出入りは一度としてなかったのよ」

 難題であることを暗喩するように、教室の窓の外では暗雲が太陽を隠し始めた。



 コンビニ店舗に於いて、集客効果の高い雑誌コーナーを入り口すぐの窓側に配置するのは計算された商売戦略である。そして、その奥の壁側はお手洗いになる。系列店という建築の構造上、その店舗も漏れなくそうだった。

「なるほど、鷲尾さんがずっと雑誌コーナーにいたならば、個室の出入りを見逃すはずがない。だから見逃したのではなく、見間違いってことか」

「そーそー苗倉くん。そーいうこと。飲み込みが早いね」

「でも、絶対じゃないよ。うちも、ずっと化粧室を監視していた訳じゃないし。もしかしたら見逃したのかも」

「いや、鷲尾さんが雑誌コーナーにいたのならば個室への人の出入りはわかる。気配を感じられるはず。見逃しの可能性は限りなく低い。――ちなみに鷲尾さん、なに見ていたの?」

「え。苗倉君どういうこと。なに見ていたって……」

「雑誌コーナーにいたんでしょ? なにか本を読んでいたんじゃないかと思って」

「ああ、……えーっと、週刊ガンジャンとか……」

「ファッ! まじで。じゃあシーピースキースって漫画知ってる? 読んでる?」

「え、あ、うん。知ってるよ。好き」

「おお! まさかこんなところにシピスキ好きの同志がいたとは……。じゃ、今週の見た? 海底電子トンネル編がクライマックスだけど」

「ごめん。うち、単行本しか読んでなくって……」

「あ、そなの? 単行本派なら僕はネタバレにならないように注意するね。単行本なら希少金属ギャング編が終わったところだな。キースのメタルバレットとか胸熱だよね」

「うん。カッコよかったね。でもアレってメルラーの銃なの? いつの間に受け渡したのかな」

「おっ、わかってるねぇ。フフフ。実はアレ、コミックの裏表紙に――」

「ストオオオオォップ! 苗倉くん。寧々香。話し、ズレてるから!」

「おっと……夢中になってた」

「みっちゃん、ごめん」

「まったくまったく」

「で、皆元さん。なんのお話だったっけ」

「中学校教員、恩地義武さん行方不明事件のお話し! 大事件を蔑ろにするな苗倉警部!」

「いや皆元巡査、僕としてはそんなに大事件じゃないと思うんだけど。何が起きたのか不思議、くらい」

「不思議と思うなら解き明かそうよ。疑問に思い、そこから発展させて知ることが大事だって、全校集会で校長先生も言っていたでしょ?」

「いや、覚えてないよ」

「みっちゃん。校長先生そんなこと言ってたかしら?」

「え、でも言いそうじゃない?」

「おい皆元さん。校長の話を創作するなよ!」

「でもでも苗倉くん。疑問は大事なんだって。さあ、一緒に謎を解き明かしましょう」

「でもさ、この出来事、考えるまでもないよ」

「え。苗倉君、どういうこと?」

「まさか苗倉くん、もうわかったっていうの?」

「いや、恩地先生に昨日コンビニに立ち寄ったか、聞きに行けばいいじゃないか」

「ど直球!――しかし、それは却下だ苗倉くん。なぜなら面倒くさいから。面白くないし」

「いや、面倒くさいって、あと面白くないって……」

「あの、苗倉君、うちもそれはちょっと……」

「ん? 鷲尾さんも?――ああ。それじゃ、直に先生に聞きに行くのはやめよう」

「なんで寧々香の意見は素直に受け入れるのかなあ。苗倉くんめ」ボソリと、恨みがましく呟いた。

「でもさ皆元さん。行動すれば解答がわかるのに、考える方が面倒くさいとは思わないの?」

「んーん。べつに。苗倉くんと、いっしょだし……」

 すこし照れるが攻めの姿勢からかってみた。

「なるほど。皆元さんは肉体労働よりも頭脳労働派なのか。まあ、僕もそうだし」

「いや、そういう意味じゃないんだけど、ね」

「うん。みっちゃん、苗倉君ってすごい、ね」

「ん?」

 彼にはよく伝わらなかった。

「話を戻そう。皆元さんが説明した鷲尾さんの出来事が全部本当だったとして――個室に入った恩地先生が別人が入れ替わったとすると、考えられる可能性は3つだ」

「え、まさか苗倉君。みっちゃんの説明だけで何かわかったの?」

「いや、ぜんぜんわかってないよ。一般的なミステリの考え方で、まだ推測の話し」

「で、苗倉くん。どんな推測なの?」

「1つ目。個室に入ったのは恩地先生であり、個室から出てきたのもまた恩地先生である。そして、出てきた先生を何らかの事情で鷲尾さんは見間違えた」

「やっぱり見間違いってことね」

「うん。そうかもしれない……」

「2つ目。個室に入ったのは別人であり、個室から出てきたのもまた別人である。そして、個室に入る前の別人を鷲尾さんは恩地先生と見間違えた」

「逆パターンね、1つ目の。でも1も2も、そんなことありえるのかな?」

「うち、2つ目の可能性は低いと思う」

「そうだね。赤の他人を恩地先生とは間違えないよね。『恩地先生だという発想が出ない』はずだ。恩地先生と僕ら3年2組の接点は、週二回の社会科の授業だけだからね。接点があまりない。この2つ目の推測の可能性はかなり低い。本命はつぎ――3つ目だ」

「うん」

「本命……」

「3つ目。個室に入ったのは恩地先生であり、個室から出てきたのは別人だった。見たままだ。――鷲尾さんは何も見間違えていなかった、と」

「素晴らしいっ!」

 彼女が炸裂した。立ち上がった。

「ソレ! 私もその3つ目だと思う! 寧々香を信じたいし、――なにより面白い」

「皆元さん。そんなに喜ばれても……。てか私的な理由だなオイ。面白いって……」

「でも、苗倉君の推測だと疑問が――問題点があるよ」

「ああ、鷲尾さんの言う通り。問題はそこにどういうカラクリがあるかトリックがあるか、そういうこと。――とりあえず、この3つ目の推測について、考えてみようか」



 放課後の教室で3人は、先生が入ったコンビニトイレの個室から別人が出てきた件を考える。

「そうだなぁ。――無いと思うけれど、個室内に抜け道があったりしないかな。隠し通路とかゲームじゃ定番だし。どお? 鷲尾さん」

「コンビニの化粧室だし……そういうものは無いと思うよ。防犯的にも」

「あるわけないよ。あっても通気孔くらいでしょ。苗倉くんってバカなの?」

「デスヨネー。でも、バカは余計だ皆元さん。無いと思うって前置きしたのに……」

「苗倉くん。いまのは親しい人間への愛情表現として使ったんだよ? まったくこのバカは」

「親しくない人間へ使うと、普通にバカにしているように聞こえるからね? うん、ちょっとむかつく」

「あ、そうだ! 寧々香。――恩地先生が入って謎の別人が出てきたのは、ホントにお手洗いの個室だったの?」

「みっちゃん、どういうこと?」

「二人が出入りしたのはお手洗いじゃなくて、コンビニの商品倉庫――バックヤードだったんじゃないかな。個室の中は行き止まりだけど、バックヤードなら裏口もあるかもだし」

「……みっちゃんごめん。それは違うと思う。あの二人が出入りしたのは化粧室だった。店員さんが出入りする扉は、お店の反対側の奥にあったから」

「僕も違うと思うよ。謎の別人はともかく、恩地先生がバックヤードに入っていったら騒ぎになるよ。無関係の人物が関係者以外立ち入り禁止のエリアに踏み込むわけだから」

「でもでも、恩地先生がコンビニ関係者かもしれないよ? 例えば恩地先生、実はそのコンビニで兼業バイトしているとか。ほら、体力ありそうだし」

「中学校教師は公務員だから副業禁止だよ」

「くぅーだめかー」

「どうしたのさ皆元さん。バカなことを言って」

「なんだと、苗倉くん。ムカつく! 殴ってやろうか!」

「すごい理不尽! 少し前の発言どこいった?」

「そもそも私、けっこう頭良いんだよ? バカにしないでよ。――じゃあ勝負ね! 苗倉くん。この前の数学の小テスト――私、77点」

「僕、83点」

「ぐはっ……やられた……」

「流れるような自爆だなぁ……」

「でもさでもさ。テストの点数、苗倉くんがウソをついているかもしれないよね?」

「こんな小さな勝負でウソとかつかないよ。じゃ、わかった。明日、そのテスト持ってくるよ。ちょうど数学あるしノートに挟んでいたはず。その代わり、皆元さんも見せてよ」

「え。いいよいいよ。やった。――それじゃ、楽しみにしてるから。約束ね。ふふ」

「皆元さん、負けたのになんで嬉しそうなの?」

「いや苗倉君? なんでって、みっちゃんが喜んでいるのは、苗倉君と――」

「あ、寧々香。余計なことは言わないように」

 彼女は口の前に人差し指を突き立てた。そして――

「それよりそれより事件のお話し。まだまだ何もわかってないじゃん。続き続き」

「そうだった。まあ事件というほどのことでもないけど」

「ほらほら苗倉くん。恩地先生消失事件のトリック、他に思い付くことはないの?」

「トリックといわれても……そうそう簡単に思い付かないよ」

「ま、だよねー」

 彼は少し思案顔で歯切れ悪く切り出す。

「……もしかしたら、心理的なトリックなのかもしれない、という疑惑はあるけれど」

「心理的なトリック? わっ! なんかヤバそう。なになに」

「ヤバいことはないんだけど……。じゃあ、鷲尾さんに聞きたいことなんだけど」

「えっと、なに、苗倉君」

「鷲尾さん、恩地先生を特別に意識したりしてない?」

「ちょっと! 苗倉くん、それって――」

「うん。例えば、恋愛対象とし――」


「ないよっ!!」


「鷲尾さん?」「寧々香?」

「……それはないよ。苗倉君。違う。それだけは、断言できる」

「どうしたの、鷲尾さん? なんか、今までになく強い発言だけど……」

「うち、……好きな人……いるもん」

「……そか。ごめん」

「べつにいいの」――気にしない、そんな意思を伝えるように真っ赤になった顔を横に振った。「苗倉君が、それだけ、うちのために必死に考えてくれているってことだから。ただ、ちょっとだけ、誤解されたくなかっただけ」

「うん、だいじょうぶ。違うってわかってる。念のため聞いてみただけだから。――もしも、鷲尾さんが恩地先生を『そういう対象』として見ているならば、コンビニで先生を見たということを僕に話したりしないはず。自分の妄想――勘違いだと割り切るはずだ」

「うん。べつに気にしないで。苗倉君」

「ちゃんと論理的に違うとわかっているから、えっと、ご心配なく……?」

「……うん」

 そこで彼女が彼に冷たい眼を向けていた。

「まったくもう、苗倉くんはデリカシーがないなぁ。女の子に向かって『オメーあいつのこと好きなんだろグヘヘ』なんて。セクハラだ」

「そんなゲスな聞き方はしていないはずなんだけど!」

「あはは!」

 彼女の笑いで暖かい空気が戻ってきた。

「ま、でも、そういう考えもわかるけどねー。恩地先生カッコいいもん。なかなか背も高いし、無作為風な黒髪も体型とマッチして男っぽくてイイ感じだし。サッカー部のリフティング合戦でも生徒に混じってヘディングを使わないハンデの上で1位。――でも34歳だし、私たちとは歳の差があるし。――あ、それからそれから、私も寧々香と同じく恩地先生のことを恋愛対象とはしていませんので。苗倉くん、勘違いしないように」

「うん。それは始めから考えてなかった」

「寧々香のときと違ってテキトーだなぁ。――あ、もしかして、私の想いに気が付いているから心配いらないってことなの?」

「いや、想いとか知らないけど……。つまり皆元さんにも好きな人がいるって認識でいいの?」

「ム。この鈍感め」

「ん?」

「――でも、恋する人間の妄想って恐ろしいモノあるよね。いないのに姿を見たような気がしたりとか、夢の中に出てきたりとか。まったく、ドキドキワクワクイライラさせて、なんなのよっもう! て感じ。わかる。もー殺してやりたいって思うくらい」

「なんか感情が籠っているけど。実際、好きな人、殺さないでくれよ、皆元さん」

「あはは。例え話だよ。苗倉くん」

「わかっているよ。例え話、だよね?」

「うん。もちろん。まあ、うまくいかなかった時は、ちょっと包丁を突き立てるくらいで――」

「いや殺害してるから、それっ!?」

 ………………。

「ぷっあはははは」「ぷっふふふ」

「ははは」笑いが爆発した。「僕ら脱線し過ぎだよね」

「あはは。そーだね。――ま、いいんじゃない? 誰か困るわけでもないし。いっぱい考えて疲れたもん。疲労すると変なテンションになっちゃうよね。――ダレカさんがデリカシーのない質問したりねぇ。素じゃあ聞けないって。アレはないわー」

「もうソレ掘り返さないでくださいお願いします皆元大明神様」

「よかろう苗倉くん。その代わり、もうそろそろ帰りたいから、この事件を解決してみせよ!」

「なんてムチャ振りだ……。うーん、じゃ、こういうのはどうだろう?」

「え、苗倉君なにか考えがあるの?」


「番外の4つ目の推測として、個室内で恩地先生はトイレに落ちて流されてしまった。けれどパイプ詰まりすることなく奇跡的にマンホールから無傷で生還。あとから出てきた茶髪の人は、タイムトラベルしてきた未来人で、なんやらかんやら諸事情で現代人に見られないように、人目のないその個室にテレポートしてきた」


「よし面白い。オッケーそれでいきましょう!」


「いやいや採用するかよ!?」

 こうして事件は解決した(?)。


 

 帰り支度を始める。

「いや、まって。苗倉くんの案。アレ、恩地先生もタイムトラベラーにした方が面白くない? 二人は未来世界のライバル関係で、命を狙い合っている、みたいな」

「皆元さん、いい発想力だな。ラノベ作家を目指せばよろしいのでは?」

「あ、それいいかも。じゃ進路希望調査も『ラノベ作家』と記入しようかな」

「まった! やめた方がいい。絶対に。――親や先生から非常に熱い指導を賜ることになるから」

「なんだか苗倉君の必死さが伝わってくるんだけれど……もしかして体験談なの?」

「イヤイヤ、ワシオサン、ソンナコトナイヨー」

「な、苗倉君? そんな風に死んだような眼をして、カタコトで言われても……」

「わかった。じゃあ私がラノベ作家になるのは、苗倉くんが成功してからにしよう。無謀な道ではないと理解があれば反対もされないでしょ。――名付けて『虎の威を借る狐』作戦」

「『取らぬ狸の皮算用』作戦の方が、しっくりくるような気がする。そもそも僕が成功してからっても、ラノベ作家って順番でなれるような生ぬるい職業じゃ――――ん、まてよ。順番で……」

「苗倉君、どうしたの。鳩が豆鉄砲食らったような顔してるけれど」

「苗倉くん。もしかして何かひらめいた?」

「…………ああ、思い付いた。けど」

「おっ。やっるねぇ苗倉くん」

「うん。やっぱり苗倉君の発想力すごい。さすが作家志望ね」

「ごめんもうそれ言わないで鷲尾さん。トップシークレットだから。あとハズい」

「うん。わかった。それで苗倉君はなにを思い付いたの?」

「ああ、これからトリックを説明する。でも、あまり良くない考え方なんだよ……」

「んー。良くない考え――どういうこと」

「まず、謎の別人が個室トイレに入っておく」

「うん。ん?」

「その次に、恩地先生が個室に入る。それを鷲尾さんが目撃する」

「うん。んん?――それって」

「疑問はわかるけど、まず聞いて。――最後に、謎の別人が個室から出てくる。そして、それを鷲尾さんが見たんだ。入った順番が逆だった。そう考えれば辻褄が合う」

「んーっと?」混乱の彼女。

 彼は、鞄から筆記具を取り出し、ノートの空きページに記入した。


1、『謎の別人』が個室に入って待機。

2、恩地先生が『謎の別人』が待機している個室に入る。――目撃。

3、『謎の別人』が個室から出る。――目撃。


 ざっと、これだけ書いて二人に見せる。

「鷲尾さんがコンビニに到着したところで恩地先生も入店したんだよね。だから1の場面を見ていないんだ」

「なるほど。たしかに辻褄は合うね。で、それなら恩地先生と謎の別人は、知り合いってことだよね。個室で鉢合わせ――ブッキングしてるのにトラブルになっていないし」

「うん、皆元さんの言う通りだと思うけど。でも、それより、もっと考えないといけない点が、その先にある」

「え、なにを――」

「恩地先生と謎の別人は、個室の中で『なにをしていたか』ってことだ。僕が良くない考え方と言ったのはソレが理由。恩地先生は、なにかマズイことに手を染めているかもしれない」

 場の空気が引き締まる。

「……なるほど、そーね。男が二人、狭い密室で、なにをしていたのか……」

「ああ、シャレにならない。人目のない場所での密会……おかしいし、怪しい」

「――ねえ苗倉くん。これって、もしかして、犯罪?」

「鷲尾さん。先生が個室に入って別人が出てくるまで、どれくらいの時間だった?」

「えっと、3分か4分くらい。5分はかからなかったと思う」

「3、4分か……なにができるだろか……」

「あのでも……苗倉君」――細い声で呟いたので二人には聞こえていなかった。

「もしかしたら麻薬取引――薬物売買なんじゃないか。人目のない場所で3、4分で済ませるなら。いや、銃器の受け渡しということもあり得るのか。人に見られるとマズイ物品の取引。出てきたのは茶髪でリュックを背負ったスーツ姿の人物だったよね。リュックがあやしいな」

「待ちなさい苗倉くん。それよりも――」

「あのでも……みっちゃん」――がんばって声を出したが二人には届かなかった。

「場所のこと考えて。苗倉くんは、たぶん漫画やアニメの見すぎ。コンビニだよ。そういう秘密取引ならもっと適した場所があるよ。深夜の公園とか、絶対に人にみられない自宅などの屋内とか。――でも場所柄、もっと注意するべき犯罪があるはず……」

「場所って、コンビニの男女共用の個室トイレだよね。……まさか」

「……盗撮」

 彼女が不安混じりに言った瞬間、彼は教室出口に向かっていた。

「僕、これからそのコンビニに行って調べてくる。もしかしたら隠しカメラが出てくるかも。事によっては店員さんに相談して、警察に連絡を――」

「まって! ちょっと聞いて、二人とも」

 必死の声がようやく通じた。

 彼と彼女は一時停止した。

「ん。どうしたの、鷲尾さん」

「その……実は、ね」

「……実は?」

「うち、先生とは別の人が化粧室から出てきた後、すぐに個室の中を覗いたんだけど、誰もいなかったし、変わったところはなかったの」

 窓の外では暗雲が広がっている。光のない暗い空があった。


 いつの間にか帰宅の考えはなくなり、また推理の話にのめり込んでいた。

「なるほど。本当にこのトリックが使用された場合、1、2、3、と手順を踏んだ後に、

4、恩地先生が個室から出ていく。

という手順が必要になる。けれど手順3の直後、恩地先生は個室にはいなかったのを鷲尾さんが確認している、と。――よって、先のトリックは不可能ということか」

「うん。ごめんね、うちが最初に言っておけば誤解なんてなかったのに……」

「いーのいーの。寧々香が無事でよかった。苗倉くんの推理通りの展開だったら、寧々香はあやしい行動を終えた恩地先生と鉢合わせしているもの。そしたら何をされていたか……。よかったよかった。ぎゅううううう」

「ちょっ、みっちゃん。あんまり抱きしめないで……」

「だってだって、心配だったんだもん。ぎゅうううう」

「みっちゃん。もう済んだことだから。昨日のことだよ? もう終わったことだから」

「でも、鷲尾さんに大事がなくてホントよかった。トリックは検討外れだったけれど、鷲尾さんが無事なら検討外れでよかったって思う。無事でよかった」

「え、あ、そのうん。ありがと苗倉君」

「それでも鷲尾さん、怖くなかった? 誰かが潜んでいるかもしれないのに……勇気あるよ」

「その時は誰かが潜んでいるなんて考えはなかったし、化粧室のドアロックは解錠されていたし、ドアをノックしても返事がなかったし、それに……やっぱり気になったから……」

「でもでも、ますます分からなくなったね、事件。いったいどういうことなのかしら?」

 謎を抱える少女の表情が曇るのを、彼は見た。

「ねえ。苗倉くん、寧々香。――もういっそ恩地先生に直接話を聞きにいこうよ。犯罪かもしれないなら、もう面倒くさいなんて言ってられない!」

「え。みっちゃん。それは、やめたほうが……」

「危ないかもしれないから? 大丈夫。こっちは3人いるんだもん。直に聞くといっても『探りをいれる』程度にするし。ホントに危険と思ったら警察に連絡すればいいんだもの。スマホあるし」

「まって皆元さん」

「なになに、苗倉くん。私の身を案じてくれてるの?」

「いや、そういうわけじゃなくて」

「むう。ぷぅっ」

「いやだから頬を膨らませてハムスターのモノマネをされても……。しかし頬よく伸びるね。――いや、そうじゃなくて、とりあえず、犯罪の可能性は置いておこう」

「なんで? 男が二人、密室で密会だよ。あやしいじゃん」

「先のトリックは違うと、いま鷲尾さんの話で証明されたじゃないか。つまり『個室の中に二人の人間がいた』という推理も白紙に戻る。思い返せば、鷲尾さんの見間違いの可能性も否定できないし。状況と条件が初期状態に戻ったんだ。だから恩地先生に聞きに行くのはやめた方がいい」

「もう聞いちゃえばいいんじゃない? メンドイし」

「僕がその提案した時に、面倒くさいと否定したのが皆元さんでしょーがっ。酷いくらいに手のひらクルっとだよ」

「あの時はあの時、今は今。このまま何もわからないよりも、聞きに行って真実を知った方が有益だと思ったんだけど。埒が明かないよ。だからもう、恩地先生に確認すればいいんじゃないかな?」

「だからさ、皆元さん。恩地先生に事情を聞きに行ったら、鷲尾さんが――」

「な、苗倉君っ!」

「え。どしたの鷲尾さん。……なんだか少し、顔色が優れないような気がするけど……」

「……苗倉君は……もしかして、気がついて……いやごめん。やっぱりなんでもない」

「ああ、そう?」

「寧々香。なにか気になることがあるのなら、ちゃんと訊いた方がいいよ。奥ゆかしくて配慮を欠かさないのは寧々香の良いところだけど、同時に、考えすぎてはっきり意見を言えないところは寧々香の悪いところなんだから」

「本当に何でもないから」

「そうなの? 寧々香がそういうなら、いいけど。――でも話変わるけど、天気、悪くなってきたね。私、自転車通だから今日も濡れて帰ることになるかも」

「みっちゃん。それ大丈夫なの? もう帰った方がいいんじゃ……」

「でもでも気になるし。事件解決が第一! 私が濡れ鼠になることなんて些細なことよ。まあ、それでも昨日の雨は堪えたわ……。土砂降りだったもん。季節柄、仕方ないけど、家に帰ったころには下着までぐっしょぐしょで、全部脱いですぐにお風呂に――と、そこの苗倉くん。イヤラシイ想像禁止」

「えっ。い、いや、そんなことしてないよっ!」

「あ、ちょっとつっかえた。……やはり」

「してないって。――でも昨日の雨は凄かったよね。ゲリラだったし。ウチでも洗濯物に被害が出たよ」

「あっ、話をそらしてごまかしてる!」

「違うって!――ただ昨日の雨の話だろ。昨日の雨は、――……あめ……って、あ。――じゃあ、あれは…………あー……」

「ん。どったの、苗倉くん。無用な独り言が多いよ」

「うん。苗倉君……ヘン。もしかして、なにか気がついて――」

「ねえ、鷲尾さん。コンビニで見た恩地先生は濡れていてジャージ姿じゃなかった?」

「えっ。どうだったかな? すぐに化粧室に入っていっちゃったから。でも、言われてみればジャージだったかも。濡れていたかは、わからないけれど、傘は持っていなかったと思う。うちが傘立てに傘をいれている間に、急いでコンビニのドアを開けて入っていったから」

「なるほど」

「ところで苗倉くん。先ほどの、なにかに気が付いたぜ、って雰囲気はなんだったの?」

「えっと、……いや、えーっと、実は、言い辛いんだけど……今日の夕方のアニメ、ポータブルモンスターの録画予約を忘れちゃっていたかもしれない。それを思い出したんだ」

「へ。そんなこと?」

「うん。そう。そうだったら大変だな。――そんなわけで僕、帰るよ」

「えええっ! ここまで考えておいて未解決で帰宅ぅ。苗倉くん、事件はどうするのよ」

「迷宮入りで」

「ちょっとちょっとぉ! この事件とアニメどっちが大事なの?!」

「そりゃアニメだよ」

「裏切り者ぉ!!」

「あと皆元さんは、くれぐれも恩地先生に事情を聞きに行かないように。鷲尾さんの勘違いかもしれないんだから。そんなことで先生のお手を煩わせるのは良くないよ」

「苗倉くん。ああっ、鞄を担いで、よっこいしょ、な感じじゃないのっ! 本気で帰る気だ」

「苗倉君。帰るの?」

「うん。僕は帰るよ。お疲れさまでした。この件、わかったら今度おしえて。じゃあね。――さて帰って録画予約を確認しないと。たまにはリアルタイム視聴もいいかもしれないな」

 嘘だった。彼はもう、すべて事情を察していた。

 教室を後にする彼の背後で、一人の少女は胸を撫でおろしていた。



 彼は帰り道を歩く。人通りはあまりない。

 雲間から光の柱が伸びていた。雨が振りだすことはなさそうだ。

「くらえ!! 苗倉くん」

「どああぁ!! 背中にとてつもない衝撃がっ」

「はっはっは。裏切り者には天罰を」

「後ろから自転車で突撃してきたのは――やっぱ皆元さんかっ! てか天罰じゃないよ。人為的で悪意的じゃないか」

「違うよ違うよ。冤罪だよ。自転車のちょっとした運転ミス。ニアミス。無罪放免」

「人身事故だけど。いや傷害事件なんじゃ……。てか高笑いしながら天罰とか言っておいて無罪はないだろ。証拠十分だし、計画的犯行だし」

「ちぇ。……じゃ、苗倉くんは私をどうするの? この件に口を紡ぐ代わりに金品と身体を寄こせ――って、私を脅迫するつもり?」

「はあ。」ため息が漏れた。「何もしないよ。……別にいいよ。ケガしてないし、途中で帰った僕も悪い」

「うん。苗倉くんが悪い」

「ハッキリ言うなぁ。でも、どうしようもないじゃないか」

「でもでも事件のトリックがわからないからって、アニメを理由に逃げ出すのは、いただけないなぁ」

「逃げてないよ。全部わかった」

「へぇ? ……え! 全部って」

「あの場で話すわけにはいかなかったんだ。僕が帰ったのはプライバシーを重んじた行動」

「どういうこと?」

「気を使ったんだよ」

「デリカシーない苗倉くんが気を使ったって?」

「…………まだいじるか、それ」

 気まずい顔の彼に、彼女は遠慮しない。

「とにかく苗倉くんは恩地先生と別人が入れ替わったトリックがわかったってことでしょう。それなら私にもおしえてよ」

「わかった。その代わり、僕が考えたっていうのは鷲尾さんには内緒で……」

「なんで?」

「なんででも! とにかく知られたらダメなんだ」

「わかった。じゃ、おしえて」

 彼は、気が進まないが、話し出す。

「……僕が話した推測の1つ目。覚えてる?」

「えと、最初の方に言っていたヤツ?――寧々香が恩地先生を見間違えたって推測だっけ?」

「うん。あれが、正しかった」

「えーつまんない」

「つまらないと言われても……」

「ただの見間違いだったの? でも、そう結論付けた根拠があるでしょ。ただの見間違いと推測しただけで全部わかったとは、片腹痛いわよ」

「僕が帰る直前に鷲尾さんに確認したよね。コンビニで見かけた恩地先生はどんな服装だったか」

「うん。恩地先生はジャージを着ていたって」

「そう。ジャージを着ていたのはグラウンドでサッカー部の指導をしていたからだろう。で、雨に濡れてしまった。昨日の雨は急に降りだしたからね。傘も持っていなかったようだし。――そして皆元さん。雨で濡れてしまったら、やることは決まっているよね」

「T.M.レボリューションごっこ、ね」

「ちがうよ?! その発想は無かった」

「あれ?」

「ここで無用なボケとか挟まなくてもいいから。――ふつうに、濡れた服を着替えたいと思うだろ」

「ああ、そっちね」

「だから恩地先生は帰宅途中にコンビニに寄って着替えることにした」

「にゃるほどねぇ。恩地先生が雨で濡れてジャージからスーツに着替えた。それを寧々香が見間違いした。まあ理屈も通っている。――でもでもおかしいよ。詰めが甘いよ苗倉くん」

「なにが」

「先生が着替えるなら学校の更衣室を使えばいいでしょ。それに寧々香が見たのは茶髪の人。先生は黒髪。髪の色なんてインパクトのある要素を見間違えるかな?」

「皆元さんが疑問に思っていることが、この件の核心そのものだ。髪の黒い先生が個室で茶髪になったということは――」

「まさか。個室の中で染めたっていうの?」

「どうしてそうなった?」

「え。ちがう?――はっ。じゃあ、もしかして人の皮……皮膚を着たってこと。それで別人に――」

「発想が突飛すぎるっ。ファンタジーかよ。いやホラーじゃん。そういう映画ありそうだけど。――ちがう。もっと簡単に毛髪を変える方法があるでしょ。いや、生やす、というべきかな……」

「あはは。生やす、って苗倉くん。それじゃまるで恩地先生がハ……………………………………え。まさか」

「うん。その『まさか』だよ」

 信じられず驚きながら彼女は確認する。

「先生がハ――いや、カツラだってこと!?」

「うん。そう考えれば全部が繋がる。恩地先生はヅラだ」

「え――――――えええええええぇ! うっそぉ!」

「カツラは濡れると痛むし、頭皮に張り付いてバレやすくなる。早く処理したい。だがしかし、学校でヅラを外すのはリスクが高い。突然の雨だったから、学校の更衣室には着替えている人がいるかも。校内のトイレも同様だ。そもそもヅラを交換したら、髪が変化するわけだから、どうしても違和感が出る。――それを人に見られるのは避けたい」

「な、なるほど」

「もしかしたら予備のヅラは、その時に被っていたモノと髪質や色が違うモノしかなかったのかも。そしたら学校に見慣れない人がいると勘違いされるかもしれない。まあ、その辺りは推測だけれど」

「うんうん」

「だから恩地先生は学校を出た。そしてコンビニで濡れたヅラを交換し、服を着替えたんだ。それを鷲尾さんが目撃した」

「なるほどねー。それは寧々香、見間違えても仕方がないわ。全身が変わっているんだもん。それはもう変装みたいなものだし」

「うん。そういうこと。着替えるためにコンビニに寄ったというより、濡れてしまったヅラを処理するために寄ったわけで、服を着替えたのは『ついで』だったのかも」

「でもでも、木を隠すなら――の感じで、全身変化していたら同一人物とは思われない、という考えもあったんじゃないの? もしも変装後の目撃者がいても、恩地先生だとわからないように、ごまかすために」

「そうかもね。だけど、それで逆に鷲尾さんの印象に残っちゃったんだから、本末転倒な気がするけど……。これは事件というよりも事故だよ」

「ふつう気が付かないよね。個室に入った人と出てきた人が違うなんて。――寧々香、よく見てたよねぇ。観察力が優れてるのかな」

「…………」

「なんで気まずそうに黙るの?――でもやっぱり、私の推理も正しかったわけだね」

「へ? 皆元さんはまともに推理なんてしていなかったでしょ。バックヤードのことくらいしか――」

「いいえ。私は最初に『神隠し』と言いました。ちゃんと『髪隠し』だったでしょ?」

「へ理屈にもほどがある。てかダジャレか。それは推理じゃないだろ」

「えへへ」

「はあ。……ま、そういう事情だと思うよ。――皆元さんが話していた、恩地先生がサッカー部のリフティング合戦でヘディングを使わないハンデ、というのは『使わない』ではなく『使えないようにしたかった』んだと思う。ヅラだってバレないために」

「ああ、そうか。なるほど」

「それじゃ、これにて解決でいいかな?」

「うん、おっけー。事件は解決です。――うん。それだけのことで良かった。法に触れるようなことじゃなくて、安心した。いったい誰よ。犯罪とか盗撮とか言ったのは……」

「僕の記憶だと皆元さんだった」

「あはは? そうだったっけ」

「そうだよ。まったく。……でも恩地先生には悪いこと――は、していないけれど――悪いこと考えちゃったな。邪推した。勝手に犯罪者に仕立て上げたり。ちょっと申し訳ないよ」

「実際には恩地先生にはなんの迷惑もかけていないんだから、いいんじゃないの。寧々香に誤解させた分、先生にも落ち度はあるし。先生がカツラだと気づいても、面白がって吹聴しない私たちに貸しがあるはずじゃないかしら? だから、申し訳ないことはないよ。申し訳あるよ」

「勝手な理屈だなぁ」

「それに人が、想像したり空想したり妄想したりするのは、自由でしょう。心は自由だもん。そこで申し訳なく思ってしまうのは、想像力のプロであるラノベ作家志望としてどうなの?」

「ああもうだからソレ言わないで。ハズイから! それに、さっきは想像禁止とか言っていたくせに、発言が一致してないよ。食い違ってるだろ」

「え、そんなこと言ったかしら?…………ああ、雨に濡れた私に苗倉くんがイヤラシイ想像をしたときね……」

「想像していないって!」

「………………………………じゃ、いいよ」

「へ? なにが」

「心でなにを思っているかは自由。心は自由。うん、正しいよね。……そのとおりよね。――だから、苗倉くんが私でイヤラシイ想像をすることを許します!」

「それを許されたところでどないせいっちゅうねんですか皆元さんや?!」

「……女の子の口から言わせるの?――あと苗倉くんの口調、ヘンになってるよ」

「おっとと。……てか、皆元さんの顔だってHPバーの3分の1を割り込んだときのような色に変わっている件について!」

「え。なにそれ。どんな色?」

 熱くなった頬に手を当てながら聞く。

「とっ、とにかくっ! この事件はこれで終わりだろ。もういいかな、帰っても」

「あえ、ああそうですね。終わっておりますね苗倉警部。どうぞお帰り下さいませ」

 ビシッと敬礼。照れ隠し、だ。

「あ、ごめん。ちょっとまった苗倉くん」

「ん」

「先の推理だけど寧々香に伝えてもいいかな? 内緒にしてくれって苗倉くんは言っていたけど」

「うん。秘密にしてほしいけど」

 彼はなんとも歯切れ悪く答えた。

「でも、このままじゃ寧々香が、モヤモヤしたままだよ」

「…………」

「寧々香は、事件解決に意欲的じゃないように見えたかもしれないけど、ずっと気になっていたと思うの。でなきゃ私にこの件のことを話さないだろうし……」

「なるほど。たしかに」

「きっと気になるけれど、苗倉くんを巻き込まないようにって遠慮してたの。それに寧々香はぜったいに先生のカツラについて触れ回ったりしないから。――だから、話してもいいよね?」

「……わかった。ただし、皆元さんが思いついた、ということで鷲尾さんに話してくれ」

「え、なんで? 苗倉くんの手柄なのに」

「それは――この件の『もう1つの秘密』に僕が気がついた、と鷲尾さんに知られてしまうから……」

「もう1つの秘密?」

 彼女の瞳が輝いた。面白そうだ、と。

「なになになに、この事件には『ウラ』があったの? うわっ、気になる。おしえておしえておしえて!」

「これは、本当に、僕の口から言うのは、はばかられるから」

「えー、なによなによ、おしえてよ」

「……………………」

「もう一度、突撃するよ?」

「やめて。痛いから」

「言っちゃいなって言っちゃいなって。――吐いちまえば楽になれるぜ?」

「なにそのアダルティな言い方」

「そもそも、その苗倉くんの考えた『もう1つの秘密』だって違うかもしれないでしょう? 自己完結してるだけで、私の目線からならば不可能かもよ」

「一理あるけど……」

「どんな推理でも口にするのは自由だよ。正しくても間違っていても。ただの推測だもん。私は苗倉くんの推理が聞きたい。――それに先に話したけど、想像するのは自由でしょう」

「想像するのは自由、か。まあ違うかもしれないし……うーん」

 彼は、少し折れた。

「……分かった。じゃ、ヒントだけ出すから皆元さんが自分で考えてくれ。気は乗らないけれど」

「うん。おっけー! 名探偵ミナモトの推理が炸裂しちゃうわよ」

 彼は渋々、口を動かした。

「すべては鷲尾さんがコンビニに立ち寄った理由だ」

「寧々香がコンビニに入った理由って買い物じゃないの? なにを買ったのかな?」

「……僕らは中学生だ。下校途中に寄り道するのは、あまり誉められた行動ではない」

「あ、そっか! ――だから苗倉くんと寧々香、先生に事情を聞きに行くのを渋っていたのね。先生を見たということは『私はコンビニに寄り道しました』と白状するようなものだもんね。ヘタしたら怒られるかも……」

「うん。でも『買い食い』は、違う。店内に飲食スペースは無いし、外は雨で風も強い。傘を差しながら教科書の詰まった鞄を持ちながら食べるのは大変だ。我慢できないほどの空腹なら食事を強行するのもわかるけど、鷲尾さんはそんな強者かな?」

「寧々香はそんなに食いしん坊じゃないよ。あとそれに苗倉くんが思っているよりも、女子が一人で買い食いするってハードルが高いからね。――『買い食い』は違うよ」

「ならば他の理由思い浮かぶ?」

「うーん。雑誌の立ち読みとか?」

「『雑誌の立ち読み』。これも違う。鷲尾さんはシピスキが好き、と言っていたけれど、連載している週刊ガンジャンを読んでいない。彼女は今週のシピスキの内容を知らなかった。それに『単行本しか読んでいない』と言っていた」

「あれ? でも寧々香、雑誌コーナーで週刊ガンジャンを見たって言っていなかった?」

「たぶん見たというのは表紙だけだろうね。一応、見てはいる」

「そーか。そうだね。――思えば、寧々香が少年誌を立ち読みするイメージは無いなぁ」

「うん。つまり『立ち読み』も違う。――だがしかし、彼女は雑誌コーナーにずっといたと証言している」

「んー、じゃあなんでコンビニに寄ったのかなぁ? ガス水道料金の支払い? 荷物の受け取り? コンビニって用途が広いよね。あ、もしかして雨宿りかな。雑誌コーナーなら外も良く見えるし」

 彼が物憂げにこめかみを押さえた。

 彼女の推理が、的外れに進展しているからだ。

「うん。アプローチの方法を変えよう。――……鷲尾さんって内気だよね。恥ずかしがり屋だ」

「そうだね。でも、そのことは苗倉くんより私のがわかってるよ」

「鷲尾さんは先生変化事件の真相究明に積極的ではなかった。親友である皆元さんには相談したのに、僕に話すことを渋っていた。つまりそれは、事件の真相は知りたいが、僕を含めた他人には知られたくないことがあった、ということ」

「うーん。そうなのかなぁ。遠慮してただけじゃないのかな。でも、言われてみれば、苗倉くんに相談するのを不自然に拒否していたような……」

「そして、件の個室のことを『化粧室』と言っていた。頑なに。それはあることを暗喩して、連想させたくなかったからではないかな?」

「言われてみれば、ずっと化粧室って言ってた。化粧室の方が上品な印象だね。私もそう言おうかな。寧々香って丁寧だよね。――でも暗喩、連想ってなにを?」

「……うーん。皆元さんの察しが良くない。察しが悪すぎる。本当に推理してるのか? 皆元さんには僕から『ヘッポコ探偵』の称号を授けるよ」

「いらないって! なによヘッポコって」

 彼は憐れみの混じった視線で彼女を見て、

「まだわからないの?」

「うん」

「はあ。これでわからなかったら諦めてくれ……」

 心の底からうんざりしながら、最後のヒントを出した。


「鷲尾さんは先生の出てきた後の個室を調べている。そして、そのことをあらかじめ僕らに言わなかった。その情報があればもっと条件を絞って推理できたはずなのに。それは『トイレに入った』ということ自体を知られたくなかったから、隠したかったから。では、そもそもの疑問。なぜ鷲尾さんはコンビニに寄ったのか、なぜ個室に入ったのか。――もしかしたら鷲尾さんはトイレになにか用事があったのではないでしょうか?」


「……………………あ。」

 気がついた。

「………………うん。そういうことかと思います」

 彼女の中で、事件はすべて解決した。

 感想を述べた。

「………………………………………………すけべ」

「ええっ?!」 

言わぬが花。

沈黙は金。


そんな言葉があるそうです。


皆様、秘密の情報には、お気をつけて。

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