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すみっこのすき  作者: ミノマ
 
7/17

7. ずっと教室の隅で眺めていた

 外に出て、通りを渡って帰りのバス停に向かおうと、辺りを眺めたときになって、ようやく私は周囲の異変に気がついた。

 「え、何、この人ごみ」

 数時間前とは打って変わって、道路は車でびっしり埋まり、歩道もたくさんの人がいる。

 「ああ、今日から、さくら祭だろ」

 言われて、私も思い出した。毎年この時期に、週末を使ってさくら祭が開かれる。夜店が立ち並んで、桜並木の街道が人でごった返す。街道とは、ちょうど私たちが出てきた美術館のある通りのことだった。

 祭は金曜の夕方から日曜いっぱいまで行われ、初日の今日は、例年通りなら桜のライトアップと何かショーみたいなものをやるはずだ。

 だから行きのバスの人が多かったんだ。夜店の準備も始まっていたはずなのに、気がつかなかったのは、緊張していたからか。

 「うわあ、そっかあ。あんまりこの辺に来ないから、忘れてた」

 「おれは、実は覚えてた」

 「ええ」

 「帰りに見て行こうかなって」

 「そ、そうなの?…あ」

 電話が鳴った。

 「あ、ごめん、ちょっと、電話」

 大学からかと思って確認せずに電話を取ると、真澄だった。

 「何だ、真澄か」

 『あれ、忙しい?あとにしようか』

 「うん、あとで」

 電話を切って、何の話だっけ、と少し考える。

 「ごめんね、急に。えっと、祭、見て」

 言いかけた言葉が途切れた。私の手が何か温かいもので包まれたからで、視線を下げれば、その原因は容易に分かる。

 手を、つながれている。

 「し、四郎くん?」

 「人多いじゃん」

 いつかと同じようなことを言って、四郎くんはそっぽを向いた。

 「今度は、出口で合流したりできないしさ」

 確かに、分単位で人が増えているように見えるこの人ごみで、はぐれたらもう会えそうにない。美術館の中とは違う。

 「行こうか」

 「う、うん」

 手を見下ろした。私の手は四郎くんの手と比べて小さくて、女を認めざるを得ない。

 小さくて、無力だよなあ。

 知らず、こぼしていた。

 「私、前、四郎くんと会ったときに、…あ、覚えてないとは思うんだけど」

 「どうかな」

 「『美術やりたい人が、美大行ったら負けだ』なんて、言ったと思うんだ」

 「覚えてるよ」

 「本当?…でも私、結局、今もこうして大学にすがりついてる。普通はね、大学院まで行かないと、助手とかでは拾ってもらえないけど、先生の手伝いしてるうちに、受けてみなさいって言ってくれた。私、断れなかったんだ。他に行くとこも、ないし…」

 なんで突然こんな愚痴をこぼしてるんだろう。往来の中で、手をつないだままで。きっと四郎くんは困っている。


 卒業制作の傍らで行っていた就職活動はうまくいかず、ぎりぎりで潜り込んだ小さな事務所はとても忙しいところだった。

 家に帰ると疲れ果てて何もせず眠り、案じた真澄が一緒に住んでくれるようになってなんとか人並みの生活になったような気がした。それでも何もできない、絵が描けない。私は怖くなった。

 絵が描けないという事実より、それに慣れてしまう可能性に。

 だって、何だったの、私がこれまで費やしてきたことは、これまで家族に費やさせてきたものは。私が絵を描き続けないと、何が残るって言うの、私の、これまでの人生に。

あの頃の私は追いつめられていて、仕事にまだ慣れていないからだという家族の言も信じられず、住田が絵から離れることはないよという友人の言も聞かず、たった一年で仕事を辞めた。

 やめてから半年程度、ふらふらとしていた。仕事にいくことがなくなって時間ができると、自分がこれほどに精神が弱いことにショックを受けていた。他の人たちはちゃんと仕事を続けているのに、どうして私はこんなにあっさりやめてしまえたんだろう。このことのほうがよっぽど家族に申し訳ない、と思った。そんなときに声をかけてくれた教授にはとても感謝している。仕事を手伝っているうちに、講師の採用試験を紹介してくれた。修士も修めてない私が受けてもいいものか分からなかったが、どういう経緯があったのか、とにかく私は受けて、受かって、大学に勤めている。

 「大学の中にいれば、こんなに居心地のいい場所、ないよ。学生たちは楽しそうに制作してる。私だって、制作しながら、仕事がもらえる」

 「うん」

 四郎くんの相づちが優しくて、私は止まれない。

 「安心できる場所を私は求めてる。でも、その反対で、こんなとこにいちゃだめだって、叫んでる。もっと不安な場所に行けって言ってる。どっちも私の本心なんだ。だから、どっちに行けばいいのか、わからなくて、怖い」

 「うん…」

 「ごめんね。急にこんなこと言っても、四郎くんにはどうしようもないのに」

 「どうしようもないかな?」

 「え?」

 「話を聞くだけで、住田さんの役に立ってないかな?」

 「そんなことない。聞いてもらえて、私はすごく楽になった。私だって、答えが欲しいわけじゃない。ただ、ぶちまけたいときもあって、それを押し付けたみたいで申し訳なくて」

 「嬉しいよ」

 まっすぐに四郎くんは私を見ていた。

 「ほんとう」

 「あ、ありがとう…」

 今度こそ、私たちは歩き出した。今年のイベントは花火らしく、とりあえずそこへ向かって歩いてみるかということになった。


 「卒業アルバム、見たことある?」

 どきっとした。ついこの間、初めて見たばかりだったから。でもそれは言わず、

 「うん、隅々まで見たことはないけど」

 とだけ言う。

 「あれのさ、クラスの企画ページあるだろ。覚えてるかな、あそこに、住田さんが写ってるページあんだ」

 この間見たページだ。私が笑って写ってる、あの写真だ。

 「誰かが指差した方見て、住田さん、笑ってんだ」

 「そう、なんだ」

 「その指誰か、おれ、知ってる」

 「四郎くん、だよね」

 先に言われて、四郎くんは少し目を見開いた。

 「知ってた?」

 「うん、知ってた。ついで言うと、どんなときの写真だったかも、覚えてる」

 「そっか」

 と言って、四郎くんはへへ、と笑った。

 「あの指おれだぞって、誰かに言いたかった。『で?』ってなるの、わかってたから、誰にも言ったことないけど」

 「言わないよ」

 ほんの少し、手に力を込めた。

 「『で?』なんて、言わない。私も、言いたかったもの。この写真、実は私と四郎くんのツーショットなんですって」

 「…言うね、住田さん」

 「え?わ、私、なんか恥ずかしいこと言った、かな」

 「いやいや」

 言った!ツーショットとか、何言ってるの!

 「きょ、今日私たち、変だよねえ。なんか恥ずかしいことばっかり、言ってるよねえ」

 「なんかな。何だろうな」


 仲のいいクラスだった。私が一人、勝手に馴染めなかっただけで、みんな私にも親切にしようとしてくれていたし、クラス全員で遊ぶ企画にも毎回声をかけられた。私を含む何人かは行かなくて、でもそれで「あいつは感じが悪い」なんて言われたこともない。ただ、そういう付き合いの人なんだなと思ってくれただろうし、むしろあまり絡まれなかったのは気を使ってくれていたからだろう。

 三年生の冬には、アルバム用にカメラを構えた生徒がうろうろしだし、それを見た調子のいい男子生徒なんかはカメラの前でおどけたりしていた。

 その日もアルバム委員がやってきて、誰彼構わずカメラを向けた。一番元気な男子数人が教室の真ん中で踊り出して、私は教室の隅っこに避難しながら、またばかをやっているなあと内心笑いながら見ていた。

 そのあと、きゃーという声がして、続いて「おい、見ろよ」という四郎くんの声がした。彼の指し示す先で、男女がフォークダンスを踊っている。

 はしゃぐ男子をいさめようと女子が近づいたものの、彼らはその手を逆に引っ張って、机を並べた急造のステージでダンスパーティを始めてしまったらしい。それまで見ていたクラスメイトも、ここまで事が大きくなれば俺も私もと集まり出し、放課後の教室は、にわかにダンスホールになってしまった。

 「四郎くんは、行かなくていいの?」

 私は相変わらず教室の隅っこで笑いながら見ている四郎くんに聞いた。

 「いいや。見てる方が楽しい」

 「そう?入ってる人たち、楽しそうだよ。ほら、アルバム委員の人も、カメラを置いて輪に入っちゃってる」

 「あーあー。壊しても知らねえぞありゃ」

 結局、通りがかった先生に怒られるまでこのおかしなダンスパーティは続いて、私と四郎くんは、ずっと教室の隅で眺めていた。


 「実は、ちょっぴり、入って一緒に踊ってみたいなって、思ってたんだよね」

 「まじで!?」

 四郎くんが大げさな反応をするので、こちらの方がびっくりしてしまう。

 「う、うん」

 「なら誘えば良かった。あんまり無理に言うと、『一人で行ってきていいよ』とか言われそうで、我慢してたんだよな」

 「四郎くんも行きたかったんだ。我慢せずに行けば良かったのに」

 「わかってねえな。おれは、住田さんと踊りたかったの」

 「……え、な、なんで?」

 「…………お、思い出作り?」

 これ以上、お互い変なことを口走ってしまいそうで、口をつぐんだ。本当にどうして今日は、こんなに恥ずかしいんだろう。手を、つないでいるからかな。

 もう一度、つないだ手を見下ろした。

 美術館でいちゃいちゃは、私には無理だよ。手をつなぎながら、腰を抱きながら、二人で同じペースで見るのは、無理。

 でも、手をつなげないわけじゃない。つなぎたくないわけじゃない。今、こうしていることが、嬉しいもの。


大学のシステムについての記述はいたって適当で、本当に学部出たての人間が教員になれるかどうか作者は知りません。軽く見逃してやってください。

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