(2.) 何考えてんだ?
待ちながら考えようかな。
と思っていたが、なかなか彼女は一筋縄でいかないようだ。
まず、捕まらない。
仕事帰りはできる限りホームに粘って、降りてくる乗客を睨みつけていたが、全く現れない。もしかして今は一人暮らしをしていて、この間見かけたときはたまたま帰省していただけだったのかもしれない。そんな不安が過るが、かといって他に彼女に会えそうな場所を思いつかないし、諦める気も起きない。仕事や付き合いで遅くなると家族に伝えたものの、こう毎日遅くなると父親もだんだん不機嫌になってきた。
「おい、四郎。お前、毎日何してんだ」
ほら来たぞ。
「いろいろあんだよ。勤め人には」
「ならやめろ。うちの店継げ」
おれの実家は定食屋をやっている。祖父から父親が跡を継いで、父親がおれに次を継いでほしがっているのは知っていた。けれども無理矢理に継がせるつもりはないのも。そうでなきゃ大学院まで出してもらえるものか。
しかしこう頭ごなしに言われては、かちんときてしまうものだ。
「継がねーよ」
「お前、うちを潰す気か」
「潰れろとは思ってねえよ。だれか弟子とって、継がせろよ」
「勝手なこと言いやがって。うちを継がねえ、嫁も取らねえ、一体お前は…」
そこでかっとなって、乱暴に言った。
「女だよ!毎日遅いのは!」
「え、そうなの?」
母親も聞いていた。早合点が多いこの人に知られるのは少し厄介だ。
「そうなの、四郎?」
「…まだ全然、付き合って、とかじゃねえけど。いつか紹介できるようにするから」
「本当?」
母親が分かりやすく嬉しそうな顔をした。
「店継ぐより、それが一番嬉しいわ。早く連れてきてね」
父親が舌打ちをしてどかどかと風呂場へ去っていった。店を継ぐ気はないことと、父親に当たり散らしたことに、少し罪悪感を覚えた。
…これで後には引けなくなった。引くつもりもなかったけれど。
待っている間には、携帯ゲームをしたり、仕事のことを考えたり、…彼女のことを思い出したりしている。
彼女は、高校二年三年と同じクラスだった女の子だ。大体いつも一人で、うつむいて教室の中で本を読んでいたから、ああこの子は一人でいるタイプの子なんだなあというのはすぐに察した。でもそれで困っているとか、辛く思っているとか、そんな様子もなかったから、別段心配はしなかった。
それなのにどうして話しかけるようになったのか、あまり覚えていない。最初に何を話していたのかも覚えていない。いつも大体しょうもない話ばかり振っていた気がする。
話してみると彼女は本当に普通の女の子だったし、それどころかなんだかうまがあって、ことあるごとに話しかけるようになった。かといっておれが彼女とばかり話していたわけでもない。友人とつるむことの方が多かったし、クラスの他の女子と話すよりはちょっと多いくらいの頻度だったと思う。彼女の方が、おれ以外の男子と話すことがなくて、少しだけ目立ってしまったのだ。
…でも、あの頃から、なんとなく抱いていた。おれだけが、彼女のことを知っているという優越感。まあそれは、ただの妄想だったけれど。おれだって、彼女のことをちっとも知らなかった。
(…女の子のこと考えながら、駅で待ち伏せするって、これ、ストーカーじゃないよな?)
そうではないと言い切るのはちょっと難しい気がしたが、気づかなかったことにする。
その後間もなく仕事が立て込み、ホームを見張ることもできない日々が続いた。久々に夕方にホームに降り立ったのは、一週間後のことだ。
電車を降りて、さて向かいのホームに向かうかと階段に足をかけたところで、電車が近づく音がした。思わず振り返ると、向かいのホームに電車が止まったところだった。
乗客を吐き出して、電車は去っていく。ホームに残された人びとが、階段を上って改札へ向かう。
その中に、ずっと待っていた人物の姿を見つけた。
「いた…!」
彼女は急いでいる様子で、さっさと階段を上っていく。おれも慌てて身を翻し、階段を上った。
やっと見つけた彼女を、逃すわけにはいかない。
一段飛ばしで駆け上がり、改札を通り抜けようとする彼女に走って追いつく。息を切らしていては怪しいかと思って、そこで歩調を落とし、呼吸を整えた。しかし彼女はすたすたと歩き去ろうとしてしまう。改札を抜けたところで、たまらず声をかけた。
「住田さん?」
彼女は立ち止まった。
「四郎くん」
振り返った彼女は、間違いなく高校の同級生だった、住田 史緒里さんだった。
急いでいたようだったが、住田さんはおれが誘うと二つ返事で喫茶店へついてきた。
四年前にも入った喫茶店だった。そういえば、シチュエーションとしてはあのときと逆だ。あのときは、この駅で彼女に話しかけられ、喫茶店に誘われたのだった。
なんとなく懐かしくなって、彼女の頼んでいたケーキセットを頼んだ。おいしいよと彼女が言っていたのを思い出したからだ。
そのあと、当たり障りのない会話をした。久しぶりに会ったもの同士お決まりの、どこそこが変わったって報告会だ。
といってもおれは大して変わらない。髪を切ったくらいで、内面も外見も、面白くも何ともなっていない。
「私は何が変わったか、分かる?」
住田さんに聞かれた。一瞬、面倒くさい質問だなと思ってしまったのは内緒だ。
一番変わったような気がするのは雰囲気だ。けれどそれをどう言えば良いのだろう。
髪の色が変わったというと、彼女は満足げに笑ったけれど、正直おれにとっては大した違いに思えない。彼女は、もっと、こう…。
…考えても、何とも言えない。
かろうじて、「すらっとして大人っぽくなった」と言うと、セクハラだと怒られた。女性って難しい。
そのあと、アドレスを無事にゲットする。これで寒空の下待ち伏せをする必要はなくなった。
それにしても本当に、住田さんはよく笑うようになった。なんとなく控えめな、その笑い方は結構好きだ。笑うようになったというより、感情が表に出やすくなったというべきか。高校のときからぼんやりした顔をしていることが多くて、それは今もそうだけど、それ以外の表情が豊かになった気がする。
しかし、話しやすさは変わらない。お互い、別段話が面白いとか、うまいとか、そういうわけでもないし、趣味が合うわけでもないのに、なんだか話しやすいんだよな。それと悟られないように観察していると、唐突に彼女が言った。
「今他の人から、私たち、どう見えるんだろう」
「えっ」
思わず大きく身を引く。
どう、どうって、それって。
「いや、四郎くんスーツだし、私は絶対会社勤めには見えないでしょ」
…ああ。
恋人に見えるかもとか、そう言う話ではないわけね。
少しだけがっくりして、おれは会話を続けながら住田さんを恨めしげに見た。
なんだろうなあ、あっちもおれのこと、嫌いじゃないと思うんだけどなあ。これが経験がないってことなんだろうか。いや、経験がないなんて言ってないよな、高校の頃は確かに彼氏なんていたことないって言ってたけど、今はどうとかは話してないもんな。
考えているとちょっと不穏な気持ちになってきた。
今も彼女はなんだか上の空で会話している。何考えてんだ?
ぼーっとしているのにつけ込んで、一緒に食事をする約束を取り付けた。ついでに、過去はともかく今は彼氏がいないことが判明した。とりあえず問題はないな。




