第一章 8
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――――数時間後。
「ちゃんと頭の中に叩き込めましたか?」
分厚い革張りの本を片手に微笑みを浮かべるテレサ。そんな彼女の笑みに空恐ろしさを憶えながら、私は即席であつらえられた机と椅子にぐったりとしながら片手を挙げて、これ以上地獄が長引かぬように全力で『覚えたアピール』をする。
「そうですか。それは良かったです」
テレサはこちらに微笑みかけながら言うが、その笑みを見ていると先程までの怒涛の『お勉強タイム』の記憶が蘇り、体を悪寒が襲う。
生まれてこの方、こういった座学をすることは皆無だったため、まず字を読むことから一苦労だった。からっきし読めないわけではないのだが、遠回しすぎる表現や、一般的でない単語などの理解には苦労した。この戦いが終わったら、きちんと勉強しようか、などと考える。
「では、何か質問はありますか?」
「そうね……」
憶えた内容を思い出しながら思案する。
「私の・・・メンチュの具体的な伝承が少ないわね」
質問というよりは、疑問というような呟きをする。
「そうですね。おそらくですが……」
しばし、口元にに手を当てて考え込む。
「古今東西、様々な軍神・戦神は実在の人物が神格化されたか、戦争という行いそのものを肯定化するために具象化された神格であることが多いの。つまり――――」
「――――名前だけのお飾りの役職……ってこと?」
私がテレサの言葉を引き継ぐと、苦笑する。
「悪く言えば、ですよ。実際、古代エジプトでの戦争の勝敗を決したのはファラオのご威光によるもの、とされることが殆どだったらしいですし。……がっかりしました?」
私はかぶりを振ると、
「むしろ私にピッタリじゃない。何も役割を与えられないで一生をただむやみに生きて、ひっそりと死んでいくような私には、ね」
言って、自嘲が過ぎたかと思うが、それも本音だ。テレサは、そんな私に何か言いたそうにするが、彼女は何も言わずに話を続ける。
「でも、それほど悪い事だけでもありませんよ。軍神というのは、戦争というものを体現した神です。そしてその戦争は一時代の趨勢を決めるもだったりもするのです。つまりは、」
そこで言葉を切ると、一瞬目を伏せるが、すぐに続ける。
「つまり、貴方なりの『物語を紡ぐ』事ができるはずなの。私や他の代理人のように、既に描かれた伝承にあることしか出来ないんじゃなく。一から貴方が積み上げられる。それが貴方の強みよ」
テレサはそう言うが、実感が湧かないので素直に呑み込むことは出来なかった。
「今はそれ良いのですよ。貴方は貴方なりの答えを出せば良いのです。それはそれとして……」
テレサはそう言うと、いきなり神妙な顔つきになる。その視線は私をつま先か舐めるように見ると、一言。
「喫緊の問題として、その衣服はどうにかしないといけませんね」
そんな訳で、私たちはさっきまでのバラック小屋から移動した。
「凄い人ごみね……」
そんな感嘆の声を上げた理由は単純で、視線の先にある巨大なビルだ。
私たちが来たのは、南アフリカ共和国での最大の観光名所と言っても過言ではない街、ケープタウンだ。
海岸沿いにあるこの港湾都市は、南アフリカでも屈指の国際都市だ。そのためもあるのか、割と珍しいものもないこの街は観光地としても名高い。
だが、今回はこの街に観光に来たわけではない。
「値段がすごいことなってない?平気で月収が飛んでるんだけど……」
ウインドウの奥に提示されている値段を見て絶句する。 さすが観光地価格だ、と素直に割り切ることも出来ない。何かよく分からない彫像にウン十万の価格が付けられている。ちなみに、アフリカの中間層の平均月収が1500ドル程度らしいので、それ以上の金は平気で飛ぶ。
「ここでの客層は外国人の旅行客や富裕層の方々ですので、それにこれらは観光地価格です。もっと面白いものがここに」
そう言ってテレサが指を指す方向に目をやると、屋台のような張りぼての露店の商品棚が見える。売っているのはペットボトルの飲み物のようだが、10ドルと表示されている。
「あれは、ただの水ですよ。一応、殺菌処理の施されたミネラルウォーターですが」
「いくらなんでも……ぼったくりも良いところよね」
「『安全』を金で買えるなら安いもの、という考えなのでしょうね。私もこのあたりの水を不用意に口にするのは避けたいですし」
つくづく世知辛い。
「こんなもの、氷山の一角……下に広がるのは莫大なアンダーグラウンドです。文字通り、人の手には負えるものではないのです。こういったものも私の『目標』なのです」
「立派な志よね……。私の夢なんていくら取り繕おうが結局、自己満足の利己的なものでしかないのよね。他の代理人もそういう人が多いのかしら」
「どうでしょうか?あなた、自分のことを卑下するけれど、十分立派な志ですよ。『妹とその周囲の環境の全ての改変』。誰かのために過ごせるというのはそれだけで高尚に値するものです。万人を救うのだけが正義ではありません。『人を救う』、それ自体が大事なのです」
「難しいことを言うわね。教養の足りない私には半分も理解できないわよ」
自嘲的に吐き捨てる。だが、その言葉をテレサは無視するかのように前を行く。
『万人を救う』。言うのは簡単だ。全ての人間を救いきる。ただの一人も取りこぼさず、世界中を救う。それはとても高尚なものだろう。気高いものだろう。だが、彼女は言った。どちらも変わらない、と。ただ自分勝手に、自分の唯一大切なものを守りたい、そのためだけに代理人になった私に。今まで些細ながらも積み上げたものをかなぐり捨ててでも守り、守りたい対象から忘れ去られてでも、妹を守りたい、それだけだ。
どこまで行っても自分勝手なものだと思う。妹が助けを求めていたわけではない。頼まれわけでも乞われたわけでも求められたわけでもないのだ。『自己満足』、それ以外の何物でもない。そんなもの、醜悪で低俗で見るに堪えないものでしかないものでしかないはずのものでしか————
「――――いつまで自分を卑下しているのですか?いいえ、卑下するな、とは言いませんが、その先には何も見出せませんよ」
「イシスには心まで読めるの?」
「ふふふ。ただそんな目と顔をしているように見えただけです。さあ着きましたよ」
立ち止まった場所は至って普通の露天商だった。
「別に特別な服装が欲しいわけではないですので。地元の服は地元の店で選ぶのが基本です」
そう言うと、店主の黒人のおじさんと和気藹々と話し始めた。話を聞いていると、昔からの知り合いのようだ。襤褸衣のような服装の私に何も聞かずに奥に通してくれた。
「いつもお代なんて良いって言ってるのに」
「いえいえ。これは感謝の気持ちです。服のお代金とは考えずに貰っておいてください」
テレサはにっこりと完璧なスマイルを浮かべながら、半ば強引に押し付ける。……ちょっと待って。
「(彼……見えてません?)」
「(私の魔術の恩恵ですよ。別れた後は記憶は綺麗さっぱりなくなりますが)」
聞くと、視界から消えた瞬間から記憶を継続できなくなるそうだ。
次にまた会ったとき、違和感無く記憶が継続されるそうだ。そんなことが可能なのも、『神の業』のだろう。
奥に連れられて向かった先には、ずらっと大量の衣料品がハンガーラックに掛けられた、ウォークインクローゼットだった。
色鮮やかな色彩に彩られたウォークインクローゼット。そこには、私が生涯で触れることはおろか、目にする事もなかったであろうきらびやかなドレスコードから、一般的な庶民の服まで多岐に渡っていた。
圧倒されるように見入っていると、テレサが背中を押す。そこでふと我に返った。やはり、私にもいわゆる女子力の欠片は残っていたらしい。私はテレサに笑い掛けると、大量の衣料品に総当たりしていった。
三時間後。私は衣服の山からようやく帰還した。途中、店主やテレサに似合いそうなものを見繕ってもらいながら、結局、ひざ上のショートパンツにタンクトップという無難な格好に
落ち着いた。
「貴方の様な方ならば、何を着てもよく似合います」
「お世辞をありがとう。でも、いくら着飾っても、破れてしまったら服に申し訳ないわ」
動きやすい方が都合がいいしね、と付け加える。だが、それは嘘だ。本当に機能性を求めるのなら運動用の野暮ったいジャージ一式で固める方が良いに決まっている。やはり、どこかに『自分には……』という見方があるのは否めないだろう。
テレサはそんな私に何も言わずに笑みを浮かべるだけだった。やはり、彼女には敵わない。
最後に、店主に一言礼を告げ、私たちは店を後にした。
「あの人、とてもいい人ね」
「そうですね。いつも良くしてもらっています」
テレサが微笑み、歩き出したときだった。
「――――貴方の罪は如何ほどか?」
歌が響いた。清廉なその音は、人々の喧騒を意に介さず、高らかと響き渡る。
「――――貴方の罪は如何ほどか?」
次の瞬間には、喧噪共々人混みが消失した。
私たちは、咄嗟に臨戦態勢を取った
「――――積もりに積もったその身の罪は」
しかし、周囲を見回したところで、人影は見えない。
そして――――その歌は、最後まで紡がれる。
「貴方を何処へと誘うか――――舞い落ちれ『審判下す真実の羽』」




