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すみっこのすき  作者: ミノマ
 
1/17

1. 教室の隅っこで、私は本を読んでいる

芸術や美術大学に関する話が全編通して出てきますが、基本的にフィクションであり、作者の想像です。実際とは違う場合がありますのでご了承ください。

 教室の隅っこで、私は本を読んでいる。公平なくじ引きによって得たこの席は、少し顔を上げれば教室全体を見渡せる、特等席だ。誰かの邪魔になることもなく、空気を壊すこともない。私はただ、自分の世界に没頭できる。

 ただしばらくすると、自分以外の存在がちらちら視界に入るようになった。「何の本読んでるの?」「昨日のテレビ見た?」「いっつも、昼飯菓子パンだよな。野菜食ってる?」

 その全ての質問に私は当たり障りのない答えしか返せなかったように感じる。教室には、もっと面白いおしゃべりができる人はたくさんいるだろうに、その人は、私に声をかけるのをやめようとはしなかった。

 教室の隅っこの、この席は、教室を見渡せる、特等席だ。誰かの邪魔になることもなく、空気を壊すこともない。そして、隣に彼がいて、ふと気がついたように、私に笑いかける。

 再度の席替えでまもなく移ってしまったその席を、私はときどき思い出して、後ろを振り返る。でもそこには、うつむいて本を読んでいる女の子が一人で座っているだけだ。





  遠くで聞こえていた声が少しずつ近くなり、気がつけば私の名前を呼んでいた。

 「住田さん」

 「はいっ」

 慌てて振り返ると、学生が申し訳なさそうに扉の隙間からのぞいていた。

 「ごめんね、どうかした?」

 「先生から、電話です」

 この部屋には電話がないから、教授が私に用があるときは、学生たちの部屋に電話することになっている。もういっそ私の携帯電話にかけてくれればいいのに、何度言っても学生が私を呼びにくる頻度は変わらない。

 「ありがとう、すぐ行きます」

 言いながら部屋の時計を見ると、もう夕方といっていい時間だった。昼過ぎにパソコンの電源をいれたのに、モニターと睨み合っているうちに結構時間が経っていたらしい。

 学生を追いかけて電話を取ると、用件はスケジュールの確認だった。いつも悪いね、と少しも悪びれず教授は言う。もう慣れた。

 自分の部屋に戻って、ため息をついた。書きかけの書類を確認して、保存する。今日はもうこれで終わりにしよう。最近帰りが遅いと、真澄ますみがいい顔をしない。学生のときだって、そんなに早く帰ったことはないのに、どうして今さらとは思うけれど、真澄なりに心配してくれているのだろう。

 今年で26歳。恋人どころか男友達すらろくにいなくて、家族はさぞ気をもんでいることだろう。お見合いをしようかとまで言われ始めた。

 いやだというと、気になっている人でもいるのかという。

 いない、いないけど、思い出す人はいる。

 私の肩を叩いて、しょうもないことで笑う、呑気な人。

 私の中で美化されてしまっただろう、あの教室のにおい。


 電車を降りると、あたりはもう薄暗くて、山の端っこに夕日のオレンジ色をかすかに残すだけになっていた。私は携帯電話を取り出して、時間を確認する。腕時計を持とう持とうと思いながら、今まで携帯電話を時計代わりにしてきている。ケータイをちらちら見るのはあまり格好のいいものじゃないから、やめたいんだけれど、どうにも腕に時計を巻く癖がつかない。

 急げば、バスに間に合いそうだった。これを逃すと、次の便まで一時間はない。郊外に住んでいるとこういうとき不便だ。いい加減、原付でも買おうかな、とこぼすと、家族に猛反対された。過保護な人たちだ。

 足早に改札を抜けて、そこを曲がればバス停、というところで、

 「住田さん?」

 という声に立ち止まった。

 スーツ姿の男の人が、立っている。

 私が背が低いから、そうも思えないけど、他の男性と比べると少し背は低めかもしれない。中肉だけど中背より少し低い、という感じ。まだ若いけれど、もうスーツに着られている感じはなくて、十分に着こなしているように見えた。いかにも人の良さそうな顔をしている。

 まだ若いって、当たり前か。私と同い年だもの。もちろん、彼は私の知り合いだ。

 思わず、わ、と声を上げた。

 「四郎くん」

 「そうそう」と、彼は口元を綻ばせた。

 一瞬、バスが行ってしまうな、と思った。けれどすぐに私も笑い返す。

 「久しぶりだねえ」

 彼、四郎くんは、高校時代と変わらない笑みで、「そうかも」と言った。


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