第一章 16
16
時は一瞬だけ、あの交錯の瞬間に遡る。
アドゥラとマリアが激突した、あの瞬間。
マリアは全身全霊の力で剣を振り下ろした。その速度は、アドゥラの視力をもってしても刀身が視認できない、正しく神速の一撃と呼べる代物だった。
真っ直ぐに振り下ろされる凶刃を、アドゥラは見えていなかった。しかし、躱した。
もう一度言うが、アドゥラにはその刀身は認識できていなかった。その細剣のごとき刀身はあまりにも小さすぎた。だがそれを、認識出来ない=躱せない、とはならない。
例えば、表情や視線。
相手の体の重心の位置。
腕の軌道。
その他にも、相手の拳や剣が空を切る音でも分かるが、今は音速超過の世界。それが聞こえる前に攻撃は当たっているから関係ない。
そして、一番大事なものは、それらの情報から瞬時に答えを弾き出し、行動に移す、直感力。
アドゥラの戦神としての真価はそこにある。 数多の戦場に降り立ち、または俯瞰してその戦場を見守る。場合によってはどちらかの味方をして、希望通りに勝利させる。
こんなのはチェスや将棋と何ら変わらない。自らが盤上に降り立つことは絶対になく、勝利への道筋を見出だす。神として悠久の時を生きる者ならば、人間の数年単位の戦争など、一瞬に過ぎない。その中で、相手の行動から、ありとあらゆる可能性を模索し、次に行うであろう行動を弾き出す。そこに論理的思考など入る余地はない。ピースが全く足りていないジクゾーパズルから全体像を把握し、寸分も違わない精度で複写するような、そんな芸当だ。
戦神としての力は、それを極限まで高めたもの。非論理的に弾き出された、論理的な結果を、効率的に行う。
この力で、大局を隅々まで予測する事は出来ないし、始まる前から勝敗が分かるような物でもない。
しかし、一瞬だけなら。
刹那にも満たない、その瞬間だけなら、それは予知へと昇華する。
アドゥラの『代理人』としての力はその直感力。他の能力は全て枝葉であって、根幹にあるべき物はそれなのだ。
今までは、それを扱えていなかった。しかし、今回、偶然でもなんでも、発動した。
――――その時、アドゥラは未来を垣間見た。
神速で振り下ろされる剣。それは、決して見切ることは出来ないであろう事を。
しかし、それがどれだけの速度で振り下ろされようとも、その瞬間が、軌道が分かっていれば対応できる。
高速の斬撃を受けるのは不可能。止まって退くのは論外。
ハァァァァァァッッッッッツ!!!!
右足は、足元のきめ細かい砂を巻き上げながら踏み込む。。二人の距離は一メートルもない。マリアの剣から見れば少々近すぎるが、十分に殺傷できる間合い。しかし、決して臆しない。
少しでも恐怖し硬直すれば、動きに付いていけない。
固く握った 右手の掌を開いた。
その掌を振り下ろされる刀身の腹を的確に、添える。
無理な力は加えない。
ただ少しずつ、剣の軌道を外へと追いやっていく。
目を見張るマリア。
歯を食い縛るアドゥラ。
凶刃がアドゥラの顔の数センチ横を通りすぎる。刃は地面に着くまでに止まったが、生み出された斬撃は十数キロ単位で、深さ二十メートルに及ぶ谷を生み出した。
一気に足場は最悪になり、細かな砂はその谷に大量に流入する。無論、その最寄りにアドゥラはいる。 放っておけば、砂共々谷間に落ちるだろう。
だが、しかし。そんなものは関係ない。
彼女らが居るのは音速の世界。一秒が何百倍にも圧縮された世界。
斬撃が谷間の底まで切り裂き、砂が落ち始めるまでに、彼女らの感覚では数秒先の話だった。
アドゥラは、掌で剣を受け流し、返す刀で左手を強く握る。
引き絞られた体は、その反動も存分に使って、全てのエネルギーを拳に乗せる。
マリアは無我夢中なのか、振り下ろした体勢のまま後ろに飛び退く。これで距離が圧倒的に開くわけではないが、ほんの十数センチ、アドゥラから遠ざかる形で移動する。
そのお陰で、アドゥラの拳からは寸でのところで逃れる。
両者が――――笑った。
マリアにはアドゥラが笑った理由が分からなかっただろう。
アドゥラの拳は僅かにマリアに届かず止まった。
さて、問題だが。
先ほど、アドゥラは砂を『使用 』することで神葬に耐えうる領域にまで引き上げた。しかも、足元の砂を蹴り上げるという形で、攻撃によってでも『使用』することは可能だと証明した。
蹴り上げた砂を扱えるなら、突き込んだ拳で大気を『使った』ら?
その時。マリアには何が起きたか認識できなかっただろう。
起きた現象は、寸止めされた拳が風を起こす、たったそれだけ。
だが、それに『音速超過』と『神葬』というパラメータが付与された。
すると、どうなるか。
大気そのものが神葬と化し、圧縮された砲弾となる。若干静電気を放ち赤熱しているのは塵などが高速で衝突しているからだ。
見開かれたマリアの瞳が、勝負の行方を物語っていた。




