8. 現実は結構ままならない
「花火まで、結構時間あるみたいだ」
「ここに座って待ってるだけでもいいよ、私、家に連絡しとくから、何時まででも大丈夫」
花火は大きな公園の中であげられるという。公園の外周の斜面には、多くのカップルや家族連れがすでに場所を取っている。特に時間の制約もない私たちも、のんびり待つことにして、芝生の上に座った。
「手、離しちゃったね」
「あ、うん。まあ、はぐれる心配も、もうないし」
本当にはぐれる心配だけで手をつないでたんですか…。
わかってたけど、がっかりするのはしかたない。
「私ねえ」
「うん?」
「私、わかってるんだ。四郎くんが、別に、私を好きだとか、そういう意味じゃないのは。だから、思い上がってたわけじゃない。これは、本当。だけど、なんともおもってないふりして、失敗したら恥ずかしいから、私からは行動しなかった」
「え、住田さん?」
「四郎くんが優しくしてくれたとか、話しかけてくれたとか、それが理由じゃないの。それがきっかけかもしれないけれど、でも多分、私、四郎くんが隣で他の人と話してるの聞いてるだけでも、きっと好きになれた」
「好きって、え」
やば、言っちゃった。もういい。全部ぶちまけてしまえ。
「四郎くんのこと、高校の頃から、ずっと好きだった。好きだったから、話しかけてくれるのが嬉しかった。でも四郎くんには彼女がいて、それでなくても私に興味なんて持ってくれるはずないって思って、アタックして玉砕したら嫌だからって、何もしなかったんだ。でもそれじゃだめだって、最近ようやく分かったの。私が四郎くんのことまだ好きってことも。だから、そのお、あ…」
もう少しだったのに、涙が出てきて、邪魔をする。悲しいわけじゃない。人と、対等に話をしようとすると、涙が出るんだ。
「……………あのさあー、」
あきれたような声がした。ああ、やっぱり、だめだった。もう失敗とは、思わない。でも、最後まで、言わなきゃ。
涙をぬぐって、顔を上げようとしたのに、なぜか頭を押さえつけられて、上げられない。
「し、しろ、く?」
「あのさ、住田さん。……なんか言いたいことがいっぱいあるんだけど。まず高校のときおれに彼女いたってのは、」
「加藤、さんと、つ、つきあって、たじゃん」
「いつの話をしてんだよ。二年の最初で別れたよ」
「え、そ、だった、の」
「まあ、そのなんだ、確かに、最初はおれも、住田さんになにか下心があって話しかけたわけじゃないし、高校の間ははっきりとした感情があったわけじゃなかったよ、住田さんには」
「う、うん」
「次に会ったとき、四年前な。おれは住田さんの大事な何かを支えたかった。それは恋人とか、そういう意味じゃなくて。ちょうどそのとき、おれの友達のこともあったから、余計にそう思ったんだけど。おれはそいつとも、住田さんとも、あるときには近くにいられたと思ってたんだ。近くにいて、その人を支える何かになれると思ったんだ。でもそいつはもっと大事な人を見つけて、住田さんは美大っていう居場所を見つけた。おれは何にもなれないって思った。そのとき、同じ場所にいただけ。何の意味があったんだろうって、拗ねてた。おれは誰かのそういう存在になりたかったんだ」
そこでいったん四郎くんは息をつく。
「そのあと、住田さんには当分会わなかったろ。おれは、結構住田さんのこと、思い出してた。おれの知らないところで、住田さんはいろんなところに行って、いろんな人に出会って、でもそこに、おれは関われない。それがいやだなって、あるとき思った。それが次の感情」
「感情?」
「えっと、おれの、住田さんに対する感情。今のいい方だとさ、誰でもいいみたいに取ったかもしれないけど。おれも、しばらくそう思ってたんだけど」
「うん…」
四郎くんがどこに論をもっていきたいのか量りかねて、私はただ相づちを打つ。
「さっき言ったおれの友達。そいつが、今言ったみたいに、おれの知らないところで人生を送ったら、寂しい。おれも関われたらな、とは思う。でも、住田さんの側にいられないのは、『いや』なんだ。なんでおれの知らないところにいるんだ、今どこにいるんだって、急に思ったんだ」
「なんで。私たち、別に、ただの高校の同級生だったじゃない」
「そう、思ってた?」
「え…だ、だって、四郎くんも、はっきりとした感情はないって、言ったじゃん」
そうだけどさ、と四郎くんは困ったような顔をする。
「まだ、完璧に整理できてるわけじゃないんだけどさ、感情が。高校のとき、おれたち、噂されたことあったじゃん」
クラスの中であんまり人と話をしない私が、四郎くんとだけはよく話すから、二人は付き合っているだとか、噂されたことはあった。二人とも、(私はあくまで表面上だったけど、)そんな噂はちっとも意に介さなかったから、しばらくしたら自然と言われなくなっていったけれど。
「その噂、いやじゃなかった」
「えっ」
「もう最初っからだったんじゃないかなって、今は思ってるんだけど」
「…て、ていうかさ、ていうかさ、さっきから、その言い方って、その…」
「なに?」
「その」
にやついている気配がする。これでひっかけだったら目も当てられない。冗談でしたーなんて、言われたら。
「住田さん?」
「その言い方、私のこと、す、好きって、言ってるように、聞こえるんですけど」
「そう聞こえるように、言ってるんです」
心臓が止まるかと思った。
「そ、その、聞こえるように言ってるって、本当はそうじゃないけどそう誤解するように言ってるとか、そういう」
「もう少し素直に受け取ってくれませんか」
と言われるとともに、もう一度頭を押し込まれた。必死に目を上げても、四郎くんの首までしか見えない。
「はっきり言うと、おれは、住田さんのことが好きです」
「お……」
脳みそが、自分の都合のいいように、音声を作り替えてるんじゃないだろうか。何回も問い直して、ようやく頭の中で整理がついた。結論としては、私の耳は正常だということ。
「そ、そうですか…」
「なんだよ、それ」少し笑った、それで、いつもの雰囲気が少しだけ、戻ってくる。
「続きなんだけど」
「え、何の」
「おれ、探したんだ、住田さんのこと」
「ええ」
「大したこと、してないけど。本当は、駅で見たんだ。向かいのホームに住田さんが立ってて、当たり前だけどおれのほうなんて見もしないで、電車に乗って、行っちまった。なんか、すげえ悔しくてさ」
「見てたの」
「見てたの。だから、ホームで張ってました」
「張ってたって、…仕事帰りとかに?」
「とかに。全然現れないから、参った」帰りが遅いって、親父には怒鳴られるしさ、と四郎くんは苦笑した。
「だって、私、出勤したら夜遅いし、帰んないこともあるし…」
「帰ってなかったのか。どうりで」
ていうか、これ、一歩間違えばストーカーだな、と四郎くんは言った。
「本当だよ」
「だいたいおれたち、知らなさすぎだよ。連絡先は知れたとしてさ、お互いの…あっ住田さん、おれの名字知ってるの」
いつの間にか緩んだ手を押しのけて、私はようやく四郎くんの顔を見る。
「武上くんでしょ、知ってるよ、もちろん」
四郎くんこそ、私の下の名前、知ってるの。
「史緒里」
「うわ」
「え、あってるよな」
「もー、だめ、下の名前で呼び捨てはさあ、ふつうに照れるから」特に、そんなふうにまっすぐ見ながら言うのは、もっとだめ。
「あ、そ、そうかも」
「じゃあひとつ、新しいこと教えてあげる」
「え、なに」
「私、住田史緒里じゃないんだ」
「は」
「私たち双子でねえ、私は妹の住田真澄なんだ」
四郎くんはぽかんと口を開けてから、ようやっと呟いた。
「嘘だろ」
「嘘だよ」
「へ」
「私たち二卵性だもん。顔は全然似てないし」
「…冗談の質が悪いよ、住田さん」
他人に告白したかと思ったじゃん、と四郎くんはため息をつく。
「私だって、違う人に告白されてたら、たまったもんじゃないよ」
言って、あるはずないことに不安になる。
「…違うよね?『住田史緒里』に告白したんだよね?『住田真澄』じゃないよね?」
「なんでそういうこと思うかな」
おれ、真澄さんの顔どころか、存在すら今知ったんですけど、と四郎くんはジト目でこちらを見る。
「だって、残念ながら、真澄の方がかわいいもの。もしだよ?同じ中身で、顔がかわいかったら、かわいい方がいいじゃない」
「その仮定がよくわかんないけど」同じ中身ってどういうこと、と言いながら、四郎くんは考えるように上を向いた。
「住田さんのその顔が住田さんでしょ。その顔と中身が一緒にないと、おれはいやかな」
「うわ、あ、ありがとう」
「なに、妹さんと、性格似てるの」
「ううん、全然似てない、あの子は彼氏取っ替え引っ替えだよ」
真澄にもお礼言わなきゃな。あの子がいなきゃ進展はなかったかも。
「てか、そうか、真澄って、女の名前でもあるよなあ」
顔を上げてあきれたように言う四郎くんを、私も同じように見上げる。
「え、なに、同じ名前の知り合いでもいた?」
「いや、…さっき、電話してたから」
そう言えばそうだった。お礼を言う以前に何か用事があったんだろうから、早めに電話しなきゃ。
「って、それって、私の電話の相手が男だと思ったみたいなんですけど」
「もうこの、こっ恥ずかしい会話やめない?」
四郎くんが私に話しかけてくれなくても、多分好きになってた。
でも、私に話しかけてきてくれたのが、四郎くん。
四郎くんが、美術に興味をもってくれなくても、全然構わない。
でも、興味を持ってくれたのが、四郎くん。
それが彼なら、AがBでもいいけど、AがAだから彼なんだ。
だから、好きなのかもしれない。
教室の隅っこで、私は本を読んでいた。いつしか、彼が話しかけてくれるのが楽しみになって、でも私から話しかけることはなくて、確かに私は臆病だった。
今、私は隅っこにいるんだろうか、それとも、彼の手を引いて教室の真ん中へ、あのダンスホールへ躍り出た?
死ぬときに分かる、きっと、その答えは。なんて、映画の台詞をもじってみたりして。
けれど今私の中心は私で、けっして広くはない私の中を部屋のようなものに例えてみれば、隅っこがあるはず。そこには、確かにあった「すき」が、まだ静かに、こちらを見ている。うつむいて本を読んでいたはずの女の子が、こちらを見て笑っている、そんな想像をした。
洗濯物を適当にかごに突っ込んで、私は真澄の部屋を訪ねた。
「真澄ー」
「もう、史緒里、いいかげん私を頼るのやめなって。服くらい自分で決めろよ」
真澄は私の用事を心得ているようで、怒った顔で出迎える。
「いいじゃん。私の服がどうだって四郎くんは何も言わないけど、自分がかわいい服装してるって思うとモチベーション上がるんだよね、私の」
「今、なんて言った?」
「え、なんてって、どこ?」
「四郎くんは何も言わないって言ったな」
「言ったけど」
「信じらんない。女の格好を褒めないなんて男の風上にも置けない」
「え、」
「待ってろ、今日は思わず『かわいい』って言わずにはいられない格好にしてやるから」
「は、はい」
今日のデートは本屋がメイン。
四郎くんが異動して、初めて携わった本が、書店に並ぶ。最近は私の個展が忙しくて全然会えなかったから、今日は久しぶりに会える。
私は浮かれきってるけど、現実は結構ままならない。大金を払って借りたギャラリーでの展示は大成功したとは言いがたいし、四郎くんは出張ばかりで忙しそう。
けどさ、楽しいよ。
本編はこれで終わりですが、おまけショートが次話にあります。




