今沢緑の観察日誌「放課後の予感」
午後のチャイムが鳴って、窓の外では風がカーテンを揺らしていた。
保健室の時計は、四時を少し回ったところ。
机の上には、湯気の立つマグカップと未整理の書類。
そして、窓際には数冊の生徒相談記録が積まれている。
「……さて、そろそろ手を打たないとね。」
今沢緑は小さくため息をつき、ペンを置いた。
登夢と景――あの二人の間にある小さな“壁”。
誰にも見えないが、保健室の主である彼女にははっきりと感じ取れていた。
昼休み、景が顔色の悪いまま通りすぎていった。
廊下でふと立ち止まり、窓の外を見つめていたのを見た瞬間、
彼女の勘は確信に変わった。
(やっぱり、何かあったのね。)
だが――こういうとき、真正面から説得するのは得策ではない。
恋も友情も、押して動くものではなく、
「きっかけ」があって初めて流れ出す。
だから彼女は考える。
その“流れ”をつくるための仕掛けを。
ペン先で軽く机を叩きながら、
生徒たちの顔をひとつひとつ思い浮かべていった。
登夢、景、雷……そして――美里。
「八木美里、ね。」
その名を口にした瞬間、ふっと笑みがこぼれた。
彼女は去年の春、恋の悩みでここに駆け込んできた生徒だった。
真っ赤な顔で「好きな人がいるけど、どうすればいいかわかりません」なんて言って。
その“好きな人”――花島田勝利と、今では立派なカップルになっている。
(人って、成長するのね。)
最近の美里を見ていると、あの頃よりずっと強くなった。
けれど、根っこの優しさは変わらない。
誰かが泣いていれば、自分も泣くような子。
(彼女なら、景の心に光を差せるかもしれない。)
その瞬間、決意は固まった。
「――動かすなら、今ね。」
今沢は立ち上がり、職員室から持ってきたカップを二つ並べる。
いつものブレンドコーヒー。香りは穏やかで、どこか懐かしい。
彼女はひとり、微笑んだ。
「雷くんと美里ちゃん。二人なら、きっと何かを変えられる。」
窓の外では、体育館の方からドリブルの音が響く。
そのリズムに合わせるように、今沢の指が机をトントンと叩く。
「さて――放課後の作戦、始めましょうか。」
彼女はそっとメモを取り出し、二人の名前を書き込む。
呼出:雷 八木美里
時間:5時間目の終わり休み時間
場所:保健室
目的:岸本景の救出
そして、その下にいたずらっぽくこう書き足した。
――恋は、少しドラマチックなくらいがちょうどいい。
その筆跡を見つめ、彼女はひとり肩を揺らして笑う。
夕陽が窓の外を赤く染めていた。
春の風が、カーテンを軽やかに揺らす。
まるで、何かが始まる予感を運んでくるように。




