彼女のネガイ - 3
室内の中央、イドニスとプエルタが向かい合うように立っている。
一方、僕とミュウは、防壁魔法が張られた見学席で二人の様子を見守っている。
イドニスは無手なのに対し、プエルタは星霊魔法用の術式安定化のための魔導杖を手にしている。
少しの沈黙の後、イドニスは腕を組み口を開く。
「さて。始める前に、お嬢さんには聞かなくちゃならんことがある」
「な、ナンデショウ」
プエルタは大分緊張しているのか、強張った表情で杖をがっしり掴んで、若干片言になっている。
そんな事もお構い無しに、イドニスは言葉を続ける。
「俺の見立てじゃあ、アンタには"風神の化身"を扱う為の魔力・素養・経験は充分な筈だ」
「へっ……?」
イドニスの言葉に、もちろんプエルタもビックリしただろうし、僕も驚きを隠せない。
"風神の化身"を扱えるようになるのがプエルタの『願い』なのに、あの男はそれをもう出来るはずだと言った。
……本当に任せて良かったのだろうか。
流石のイドニスでも、こんな時に嘘をつく奴ではないとは思うんだけど……。
「えっ、でも……わ、私、下級の、しかもギリギリ星霊術師を名乗れるくらいのレベルの星霊しか、使役したことないんですよ……?」
「イドニス。もっとちゃんと説明しないとわかんないよ」
「言ったまんまだ。このお嬢さんには、もう"風神の化身"を喚び出し、使役する事が出来る力はある。但し――」
イドニスは自分の魔導石を取り出し、"不動の土竜"を召喚する。
召喚された"不動の土竜"はイドニスの肩に飛び乗り、「きゅう」と一声鳴く。
「アンタも星霊術師なら知っているはずだが、星霊魔法を行使するためには魔力さえありゃ良いってもんじゃねえ。星霊たちの『契約主』になり、星霊と心を通わせる必要がある」
星の象徴である世界樹から恩恵を受ける星療魔法と星文魔法に対して、星霊魔法は僕たち人間と変わらない意思を持つ星霊たちを従えるための器と精神、そして如何に契約した星霊たちに信頼されるかの協調性とカリスマが必要になる。
そうして築かれた星霊との絆の強さが、直接その星霊術師の強さへと繋がるのが星霊魔法だ。
「今のアンタに必要なのは、魔力でも素質でも協調性でもねえ。自分が『契約主』であるという自覚だ」
「っ……」
「星霊魔法に必要なのは星霊との仲良しごっこじゃねえ。契約に基づいた主従関係の上での絆だ。それが出来てねえから下級星霊にさえ舐められて、まともに使役も出来ねえ」
プエルタは苦虫を噛み潰したような顔で杖を握り締める。
黙り込むのはやっぱり、思うところがあるからだろう。
イドニスの言うことは確かに的を射ているが、オブラートに包むということをしない奴だから反感を買いやすい。
実際僕が何度買ったことだろうか、両手両足の指を足しても数えられない。
……今ので流石にプエルタも、大分傷ついてしまっただろうか。
イドニスを止めようと見学席から離れようとした時、ミュウが僕の袖を引いて止める。
「大丈夫、だよ」
「え……?」
プエルタの方へと視線を向ける。
さっきまで俯いていたプエルタは、今はイドニスをまっすぐ見つめている。
その顔は、先程までの緊張で強張ったものとは違う。
その眼は、人が覚悟を決めた時の驚くほど真っ直ぐな眼だ。
「――言われて気付くって点ではまあマイナス点ではあるが、及第点だ。これが分からなけりゃ俺はアンタに星霊術師をやめることを勧めてた」
「やめません。私は決めたから、父さんの遺志を継ぐって。約束したもん」
彼女の言葉を聞いたイドニスは、懐から別の魔導石を取り出す。
清らかな水のように透き通った水色の魔導石、『アクアマリン』だ。
イドニスはその魔導石を、プエルタに手渡す。
「この魔導石の中には、星霊の中でも比較的温和な傾向にある『水』の中級星霊"清浄なる水"が宿ってる。"清浄なる水"と契約を結び、使役することが出来れば、アンタは"風神の化身"も使いこなすことが出来るだろう」
「中級星霊を使いこなせれば皇位星霊を使えるように……?」
「そうだ。中級だの上級だの、星霊のランクは人間が勝手に格付けしているだけであって、実際には星霊たちの間にランクなんてのはねえ。多少個体差はある可能性はあるが、"清浄なる水"を使って"風神の化身"を従える事も可能な筈だ。アンタの力ならな」
プエルタはイドニスの話を聞いて、生唾を飲む。
それもそうだ。失敗すればイコール"風神の化身"を使役できないという事実が定まってしまう上に、星霊が逆上を起こして襲われるという可能性も十分にあり得る。
実際に、星霊魔法を悪用しようと安易に手を出した野盗が、星霊を使役しようとして琴線に触れ、マナを全て吸い尽くされて殺されるという例は多く見られる。
プエルタの性格を考えると、星霊を怒らせるという事は無いと思うが……。
見ているこちらまで不安になってしまう。
イドニスはプエルタから距離を取り、口を開く。
「星霊との契約の仕方は、俺が言わなくても大丈夫だな」
「はい。――いきます」
そう言ってプエルタは、アクアマリンを右手のひらに乗せ、集中し始める。
それと同時に辺りの空気が一変する。
冷んやりとした空気が辺りを覆い、プエルタを中心に水が湧き出て、彼女の周りに水流で描かれた『青』の魔法陣が展開される。
「母なる水より生まれし星の民よ。世界樹の導きのもと、今こそ契約を交さん。我が名は"プエルタ・マナーナ"。我が名、我が血を標に、汝が姿を我が前に示せ。其は――」
契約の文を詠みあげるプエルタの前に、また一つ大きな水の渦巻が出来上がっていく。
それが四散して、辺りに飛び散ったかと思うと、その中から青く透き通るような肌に、青く長い髪を携えた、美しい女性が優しげな笑みを浮かべながら姿を現す。
「"清浄なる水"――!」
プエルタが星霊の名を呼ぶと同時に、"清浄なる水"はその姿を完全に顕現させる。
大小様々な水の玉を自身の周りに浮かべながら、顔の前で手を組み『契約主』を見定めるようにして微笑みかける。
「…………っ……ウ、"清浄なる水"。お願い」
そう言ってプエルタは、魔法陣から離れて"清浄なる水"に一歩一歩近寄っていく。
その様子を見て、イドニスは目を見開いている。
「……なるほどな。こりゃ『規格外』なわけだ」
プエルタは"清浄なる水"の側まで歩み寄ると、その顔に手を伸ばす。
"清浄なる水"はそれに応えるかのように、プエルタの手に顔を預ける。
「私に、力を貸して。――汝が魂を、我が魂に預け給え」
そのプエルタの言葉に反応するように、"清浄なる水"は唇を動かしているが、僕には星霊の声は聞こえない。
恐らくミュウにも、イドニスにも聞こえていない筈だ。
星霊たちに言葉というものがあるのかどうかは明らかになっていない。
理由は単純に、星霊と話をしたことがある人間が居ないからである。
星霊術師が星霊との交信を行う時は、杖などの魔導具で魔法陣を描いたり、人の『言葉』を直接魔法陣へ変換して描く事で行う。
『魔法陣』とは言うなれば、星霊が扱う文字なのだ。
しかしプエルタはまるで星霊の言葉が分かるかのように、"清浄なる水"と言葉を交わしている。
少しの間話をした後、"清浄なる水"は水の飛沫となってプエルタの掲げる魔導石へと戻っていく。
彼女が魔導石の中へと戻った後、辺りの空気は元に戻る。
そうしてプエルタは魔導石を差し出して、まっすぐイドニスを見据える。
「契約、完了です」
「……合格、なんて偉そうなことは言えねえな。気性の穏やかな奴を選んだとはいえ、一発で成功させるとは」
……つまり、イドニスの言っていた事は本当だったということか。
彼女に足りなかったのは星霊魔法の勉強でも修練でもない。
星霊へと一歩踏み出す『覚悟』だったんだ。
ミュウは満足気に頷きながら、僕の顔を見て微笑む。
「ね。大丈夫、でしょ?」
「うん。彼女は、強いね」
その時、後ろから足音が近付いてくるのが聞こえた。
振り返ってみると、そこに居たのは昼間にプエルタを迎えに来たお爺さん――"ガレウス"さんだった。
「ガレウスさん……」
「坊主に名乗った覚えはねえが。……こいつはどういうこった」
「……簡単な話ですよ。彼女に足りなかったのは、背中を押してくれる人だったんだ。覚悟を決めるためのね」
ガレウスさんがやってきたことに、プエルタも気付いたようでこちらに振り向く。
「待ってて、お爺ちゃん。今、父さんの跡を継いでみせるから」
そうプエルタが言った瞬間、ガレウスさんは大声を上げる。
「ふざけんじゃあねェぞこのガキどもがァ!! なんてことをしてくれやがったんだァ!!」
怒号が部屋中を駆け抜ける。
ガレウスさんの目線は、プエルタとイドニスを捉えていた。
プエルタは驚きの表情をしているが、イドニスは鋭い眼光でガレウスさんを睨んでいる。
僕も怒号に驚いて身構える。今にもこの人は、プエルタのもとへ走り出していきそうだったからだ。
一体どうしたって言うんだ、この人は……!?
プエルタは確かに星霊魔法が使えるようになった筈なのに、何故それを怒っているんだ!?
「そこを退けェ、坊主ッ!! 何も知らねえ部外者の癖にしゃしゃり出てきやがってッ!!」
「退けません! 僕が何も知らないというのなら、尚更退けない!」
ガレウスさんと僕はしばし睨み合ったが、ガレウスさんは僕から目を離してプエルタに言い放つ。
「プエルタァ!! "風神の化身"の魔導石を渡せッ!! もうお前は操舵師なんて目指さなくて良い!!」
ガレウスさんのその言葉に、僕たちはそれぞれ思い思いのリアクションをとる。
「なっ!?」
「!?」
「…………」
「えっ……?」
ガレウスさんは僕を押し退けて、プエルタの元へ走り出す。
プエルタへ近付いていき手を伸ばそうとするが、それをイドニスが身体を使って阻む。
「おう爺さん、随分と勝手な物言いじゃあねえか」
「黙れッ!! 俺はもう家族を喪いたくねェだけだ!! さあ、"風神の化身"を渡せ、プエルタッ!!」
ガレウスさんの言葉に、プエルタは目に涙を浮かべながら、胸に"風神の化身"の魔導石を抱き、一歩ずつ後ろへ下がっていく。
「な……んで、なん、で? お爺、ちゃん。だって、私を操舵師にって、星霊魔法を、教えてくれたの、お爺ちゃんで……」
「全て諦めさせるためだッ!! もうソラウスのような犠牲を出さねえように、お前を操舵師はおろか星霊術師にさせるつもりなんか無かった!!」
その言葉を聞いた瞬間、僕の心の中で何かが疼いた。ずっと忘れていた感情――『憎悪』が渦巻く。
こんな自分勝手な話があるか、と。
僕は立ち上がって、ガレウスさんに近付いていく。
ガレウスさんはイドニスを押し退けようとしながらも、僕が近付いてくる足音に気付いたのか振り返る。
「それは……プエルタに、嘘をついてたって事ですか。あなたが星霊魔法だと彼女に教えていたものは、全部、嘘だったんですか」
ガレウスさんを力強く睨む。
彼は物怖じすることなく、逆にギッと睨み返してくる。
「ああそうだ、俺が教えてたのは星霊魔法のほんの触りだけ。星霊なんて扱えるレベルのものじゃあねえ……!」
「きっとガレウスさんは、プエルタがソラウスさんのようになるのが怖くて、ずっと嘘を教えていたんでしょうね……」
「悪いか、あァ!? 気ままな旅人さんには分からねえだろうがよぉ!!」
――堪忍袋の緒が切れる。
例え僕が第三者であったとしても、彼女の『願い』を知っている者として。
彼女の『願い』を支えてあげたいと思った者として。
目の前のこの男の発言は、僕は絶対に許せなかった。
「プエルタは……プエルタはガレウスさんが教えてくれたものをずっと信じていた! ソラウスさんの背中をずっと目指して憧れていた! その心は誰に教えられたものでもない、プエルタ自身のものだ!! それ以上、あなたの勝手に彼女を巻き込むな。彼女の『願い』を、馬鹿にするな……!」
「おめェのようなガキに……何が分かるッ!!」
ガレウスさんはイドニスから手を放し、僕の方へ殴りかかってくる。
それを受けようと身構えた瞬間、プエルタが叫ぶ。
「も…………もう、やめてぇーーーーッ!!!!!」
プエルタが叫んだその瞬間、彼女の足元に『緑』の魔法陣が展開される。
そして彼女が持っていた"風神の化身"の魔導石が、まるで彼女の感情に反応するように眩い光を放ち始める。
辺りの空気がまた一変する。
室内であるにも関わらず、何処からか風が吹き荒れてくる。
その風はプエルタを包み込み始め、大きな竜巻を生み出していく。
「チッ……マズイことになったか」
イドニスは竜巻を見つめながらそう呟く。
ミュウも見学席を飛び出して、僕の方へ走ってくる。
「イドニス、どうなってるんだ、これ!?」
「――これも星霊魔法ではよくあることだ。こいつは特例中の特例だがな。星霊術師の感情が不安定になると、心を通い合わせている星霊にも影響が出る。今のあの嬢さんはその状態だ」
「そんな……でも、"風神の化身"とはまだ契約してない筈だろ!?」
「そうだな……ということは、その逆って言うことになる。さっきの"清浄なる水"の反応を見る限り、お嬢さんは星霊に影響を与えやすい体質みたいだからな。"風神の化身"は今、あのお嬢さんの感情に影響を受けてる可能性がある」
「それってつまり……星霊が暴走してるって事か!?」
竜巻はどんどん人の形を成していき、やがて緑の髪を携えた神秘的な姿の巨大な女性が、鬼のような形相で姿を現す。
プエルタは"風神の化身"の足元で、身体を手に持った杖で支えながらワナワナと震え、目を見開いて何かを呟いている。
「あ……ああ…………わ、わた、しは……」
僕は突風からミュウを庇いながら、ガレウスさんに話しかける。
「確かに僕たちはあなたにとって他人だ。気ままな旅人に見えるかもしれない。――だけど、僕たちにとって彼女は友達だ。彼女の『願い』を支えると誓ったんだ」
"風神の化身"に手を向け、合言葉を唱える。
彼女を苦しみから助け出す力を、手に入れる為に。
「――規格設定完了、『夢幻解放』!」
その合言葉と共に、『セイリオス』と『アンタレス』を顕現させる。
そして青と赤の剣を両手に携え、僕は"風神の化身"へ向かって走り出した――!