第一章 6
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――――ない。
暴虐の限りを尽くされるはずの未来が、一向に現実のものとはならなかった。それどころか、全身を突き抜けていた圧力も消失していた。
呆気に取られながら、閉じた瞳を開き、四肢に力を込め、動くことを確認する。
立ち上がり、周辺に目を配ると、場所が移動したのでは無いことが分かる。依然と、目の前にはルシアが存在し、倒壊した街並みが見渡す限りに拡がる。
何も、変わらない。
寸前までと何ら変わらないのに、呆然としてしまった。私の視線の先には、同じく呆然とし、それから困惑へと表情を移していくルシアの姿があった。
彼の周りには、先程までいた影は居なくなっていた。一瞬、彼が散開させたのかと勘ぐるが、圧倒的有利な状況でさせる意味は無いし、何より、彼自身もこの状況について行けていない事が表情から見て取れた。
「全く・・・油断してはいけませんよ、アドゥラさん」
どこからともなく、女性の声が響く。
「まあ・・・でも、『時間を稼いでもらう』という当初の目的は達成して頂いたのですから、よしとしましょうか。御怪我がありませんか?」
声が聞こえてくる方向は分かる。だが、そこへ目を向けても、テレサは影も形も存在しない。
「あらあら、すみません。姿を現すのを忘れていました」
不意にだった。
空間に割って入ったかのように、彼女の姿は現れた。
悠然と白衣をはためかせながら、テレサは柔和に微笑む。
「さしずめ『再臨せし不遇の王』というところですか・・・。ねえ、オシリスさん?」
『オシリス』。
そう呼ばれたルシアの顔には余裕の色はすでに消え失せ、蒼白のものへとなっていた。
「それか、『兄さん』とでも呼んであげましょうか?と言っても、あなたには伝わらないでしょうね。まさか、その力を持っていて、私が誰の『代理人』であるかを察せない筈はありませんよね?」
「ま・・・さか・・・」
「おそらく、力を授かった時に、言われませんでしたか?もしくは、今の『神葬』の発動方法を教わった時にでも聞かされていると思いますが・・・。『イシスとはぶつかるな』、と」
ルシアは開いた口が塞がらない、陸に挙げられた魚の様に、パクパクさせている。
「オシリスは、かつてエジプトの王として君臨し、自らの弟の手によって謀殺された。そして、ある『女神』の手によって復活し、冥界の王として再臨した。自らの妹であり、妻でもある魔術を司る神であるイシスによって、ね」
「『魔神イシス』・・・!!??」
ようやく搾り出した言葉は、掠れた叫びにしかなっていなかった。その叫びに、テレサは苦笑する。
「あまりその呼び方は好ましくはありませんよ。少々物騒な呼び名ですので。ですが、間違ってはいません。・・・そして、私が『イシス』の代理人である以上、貴方に万が一の勝機も残っていません。どういう事か、わかりますよね?」
完璧なまでの笑みを、テレサは浮かべる。
会話は、そこで途切れた。
ルシアが、声にならない声を上げながら全力で逃亡を開始したのだ。反射的に追いかけようとすると、テレサがそれを制する。
「私たちの目的は敵の殲滅ではありません。あくまで勝ち残るためです。あの御方ならば、他の代理人にでも敗北するでしょう。私たちが手を下す必要はありません。私たちが考えるべきは、これから先・・・どう立ち回っていくか、ということです」




