従順な箱は、時に牙を向く
酒と煙草の匂いに、酔客達のはしゃぐ声。
忘年会の一次会も終わり、会計を上司に押し付けて僕はトイレに行っていた。
トイレから戻ると、薄情にも同僚達は先に店の外に出てしまったしい。
会計が済んでいることを確認して、僕は手をハンカチで拭きながらエレベーターホールに向かった。
忘年会で使った居酒屋は、飲食店が敷き詰められたビルの八階にある。
今は12月の中頃だ。
居酒屋はどこもかしこも賑わっていて、エレベーターホールの方にまで賑やかな声が届いている。
幸いエレベーターを待っているのは、僕一人のようだった。
ボタンを押して、エレベーターを待つ。
少し飲みすぎたようだ。
先ほどから体が重く、あくびが止まらなかった。
ピン。
エレベーターが到着したようだ。
うとうとしていた頭が音で覚醒する。
慌ててエレベーターに乗り込んだ。
どうやら意識をなくしている間に、別のサラリーマン客の団体が出てきたらしい。
中年のおじ様方が、顔を茜色に染めあげて同じエレベーターに乗ってきた。
「いやあ中々うまかったな」
「それにしても、課長飲み過ぎでしょう。検査の結果、よくなかったんですよね?」
「今日は特別だよばか、特別」
等と楽しげに話をしている。
定員割れするかどうかをこっそり僕は心配していたが、全員が乗り込んでも特にアラートはならなかった。
コントロールパネルの前にいた僕が、一階のボタンとドアを閉めるボタンを押す。
酒場の賑わいが、ドアを隔てて遠ざかっていった。
さあ、帰って寝よう。
ピン。
七階ですぐ止まった。
よく考えたらこのビルは居酒屋ばかりだ。
どの階でも、僕や後ろのおじ様方のような酔っ払いがエレベーターを待っているのかもしれない。
案の定、開いたドアの外には作業着の若者達がひしめいていた。
しかし、今僕達が乗るこの箱は既に満員である。
「あ、いっすよ。次乗るんで」
あまり酔って無さそうな若者が、そう言ってくれたので会釈をしてドアを閉める。
と、そこで声がかかった。
『満員です。最後にお乗りの方は一旦降りて、次をお待ちください』
エレベーターから電子音声で聞こえてくる声。
そんなばかな。ワンフロア移動してくれたじゃないか。
少し強めに、閉めるボタンを叩く僕。
知り合いが一人もいない場所なので、エレベーターへの無言の抗議だった。
『満員です。最後にお乗りの方は一旦降りて、次をお待ちください』
無慈悲に繰り返されるのは、全く同じトーンで繰り返される電子音声。
「おい、お前ポテト食いすぎたんだよ」
「いやあ、あれうまかったんですって。それに、今食った訳じゃないんですから関係ないですよ」
「ちょっとお前一回降りてみろよ」
背後では能天気な会話が繰り広げられている。
僕は早く帰りたいのに。
大体、皆が外で待っててくれたら申し訳ないじゃないか。
「どれ、じゃあ一回降りてみますわ」
僕が内心不機嫌になっていると、芋の食いすぎだと笑われていたポテトさん(仮名)がドアの外へ出てくれた。
……。
電子音声が止まる。
本当にぎりぎりの重量だったようだ。
ありがとうポテトさん。
僕はそう思い、閉まるボタンを押した。
これでやっと帰れる。
ガッ。
ドアは閉まる前にこじ開けられた。
ポテトさん、次を待ってくれるんじゃなかったんですか。
何で乗ってくるんですか。
「ぎりぎりみたいですからね、一回リセット出来たし大丈夫でしょう」
出る前にいた場所に体を収めながら、ポテトさんが言う。
……。
本当にぎりぎりみたいだ。
今度は何も言われない。
帰れるならいいか。僕はそっと、ボタンを押す。
ドアが閉まっていく。
これでやっと帰れ…。
ドアが、そっと開いていく。
なんでなん。
誰も乗ってこようとはしないところを見ると、七階の人たちが原因ではないようだ。
乗り込む人がいないのを一応確認して、僕はボタンを押す。
閉まっていくドア。
これでやっと…。
再び、ドアが開いていく。
もおおおおおおおおおお
帰りたいんです。眠いの。
やはり七階の人たちは誰も乗ろうとしない。
というか、「次待ってんだから早く行けよ」みたいな視線を向けられている。
ボタンを押す。
ドアが閉じていき、そして開く。
もおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぃぃぃ!!!
「おい、お前また降りてみろよ」
後ろのおっさん共がまた軽口を叩き始めた。
「どれ、降りてみますか」
ポテトが、エレベーターから出る。よし、帰ろう。
ボタンを押す……前にポテトが乗ってきた。
それじゃ意味ないじゃん。だめじゃん。
『満員です。最後にお乗りの方は一旦降りて、次をお待ちください』
ほら。言われるのわかってたでしょ。
降りてポテト。早く。早く。
『満員です。最後にお乗りの方は一旦降りて、次をお待ちください』
繰り返される電子音声と、絶対に一緒に帰ろうとしないポテトに怒りすら感じた。
先ほどから僕の体は今すぐに眠る事を要求し続けている。
早く帰って、布団に包まって寝たかった。
「うーん、もう一回降ります」
クソポテトが出る。
「で、乗ります」
クソポテトが戻る。
……。
誤魔化しきれたようだ。
ほっと息をつく僕。
しかし次の問題がある。
ドアは果たして、閉まるんだろうか。
祈りを込め、神に願いながらボタンを押す。
……。
閉まりきったようだ。
やった、これで帰れる。
ピン。
六階で止まる、エレベーター。
「あ、すみません降ります」
僕はそっとエレベーターを出て、非常階段から降りて帰宅した。




