『出会い(3)』
「離してやらないか」
後ろから聞こえた声に振り向くと、そこには一人の男がいた。―――――
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切れ長の目にスッと通った鼻と薄い唇。面長のそれは、パーツ一つ一つがバランス良く配置されていて美しかった。
服装に隠れていてはっきりとは分からないが、決してゴツイとは言えない身体。しかし、貧相という訳ではなく、どことなく鍛えられている雰囲気。そしてこちらへと歩み寄ってくる動きは洗練されていて無駄がない。ゴツくはなくとも、しなやかな筋肉がついていると言えるだろう。
なによりも注目すべきは。その人の来ている服だった。
「濃紫…」
小さく呟いたのは私の腕を掴む男だろうか。
男の言う通り、その人の服装は『濃紫』の狩衣だった。
紫とはこの時代、高貴な色である。
だから、私も布を染めるときは紫にはならないように気を付けていたし、勿論今日の服も淡い桜色である。
濃紫の狩衣。間違いなく貴族である。
―――――それも帝―――天皇陛下―――に謁見できるレベルの大物で。
勿論、そんな大物を目の前にして小物たちが黙っていられる訳がなく。
私の腕を掴んでいた男たちは、私の腕を解放し、すぐに逃げていった。
(これは…去り損ねた?)
まぁ、助けていただいた以上は礼は言わなければならないだろう。
私は振り向くと頭を下げた。
「助けていただき、ありがとうございました」
男はフッと微笑み、ただ一言告げた。
「面を上げよ」
その言葉にゆっくりと顔を上げると、男はもう一度微笑んだ。
「何、そなたが気にすることではあるまい。あの者らに何かされてはいないか?」
フッと見せた心配そうな表情に対し、今度は私が微笑んだ。
「大丈夫ですわ。―――――貴方様が助けてくださったおかげにございます」
男は、首を横へと軽く振った。
「何の、これしき。私は当然の事をしたまでだ。―――――そなたのような美しい娘を見て舞い上がってしまったのだろう。あの者達は酔っていたようであったしな。どうか、私に免じて許してはくれまいか。“桜の姫君”よ」
“桜の姫君”その呼称に一瞬戸惑ったが、おそらく着物の色から呼ばれたのだろうと判断した。何しろ、安易に自らの名を教えてはならない時代である。この人は高貴な身分であるが故に、私に名を尋ねなかったのだろう。
「私はただの一農家の娘。―――――桜の姫君など、私には恐れ多い呼び名にございます」
目の前のこの人はフワリと笑った。
「何、そなたは桜のように可憐で美しいというだけのこと。どうか、私にそう呼ばせてはくれまいか。―――――今、例え私の狩衣がこの色であろうとも、この場においてはただの男と女として接して欲しい。そうだな―――――“月の君”とでも呼んでくれ」
目の前の男性―――――月の君―――――はそう言って手近な桜をひと枝手折った。そしてその枝をさらに小さく折り、それを私の髪に挿した。
「思った通りだ。そなたに何ともよく似合う」
髪へと左手をやると、桜の花びらが指先に触れた。
「ありがとうございます。―――――月の君」
月の君はフッと笑い、背を向けた。
「桜の姫君に出会えたのが桜が美しく舞うこの日ならば―――――次に会えるのは月の美しく輝く日だろうか」
そう呟き首だけ振り向く姿に桜が美しく舞う。
「月のお方が地に舞い降りる日かもやしれません」
そう応えると月の君は去って行く。
―――――ならばその日を楽しみにしようではないか。桜の姫君。―――――
そう残して。
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「お義父様、お義母様。遅くなってしまい、申し訳ありません」
二人は撫子を見て、何処となく不思議そうな顔をした。
「何か、いいことでもあったのかい?―――――おや、その頭の桜は?」
撫子は笑って答える。
「私を助けてくださった殿方から頂きました」
桜がフワリと舞った。
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