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すみっこのすき  作者: ミノマ
 
2/17

2. 彼は普通のひとだった

 駅の喫茶店に、入った。高校二年と三年のとき同じクラスだった四郎くんとは、四年前、大学生のときに一度偶然に会っていた。そのときも、この喫茶店に入った覚えがある。

 いつ来てもこの喫茶店はほとんど人が入っていない。時間帯によるんだろうか、営業は大丈夫なのか、といらない心配をしてしまう。席は選び放題だったので、どちらからともなく前回と同じ席に着いた。

 ウェイターが水を持ってきて、注文はと聞いた。

 私がレモンティーを頼むと、四郎くんはケーキセットを頼んだ。

 「誰かさんが前食べてたのがおいしそうだったから」と四郎くんは言った。そういえば、前は私が頼んだっけな。りんごのケーキがおいしかったのを思い出した。

 ウェイターが去って、あらためて私たちはお互いを眺める。

 「髪、また黒くなったねえ。短くなってるし」

 当然か。大学四年当時大学院に行くと言っていた彼も、順当に行けば社会人二年目のはずで、スーツを着ていることからも、勤め人であることはすぐ見て取れる。

 四年前、大学生らしく茶色かった髪は、今は黒に戻っていて、清潔な印象を与えるためか、短くさっぱりした髪型だ。

 「ああ、そうか」

 「ん?」

 「そうやって会ったときにすぐ言えばいいんだよな。あとからぼろぼろ口に出すから、『今さら?』なんて住田さんに笑われるんだ」

 そうだった。四郎くんは会話の途中途中で「髪伸ばした?」だの、「眼鏡やめた?」だの、そのとき気がついたように言うから、私はその都度「今さら言う?」なんて言って笑ったんだ。

 「じゃあ、私は何が変わったか、分かる?」

 「えっ」と言って、四郎くんは目を細めて私を見た。自分で振っておいて、その視線にちょっと気恥ずかしくなる。

 「……髪の色が、変わった気がする」

 「うん、そうかもね。四年前はもう少し色が明るかったと思う」

 それだけの指摘で私は満足したけれど、四郎くんはずいっと片手を突き出して言った。

 「ちょっと待てよ。もうひとつくらいなんか言うから」

 「う、うん…」

 しばらくの沈黙のあと、四郎くんはいすの背にもたれて大きく息をついた。

 「……やっぱり、大人っぽくなったよな。なんか、すらっとしたっていうか」

 どうしよう。何と言っていいかわからない。

 「なんか今の発言は、問題あると思う」

 茶化してやり過ごそうかと思って、わざと怒ったような口調で言うと、四郎くんがびっくりした顔をする。

 「えっ!?」

 「要は痩せた?ってことだよね。女の子に体型のこと言うのはどうなの?ちょっとセクハラっぽい」

 「ま、まじで…」

 「嘘嘘、ありがとう、嬉しい」

 「そ、そうなの?」

 あからさまに安堵した四郎くんが面白くて、笑った。

 「本当に、住田さんは笑うようになったよね」途端言われて、びっくりする。

 「そう?そんなに私、笑ってなかったかな、高校のとき」

 「笑ってないことはないけど」

 確かに、そんなに笑い上戸なキャラではないかもしれない。笑顔が別段可愛いわけでもないし…あ、だめだ、これは卑屈。

 「あのとき、アドレス交換しとけば良かった。あれから何でか少しも会わなかったし」

 ひそかにどきっとした。

 「そ、そうだねー」

 実は、この駅で四郎くんを見かけたことは何度かある。気づかれないうちにこっそりと逃げていたのは私だ。

 すれ違って、知らん顔されたら悲しいから。


 私—住田すみだ史緒里しおりと、武上たけがみ四郎しろうくんは、さっきもふれたとおり高校の同級生だ。なんとなくクラスの中で孤立することが多かった私だけど、四郎くんは忖度なく私に話しかけてくれた人の一人だ。とはいえ、それ以上の進展があったはずもない。教室でする会話はなんてことのない日常の話だったし、進路を選ぶにあたって、私は美大受験、彼は一般大学の文系で、お互い学部さえ知らなかった。合否が分かる前に卒業してしまったから、四年前に再会するまで、私が浪人していたことも、彼は知る由もなかっただろう。

 離れたところから見れば見るほど、彼は普通のひとだった。私が普通じゃないなんて、言ってるわけじゃない、私だって、平凡の域を出ない。そうじゃなくて、私がどうしてもなじめなかった、あの教室の雰囲気を、四郎くんは纏っていたのだ。流行りを雑誌でチェックして、カラオケや合コンで盛り上がり、誰それがかっこいい誰それがかわいいと騒ぐ。そんな普通なことをする、彼らみたいにはどうしてもなれない、なりたいとも思ってこなかった。でも四郎くんは、多分そんな人だった、私にはそう見えた。

 だけど私はそんな人たちになりたくはなくても、仲良くなりたい、なじみたいとは思っていた。だから高校時代、四郎くんと話せて楽しかったのだけれど。

 四年前、四郎くんを見た私は自分から声をかけた。四郎くんはびっくりすると同時に何か戸惑っているように見えて、それで怖くなってしまった。

 私が声をかけて、迷惑だったかな。学校の中では仲良くしてくれたけれど、一度外に出れば、もうそれっきりなのかな。いつまでも、仲良くできると思った私がばかだったのかな。

 私は、『彼ら』とはけっして相容れないと思い込んでいて、相手もそう思っていると思った。だから『学校』みたいに、私たちをつなぐものでもなければ、四郎くんにとって私はどうでもいい存在かもしれない、そう思ってしまって、彼の姿を認めるたびに人ごみに隠れたり、行き先を変えたりして見つからないように努めた。

 じゃあお前にとってどうなんだ、と問われると、困る。彼は、私にとってどんな存在か、私自身、わからない。相容れないけれど、相容れたいものの象徴なのかもしれない。

 だから今回、私に気づいて、声をかけてくれたのは、とても嬉しい。


 「ちょうどいいから、今アドレス交換しようぜ。あとでって言ったら、また忘れるかもだし」

 「う、うん」

 さっき乱暴に鞄に突っ込んだせいで、すぐに出てこなくてちょっと焦る。やがて取り出した携帯電話を突き合わせて、出会ってから十年近く、私たちは初めてお互いの連絡先を交換した。

 「前会ったときさ、飲みに行こうとか、言ったろ。これで行けるな」

 満足そうに四郎くんは微笑む。四郎くんは、高校のときから彼女がいたし、四年前再会したあとも、彼女を作ったりしていただろう。というより、見た。駅で、女の人と歩いているのを。

 それに比べて、私は、彼氏いない歴=年齢。キスの経験すら、ない。典型的だ。

 そんな私に、簡単に「飲みに行こう」なんて嬉しそうに言わないでほしい。勘違いしてしまいそう。

 「でもなんか、不思議だね。私たち、四年ぶりにあったのに、全然ブランクないみたいに話している」

 「だって、おれ、住田さんと昨日会ったばかりみたいな感じすらするよ」

 拒否されるのが怖い、忘れられていたらいやだなんて言ってさんざん逃げていたのに、いざ会ってみればこんなに容易い。ああ、四郎くんだな、と思う。この気安さは四郎くんだ。大学時代に再会したときだってそうで、あのときも高校卒業から四年経っていた。

 「四郎くんって得な性格してるよねえ」

 「なんだ、それ。お気楽ってことか」

 「違うよ」と言って、またついでみたいに笑ってみせた。

 『私とだから』じゃないんだろう。『私とですら』こんなに仲良く話せるんだ。本当にうらやましい。

 「今年、オリンピックイヤーだろ。おれたち、前もオリンピックの年に会ったんだぜ」

 「そういえば、そうかも。じゃあ、次もまた、四年後かな」

 「もうねえだろ。おれが連絡するし」

 「あ、そう…」

 顔が赤くなってたら、やだな。恥ずかしい。


 「今、何してるの」

 何気なくなんだろうけれど、その質問は、私に痛い。

 「今ね…大学の、助手をしている」

 私が在籍していた美術大学の、油画科の研究室で働いている。今は助教と呼ぶらしいけれど、学校では相変わらず助手と呼ばれていた。画材の準備や授業の補助をする、要は雑用係。

 「へえ、すごいじゃん」

 「うん」

 私の歯切れの悪さに気がついたらしい、「あれ、なんか微妙なの」と四郎くんは聞いてきた。

 「うん、まあ、いろいろと。四郎くんは?」

 露骨な話題の転換だけど、四郎くんは意を汲んでくれた。

 「おれ?おれは、出版関係。って言っても、営業だけど」

 「そうなんだ」

 「院まで行ってもなあ、ままならないよなあ」

 「そうだね…」

 変な感じ。四郎くんはかっちりとスーツを着込んでて、私は大学帰りのラフな格好。でも二人して、おんなじようにため息をついてる。

 「今他の人から、私たち、どう見えるんだろう」

 「ええっ」

 四郎くんが急にのけぞった。あれ、何か変なこと言ったかな。

 「いや、あのね、四郎くんスーツだし、私は絶対会社勤めには見えないでしょ」

 「あ、そういう意味…」

 そういう意味?他にどういう意味があるんだろう。

 考えているうちに四郎くんは、手遊びにメニューを眺め出した。

 「ここ、スパゲッティもあるんだ」

 「そうそう、結構おいしいよ」

 「おれさあ、あのなんだっけ、牛乳と卵のやつ」

 「何それ」

 「あのー、ベーコンのさあ」

 「あ、カルボナーラ!」ひらめいた瞬間、余計なことまでひらめいた。

 ………

 『私たち、他の人からどう見えるんだろう』

 =『私たち、恋人みたいだね?』

 そういう意味ですか!?

 内心冷や汗をだらだら流す私をよそに、四郎くんは「そうそう、カルボナーラだよ、カルボナーラ」とご機嫌だ。

 そりゃあのけぞるよなあ。うわー、恥ずかしい。

 「あれのなあ、おいしい店がないかと思って」

 「カルボナーラ?それはわかんないけど、パスタのおいしい店は、市役所の近くにあるよ」私は表層だけで返事を返す。

 「へー、どのへん」

 「えっとねえ、説明がちょっと難しいんだよね。裏道の方で」しかも言い出すタイミングが最悪じゃん。お互い今どうしてるかって、わりと真面目な話してたじゃん。そこで「今の私たち、恋人みたいに見えるかな」とか、ばかか!ばか女か!いや、そういう意味で言ってないし四郎くんも最初勘違いしただけだから、いいんだけどさあ。

 「あ、じゃあ、一緒に行けばいいじゃん」

 「ああ、いいよ」あそこの店ねえ、夜は混むからランチがいいな。役所近いから昼も混むけど、時間ずらせば余裕で入れるし、

 「えっ」

 顔を上げると、四郎くんはスマートフォンでスケジュールの確認をしているようだった。

 「いつがいい?やっぱり週末の方が合わせやすいよな」

 「あ、えっと、一緒に行くの?」

 「無理?分かりにくいなら、一緒に行った方がわかりやすいし、約束あったら四年後じゃなくても会えるだろ」

 「そ、そうだね」

 煮え切らない私に、四郎くんが顔を上げた。

 「あ、ごめん、無理なら言って。おれ、なんだ、あんまり空気読めないから。彼氏とかいたら、二人で飯はまずいかもだし」

 「彼氏はいないけど…」っていう言い方するってことは、四郎くん、今彼女いないのかな。

 「四郎くんさえ良ければ、うん…一緒に行こうか。夜混むから、昼に行こう」

 「よっしゃ。昼なら土日かな。仕事あるし」

 あれよあれよといううちに、約束ができてしまった。

 私は会話をつなぐことにいっぱいいっぱいで、それについて深く考えられないまま帰宅した。


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